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東京侵蝕  作者: 平山 ユウ
第一章-中- 玉響の休息
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第一章40 『天音百花』

見ているだけで吸い込まれそうな程、澄み渡り穢れを知らない青き瞳にノインは息を詰まらせる。

闇市で少女を助けたとは言っても、実際には会話すらした事がないのだ……ただ何を言うわけでもなくこちらを眺めている少女に掛ける言葉をノインは模索していた。


そんな沈黙を破ったのはノインに拷問を――治療行為を行っていたフィーアであった。


「エルちょうどよかった、ノインが暴れないようにそっちのほうを押さえておいて下さい」


「わかった!」


ノインの知らないところで少女とフィーアは仲良くなったのか……『エル』と呼ばれた少女は子供特有の身軽さで寝台から跳び降りる。

そしてそのままノインの下まで移動すると、躊躇無くノインの体を小さな体躯で精一杯押さえつけた。


子供故にノインを押さえつける少女の――エルの力は強くない。

しかし子供故に傷を負っているノインへの配慮が無い事と、子供の前で暴れるわけにもいかない状況下からノインの行動を押さえつけるのに、エルは大きく役に立つ。


傷を避けてノインの体を押さえつけるフィーアと違って、エルはそんな事お構いなしにノインを触る。

つまりは傷にエルの指などが触れ、その度にノインを激痛が襲うのである。


だがその痛みに負けてノインが暴れれば、ひょっとすると体を押さえつけているエルに怪我をさせてしまう可能性がある。

結果としてノインは消毒という拷問を黙って、静かに受けるしか選択肢がなかったのであった。


フィーアの指がノインの体を這う度に訪れる暴力的な感覚に、ノインは耐えられそうもなかった。

しかしながら折角目覚めたのだ、『フィーアの安否』は確認できたものの聞きたい事はまだ多く在る。


ノインは情報収集と意識を保つ要として会話をする事にしたのであった。


「それで……フィー、この子は? ……エル……って」


痛みに顔を歪めながらノインがフィーアに尋ねる。

所々消毒によって言葉は連続性を失っているが、それが意味するところを正しく理解したフィーアはノインの問いに手を止めずに答える。


「ノインはもう気付いているとは思いますが、彼女はノインが闇市で買った――と言うよりかは助けた子です」


「ああそれはいいんだけど……エルって言うのは?」


「それは彼女のブルーメでの名です。 私が4(フィーア)、ノインが9(ノイン)のように彼女は11(エルフ)を与えられてそれで……」


「成る程ね、略して『エル』と」


ノインは把握したように数回頷くと、ノインの体に体を密着させて離れないエルの方に視線を動かす。

自分を見つめる視線に気付いたのか、エルはノインの方を見る。


真っ黒な夜空のような目と、真っ青な海原のような目の視線が一瞬にして交わる。

ノインの黒い目を見て少女は『にへら~』と幸せそうに破顔する。


果たしてその幸せに満ち溢れていそうな顔が何を意味するのかは定かではないが、その笑顔に釣られてノインもついつい笑顔になる――当然その直後に消毒による痛みで苦痛の表情に変わるのだが。


「えっとエル? 俺が誰だか……と言うかブルーメの皆から何を聞いた?」


「ん~と……なにも~!!」


幼い子供のように話すエルに痛みが和らぐのを感じると共にノインが違和感を覚える。


「えっとエル、ちょっと耳塞いでいてくれるか?」


「え~でもそれじゃ手はなしちゃうよ??」


「それもそうだな……なら」


ノインは両手を動かしエルの髪に触れる。

実に触り心地が良い髪の中でノインは器用に手を動かし、目的である耳に到達する。


そのままエルの耳をノインが両手で蓋をする。

ノインの手がエルの髪を通過していた時に、やたらエルが蕩けた表情になっていたのが気になったが、それはともかくノインはフィーアに聞く。


「フィー、この子どう見たって十二、三歳だろ? にしてはちょっと言動と言うか、行動が……そのなんか幼すぎないか?」


ノインが疑問に思ったのは、彼女の外見年齢と内面年齢の食い違いだった。

双青の少女――エルはどう見ても小学生高学年もしくは中学生成り立てくらいの外見をしている、だが彼女から紡がれる言葉も起こす行動もどれもその成長に見合っていない。


まるで体だけが大きくなり、その過程において精神的成長だけが欠如したようなおかしな状況。

だがそこまで考えてノインはとある事を思いだす、それは何時だったか――恐らく闇市でフィーアと話した『結晶化』だった。


そこまで状況を飲み込んだノインは、フィーアが先のノインの問いに答えるよりも先に零す。


「ま……さか、結晶化? その弊害?」


「大正解です。 結晶化の話は……どこまでしたんでしたっけ?」


「確か……空気浄化の魔業が――いや、裁きの日から魔業が開発されるまでの六ヶ月間……どうやって順応者が瘴気を避けて生きてきたかって話だったはずだ。 そこで結晶化――結晶の中に順応者が閉じこもったって聞いた」


闇市でフィーアに言われた事を思い出しノインが言う。

瘴気を避けるために殆どの順応者は結晶化したらしいが、果たしてフィーアもそうだったのかとノインはふと思う。


「そこまで話しましたか。 では続きです……結晶化した場合、勿論例外はありますが基本的には外的要因でしか目覚める事は出来ません。 私みたいに魔業が完成してから直ぐに起こされた人は良かったのですが……」


そう言いながらフィーアは耳をノインに塞がれているエルを見る。

フィーアの視線を受けたエルは、耳を塞がれているため何故自分に注目が集まっているのか分からないのか少したじろぐ。


「兎に角エルのように――もっと正確には何らかの理由で発見が遅れた……二年以上も結晶化されたまま放置された順応者には、外見と内面の年齢が噛み合わない事があります」


フィーアはエルに向けていた視線を外す。

次にその視線を純白のガーゼに向けて消毒を再開する、消毒の痛みにノインが耐えているとフィーアが手を動かしながら言葉を続けた。


「つまり精神面での発達が著しい幼少期に結晶化し……長い間放置されると、肉体だけ年齢を重ねて、精神は結晶化した当時のまま取り残されるんです」


「成る程……結晶化って言うのは、結晶の中に居ても別に時が止まったわけじゃないんだな。 それで、その肉体年齢と精神年齢の食い違いは治るのか?」


どれだけ難しい言葉と、瘴気によって齎された病気のような結晶化の話を連ねても、結局ノインが聞きたかったのはこの一点だった。

つまり結晶化によって生じた、外と内のあべこべが治るのか――不治ではないかと言う確認である。


ノインの問いにフィーアが答えるため口を開く。

何故だかノインの瞳にはフィーアの口が開く速度がやたらとゆっくり映っていた。


そんな緊張の渦にノインがいる中でフィーアが返した答えは、ノインの期待していた通りのものであった。


「はい、基本的に問題はありません。 完治の速度にこそ個人差はありますが、脳が勝手に肉体と精神の年齢の齟齬に気付いて、精神年齢を無理なく引き上げていきます……エルの場合は……精神年齢がかなり幼いのでちょっと時間が掛かるかもしれませんが、心配はしなくて大丈夫だと思います」


「そっか……よかった~」


ノインの体から一気に緊張が抜ける。

緊張が抜けたのと同時にエルの耳からノインは手を離し、彼女が音を受け取る事を許す。


そんな安心しきった様子のノインを見て、一連の話について耳を塞がれていた事で知らないエルは疑問に思う。


「どうしたの? 大丈夫……やっぱり傷いたいの?」


「いや違うよ、エルの話をしていたんだ……大丈夫問題なくエルは成長できるらしい」


そう言ってノインはエルの頭を――髪の毛を撫でる。


闇市の時からそうだったのかもしれないが、ノインはエルの髪の毛を撫でているのが好きだ――感触や髪から伝わる冷たい温度が非常に心地良かった。

ひょっとしたらエルが嫌がるかもしれないと思い、ノインがエルの顔を見ると……エルは顔の筋肉全てが緩まったかのような蕩けた表情をしていた。


その様子に彼女を撫でる事を別に止める必要は無いと感じたノインは、髪の毛を撫でている手を片手から両手に増やす。

それに応じて――それに比例してエルの顔の蕩け具合は、先程片手で撫でていた時の二倍になった。


若干顔の筋肉が心配に成る程緩んでいる気がしなくもないが、その顔が非常に可愛いためノインは別に気にならなかった。


「さて……と、とりあえず消毒を含めた応急処置は完了です。 さあノインベッドに戻りますよ!」


エルを撫でていると何時の間にかフィーアによる応急処置は終わっていたようで、フィーアが両手を『パン』と鳴らしノインに告げる。


「ああ分かった……悪いけどフィー、肩貸してくれ」


「それは勿論良いですけど……ノイン歩けるんですか?」


「うん……フィーアやエルと遊んでいたら、なんか少し元気でたよ……」


ノインはフィーアに支えられながらゆっくりと立ち上がる。

未だにノインの体は石像のように固まっていて、あらゆる動きに支障が出ている……だがそれでも一人であの木製の扉に移動したときよりかは、圧倒的に速くノインは寝台に辿り着く事が出来た。


寝台に腰をゆっくりと下ろす……だが柔らかな寝台の感触でさえ、今のノインにはまるで鉄の棒で殴られたかのような衝撃に感じられる。

傷が感触を何倍もの痛みに変えて伝えてくる、寝台の柔らかな感触でこの様なのだから、寝台から転げ落ちたノインの行動は今考えれば無謀の極みといえる。


何とか寝台の上で横になったノインの隣にフィーアが座る。

寝台の開いたスペースにはエルが何やら楽しそうに入ってきていた。


フィーアが応急処置を行った際――恐らくノインは痛みに意識の大半を割いていた所為で気付かなかったのだろうが、何時の間にか点いていた照明型の魔業が暗い部屋を淡く照らす。

そんな橙黄色(とうこうしょく)で満たされた部屋でフィーアが何か思いだしたように手を叩いた。


「そうだノイン……エルに名前をあげてください」


「は? 何言っているんだフィー……エルにはもう名前がついているだろう?」


もうエルはブルーメから『11(エルフ)』という名前を付けてもらった事は、他ならぬフィーアから伝え聞いた事であった。

ノインにはフィーアが言う「名前を付ける」と言う言葉の真意を忖度しかねていた。


「すいませんノイン……言葉が少し足りませんでしたね」


「いや大分足りないと思うんだけど……」


「と、ともかく……一度瘴魔になった所為か、それとも長期間結晶化していた弊害かは分かりかねますが……どうやらスッポリ抜けているみたいなんです」


「……えっと何が?」


「自身の名前や、裁きの日以前の記憶です」


その言葉にノインは貫かれる。

理由は分からないが、ノインの心拍数はその言葉を聞いた瞬間に少し跳ね上がっていた。


「ノイン……聞いていますか?」


「あ、あぁ……」


「つまりエルに付けて欲しいのは、ブルーメとして――抵抗組織としての名前ではなく、ちゃんとした本来の名前です」


上昇していた心拍数も元に戻り、ノインは数度深呼吸をしてからその言葉に返す。


「何で俺が? 別に俺じゃなくても名前くらい……」


「エルがノイン以外に付けられた名前嫌だと言うので……」


「あっそう……」


ノインは寝台に寝転んだまま腕を組み考える。

隣に寝転ぶエルに目を向けると、エルは瞳を美しく輝かせノインの言葉を待っていた。


「エルはそんなに俺に名前を付けて欲しいのか……?」


「うん!」


期待でキラキラと光る瞳にプレッシャーを感じながらノインが頭を捻る。

名前を付けろと言われて即座に納得できる名前を出せる人間などいるのだろうか、名前探しは難航していた。


ふと頭の中に何かの小景が()ぎる。

それが具体的に何であるのかは全く思いだせないが、その思い出に一頻り浸った後ノインの頭には二つの漢字が存在していた。


「『百花(ひゃっか)』……今日からエルの名前は『天音百花(あまねひゃっか)』だ」


「ひゃっ……か? それがエルのなまえ!?」


「ああ」


ノインはエルの反応を、固唾を呑んで見守る。

果たしてノインが付けた名前を気に入ってくれるのか否か、今はそれしか頭になかった。


エルはノインに『百花』と告げられた後、暫く下を見て震えていた。

やがてその震えが終わったと思うと、付けられた名前の響きにその顔を恍惚の色に染め……名付け親――ノインの下へと勢い良く跳びつく。


たった一言気になる言葉を残して……。


「ひゃっか、ひゃっか…………ありがとう――パパ(・・)!」


「おい、ちょっとまてそれどう言う意味――いってぇぇぇええええぇぇぇぇ」


部屋は再びノインの悲痛な叫びで満たされ、部屋は再びノインの再度開いた傷口の鮮血で赤に染められた。


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