第一章11 『一頻り』
目覚めはノインにとって良いものではない、少なくとも記憶が確かな状態で目覚めを三回経験しているが、その内訳は一回目が瘴気に溢れた都市での目覚め、二回目が最悪な新東京の現状を知ったブルーメの拠点での目覚め、三回目における目覚めの場所は同じであったが何より体は傷まみれだった。故にノインは目覚めに良い印象を持ち合わせていないが……
「……おはようございますノイン」
ノインが目を開くと目の前には朝日に美しく照らされた茶髪の少女が居た。同じ寝台に居る為お互いの体は密着とは言えずともかなり近く、ノインは状況を瞬時に理解すると、その身を後ろに勢いよくひく。ここ最近の目覚めの中では最も甘い目覚めだ。
「……あぁおはよう……フィー」
冷静になった頭でノインはフィーアと一緒に寝た事を思い出し顔が赤くなるのに対して、フィーアは一緒に寝る事が当たり前で、まるで日常の行為かのように特に動揺した様子も無く寝台からその身を降ろすと、寝巻きから着替えるために服を脱ぎ始める。
「ちょっとフィー! いきなり脱ぎ始め――いや、違うか」
突然当然のように服を着替え始めるフィーアの行為に、一瞬にしてノインの頭は心疚しい感情でいっぱいになる。
恥ずかしさからか着替えを見ないようにと、慌てて目を手で覆おうとするが、そこで蕩けていたノインの頭が冷静に働く。
つまりは女の子の着替えを見るという全男子の夢の一つを実際に目の前にして、ノインの頭はその状況を動揺するのではなく楽しむという道に変更したという事である。
ノインは着替えを見た焦りや恥ずかしさが自身の体の中で温度を急激に下げている事を感じながら、着替えを続けるフィーアに向けて神に祈るかのように両手を合わせる。
「ごちそうさまです。 そしてありがとう」
「……何故かその反応はその反応で若干腹が立ちます……」
フィーアはノインに恨めしげな目を数秒向けた後、「はぁ」と大きく溜息をつく。
「……それでどうですか、私の体躯を見た感想は……興奮しますか? それとも興奮しますか?」
「俺はフィーの体を見て興奮以外の選択肢は無いのかよ……」
そう言いつつ目の前のフィーアは着替えを行う手を一度止め、下着姿のままノインの前でクルリと回ってみせる。
ノインはその姿をある程度眺め目に焼き付けると「ふむ」と一言、そしてゆっくり目を閉じて感想を待っているであろうフィーアに告げる。
「良い壁をお持ちで――」
フィーアが評価を聞くが早いか鋭い蹴りがノインの頬を直撃する。
その激しい痛みに悶えていると、追撃の為に下着姿のままのフィーアが寝台に足を掛ける。
そんな絶対凍土の冷たさを放つ彼女の目に怖気づいたノインは、すぐさま両手を上げて降参のポーズをとり謝罪する。
「――だっ!! ごめん、ごめんって! 冗……談、冗談だから!」
その言葉を聞いたフィーアは自身の握り拳に込めていた力を少し緩める。
「……全くノインは……いくら冗談とは言え酷いです」
「まあ冗談って言うのが冗談なんだけど――」
「…………」
ノインが放った言葉の後に、『ピシッ』という空間が割れるような音が部屋に響く。
冷気がフィーアの目だけでなく部屋にも感じられるようになったところで、ノインが恐る恐るフィーアの方を覗くと、そこにはフィーアではなく鬼が居た。
結論から述べると、この鬼がフィーアの状態に戻るまで実に三十分を消費した。
そんな鬼の怒りを収め、息切れしているノインが話す。
「で、実際そんな格好で三十分も暴れて恥ずかしくないのかよ」
ノインは三十分近く服も着ずに暴れ回っていた事を指摘する。
そんな問いにフィーアは乱れた息を整えてから答える。
「……まぁ恥ずかしくないわけではないですが……ノインになら別に良いかと……」
「その俺に対する信頼は何処から来るわけ?」
「……好きな相手ですから……」
直球の言葉にノインは思わず息を詰まらせる。結局昨日の夜は「応えられない」という言葉で有耶無耶にしてしまったが、フィーアには告白をされているのだ、しっかりとした返事を返すべきなのかノインは頭を捻る。
「なぁフィー、昨日の事なんだけど」
「……ノイン、私の言葉に正確な返事はまだしなくていいです」
「……は?」
「……まだお互いを知りませんから、私はさておきノインが困惑するのは解ります。 ですから昨日も言った通り私はノインに好きになってもらえるように精一杯努力しますから、もしも何処かで私に惚れたら返事を下さい」
昨日の告白にフィーアは相当の勇気を振り絞ったことだろう、その答えを先延ばしにする事は少なからず彼女を不安にさせる事は間違いない。しかしながら記憶もなく、これから自分を探さなければならないノインにフィーアの事まで今抱え込ませたら流石に重荷過ぎるだろうと、彼女は懸念し自分がノインの自分探しに邪魔にならないようにしたのだ。
そう、ノインは記憶を取り戻そうと決めている。機関を捨ててまでブルーメに入ったのだから、今更記憶が戻ったところでどうする事も無いが、それでも今まで自分を形成してきた記憶がすっぽりと抜け落ちているのは、まるで完成していたパズルのピースを何時の間にか一つ無くしたかのようで気持ち悪かった。
ノインはフィーアの心配りに胸が締め付けられるのを感じながら、心の中で「ありがとう」と呟き、彼女の提案を受けることとした。
「わかったよ、その時は必ず」
「……たとえノインに記憶が無くて、それをこれから探さなければいけなくても私は容赦なく攻撃しますからね」
「はは……お手柔らかに頼むよ」
いつの間にか着替えが終わっていたフィーアを見てノインも寝台を下りる。自身も着替えようと衣服に手をかけるが、着ている衣服があのボロボロになった黒い和服ではないことにそこで気付く。
つまりは誰かが瘴魔と戦い気絶したノインの服を取り替えたということになる。ノインは額からやけに冷たい汗が流れ落ちるのを感じながらフィーアに尋ねる。
「なぁ……俺の服……もしかしてフィーが?」
「……いえ私が取り替えようとしたのですが、そこは流石にということでアインスさん達にやってもらいました」
その発言にホッと胸を撫で下ろす。さすがに女の子に服を取り替えられたら男としての威厳が――いやもっと正確にはちっぽけな見栄だが……兎に角そう言った何かが傷ついていたかもしれない。そうならくて良かったとノインはここにはいないアインス達にサムズアップを送る。
「……それで元の和服の方なんですが……」
そう言ってフィーアが折りたたまれた和服をノインの前に差し出す。その黒い和服には所々修復の痕が認められ、それは拙いながらも必死で破れた箇所を修繕したという行為を彷彿させた。
「……破れた箇所を修繕しておきました……裁縫に関しては門外漢で……下手で心苦しいですが……」
「…………ぁ…………」
彼女から手渡された黒い和服を見てノインはすぐさまお礼を言おうとしたが、それは叶わなかった。その理由に彼自身も驚く、なぜならノインの頬を涙がつたっていたからだ。お礼の言葉は溢れだす涙によって嗚咽となった。顔のバリエーションが少ないフィーアも流石にこの状況には困惑の色をその顔に浮かべる。
「……あの、ノインごめんなさい……まさかそこまで悲しまれるとは……」
とんでもない勘違いをしている彼女の考えをすぐさま訂正したい衝動に駆られるが、涙と嗚咽はそれをノインに許さない。フィーアに慰めを受けながら、一頻り涙を流し終えると、ノインはフィーアにお礼を告げた。
「いや……ごめん、違うんだ。 自分でも何で涙がこんなに溢れるのかは分からないけど、ただこの服を失わなくて済んだのが嬉しくて……本当にありがとう」
「~~~っ~~~」
「フィー?」
心からお礼を告げたノインに対してフィーアは何故か顔を逸らす。逸らした顔の髪の隙間から覗く耳が赤くなっているが、それにノインは気付かない。
「……そんな笑顔ズルイです……」
「なんか言った?」
「はい、言いました……えと、そのつまりですね――私以外の前では笑顔禁止ということです!」
「あるぇぇぇ、すっごい理不尽!?」
とんでもない制限を掛けられたノインは驚愕の二文字から逃れられない、そんな慌てふためく彼を横目にフィーアは大きく咳払いをする。
「……と、それよりその和服がそこまで大切だったとは思いませんでした」
「まぁ俺も正直意外だよ、きっと俺の知らない俺の記憶が涙を流させたんだ。 ユエにとってこれは凄く大切な物だったのだろうな」
フィーアが和服を渡してきた時にノインの心を支配したのは感謝だった、当然ノインにはこの服が何なのか、何故着用しいてるのかすら覚えてはいない。だが彼に忘れ去られた記憶は記憶喪失という壁を乗り越えて修繕された服を見たノインに涙を流させたのだ。
「とりあえずこの服は置いておこう……これ以上傷物にしたくないからな」
黒い和服を寝台の下に備え付けられたスペースに収納する。一先ず服の件が片付いたところでもう一つ、訓練の際にフィーアがノインに告げた『ブレている』という言葉を思いだす。これはノインがフィーアに特に訊きたかった事だ、なぜなら服と同様に失われた記憶が疼いてならなかったからだ。
「そういえばフィー、訓練の時に俺にブレていると言っていたよな――あれは一体どういった意味だ?」
「……あれはそうですね……ひょっとすると私の勘違いかもしれないので、片隅程度に聞いてほしいのですが……」
「? ああ……」
要領を得ないフィーアに対してノインは頷くしかない。
「私は昨日、ノインは人に絶望している……と言いましたよね?」
その言葉に昨日のやり取りを頭に浮かべる。主にフィーアの過去についてだったはずだが、その中でそのような言葉が出てきた事を覚えている。
「言っていたな、それが?」
「ノインは人に絶望している、これは確信できます……ですが……」
フィーアは言葉を詰まらせる、慎重に言葉を選んでいるように見える彼女にノインは何も言わない。
「普通人に絶望してしまったら、私みたいに閉じこもってしまうと思うんです。 ですが此処に来てからのノインを見ていると、絶望している割には明るいというか、パッパラパーというか……」
「ぱ、ぱっぱらぱー?」
フィーアは二度程強く咳をしてノインの言葉を遮る。
その行為が意味するところを察したノインも口を閉じた。
「兎に角、私の知っている絶望を抱えている人とはかけ離れているような気がしてならないんです」
「その、俺が絶望を抱えているってところが間違っているんじゃないか? 全然そんな感覚ないんだが……」
「いえ、それはありえません。 ノインは人に絶望している匂いがします、根拠はありませんが自信はあります、これは絶対です」
人に絶望していると言われてもパッとしないノインだったが、フィーアの真剣な目を見てそれ以上何も言えなくなる。
「……そんなこんなで私はノインのソレが演技かとも思ったのですが、記憶も失っているわけですし……私にはいまいち判断がつかなかったので、勘違いかもしれないと言ったわけです。 訓練の時は時間も無かったので、私のイメージとズレていたノインを『ブレる』と表現しました」
「……そう……」
フィーアの話を最初は余裕で聞いていたノインも、彼女の説明が進むにつれて自身に訪れた変化に気付いていた。
何故だかは解らないが、フィーアの言葉にノインは自身の心臓を握られたかのような苦しさと、焦燥感を覚える。
ノインの呼吸は荒く、必死に整えようとしても体はそれを許さない。まるで体の内側から自身の臓器を自由に弄られているかのような不快感が全身に駆け巡る。目の焦点も合わず、足元も覚束ない、自身の体がフィーアの言葉を全力で否定し、聞きたくないと告げているのがノインには理解できた。
「……ノイン大丈夫ですか? 凄い汗ですよ――まさか傷が!?」
「いや、大丈夫……大丈夫だから。 何でもない……はず……」
「そうですか? わかりました、でも無理だけはしないでください」
「あ、ああ」
深呼吸を何度か行い、ようやく冷静さを取り戻してきた自分自身の体にノインは安心を覚えつつ、部屋に備え付けられた窓から外の様子を見る。
外は太陽の光によって照らされており、その光が射し込む角度は現在の時刻が朝である事を告げている。念のために壁に掛けられた時計を見ると、その時計の針はちょうど六時になった事を示しておりノインの朝という予想を事実へとかえる。
「それでこれからどうするんだ? また昨日みたいに広間に集まればいいのか?」
「……はい一応はその予定です、後はノインの回復次第で次の作戦を話すとヌルが言っていました」
「了解、それじゃあ早速広間に向おうか」
「……はい、それでは失礼して――」
「――え?」
広間に向おうと扉にノインは手をかけるが、余ったほうの手にフィーアの指が絡まる。ノインの指と指の間にフィーアの指と指が侵入してくる所謂恋人繋ぎと呼ばれるものである。
「ちょっとフィー? これから皆と顔を会わせなきゃいけないところでこれは……流石に恥ずかしいんだけど」
「……泣いていた事、皆に喋ってしまうかもしれませんよ?」
そう言って悪戯そうな笑みをフィーアはつくり、困惑するノインに向ける。
「な、泣いてなんていない……し」
明後日の方向を向いているノインが言う。
「では服修繕のご褒美と言う事で」
どうしても逃してくれなさそうなフィーアに、ノインは言葉を詰まらせ暫く考える。
やがて諦めたのか手はそのままに、ゆっくりと部屋の扉を開いて廊下に出た。




