第一章33 『灰と泥』
ノインの集中の後……この空間を支配したのは、瘴魔でも瘴気でも――ましてや空気でもない。
この空間を支配したのは――この空間の王として玉座に鎮座したのは『熱』であった。
豹変した紫の腕から放たれた熱エネルギーは、四人をぐるりと囲う。
囲われた領域外では、ノインを中心として環状に爆発が――まるで繋がれた鎖のように連鎖的に爆発が起こる。
囲われているとは言え、当然フィーア達の場所も爆発の余波であろう熱が気温の上昇という形で襲いかかる。
肌が焼けるような痛みに堪えながらフィーアはノインを支えていた。
あまりにも暴力的で排他的なその熱の中では、フィーアは目を開ける事すら叶わない。『せめて息は』と口を開こうとするが、気道を容赦無く侵す灼熱に気道燃焼の兆しを感じ……すぐさま閉じた。
鎖のように爆発したエネルギーが、肉塊に誘われて寄ってきていた瘴魔をどのように料理したかは分からない。
何せ辺りを満たす紫の霧は視界と音を著しく制限する。与えられる情報など僅かなものである。
ただ周囲から感じていた圧迫感――瘴魔が放つある種独特な雰囲気は消え失せていた。
暴風と轟音……そして熱が落ち着きを見せたところで、ようやくフィーアは周囲の状況を正確に知る事が出来た。
そして目で見た情報に唖然とする。
「え……」
ノインを支える柱となりながらフィーアが見たのは、一面の更地だった。
それは決して比喩などではない。
裁きの日以降、瘴気や瘴魔によって東京は確かに死を向えた。しかし死の都市となった新東京でも、旧東京の文明の名残は感じる事が出来た。
つまり、死の都市には瓦解した建物や舗装されていたであろう道など……死の中で生が存在していた事を証明していた。
しかしノインが起こした爆発は、そんな文明の名残などを無視して、まるでその土地には初めから人の手など入っていなかったかのように大地に在る突起物を消し去った。
その突起物の範囲には、周辺に点在している瓦礫や崩壊した建物が入るのは勿論の事――瘴魔も含まれていた。
建物や舗装されていた道……瘴魔などが消え去り、剥き出しとなった大地を前にフィーアが零す。
「……何ですかこれ……無茶苦茶です……」
目の前で起こった……ある意味疑う余地が最も無い事実にフィーアは驚愕する。
面前の出来事をただの事実として受け入れる事が出来ないのは、出来事の孕む異常性が理由だろうか……兎に角一瞬にして更地と化した大地を前にフィーアの頭は混乱していた。
そんな更地を一陣の風が撫でると、まるで埃が舞うかの如く大量の灰色をした何かが空中を漂う。
それが一体何かをフィーアは直ぐに悟る。
「策と言うか……奥の手と言うか……本当に瘴魔が迫ってきていた状況を切り抜けられるなんて思いもしませんでした……」
灰色の何か――それは瘴魔の燃えカスだ……瘴魔が元人間そして先程の爆発を火葬とするならば、遺灰と表現しても良いかもしれない。
攻撃をしたノインは果たして迫り来る瘴魔の姿を見たのだろうか……少なくとも圧倒的熱量を前に目すら開ける暇が無かったフィーアには、瘴魔の姿を見る事無く瘴魔の脅威が去ったのだから『危険』の実感が湧かない。
だが空中を漂う灰の量は、一、二体の瘴魔が消し炭になった程度では到底達し得ない。その事実を前にフィーアは襲撃してきた瘴魔の数に身を震わす。
だがその瘴魔は既にノインの手によって始末されている。
そんな魔業を用いずに瘴魔の範囲殲滅を成し遂げたノインを見ていると、フィーアは茜に居た頃の自分――即ち三体の瘴魔に囲まれた事によって囮にされ、絶望に染まった自身の経験は何だったのかと思わずにはいられない。
フィーアが自身の経験を嘲笑する。
すると嘲笑に至った思考の道筋が、その道中でノインに掠った事により行動の優先順位を変更する。
つまりフィーアは自身の経験を嘲笑するよりも、あれだけの攻撃を放ったノインの身体が気がかりになったという事である。
「――ノイン、怪我とか……大事ないですか?」
フィーアがその言葉と共に更地と灰を見つめていた目をノインの顔に戻すと、ノインの顔色は案の定よくはなかった。
気付けば、体重を支えるようにノインの体に押し付けていたフィーアの体躯も僅かな振動を感じていた。
僅かな振動――要はノイン体がふらついていたのである。
満身創痍で疲労困憊な最悪の体を引き摺りながらノインがフィーアに言う。
「悪りぃ……特異体が残った……」
その言葉通り瘴魔は消え去ったが、あの禍々しい肉塊――特異体はまだ存在していた。
だがその理由は実に単純である……何故ならフィーア達が生きている理由とそれは等しいからだ。
即ち爆発の内側――囲われた領域内は無傷……とは言えないが、領域外に比べれば無傷と言っても差し支えない。
実際にフィーアも、大爆発であったにも関わらず数箇所の火傷で済んでいる。
フィーアだけでなくアインスやツヴァイも、舗装された道や建物に至るまで、領域内は領域外に比べて目立った破壊は無い。
ノインは肉塊目掛けて集合する瘴魔が仲間に被害を及ぼさないように……ある程度フィーア達から距離を置いたところで、環状の連鎖爆発を引き起こした。
つまり仲間を爆発に巻き込まぬように、意図的に爆発を制限した区域に肉塊の特異体も位置していたという事である。
本来なら両方纏めて始末できれば最高の結末であったのだが……肉塊を瘴魔と共に爆発で消滅させようとすると、どうしても爆発とフィーア達の距離が近付き大きな被害を齎す可能性があった。
そこでノインは迫り来る大量の瘴魔を爆発で消し去り、肉塊の特異体を残す事に決めたのである。
「それで……ごめんフィー……もう、もちそうにない…………だから、後は頼むぞ……」
肉塊の特異体を残す事にノインは不安を感じていた。
本来なら残った特異体もノインがどうにかしたいところではあったが、爆発を引き起こすために用いた体力が、集中が――何より傷だらけの体が限界に達していた。
この言葉でノインは全てを託し、フィーアの体躯をなぞるようにして体を崩れさせると気を失う。
ノインが気を失ったのと同時に、ノインが片腕に纏っていた紫の結晶は跡形も無く消え去り、紫色に光っていた瞳も怖いくらい透き通った黒に戻る。
気を失って遂にノインは、ノインを豹変させていた原因の桎梏から解放されたのであった。
ノインの体重を預かっていたフィーアだが、それが急激に軽くなった事と……何よりノインが死んだように倒れた事に驚く。
慌ててノインの生死を確認するが、苦しそうに呼吸を行っている事を証拠に生存が確認出来たため胸を撫で下ろす。
「本当にお疲れ様でした……後は私達に任せてゆっくりと休んでいてください」
泥のように眠る――白河夜船のノインをフィーアが軽く一度抱きしめる。
ノインの気は戦闘中にも関わらず完全に失われたが、それを責める者は居ない。むしろよくここまで保ったと称賛されるだろう。
実際にノインが居なければ生存が危ぶまれた場面を上げれば、それは枚挙に暇がないといえる。
だが、だからこそ戦闘のキーマンである最大戦力のノインが欠けるのは痛く、任された者の責任は重い。
約束通りノインは、肉塊によって惹かれていた瘴魔の大群の脅威を退けた、ならば次はフィーア達がノインの期待に応えなければならないだろう。
その思いはどうやら三人とも口に出さずとも共有が出来ているようで、お互いの顔を見て何を確認するのか……頷きあう。
「アインスさん、予備のガスマスクを持っていましたよね?」
「ああノイン君に使ってくれ」
そう言ってフィーアは、アインスから差し出されたガスマスク型の空気清浄化魔業をノインの顔にあわせる。
ノインの顔には少し大きいガスマスクを上手に合わせ、ノインの顔全体はガスマスクで覆われた。
ノインは適格者であるから、多少瘴気を吸ったところで体内の侵蝕係数が著しい増加を見せる事はない。
しかしやはり吸わない事に越した事はない。
腕を紫の結晶で纏ってから――ノインが性格含めて豹変した時に彼の、顔の下半分を覆うガスマスクは壊れてしまっていた。
予備のマスクがあるのなら、それをつけておく事で損はしないだろうとフィーアは考えていた。
「さてとアインス、ノインを担いで脱出できるか?」
「それは可能だと思うけど……体格差的にはツヴァイ、君の方が適任じゃないか?」
確かにツヴァイはノインよりも体格が有利である。それに比べてアインスとノインの体格は似通っている。
どちらがノインを担いだほうが効率的かはわざわざ考えるまでもない。
だがツヴァイにはそれを出来ない理由があった。
「そりゃそうだが、俺はノインと約束してんだ……奥の手を使って全員生還させろってな……ならそいつは守らねェとマズイだろ」
「分かったよ、ノイン君は僕が担いで行こう」
アインスはフィーアの横で倒れるノインのもとまで移動すると、ノインを肩で担ぐ。
フィーアも脱出の準備を始め、ツヴァイの奥の手については詳しくは分からないが……今までの会話から察するに発動まで多くの時間を要するものだとは考えにくい。
着々と退避の準備が進んでいく光景を見て、アインスは呟く。
「結局解析は無駄だったな……」
そう先程遂にアインスは魔業の解析を終了していた。
もう何時でも使用が可能なように、ノインから預かった短剣を腰に装備している。
だがその努力も報われず、退避の準備が始まり脱出の目処がついている。
当然全員の生還は喜ばしい事だが、仲間に必死に時間を稼がせた結果が無駄に終わった事には悔しさの念を感じざるを得ない。
「よし、んじゃ退避開始すんぞ!!」
ツヴァイの声が二人に響く。
その声を聞いてアインスは自身の悔しい気持ちを一気に捨て去る。
退避に集中できなくなる可能性がある雑念を見逃すほどアインスも馬鹿ではない。この新東京で生き残ってきたのだから、気持ちを引き摺るなど愚かな行為はしない。
ゆっくりと三人がこの場から――禍々しい肉塊が鎮座する領域から退避するために移動を始める。
だがそんな彼らの背中には、彼ら目掛けて高速で移動する銀色の閃光が迫っていた。




