第一章26 『覚醒の兆し-壱-』
団結して瘴魔と戦おうとするノイン達は背中合わせで立つ。
目標の瘴魔は未だ消失している。そんな瘴魔に対する警戒や戦闘準備などノイン達の士気は現在最高点にあった。
そんな士気十分な彼らの意識を割いたのは、ノインの言葉だった。
「……何か……見える……」
曖昧極まりないノインの発言に、フィーアを含めた三人がその真意を問うためにノインの方を向き言葉を紡ぐ。
だがそこでノインの顔の異変に気が付いたのか、その言葉が全て紡がれることはない。
「見えるとは何が――」
フィーアはノインの顔を見て表情が硬直する。困惑や疑問が混ざったようなその表情にノインは思わず笑みを零す。
ノインがブルーメに加入して直ぐの頃は、フィーアと言えば表情の変化が乏しい人間だとノインは認識している。
だが最近の彼女はその当時と比べると変わったといえるだろう。要は表情が容易に変化するようになったと言う事だ――最もその表情変化の大半は疑懼や憂慮などの色を含んでいるのだが。
しかし表情豊かになったとは言っても、その表情の背景に破顔や恍惚の意味があるなら、まだまだ彼女の表情はぎこちなく殺風景だ。
だからこそ時折垣間見える、このような表情を作る上での壁をとっぱらったフィーアの笑顔をノインは愛おしく想う。
そんな事を考えつつフィーアの顔に視線を戻すと、困惑の色を含んだ表情をした人間が二人増えていた。
三人が自身の顔を見て憂苦的な顔をしているのであるから、流石にノインもその原因を究明しないことには気持ち悪い。
「な、なんだよ……三人して、俺の顔に第三の目でも……開眼していた?」
つい先ほどまでは美しい真っ黒な双眸をしていたはずのノインの瞳の色が、目を離した一刻の間に片方紫色になっているのであるから三人からしてみれば驚かずにはいられない。
勿論瘴気や瘴魔が蔓延る非常識な世界だ、滅多な事では取り乱したりはしないが、それでも変化には何かしらの兆しがあるのが殆どだ。
今回ように突然変わるのは珍しい。
もしもノインがフィーア達と同じフルフェイスタイプの――顔全体を覆う型のガスマスクを装備していたのなら、紫色となった目を彼らが確認する事は無かったかもしれない。
何故なら覆っていると言う事はその人物の顔はその分だけ確認し辛くなるためである――まあガスマスクを装着した状態の三人の表情をノインが読み取れたのであるから、あくまで可能性の話しではあるが。
今現在ノインが着けているのは顔下半分を覆う型のガスマスクである。覆っている場所の都合上鼻筋から上は良く確認できる。要は目が外に出ている、三人にとってはノインの目は変色したのを知るのは容易であった。
これに対して自身の顔を確認できないノインにとっては三人が驚いている理由を理解する事はできない。
そんな疑問浮かべるノインにフィーアが困惑の理由を簡潔に告げる。
「ノイン……その……目が」
「目? え、マジで開眼していた?」
簡単な冗談を折り混ぜつつも、フィーアに指摘された目を自身の手で触れて確かめる。しかしその行為では自身の目の異常性を確認できなかったノインは、顔を映す何かを探して顔をキョロキョロと動かす。
忙しなく顔を動かす中で一瞬ノインの目が自身の姿を捉える。アインスの装着するガスマスク……そのマスク装着者の視界を確保するために設けられた円形のガラスに映っていたのは片目を紫に染めた青年だった。
一瞬だが確実に捉えた自身の姿、そしてその変貌ぶりにノイン自身も面食らう。
「え! ちょっ――何だよこれ! ダッセぇ……」
自身の目をぺたぺたと触って確かめるノインにアインスが問う。
「ノイン君にも原因は解らないのかい?」
「いや……全然、全く、心当たりが無さ過ぎてむしろ教えて欲しい」
そう言いながらノインは瞬きをして、瞳を色々な方向へと動かす。とりあえずの結果異常なのは瞳の色だけである事がわかり、一先ず胸を撫で下ろす。
「しかし、そうなっちまったノインも大変だが、ツェン坊がこの事知ったら切望すんだろうなァ……」
「あぁツェーンさんのあれって、カラコンでしたっけ?」
兎に角『ノインにも分からない以上考えても答えは出ないだろう』、と四人は結論を出す。それよりも今は消失しているが、瘴魔との戦闘中であるのだ、対処する優先度で考えればそちらが先だろう。
「そういやァ……ノイン、お前何か見えるって言ってなかったか?」
「えっとそうだった、まぁ多分――というか十中八九この目が原因だと思うんだけど、どうやら消失した瘴魔のッ――」
全部告げる前にノインが急に短剣を何も居ない空間に振る。
ノイン以外には何か居るようには思えないし気配もない、しかしノインが紡いでいた言葉を切ってまでこのような行動に出た理由が分からないほど彼らも馬鹿ではない。
直ぐに消失の瘴魔が原因だと悟り、ノインが魔業を振った空間から距離をとる。
距離をとるために後ろに飛び退いたのと同時に彼らの悟りが正しかった事が証明される。
ノインが短剣を振った所に現れたのは瘴魔の腕であった、しかしその腕は誰を貫く事も無く、現れた直後にノインの短剣によって切り捨てられる。
一瞬で腕を切断された事に瘴魔は、状況が悪いと判断したのか直ぐに消失を試みる。徐々に薄れていく瘴魔の体を見てノインが瘴魔に手を伸ばす。
「――逃げんなよ」
その言葉と共にノインの腕が瘴魔の腕を掴む。すると掴んだ瞬間、腕だけで存在していた瘴魔はその姿を現す。
つまりは消失が解けたのである。
「アインス! ツヴァイ! フィー!」
「よっしゃあ!」
「了解です!」
「分かった!」
実体の在る瘴魔に対して、ノインの号令で三人が魔業を構え撃つ。
撃ち出された弾は何れも瘴魔に命中し、肉を抉る――その瞬間から瘴魔の再生は始まっているが、痛みから逃れるためか瘴魔が暴れる。
瘴魔が暴れる事によって、瘴魔を掴むノインも振り回される形となる。こうなるとノインに誤射する可能性が生じるため、フィーア達も容易に魔業を撃つ事が出来ない。
かといって消失の能力を無効化するためにノインも掴む手を離すわけにはいかない。
偶然か故意か瘴魔の暴れると言う選択はノイン達の攻撃を止めるのに効果的な一手だった。
「くっそ! おとなしく――してろッ!!」
振り回される瘴魔の腕に掴まりながら、ノインは器用に手を動かして短剣で腕を刻む。
少しでもダメージをと、短剣を振り続けるノインを邪魔に思ったか、消失の能力を取り戻そうとしたか、はたまたその両方かは分からないが……瘴魔は掴まれていない腕をノインに攻撃するために動かす。
振り回される腕をノインは紫に変色した瞳で確認する――そしてそのまま、瘴魔が腕でどのような攻撃を行ってくるのかをその瞳で視る。
それはまるで未来を視るかのように、瘴魔の腕がどのような軌跡を描いて自分の下まで辿り着くかが、ノインには解った。
瘴魔の腕の終着点が分かれば対策は簡単である。
ノインは瘴魔の腕が目指す終点地点を自身の短剣で切り裂く。その結果瘴魔の腕が接触したのはノインではなく短剣となり、短剣と接触したその腕は紫色の血を撒き散らしながら切り落とされる。
再生に専念するため、消失するため……ノインを腕から振り落とそうとした瘴魔の策は失敗する。しかもただ失敗した訳ではなく、その失敗の代償に腕を追加で切り落とされているのだから瘴魔の暴れ方はより一層激しいものとなる。
「おー、おー憤懣遣る方無いって感じか? でも攻撃を止める気はないぜ!」
瘴魔の様子から確実にダメージを与える事が出来ている――自身の攻撃の有効性を認識したノインは、追撃のために短剣を握る腕を振り上げる。
そのままその短剣を下に振ろうと考えていたが、瘴魔を掴む腕、短剣を握る腕、体中から急激に力が抜ける感覚に戸惑う。
「あ……れ……?」
振り回されていた瘴魔の腕から一瞬手を離した事により、ノインは投げ出される形となった。
それを好機と捉えて瘴魔が傷を再生するために消失する。
結構な速度で放り出されたノインを咄嗟に反応したツヴァイが受け止める。フィーアも動いていたが、フィーアが受け止めていたら体格差的な問題で、ノインもフィーアもダメージを負っていただろう。
ぐったりとした様子のノインに受け止めたツヴァイが声を掛ける。どう見ても助けに来たノインの方が助けられる側のツヴァイよりも重症である。
「オイ! しっかりしろノイン!」
ツヴァイの呼びかけにノインが薄っすらと目を開く。幸い意識もハッキリしているが、力だけが全く入らない感覚に戸惑う。
「……いや……悪い……何か急に力が……」
力が抜けたと告げるノインに対して、受け止めたツヴァイはその理由に逸早く気付いていた。
それもそのはずである、受け止めたツヴァイの衣服はノインの血が染み付いていた。しかも少量ではないかなり量がある。
「オイオイ、ノインお前……血流しすぎだ!」
そうノインの力が抜けた理由は出血にあった。要は血を流しすぎて、脳が生命の危機をノインに、力の連絡を絶つと言う形で告げてきたのである。
ノインはフィーアに闇市で抑制剤を打たれたため、今現在瘴気の力で傷を回復する事が出来ない。
故に瘴魔の本当の能力を知った時に負った怪我から今まで、ずっと血を流してきたのだ、その限界が肉体に来ていた。
実際にはもっと前から危なかったのだが、ノインはそれを自身の精神力で誤魔化していた。
メンタルがフィジカルに与える影響は大きい、特に瘴魔を一丸となってどうにかしようと四人で立ち上がった先程の出来事が、ノインを突き動かす精神力の大半を占めていた。
しかしそんな強大な精神力によって生じた火事場の馬鹿力的な体力も尽きたノインの状況は、謂わば『死の宣告』と言ったところだろう。
「やっべぇマジで死ぬかもしれない……心做しか何か寒くなってきたような」
ふらつきながらもツヴァイの力を借りずにノインが立つ。そんな彼の状況を知ったフィーアが心配をしない訳がない。
「ノイン……本当に大丈夫ですか? やっぱり治療するために、ノインだけでも退いた方が――」
ノインだけでも後ろに退けと言うフィーアは自身の言葉を半ばで止める。
そうして間違いを認識したかのように、自分の頬を思いっきり両手で叩く。パァンと高い音が響くと、フィーアの頬には赤い手形が二つ残った。
「いえ間違えました、さっきの言葉は忘れてください。 ノインも限界が近いようなので、素早くどうにかしましょう。 そのためにも……ノイン、満身創痍のところ悪いですが力を貸してください」
フィーアの願望にノインは持ちうる全ての力を動因してサムズアップを送る。
「力を貸すもなにも……俺に貸さないなんて選択肢は初めからないよ」
再び四人が瘴魔に立ち向かう。
しかし瘴魔は消失の最中であり、状況は最初に戻った――むしろ悪くなったと言えるかもしれない。
もう戦いに割ける時間は殆ど残されていなかった。




