第一章41 『黒よりも黒く』
「寝て……しまいましたね……」
それはフィーアが零した言葉だった。
その言葉にノインも己の首を縦に振りながら肯定を示す。
「そりゃ、あれだけ暴れれば当然だろ……精神年齢は肉体年齢より二歳も低いんだろ?」
「まあそうですね」
ノインは寝台の上で、まるで猫のように丸くなって寝ているエルの頭を撫でる。
寝ていてもその撫での効果を敏感に享受するのか……ともかく寝顔は、起きているときにノインが頭を撫でた時同様緩みきっていた、ノインの撫では彼女にとってマタタビと言ったところだろう。
ノインはエルを撫でながら、エルに落としていた視線をフィーアへと変える。
「それでフィー、あの後……俺が気を失ってからの事の顛末が知りたい」
フィーアがノインの介抱をしている、そしてノインが目覚めた場所がブルーメの拠点としている教会の一室で在る事から、差し迫った問題は無いのだろうとノインは予想をしている。
だがやはりどうやって特異体を退けたのか、ヌル達はどうだったのかを知っておくに越した事はないだろう。
本来退避組みの情報を詳しく知りたいならフィーアよりヌル達――退避組みから直接話を聞いたほうが確かであるだろうが、ゼクスに任せたエルがここに居る事からもそこまで大きな事件は期待できない。
であるならばヌル達の報告を聞いたフィーアでも十分に大丈夫であるとノインは考えたのであった。
「そう……ですね……」
「事の顛末を知りたい」と告げたノインの言葉は、フィーアの顔に影を落とす。
だがそんな愁嘆に染まった顔をフィーアは巧妙に隠す、その行為があまりにも一瞬であったためノインはそれを見逃してしまう。
フィーアは数度浅い呼吸をすると、決意をその瞳に宿らせてノインにむかってアレからを話し始める。
「先ずはノインが倒れたところから始めましょう。 結論から言うと特異体の瘴魔を倒す事で私達はあの場から生還する事が出来ました」
「はっ……? 倒……して?」
あまりにも信じられない言葉に思わずノインが驚愕の言葉を零す。
というのもノインはてっきり、フィーア達は肉塊となった特異体が再生する前にその場を離れたものだと思っていた……つまり『肉塊は放置しその場に置いてきた』ものだと考えていたのだ。
勿論状況を見るに特異体を討伐する事は可能だっただろう。
何故なら倒すだけなら瘴魔が再生限界を向えるまで魔業で痛めつければ良いからだ……事実そうできるだけの力がこちらには在り、そうできるだけ瘴魔は弱体化していた。
だがそうするとノインの方が助からなくなってくる。
ノインは一刻でも早く相当な治療行為を施さないと死んでいたであろう事は、他の誰でもない――ノイン自身が理解していた。
そんなノインが生存していてかつ特異体の瘴魔を討伐してあの場を後に出来るとすると、ノインには二つの可能性しか思いつかない。
「つまり……アインスの解析した高火力の魔業がマジで化け物だったか、ツヴァイの奥の手が想像以上に強力だったとか……?」
『執行者の助力』というカードを持たないノインではこの二つの可能性に辿り着くのが精一杯であった。
だがその考えは、カードを持つフィーアによって即粉砕される。
「残念ですがハズレです。 ……私達を助けてくれたのは、あの執行者です!」
フィーアは執行者の前にわざわざ「あの」を付けてノインに話す。
執行者は楽園の外側で生きる者にとって伝説のような存在であるのだ、普通ならばこの単語が出てきただけで驚愕する事だろう。
事実フィーアもそれを狙って執行者の前に二文字をつけたのだ、だがそれに対するノインの反応は非常に冷たいものであった。
「えっと……執行者が? ……悪いんだけど執行者ってそもそも何だっけ?」
「え゛……」
予想外の一言に思わずフィーアは固まる。
だが暫く固まった後に「あ」と一言零す事で、フィーアは硬直の二文字から逃れた。
つまりフィーアは、ノインが記憶喪失である事――この新東京に関して情報も経験も圧倒的弱者である事を忘れていたのであった。
基本ノインの事しか頭にないフィーアにとって、どんな事柄であれノインに関する情報を忘れる事は稀有であると言える。
だが逆に言えば、そんなフィーアがノインの一部を忘れるほどには『執行者の助力』という体験は彼女にとって衝撃的だったという事だ。
ノインの事をしっかりと思い出しフィーアは数度咳払いをして続ける。
「……と、そうですね。 執行者は機関の総司令官に仕える順応者の最強集団です」
フィーアが執行者を忘れたと言うノインに対して説明を始める。
すると再びの説明から、ノインも過去に一度説明された執行者の話を欠片ながら記憶から引っ張り出す事が出来た。
「あぁ……そういやそんな話を闇市でしたな……。 えっと確か順応者で最強、美人で女性の三人組みってツヴァイが言っていたっけ……」
「そうです、その執行者です。 思いだしましたか?」
「ああちょっと特異体との戦闘が大変すぎて忘れていたわ…………で、その執行者がなんで助力なんか?」
「さぁ? 詳しい事は私にも分かりかねますが、執行者の――メイデンさんが言うには「通りがかったら苦戦しているところが見えたから」だそうです」
「お、おう……割とふわっとした理由なのな……」
ノインは機関の総司令官に仕える最強集団であるという情報から、執行者というのはもっと厳格な――もっと固い集団だと考えていたが、その話を聞いて執行者に対するイメージを少し変える。
普通の人なら自分の知らない事柄に対してたった一人の意見を百パーセント信じ得る者は居ないだろう、少なくともその裏付けをとったり複数人に確認したりして初めて精度の高い情報を得る事が出来る。
今回で言えばフィーアの伝える情報だけで、執行者という集団に対するイメージを形付ける参考にはしても、確固たるものにはしないはずである。
だがノインにとってその作業は必要なかった、ノインには『フィーアが言っている』ただそれだけで彼女の言っている話を……情報を百パーセント信じる根拠になり得るのである。
それは逆もまた然りで、フィーアとノインの間には既に奇妙な信頼が築きあげられていた。
「ともかく、その執行者が助力してくれたおかげで、特異体を討伐しつつ安全に退避できたって事か……」
「はい、まあ私達の方はそんな感じですね」
「……まぁ気になるところがまだ無いわけじゃないけど……その辺は個人的に聞く事にするから、今はヌル達――退避組みの方の事を聞かせてくれ」
その言葉にフィーアは言葉を詰まらせる。
だが覚悟は決まっていたようで、鋭い目付きでノインをその瞳に映し言う。
「いいですかノイン……絶対に落ち着いて、取り乱さないで聞いてください」
「あ……ああ、一体何だよ?」
やけに神妙な面持ちで念を押してくるフィーアにノインもついつい体に力が入る。
何か不都合があったのだろうかと言う嫌な予感と、エルを連れ帰ってこれ来ているくらいだから大した事は起きていないと言う希望的な予感が、ノインの心の中で混ざり合う。
独特な緊張感が夜の部屋に――照明と月明かりだけが光として存在する部屋に広がる。
ノインはフィーアが話しだすまでに作りだした空白に――間に喉を『ゴクリ』とならす、何時の間にかエルを撫でていた手も止まっていた。
そして遂にフィーアが口で音を紡ぐ。
「退避組みの中で……ツェーンさんが、その…………『半瘴魔化』しました……」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?」




