閑話 『混浴パニック』
ブルーメに所属する者の一日は実に単純である。
朝に軽いミーティングを交わし昼頃までは全員参加の基礎訓練を行う、昼から夜にかけては各自が決めた課題について取り組み、その後再びミーティングを行い就寝となる。
訓練場に瘴魔が襲撃してから二日、闇市への作戦を控えノインは自身の体のリハビリに努めていた。
月明かりに照らされた廊下をノインが歩いている。時折肩を回しながら自身の怪我の状態を確認する。闇市での作戦が明日に迫った事もあって、何時も夜にツヴァイと行なっている対人練習を早くに切り上げたのだった。
「あー体痛ってぇ……」
誰に話すわけでもなくノインが呟く。フュンフに毎日瘴気活性抑制剤を打ってもらっているため、ノインの怪我はまだ完治には至っていないが、無茶な動き以外であれば体はそこそこノインの思い通りに動くようにはなっている。
そんなノインの体を労わるどころか、遠慮無く痛めつけてくるツヴァイに対して悪態を吐きながら自身の部屋へと続く扉に手を掛け入る。
「フィー……はまだ帰ってきていないのか」
普段ノインとツヴァイは夜の遅くまでリハビリも兼ねた格闘訓練を行なっている、それを終え部屋に帰ると何時もならフィーアがノインを迎えるのだが、今日は早めに切り上げた所為でノインの方が部屋に着くのが先だったようだ。
「さて……と」
ノインがツヴァイとの訓練を早々に切り上げた理由には明日の作戦を控えての体調管理という面ももちろんあったが、むしろ主目的は別にあった。
ノインは軽やかな足取りで部屋の隅にあるガラス戸を引き中に入る。そこに存在する槽の横に位置する蛇口を操作し水を貯める。要は風呂に入ろうとしているのである。
ブルーメで浴槽に水を張れることは少ない。なぜなら新東京での基本的な水の入手方法は雨水から入手するか瘴気に侵食された水を魔業で浄化する事で入手するかの二つであるからだ。
深刻な水不足とは言わないが、それでも貴重である事は確かであり水に関するブルーメの方針は節水である。
故に普段なら水は体を洗う程度にしか使用できないが、大きな作戦前――今回では闇市での作戦であるが、英気を養うという点で一時的に浴槽の使用が許可されたというわけである。
魔業によって清められた雨水が浴槽に貯り、浴槽に組み込まれた別の魔業がその水を温める。浴槽に適当の水が流れたのを確認してノインは自身の着用している服を脱ぐ。
「傷に沁みるのが惜しいが、浴槽に浸かれる事に比べれば些細な問題だな」
決して広いとは言えない風呂場に入り、壁に掛けられたシャワーに似た魔業で体を洗浄する。普段のノインならシャワーから出る水が傷に沁みるため、体の洗浄に注意を払うところだが、浴槽に浸かりたいと言うノインの願望はその注意を殺し、体を洗浄する時間の短縮を行なった。
一通り体を洗い終えたところでノインは浴槽にその身を沈める。傷口が発する水の拒絶という痛みを上書きし、感じさせなくしてしまうほどに、浴槽はノインに快感と安らぎを与えた。
「ふぅ、節水の事はもちろん理解しているが、やっぱりシャワーだけの風呂とちゃんと浴槽に浸かる風呂では違うな……」
風呂が与えてくれる心地良さに暫く身を委ねると、ガラス戸の向こうから何やら音が響いている事にノインは気付く。その音にフィーアが部屋に帰ってきたのだろうとノインは結論付けて、再び浴槽の快楽を味わうために音に対して向けていた意識を手放す。
「……ノイン湯加減はどうですか?」
「いやぁ……傷口には沁みるけど、最高だよ……」
「……そうですか、では私も失礼しますね」
「……ああ…………」
暖かいお湯に包まれ何処か夢見心地のノインが居る浴室へのガラス戸が開かれる。続いて浴室には服を全て脱ぎ捨て一糸まとわぬ姿となったフィーアが入ってくる。
フィーアは迷い無くシャワーの元まで歩き、水を出すとその美しい髪を洗い始める。その姿をぼんやりと眺めていたノインであったが、次第に状況に違和感を覚えはじめ、夢から覚める。
「ちょ、ちょっと待てフィー!! なんでフィーが一緒に風呂にいる?」
「……何故と言われても、先程ガラス戸越しに確認は取りましたよ?」
「え……っと?」
湯船の気持ちよさで活動が鈍っていた頭に渇を入れる、ノインは正常な思考が可能になった頭を用いて先程のガラス戸越しの会話のやり取りを思いだす。そこでは確かにフィーアの言う通りノインは彼女が入る事を肯定する言葉を発していた。
ちゃくちゃくと体を洗っていくフィーアに対してノインの頭は混乱によって次第に埋め尽くされる。今にも浴槽に入ってきそうなフィーアに焦りを覚えた脳がノインに下した案は、自分が浴室から出ると言うものであった。
「フィー、俺が居ると居心地悪いだろ? 先に出るよ!!」
浴槽の淵に手を掛け、浴槽から出ようとしたノインの行動は体を駆け巡る痛みによって遮られる。極度の混乱と緊張によって先程まで堪能していた風呂による快楽と切断されたノインの体では、傷口をお湯に付けて生じる痛みを快楽で誤魔化せず体が悲鳴を上げたのである。
「う……ぐ……いってぇ」
「ノイン!! あまり無茶は……」
「ああごめん……だいじょう――」
あまりの痛みにノインは体勢を崩し、浴槽の淵にもたれかかる、そんな様子に心配そうに駆け寄ってきたフィーアに、自身が大丈夫である事を伝えようとしたがそれは叶わなかった。
フィーアの問いかけに思わず顔を上げ答えてしまったノインの視界に入ってきたのは、フィーアの裸体。浴室に入ってきてからなるべく意識しないように意識して直視を避けてきたノインにとってはあまりにも不意打ちだった。
水によって煌く艶やかな髪、すらりとした四肢を伝う雫、何もかも吸い込んでしまいそうな程大きな瞳、そして何より控えめな胸に咲く桜色の突起、その全てが扇情的でノインの理性を激しく刺激する。
自身の体を遠慮なく支配しようとする色欲を必死に抑えながら、ノインは極めて平静を装う。
「あのノイン? 本当に平気ですか?」
「……マジで平気、平気すぎて余裕なぐらいは平気だし……?」
「?? よくわかりませんがよかったです……平気なら私と混浴してくれますよね?」
「え」
言うが早いかフィーアはノインの浸かる浴槽へとその身をするりと移動させる。
ただでさえ広くない浴室に設置された浴槽は当然二人用ではない。フィーアが小柄であるため窮屈という事はないが、それでもノインの肌にフィーアの凹凸の少ない体肢が絡み付く。
「……ここ数日ほど一緒に浴室へ入ろうと誘っていましたが、すべて回避されていたので……今日は私が満足するまで逃がしません」
フィーアが身動きのとれないノインに近づき、自身の胸をノインの胸と合わせて抱きつく。ノインは目の前で広がる扇情的な光景と行為に対して慌てふためく事しかできないが、理性が暴走することだけは必死に抑え込むことで防いでいた。
「フィー……さすがに色々と限界がきそう……」
「……そうですか? 私としては手を出してくれても構わないですよ?」
悪戯な笑みを浮かべたフィーアはそのまま顔をノインの体に近づけて鎖骨を一舐めすると、ゆっくりとノインから離れる。ノインはフィーアが離れた事による安堵感とフィーアが離れた事による口惜しさを感じながら、理性を保ちきった自分に称賛を送る。
「……それでノイン、明日の事なのです――」
「ああああああ!! ふぃ、フィーアさん何しているんですか!!」
浴室に一際大きな声が響き渡る。音の発生源に目を向けるといつの間にか開かれていたガラス戸にはフュンフが立っており、浴槽に一緒に浸かるノインとフィーアを見て、フィーアに向って問いただす。
「……フュンフ……今私とノインは仲を深め合っている最中邪魔しないで欲しい……」
「え、ちょっとフィーア!?」
そう言うとフィーアは離れていた体をフュンフに見せ付けるようにノインに密着させる。それを見たフュンフは顔を真っ赤にしながら手にしていた瘴気活性抑制剤を落とす。
「……そもそもフュンフこそ夫婦の浴室に入るなんて非常識……今すぐ帰って」
「ふ、夫婦!? わ、私だってお兄さんに瘴気活性抑制剤を打ちに来たんです!! 部屋に入っても居なくてひょっとしたら浴室で倒れているかもって……」
「……それなら抑制剤はそこに置いて行って……私が後でノインに打っておく」
「こ、これは私の仕事です!! フィーアさんには絶対に任せません!!」
二人の言い合いに関してノインはこの数日で相当慣れている、もはや何を言っても無駄だと結構早い段階で悟ったノインは彼女達の結論が出るまで傍観する事に決めていた。
「そ、それにフィーアさんもどうせ、お兄さんの優しさに付け込んで無理矢理混浴しているだけじゃないですか!!」
フュンフの言葉に何故かフィーアは勝ち誇ったような顔をすると。
「……残念、今回はしっかりとノインが許可してくれた」
フィーアの発言に若干の語弊を感じなくもないが、傍観する事を決めていたノインは口を出さない事にした……しかしそれが最悪の結果を生む事になる。
フィーアの言葉に驚愕したフュンフは顔を伏せ、暫く小刻みに震えた後顔を上げた。その顔はまるで何か重大な事を決心した者のような表情で、それを見たノインは何故か自身の体からやけに冷たい嫌な汗が出るのを感じていた。
フュンフは未だに顔を真っ赤にしながら小さく「よし」と呟くと、自身の着ていた服を一気に脱ぎ浴室に入った。
突然の事に驚き言葉も出ないノインとフィーアに対して、フュンフは浴槽まで近付くとその身をノインの腕へと密着させ浴槽の外へと引っ張る。
「お、お兄さん……そ、その私を……あ、洗ってください!!」
「はぁ!?」
あまりにも大胆なフュンフの発言に図らずとも浴槽内の二人の声が重なる。
「いやいやいや、流石にそれは……」
「わ、私じゃ駄目ですか?」
悲しそうな顔をするフュンフに駄目と言うわけにもいかず、かといって体を洗うとも言えず、ノインは「うっ」と言葉を詰まらせる。
「フュンフそれだけは許さない、それは私だけが許された特権。 それよりフュンフこそノインの優しさに付け込んでいる……」
「わ、私はフィーアさんにではなくお兄さんに聞いているんです!!」
狭い浴室で裸体の美女二人に囲まれながら、ノインは再び己の理性が崩壊してしまわぬように、理性に鋼の鍵を掛けた。




