第一章35 『執行者-弐-』
「……ん……消え……た?」
瘴魔が消失した事によって驚愕に染まるアインス達とは違って、銀髪の少女はこの瘴魔の恐ろしさを正しく認識できていないのか、実に呑気な声を上げる。
消失の能力を持つ瘴魔との戦闘は、ノインが暴走して運よく肉塊にした事を除けば基本的に押されている。
そんな瘴魔が再び動きだしたのだ、フィーア達には焦り以外の気持ちは存在しない。
だがそんな中で――焦りに支配されている中で唯一ツヴァイだけは冷静さを保っていた。
「アインス、フィーア……ここは俺が何とかする、だからノインを連れて退避しろ……」
袖から生えた鋭利な刃物を構えてツヴァイが言う。
そう言うツヴァイの瞳の奥から、何か――正確に言えば銀髪の少女に殺気を向けていたときからだが……真っ黒な負の気配をアインスは感じ取る。
今までアインスが見てきた、おちゃらけたツヴァイとは決定的に違う雰囲気に少したじろぐも、アインスはそんなツヴァイに極めて冷静に接する。
「駄目だ……ここまで来たんだ、ツヴァイもノイン君も――誰も置いていくわけにはいかない」
「一人でも欠けるわけにはいかない」そう言うアインスにツヴァイが低い声で返す。
アインスも一度も聞いた事のないような低く真面目なツヴァイの声は、アインスの考えを難詰する。
「オイ……感情だけじゃもうどうにもならねェ事があるのは解ってんだろ? 気持ちだけじゃ――手繋いでるだけじゃこの状況はよくならねェ……だから大人しく切り捨てていけ」
それだけ告げてアインス達の下を離れようと進むツヴァイの腕を、当然のようにアインスが掴む。
「ツヴァイ……君の言っている事は十分理解できる、勿論集団でここに居るのが最も愚策である事もだ」
「……だったら――」
「――それでも、例え愚策であっても切り捨てられないものがある。 君がノイン君を――僕達を生かそうと己を犠牲にするのと同じ位に……僕達も君を失うわけにはいかない」
「…………………………」
必死に引き止めるアインスの真剣な瞳をツヴァイが眺める。
ノインを担いでいる関係上アインスは全力が出せる体勢でツヴァイの腕を掴んでいない……つまりはツヴァイが腕を振り解こうと思えば簡単に成せると言う事である。
アインスの瞳の奥の瞬く流星のような輝きが、ツヴァイの瞳の奥のどす黒い感情を刺激する。
それによって何かが変わったわけではない――何かが変わったわけではないが、アインスの訴えにツヴァイが折れる事となった。
「……はぁ、どうして俺はお前なんかと相棒になっちまったんだが……」
「ははは……君の事だから綺麗な――女の人の方が良かったかい?」
「そりゃ当然……と言いたいとこだが、今思うと……これで良かったのかもしれねェな……」
ツヴァイの差し出した拳にアインスが合わせる。
そんな光景を見ていた分、そのやり取りの外側に位置していたフィーアが焦りを殺す時間は十分にあった。
「それで具体的にはどうするんですかアインスさん……正直ノインが抜けた今、ツヴァイさんの奥の手以外に頼れるものがないのも事実だと思うのですが……」
「そうだね……正確には、ツヴァイの奥の手とこの魔業以外にはだけど……どうだろうツヴァイ、君の奥の手を使ったとして瘴魔は倒せるかい?」
「絶対無理だな、時間は稼げるとは思うが討伐は不可能だろ」
アインスの言葉に返すツヴァイの言葉は早い、即答である。
「そうか絶対に無理か……となると……」
ツヴァイの言葉を受けてアインスが思考を巡らす。
だがその思考を遮ったのは――ある意味ではアインスの予想通りの人物……銀髪の少女であった。
「だから……助けて……あげる」
瘴魔が消失した事で意識の割合がすっかり少なくなってしまったが、銀髪の少女の声を聞く事によってフィーアが再び彼女を鋭く睨む。
アインスの評価や銀髪の少女が言った「助ける」という言葉の意味から推測するに敵の可能性は低いと考えられるが、だからといってそれが警戒を解く理由になるわけではない。
まるで野生動物のように警戒を発するフィーアを無視して、銀髪の少女がアインスの横を通る――最も横を通るのもあの異常な速度であるから、通った事をアインスとフィーアが認識できたわけはない。
最大限の警戒を敷いているのにも関わらず、一一自分が認識できない速度でそれを突破されるのだから、その行為はフィーアの癪に障る。
そんなフィーアの気持ちを理解しているのか、していないのかはともかく、無表情な銀髪の少女は手に短剣を握っている。
その短剣を見てアインスは直ぐに自身の腰を確認すると、そこには既にアインスが解析した魔業の姿はなかった。
「……これ……借りる」
銀髪の少女の言葉を聞いて、フィーアも彼女が手にしている物の正体に辿り着く。
目にも止まらぬ速さで横を通り抜けるならまだしも、その行動に加えて短剣の魔業を盗っていくその器用さ――手腕を見て、より彼女に対する警戒を高める。
だがそれと同時に理解できる事もある……それはフィーア達では、銀髪の彼女が敵対した場合に『戦闘では勝てない』と言う事である。
動きを目で捉えられないのもそうだが、なにより今のように武器を取り上げられたらどうする事も出来ない。
だからこそフィーアは警戒をするのだ、戦闘になれば勝てないのかもしれないが、戦闘になる前――即ち銀髪の少女が敵だ、とフィーアが判断できた時点で逃げる事ができれば、或いは助かる可能性があるかもしれないと考えていた。
そんなフィーアの警戒の中で銀髪の少女は魔業を片手にツヴァイの方へ歩いていく。
勿論ツヴァイも彼女に対する警戒を解いたわけではないが、フィーアほど敏感なわけでもない、とりあえずツヴァイは彼女の言葉待つ。
「……ここは……私が……やる」
「お前にできんのかよ? 確かに手貸してくれるってのは、素直にありがてェが……」
「大丈夫……私……強いから」
そう告げる銀髪の少女を訝しむわけではないが、ツヴァイよりも体格や筋力で圧倒的に劣る彼女を見て納得できないのも事実としてある。
だが少女のあの異常な速度を見ていたツヴァイとしては、少なくともフィーアやアインスよりかは彼女の力の一端を垣間見ている分、納得にかかる時間は短い。
「分かった……お前に任せる、で俺はどうすりゃいい?」
「万が一……が……ある、から……あの三人……守って」
銀髪の少女が告げる言葉にツヴァイは聞き返す、何故ならどう見てもツヴァイはただの順応者であり、それが後衛とはいえ三人を守り通すなど無茶であると普通の人間なら誰もが判断できるからだ。
「俺一人であの三人は守れるとでも思ってんのかよ?」
「……ん……だって……見えているでしょ?」
銀髪の少女の短い指摘にツヴァイの瞳の奥の黒い気配が揺れる。
「おっと……そこまでバレてんのか、こりゃ俺じゃ敵いそうにねェな……分かった、ここはお前に任せる、だが――」
「――大丈夫……危害……加える気……ない……今の所は」
「今の所、ねェ……」
銀髪の少女の言葉にツヴァイが目を細める。
先程のやり取りからツヴァイは彼女がその小さな体に、圧倒的な――ツヴァイでも敵わないような力を孕んでいる事は理解できた。
だが、だからこそこの場の意識がある者の中において、最も強いであろう銀髪の少女が『ただ手を貸しに来ただけ』と言うのが気になっていた。
ツヴァイも一応納得はしたが、銀髪の少女の真意を忖度しようとする。
しかしその行為はアインスの言葉で途切れる。
「ツヴァイ、君は彼女についてどう思う?」
「どうだろうな……兎に角つえェ、俺なんかはともかく……ひょっとするとノインよりか……それを含めて任せるしかない、というのが現状だな」
「やっぱり、そうなるか……となると」
ツヴァイの「現状任せるしかない」という言葉を聞きアインスが銀髪の少女に告げる。
「えっとそこの……何て呼べばいいのか分からないけど、手を貸してくれるのはありがたい……だけどその魔業はまだ所有者登録が終わっていないからまだ使えない……」
「……? ……元の所有者は……あなた……じゃないの?」
「あぁ……それは何と言うか偶然手に入れた物でね……とりあえず前の所有者は消したけど、次の所有者は登録出来ていないんだ」
魔業の入手した経路をアインスは濁して伝える。
目の前の銀髪の少女は手を貸してくれるというが、それが本当でも彼女がどの組織に位置しているか分からない以上は、無闇に情報を与える必要もない。
だがアインスが行ったそんな情報操作も意味無く、銀髪の少女は「やっぱり……流れている……のね」と呟く。
幸いだったのはその声はあまりにも小さく誰にも聞き届けられなかったという点である。
「問題……ない、私なら……所有者登録……無視して……使える」
そう銀髪の少女が告げると、少女は手に持つ短剣を実に器用に振り回す。
その短剣捌きが妙にノインのそれと似ていると思ったフィーアだったが、短剣の扱いなど人によって大差ないだろうと考え、直ぐにその思考を捨てた。
――一頻り短剣を振り回し、銀髪の少女が一言。
「魔業駆動」
その一言で銀髪の少女の手に握られている魔業が音を立てて変形する。
持ち手の部分についた装飾のような凹凸が回転し、周辺の瘴気を取り込み始める。
銀髪の少女が告げた通り魔業が動作している事にアインスが驚く、そして遂に最も疑問に思っていた事を尋ねる。
「君は……一体?」
その問いに、刃が青く変化した魔業を一振りして銀髪の少女が答える。
「執行者No2切り裂きジャック」




