第一章16 『結晶化と瘴魔化』
「これは……一体……!?」
暗がりの部屋で紫色の結晶を体中から生やした少女が鎖で繋がれている。四肢を拘束するその鎖は腕を壁に、足を地面へと固定し少女から一切の自由を奪っていた。
そんな非道な仕打ちと、少女の体の異常さが気になったノインは、まるで吸い込まれるかのように少女に近付きその手を少女の頬へと伸ばした。
「暖かい……生きては……いるようだな……寝てんのか? それにしても少女を監禁とは……趣味がわりぃな……」
耳を澄ますと暗闇の部屋には規則的な寝息が響いている、よく見るとその寝息に併せて少女の胸も上下に動いていた。
一先ず少女が死んではいない事に安心し、少女の特徴的な部分――紫の結晶をノインは注意深く観察する。紫色つまりは瘴気に何か関係があるとノインは考察するが――
「……何をしているのですかノイン……もう直ぐ集合時間ですよ」
ノインが自分の後ろから姿を消した事に気付いたフィーアが、ノインの開いた扉から入ってくる。
フィーアの目はまだ暗闇になれていないらしく、奥にいる少女までは確認できていないようだった。
「いや、フィーこれ……」
ノインは拘束されている少女の存在をフィーアに知らせる。そんなノインの行動に釣られてフィーアも奥にいる存在を確認しようとその目を凝らす。
やがて目が慣れたのか暗闇で拘束される少女を見て短く「……え?」と零すと、大声でノインに注意を促す。
「ノイン!! 瘴魔です、もっと離れてください!!」
突然響いたフィーアの大声にノインは驚くも、それ程の焦りをフィーアが覚えた事に自身が危険な場所にいる事を理解した。
素早くフィーアの元まで戻り問う、ノインには目の前に居る少女が瘴魔だとは俄かに信じる事はできなかった。
「瘴魔……あの子が!? ただの女の子にしか見えないけど……」
ただの女の子、勿論体から紫色の結晶が生えている者を『ただの』と表現するには無理があるだろう。
しかし瘴気や瘴魔、それによって齎された常識外の数々に散々晒されてきたノインにとって、もはや少女の体から少し結晶が生えていようが驚きはしなかった。
「……具体的に言えば第一形態から第二形態へのなり途中と言ったところでしょうか、恐らくあの鎖も彼女が突然暴れないようにするための拘束器具かと」
ノインは少女を繋ぐ拘束器具を趣味が悪いと判断したが、それは彼女が瘴魔である事を知らなかったからだ。仮にフィーアの話を真実として受け入れるならば――即ち拘束された少女が瘴魔であるならば、瘴魔を拘束する鎖として、少女が拘束されているこの状況をノインは納得する事が出来る。
ノインはフィーアが嘘をつくとは微塵も考えていない、それは性格的な面でも、信頼的な面からでもあるが、何よりもそう思わせたのはフィーアがこの状況で嘘をつく事に対するメリットなど見つからなかったからだ。
だからと言ってノインは、目の前の少女を直ぐに瘴魔だと考えを改める事は出来なかった。初めて少女を見た時に触った肌から得た温もりが、今も規則正しく聞こえる寝息が、少女は瘴魔だとノインに考えを改めさせるのを躊躇わせていた。
だからこそノインは少女が瘴魔でない可能性に賭けて、少女に対して自身が持ち合わせる疑問をフィーアにぶつける。
「じゃあ、あの紫色の結晶は何だ? あれが瘴魔の形態変化を促しているのか?」
「いえ違います……ノインは順応者が瘴気を吸い込めないのを知っていますよね?」
「ああ」
順応者は瘴気を吸えない、もっと正確に言うならば順応者における瘴気の大量吸入は危険である。瘴気に耐性が低い順応者では瘴気を吸えば吸うほどその体は瘴気に侵蝕され、いずれは瘴魔になってしまう。だからこそ拠点を空気浄化の魔業で囲い、外に出るときは瘴気を浄化しながら空気を吸えるガスマスク型魔業を付けているのだ。
「瘴気は順応者にとって毒です。 今は魔業で毒を抜いていますが……昔はそんな便利な道具はありません、つまり裁きの日から魔業が開発されるまでの魔業が無い期間を順応者はどうやって生活していたと思いますか?」
「そうか……瘴気は魔業によって浄化される。 裁きの日に瘴気がこの東京を支配してから魔業が造られたのは確か半年後くらいだったはずだ、その間順応者はずっと瘴気を吸い続けていた事になる……」
そう今現在新東京では、瘴気を吸い込めない順応者に対して魔業を用いて瘴気を浄化するという措置が取られている。
魔業で瘴気を浄化する……だが実際は逆なのだ、魔業の動力源は瘴気である――つまり瘴気を浄化するための魔業に瘴気が必要だと言う事である、魔業は瘴気がないとそもそも成り立たないのだ。
要は時間的な話をするならば、裁きの日に瘴気が東京を覆ってから魔業が発明されるまでの約六ヶ月の間、瘴気を吸えない順応者はどうやって過ごしていたのかという問題が出て来る。
勿論、瘴気に対する耐性が高い適格者なら半年の間瘴気を吸い込んでいても平気だろう……しかし順応者はそういう訳にもいかない。普通に考えるなら魔業が完成するまでの半年の間に全ての順応者が瘴魔と化してしまいそうなものである。
だが現実は違う、新東京にはフィーアやブルーメをはじめとして未だ多くの順応者が存在している、つまりは半年間の間瘴気をどうにか避けて生活していた訳であるが……幾ら悩んでもノインにはその方法は見えてきそうにない。
フィーアの問いかけに頭を捻っているノインを見て彼女が口を開く。
「順応者は結晶化したんですよ」
「結晶化??」
初めて聞く言葉にノインが小首を傾げる、言葉の響きだけで考えれば目の前に拘束される少女にも関係がありそうなものであるが、未だ疑問を浮かべるノインにフィーアは詳細な説明を行うために言葉を続ける。
「順応者は瘴気から体を守るために、自身で造り出した紫色の水晶の中に閉じこまり、眠りにつきました。 つまり今生きている順応者は裁きの日から魔業が開発されまでの少なくとも半年間は眠りについていた、ということです……例外はありますが……」
フィーアの言葉を纏め先程の質問――『裁きの日から魔業が開発されるまでの魔業が無い期間を順応者はどうやって生活していたか』に答えるのであれば、空気を浄化する魔業がこの新東京に存在していなかった間の生活は眠っていたと言う事になる。
問題はそんな眠れる順応者を誰が起こしたかであるが……
「なぁフィー、その結晶化からはどうやって目覚めた? 勝手に目が覚めるものなのか?」
「いえ基本的には起こしてもらうしかありません、結晶化しているところを機関の人間に見つけられたり、抵抗組織や闇市の人間に見つけられたりと様々です――ここ一年程度でかなりの結晶化した順応者が発見されましたが、未だに発見されたという報告は偶に耳にします」
要するに自力で目覚める事は出来ないという事である。
ここまで聴いてノインはやっと本題、つまりは拘束されている少女に話を戻す。
「成る程、それじゃあ彼女から生えている紫色の結晶も……その結晶化ってやつの影響か?」
「違います……とは断言できませが、関係している可能性は低いと思います。 結晶の見た目は確かに酷似していますが、結晶化はあくまで結晶の中に順応者が閉じこもるだけで、決して体から結晶が生えてくるわけではありません」
「じゃああれは……」
「……恐らくは瘴魔化の影響かと」
瘴魔化……人間が瘴魔になる現象の事で、人間の体が瘴気に大きく侵蝕された場合に起こる現象である。
変化する際の瘴魔に決まった形は無く、時には翼が生え、時には質量保存の法則など無視して肥大化する。人の形を色濃く残す第一形態としての、目の前の少女の瘴魔化は結晶が体中から生えるという変化だったようだ。
少女を瘴魔だと信じたくないノインであったが、どうやらそれにも限界が近付く。
「でもなんで瘴魔化なんて……誰かに起こして貰ったはずなら瘴気なんて吸っていないはずだろ!?」
順応者が瘴魔になるには、瘴気を大量に吸い込むことで体を瘴気に侵蝕されるか、大怪我を瘴気の力で治療することで体を瘴気に侵蝕されるかの二通りしかない。
よって裁きの日に結晶化し魔業開発まで瘴気を吸わずに済んだのなら、瘴魔になるはずがない。何故なら魔業が開発されるまでは結晶の中で瘴気を回避し、目覚めるときも目覚めさせる側は浄化された空気下でそれを行うだろう、例え外で目覚めさせたとしても結晶の中に居る人間に合ったサイズのガスマスクくらいは常識的に考えて用意してから行うはずだ。
つまりは瘴気など吸い込むタイミングが無い、故に目の前の少女が瘴魔化しているのはおかしいとノインは主張しているのである。
しかしその主張もフィーアはあっさりと覆す。
「基本的にはです、別に結晶から出てくる方法が起こしてもらうだけとは言っていません。 何らかの異常で結晶から出てきてしまったか、もしくは外でガスマスクが壊れたり、置いていかれたりしたかだと思います」
そう当然だが結晶から出た後、要するに新東京での生活を開始してから不測の事態など数え切れないほどあるだろう。
ノインが訓練所で戦闘した第三形態も、フィーアが昔所属していた抵抗組織『茜』が三体の瘴魔と遭遇したのも謂わば不測の事態である、目の前の少女もそんな『何か』に巻き込まれ瘴魔化の道を辿ったに違いない。
ノインもそんな事は理解していた、理解はしていたが……彼女が瘴魔だと言うフィーアの言葉を否定したかったノインにそれを口にする事は出来なかった。
だが流石にここまで言われて納得できないほどノインも融通が利かないわけではない、泣く泣くではあるが遂にノインも彼女の認識を瘴魔に改める。
「……分かった。 ならそれはそれとして、彼女これからどうなるんだ?」
瘴魔化を戻す方法は今のところ報告されていない。
だからこそ順応者は自身が瘴魔にならないように最大限の注意を日々払っている、そしてだからこそノインには少女がこれからどうなるのかある程度予測がついてしまっていた。逆に言えば予測が出来ていたからこそ少女を瘴魔と認めたくなかったのだ。
フィーアは言い辛そうに何度かノインの顔色を横目で確認した後、決心したように少女のこれからを予想して告げる。
「恐らく……いえ殆どの可能性で処分されるかと思います……」
「くっそやっぱりか!!」
瘴魔は形態を進化させていくことでその強さを増す。
訓練場で戦った第三形態と闇市に来るまでに戦った第二形態との経験で、ノインは形態の違いによる瘴魔の強にどれほど差が出るかを知っている。
第三形態や第四形態になる前の、つまりは進化前の第一形態や第二形態のうちに処分してしまうのが最も安全で楽なのだ。加えて第一形態では自我を持っている者も多く、せめて人間の意識があるうちにと処分されるのを望む者や自殺したりする者もいるそうだ。
「理屈では解っている……解ってはいるが……こんな少女が殺されるのにはやっぱり納得がいかない……」
「……こればっかりは仕方ないですノイン、私だって本当なら助けてあげたいですよ……でも私達が生き残るために、見て見ない振りをしなければならないんです……」
苦しみの色を含んだフィーアの声がノインの鼓膜を遠慮なく叩く、どうしようもないという残酷な現実にノインは自身の唇を血が出そうなほど強く噛む。
「無理だ……赤の他人ならまだしも、見てしまった以上……手を伸ばせば届く距離に居る以上……この子を見捨てる事はできない……」
「……ノイン……」
「なぁフィー、本当に治す方法はない――いやちょっと待てよ……」
仕方ない、無理、諦め、そんな感情が自身に渦湧いているのを誤魔化しながら、本当にフィーアに瘴魔化した少女を治療する術は無いのか問おうとしたところで違和感に気付く。そしてノインはその違和感から生じた自身の考えを確かめるために口を開いた。
「……ひょっとしてこの子、ただの瘴魔ってわけじゃない――」
「――おいてめぇら、どうして……いやどうやって此処に入った」
ノインの呟きは、突然後方から投げられた男の声によって遮られる。ノインとフィーアが声のした方を見るとそこには、あの頑丈そうな鉄製の扉に腕を組みながら寄りかかり、鋭い双眸をこちらに向けている大男の姿があった。




