第一章32 『覚醒』
「はぁ……瘴魔が!? 本当かよツヴァイ!?」
不吉な何かの答えを告げるツヴァイの声を受けて、ノインはその判断が誤りでないかを一応確認する。
一応と付くのはノイン自身がツヴァイを疑っていないためだ。要は、ようやく脱出しようという話の流れになったのに、ここで瘴魔に囲まれて再び窮地に立たされたくないといった思いである。
加えて言うならば、声が出るようになっただけで別段ノインの体力が回復した訳でもない。ひょっとしたらフィーアの頭突きの分消耗しているかもしれない。
事実フィーアに支えてもらわなければ立つことさえままならないほどである。そんな状態で瘴魔と戦うなど、相当な狂人でなければ望みはしない。
だがそんなノインの『ツヴァイの過誤であって欲しい』という願いは、ツヴァイの確信によって砕かれる。
「あぁ間違いねェ、この嫌な感じと……この雰囲気は…………」
最後までは紡がれないが……例え途中で言葉が遮られてもツヴァイの鋭い双眸に卓見の力を見たノインは、それが真実である事を信じる。
「それで……どうするのですか? はっきり言ってピンチじゃないですか?」
此処に呼ばれる予定である他の瘴魔にもよるが、確かに危機的状況である事に変わりはない。
肉塊となった瘴魔を見ても未だ再生限界が訪れる様子もなく、全員で襲来する瘴魔の対応をするわけにもいかない――となれば。
「アインス、魔業の解析はどのくらいだ?」
この戦い当初からアインスが行っている魔業解析の進捗状況を聞く。
ノインが豹変して暴れ回っていても、アインスは魔業解析を委細構わずおし進めてきたのだから魔業解析など終わっていると考えるのが一般的だろう。
しかし魔業はその程度の時間で解析できる物ではなく、その程度の時間で解析できる者はいない。
居るとすれば相当優秀か、偶然か……兎に角ノイン達も魔業の解析について期待はしていたが、それに過度の依存はしないようにしていた。
故にノインが確認した魔業解析の進捗状況も、返答をある程度予測した質問と言えるだろう。
魔業の解析など終わっているはずがないと考えていたノインにとって、アインスが返した答えにノインは希望を見ざるを得ない。
「ああ……多分もう少しだ! あと少しで所有者登録の初期化を行える!!」
「ほ、本当か!? 言っている事は良く解らないが……つまりは後少しで使える可能性があるって事だよな!?」
「勿論だ……皆の戦いの中、僕だけが安全圏で魔業の解析を行っていた…………失敗なんて絶対にしないさ」
闇市で購入した高火力魔業の使用準備が完了に迫っている事を知って、希望が見える。
「……よし、それじゃあ最後にもう一頑張りしますか……」
「ですね……これで最後にしてほしいです……ノイン立てますか?」
「無理……とは言っていられないよな、立つしかない」
ノインはフィーアの支えから離れ、両足で立つ事を試みる。
だが傷の多さ、体力の消耗、出血によって極限に追い込まれた体は、ノインを生かす事に注力しており、立つ事に関する力を供給してはくれなかった。
まるで階段の上り下りにおいて、段数を誤認していたが故に起こる踏み外しのような――そんな急激に力の抜ける感覚に支配され、ノインはその場に崩れる。
「やっべ……瘴魔が来てんのに…………」
「少し休んでいてください……瘴魔の数体程度なら、ノインが居なくてもツヴァイさんと協力して何とかして見せます」
「あ……それすっごいフラグ……」
安心させようとガッツポーズをとりながら言うフィーアに、床に寝転びながらという無様な格好でノインが笑みを作りながら返す。
フィーアの忠告通り大人しく休んでいようと決めたノインは、ゆっくりと目を閉じる。僅かな時間でも休息の質を少しでも高めようと、休息の状態を良いものに保つ。
回復のために、視覚情報や嗅覚――思考など全てを閉じる。ノインはゆったりと聴覚の――音のみの世界に沈んでいった。
だがその音のみの世界で拾った事実が、ノインをその世界から――休息から急速に浮上させる。
閉じていたはずの思考は一気に開き、全感覚はその宿り先を再びノインの体へと選ぶ。
そして、寝転びながら頭だけを上にあげて言った。
「フィー、ツヴァイ!! ――数体じゃない、数十体以上だ……全方向から来る!!」
「はァ!? どうすんだ――どうしろってんだよ、んな数!」
「アインスさん、魔業の解析はまだですか!?」
「悪いけど、どうしてももう少し時間がかかるよ……」
押し寄せてくる瘴魔の数が数十体と言う事を受けて、ノイン以外の動けるメンバーが慌ただしく動く。
ノインは休息の為に床に伏し、聴覚以外の感覚を出来る限り閉ざしていた。だからこそ地面から伝わる瘴魔の押し寄せる状況が『音』として伝わったのだ。
その音の規模からノインが推測した瘴魔の数が数十体というわけである。
「クッソ……どうする……迷っている暇なんてもうねェだろ!!」
何もしなければ死を確実に待つ状況に、ツヴァイが自分を糾弾する。
それが、ノインにはこの戦いの中で幾度となくツヴァイが見せた迷いへの決着のように見えた。
『糾弾』としたのも、ツヴァイの迷いには罪……責任といった何かが見え隠れしているように見えたからだった。
だがそんなやっと覚悟が――気骨を持ったように見えるツヴァイをノインが止める。
「待てよ、ツヴァイ……ここは俺に任せてくれ……」
「あ? 何言ってんだノイン……どう見てもボロボロじゃねェか……それに俺は――」
地面で這い蹲りながら必死に生きるノインに覚悟を邪魔されてか……ツヴァイの声には若干の怒気が含まれていた。
だがそんな気配を無視してノインが言葉を続ける。
「――解っているさ、ツヴァイには何か奥の手が……この状況を打破できるような何かを持っているんだろ?」
いきなり正確かつ的中していたノインの言葉にツヴァイが一瞬怯む。その一瞬……つまりは言葉が詰まっている間にノインは自身が続けたかった言葉を並べる。
「だからその奥の手は、此処から脱出する時に使って欲しい……いや脱出はその力を当てにさせてもらう。 だからここは俺に任せてくれないか?」
「……………………ノイン、お前にはどんな策がある? こんな何十体もの瘴魔に囲まれそうなこの状況を切り抜けるような策があんのかよ?」
この状況を見てツヴァイの意見を正しくないと評価する者は居ないだろう。簡単に言えば、まだ余剰体力のある者が言う『策がある』とほぼ死人である者の言う『策がある』どっちが素直に信じる事ができるか……と言う事に他ならない。
故にツヴァイがノインの策に対して疑懼の念を持つのは、あまりにも当然である――または自然な流れと言えるだろう。
そんな事は当然ノインも理解しているが、説明している時間など無い……だからこそ説明を信頼で省く。
「ツヴァイが、こんな死にかけの俺が持つ案に猜疑の心を持っている事は理解しているつもりだ。 だが説明する気も暇もない上、此処からブルーメの拠点までの脱出にかかる時間、俺は動ける自信がない……つか無理だ」
ノインは一旦言葉を切る……そして再び言葉を紡ぐ。
「だから……脱出は――退避における全員の身の安全はツヴァイ、お前に任せるぞ」
「任せる」ノインから出たその言葉にツヴァイが少し押されて後ろに下がる。
だが下がる足は一歩で止まり、ツヴァイは少し難しい顔をした後……決意の表情でノインを見た。
「解った……ノイン、お前の言う通りにしてやる。 だが、そうする以上ここは何が何でもお前に切り抜けてもらうからな」
「任せろって」
「と、まァそういう事なんだが……ノイン、お前その格好じゃなに言ってもダサイぞ……」
そう今までの一連の会話を、ノインは寝そべりながら行っている。
立ち上がる力が入らないため仕方がないと言えばそれまでではあるが、さし迫ったこの状況にはどうにも似合わない。
「うっせぇ……俺だって好きで地球ダイスキしてんじゃねえよ」
「普通に這いつくばるって言えよ解りづれぇ……」
ノインとツヴァイがお互いの顔を見て笑い合う。
「フィー、頼む力を貸してくれ……」
「当然ですノイン、私は何をすればいいですか?」
「俺を横で支えてくれるだけで良い、ツヴァイとアインスは出来る限り身を低く保っていてくれ」
指示通り二人が姿勢を低くし、フィーアがノインの傍らで彼の体重を支える。
ツヴァイほどではないが、人の力を借りなければ歩く事はおろか立つ事すら出来ないノインに、この状況を打破する策があるとはフィーアにも思えない。
ことノインを信頼するという一点に関しては、フィーアはブルーメの中で――いやこの新東京、世界中で一番であるという自信がある。
そんな盲目的にノインを信じているフィーアでさえも、ノインが策を持つ可能性を欠片程度疑う――つまりはそれほど傍から見てノインは戦える状態にない。
だがそんな事はフィーア以上に他ならぬノイン自身が理解しているはずである。その彼が「策がある」と言ったのだからそれはもう疑い用のない事実として、直ぐにフィーアは受け入れる事が出来た。
「さてとノイン……本当に私は支えているだけでいいのですか?」
「ああ問題ない、放てるのは多分一回だけだから……しっかり頼むよフィー」
「はい、どんとこいです!」
フィーアのその言葉を最後にノインはゆっくりと目を閉じる。
自身の奥そこに在る集中への扉を開き、その先に広がる集中の海へと意識を沈めた。
集中の海に投じられた自身の意識が、その深度を増す毎にノインの感覚からは無駄なものが削がれていく。
そんな集中の極限化に暫く時間を費やすと、意識が集中の海の底に辿り着く。
そこでノインは自身が集中の権化になった事を理解する。
そしてその集中を全て片腕に――紫の結晶を纏った豹変した腕に集めた。
それが終わると閉じた時と同じようにゆっくりと目を開ける。
――そして。
「求めるは連鎖――求めるは爆破の瘴腕!!」
フィーアにはまるで呪文のように聞こえるノインの言葉……そんな言葉と共にノインは自身の足を軸に、豹変した紫の腕を一回転外の空間目掛けて回す。
そして静寂の刹那の後に生じたのは、暴風と轟音と暴力的なまでの熱量だった。




