第一章36 『執行者-参-』
「執行者!? ……こんな子供が?」
銀髪の少女が執行者と知ってアインスが驚く。
他の者も声には出してはいないが、同じ思いである事に違いないだろう。
執行者とは即ち、この新東京において機関の総司令に従う特別な数人の順応者である。
つまり事新東京内に限っては発言的な意味でも、実力的な意味でも相当の力を持つ集団に分類されるだろう。
だがそんな新東京を支配する機関に存在する集団の中で、楽園の外側では総司令の次に最も情報が無い集団でもあるのだ。
そのあまりにも情報が欠如しており噂だけが歩いている状態から、楽園の外側の住人――主に抵抗組織では執行者の事を『偶像』として、存在を訝しむ者までいるくらいである。
最早伝説のような……新東京における『力』のような存在が目の前に居るだけでなく、その集団の一人がこんな少女なのだから驚かないわけがない。
しかし驚きと同時に納得してしまう――腑に落ちるところがあるのも事実だった。
つまりは銀髪の少女が登場に見せた速度そして帯電状態……そんな非常識も『執行者』と言うステータスで説明できてしまうという事である。
殆ど身分が確定した自称執行者は、アインスの「子供」と言った発言が気に入らなかったのか、これまで全く表情を変化させなかった顔を若干複雑な色へと染めながら言葉を紡いだ。
「兎に角……今は……目の前の瘴魔を……倒す」
何も存在しない空間に銀髪の少女――リッパーが短剣を構えた事を受けて、ふと我に返ったフィーアが驚きの呪縛から解放される。
そして瘴魔について伝えなければならない事を口にした。
「その特異体の瘴魔は透明になっているわけではありません……そいつの能力は消失です!」
短く言い放つフィーアの言葉を聞いたリッパーは、少し考える素振りを見せた後まるでコテンと効果音が付いているかのように首を横に曲げた。
「……? ……結局居るの? ……それとも居ないの?」
リッパーがした質問の意味を直ぐには理解できなかったフィーアを置いて、横からツヴァイがその質問に答える。
「いねェ……そいつが姿を現すのは攻撃する時だけだ」
「……ん……了解」
果たしてリッパーが『透明』と『消失』の違いを――フィーア達が伝えたかった事を正しく認識できたかは定かではないが、瘴魔の特異体としての能力を『消失』と知っても特に何するわけでもなく構えを持続する。
その状態を継続してからそれくらいの時間が経っただろうか、消失した瘴魔が突然にリッパーを襲う。
本来なら――対峙しているのが普段通りのノインやフィーアなどなら、瘴魔のその一撃で殆ど虫の息となっていたところだろう。
ただ今瘴魔と対峙しているのはリッパー――執行者なのだ、彼女の攻略がそんな容易いはずが無い。
結論から言えば、瘴魔の最大の攻撃であろう『消失からの奇襲』をリッパーの『純粋な反応速度』が上回った。
「……ん…………全然……遅い」
突き出された瘴魔の腕を簡単に回避すると、リッパーは魔業を手にしていない方の腕全体で瘴魔の腕を捕らえる。
そしてそのまま青き刃の魔業を瘴魔に対して一振りした。
「……形状を槍に……氷槍四連……」
その呟き通りに、リッパーの振った魔業からは氷の槍が――四本の氷槍となって瘴魔に襲いかかる。
四本の槍はまるで意思を持つかの如く瘴魔へと飛来すると、瘴魔の腕をそれぞれ貫通し、瘴魔を地面へと拘束した。
瘴魔を拘束した事を確認したリッパーは、地面を蹴って瘴魔との距離を十分とると再び魔業を構える。
そして今度は何も無い空間をその魔業で切り裂いた。
「……追撃……氷雨……」
またその呟きに応じて魔業が駆動する。
何も無かったはずの空間には雨雲のような――瘴気を集めたような紫色の雲が瘴魔の上へ展開される。
当然その雲から降り注ぐのは雨――氷の雨である。
氷の槍によって地面に拘束された瘴魔に、無数の鋭利な氷の雨が降り注ぐ。
瞬きをする間も無いほど、瘴魔には次々と裂傷が刻まれる。
その傷を治療するために、黒い触手が全力で瘴魔の傷を癒すが、傷の再生速度よりもリッパーが傷を負わせる速度の方が速い。
戦況は圧倒的にリッパーが有利であった。
「……なかなか……しぶとい……なら――!!」
一向に再生限界を向えない瘴魔に、リッパーが行動を起こそうとしたところで彼女の言葉は止まる。
彼女を襲ったのは瘴魔の腕であった、それも拘束されている面前の瘴魔からではなく彼女の背後から一突き。
そんな死角からの――致命の一撃。
だがそんな誰もが予想しなかった攻撃にもリッパーは的確に対応する。
ギリギリではあったが、背後から襲い来る瘴魔の一撃に何とか反応しその攻撃を、身を翻す事で避ける。
何が瘴魔に起こったのかフィーアには理解できない。
それは一連の出来事を目で追えないと言う意味でも、状況が理解できないと言う意味でもある。
消失の能力を持つ特異体の瘴魔は、確かにリッパーと彼女が操る魔業によって地面に磔にされている。
しかし瘴魔の腕は、彼女の背後から現れ攻撃を行った。
果たして瘴魔が部分的に消失の能力が使えるのか、それとも二体以上に分裂したのかは不明だが、それ以上に確かな事が存在していた。
瘴魔に起こった事をフィーアは正しく認識できないが、リッパーが怒った事はフィーアでも認識できた。
そうリッパーは怒っていた、それはある程度距離が離れているフィーアも感じ取れるほどであった。
殺気など、その人物が持つ気配が本当に周囲に伝わるのかは疑問であるが、少なくとも今この場に置いてフィーアは、リッパーから放たれる圧倒的な怒気にその身を晒していた。
フィーアの肌がリッパーの怒気をピリピリとした痛みとして感じ取る。
彼女の怒りが一体何に起因するものなのかは解らないが、この短い時間で起こった事――即ち背後からの奇襲を受ける前と後とで変化した事をあげるとしたら一つしかない。
瘴魔による背後からの奇襲を確かにリッパーは回避した。
しかし回避したとは言っても、それがギリギリ……紙一重であった事に変わりはない。
それによってリッパーが装着していた大きな外套――彼女の身の丈より一回りも二回りも大きな外套には瘴魔の腕が達していた。
つまりは瘴魔の奇襲を彼女の体は避ける事が出来たが、彼女の用いていた外套はなまじ彼女の体のサイズに合っていなかった為に端を切り裂かれたという事である。
リッパーが怒気を発する前と後であった事と言えばこの程度の事である。
ただ服が破れただけなのだ、別段彼女自身が怪我をしたわけでも、彼女の仲間が傷ついたわけでもない……であるのにそこまで怒る事なのかとフィーアは疑問に思う。
だがノインの持つ服を修繕し、渡したときに彼が涙を流したように、リッパーにとってもあの大きな外套が大切な物なのかもしれないと悟ったフィーアは、特に何を言う事も無くリッパーと瘴魔との戦いを静観する。
その彼女――リッパーはと言うと、破れた外套の部分を握り締め少しの間震えると、鋭く拘束されている瘴魔を睨む。
「……絶対……許さない……」
その一言と共にリッパーはゆっくりと自身の腰に手を回す。
大きな外套を着ていた為に今まではよく見えなかったが、その外套が裂けた事でその裂け目から彼女の腰に装着されている短剣が覗いていた。
リッパーはアインスから拝借した短剣の魔業を利き手――実用手ではない方の手に移すと。
空いた腕で腰から短剣を抜き取った。
「……魔業駆動……ううん……限界駆動」
その言葉によってリッパーは青白い光に包まれる。
彼女の周りには火花のような放電が生じ、彼女自身は電気を帯びているのか白銀の髪の毛は重力に逆らって逆立ちしている。
それはまさしくリッパーがフィーア達の下に現れたときに見たものと同じ状態――そしてこれもまさしく、彼女が現れたときに起きた事……彼女はその状態のまま音を置いて消え去った。




