第一章10 『恋と少女と雨上がり』
「……元々私はブルーメの所属ではなかったんです。 ブルーメには半年前に色々あって加入する事になって……それまでは違う穏健派の抵抗組織に身をおいていました」
フィーアがノインに抱きつく力を込める。ノインがフィーアの背中を優しく撫でると、彼女もゆっくりと口を開く。
「……ブルーメに入る前私は『茜』という組織に加入していました――そしてあれは楽園に物資を奪いに行った帰りです……物資を無事に奪い私達は当時拠点にしていた廃ビルに向っていて、その時は全てが順調で一切問題なんて見当たりませんでした……」
そう言いフィーアは言葉を詰まらせる。ノインは彼女の背中を撫でながら、話し始めるのを待つ。そんな時間が数分続いた後、フィーアは決心したように一回深呼吸をした。
「……帰還している途中に私達は瘴魔と遭遇しました。 別に遭遇自体は珍しくもなかったのですが……問題は数で私達は気付いたときには三体の瘴魔に囲まれていたんです」
「アレが三体も……」
ノインは思わず自身の傷を触る。瘴魔との戦闘はまだ記憶に新しい、一体でもそれなりに苦戦している、それが三体との遭遇ともなると正直絶望しか無いだろう。
「……絶対に勝つことが出来ないのはわかりきっていました……なにより物資も持っていましたし、逃げ切るにしても何人か犠牲が出るのは明白でした……でも……」
「囮……か」
最も可能性が高そうな作戦を思わず呟く。
「……はい。 誰かを瘴魔の前で囮にして他の全員が助かる、それが瘴魔に囲まれた私達抵抗組織のリーダーの決定でした……そして私が囮に選ばれたんです――いえもっと正確には囮にさせられた、と言ったところです」
「いくら生き残るためとは言えそれは……いやそうでもないのか」
感情論で茜のリーダーを否定しそうになるがノインはそれを堪える。
確かに勝手に囮を出したリーダーのその行動は最悪に見える。だが瘴魔に囲まれた状態で死ぬのが分かっているのにも関わらず囮役を買って出る者など居ないだろう。間違いなく揉める、そんな事に時間を割き全員が全滅してしまうくらいならば、問答無用で一人を勝手に囮にするのは合理的ではある……ではあるが……
ノインはフィーアを撫でていた手を固く握る、非情の決断を迅速に行えるかは組織を率いる上である意味必要な資質なのかもしれないが、理解と納得は別物である。
「……当時の私は、というか今もですが……私は戦闘が得意ではありませんから、抵抗組織から居なくなったとしてもそこまで損害の無い私が囮役に選ばれたのは必然だったのかもしれません、後ろからいきなり担いでいた物資を奪われ……私はその場に置いていかれたんです」
きっと置き去りにされたフィーアを孤独や絶望は容赦なく支配しただろう、記憶もなく行く宛てもなくノインも新東京を彷徨った事から、その気持ちは少し理解できていた。
「……正直最初は何が起こったのか理解できませんでした……きっと頭も仲間に置いていかれたという現実を理解したくなかったのだと思います。 頭も視界も感じる何もかもが真っ黒で、置いていかれた私は兎に角ずっと泣いていたような気がします……」
「…………」
「……そんないつでも殺せるような状態の私を何故瘴魔が無視したのかは解りませんが……現れた三体の瘴魔は私に見向きもせず、逃げた仲間の方へと向って行きました……私は、悲鳴のような絶望に染まった声を上げた仲間が目の前で肉塊になるのをただただ見ていました……仲間の声が聞こえなくなってやっと自分が置かれている状況が理解できました――あぁ裏切られたんだなって」
ノインを掴むフィーアの腕は震えている。きっと彼女にとってまだこの事件は半年前の――過去の事ではないのだろう。
「……そこからははっきりとは覚えていません。 気付いたときには教会の広間で寝ていて、そこをヌル達ブルーメに発見されて、加入する事になったんです……」
「そうか……フィーが抱えていたのはこんなにも重いものだったんだな」
「……でもそれだけじゃないんです……私は自分が助かったと解って、仲間が死んだ事を思いだして……そして最初に浮かんだ気持ちは『ざまぁみろ』でした……きっと私はこの時には壊れていたのかもしれません」
掛ける言葉が見つからないとはこの事だろう。あまりにも重い彼女の過去にノインは返す言葉に迷っていた。
「……誰も信じられなくなりました、ヌル達ブルーメも何より自分さえ……だからブルーメに加入してからも相棒を、パートナーを組む気なんて一切なかったんです……ノインを見るまではですが……」
「じゃあ何で俺を……?」
当然ノインからこのような質問が来る事は解っていたフィーアだが、少し返答を躊躇った後口を開く。
「……ノインからは同じ香りがしました……『人に絶望している匂い』を纏うノインを見て、諦めていた何かにまた火が灯りました、ひょっとしたら壊れた私を直してくれるんじゃないかって。 ノインと組めば何かが変わるかもしれないと思ったんです……まぁ同族と傷の舐め合いがしたいのではないかという自分を否定しきれなかったので、期待も希望も持たないようにしていましたが……」
フィーアの言葉に絶句する。
「ちょっと待ってくれ! 人に絶望している匂い…………そんなものを俺が?」とノインはフィーアに対して確認をするつもりだった。しかしその言葉を発する事はノインの頭を襲う、割れるような強い痛みによって阻止された。
頭に手を当てその痛みが引くように脳に命令を送る。何かが思いだせそうな感覚がノインを満たすが、その感覚はフィーアが紡ぐ言葉によって消え去った。
「……暫くはブルーメの面々にやっているように適当に合わせてノインの事を観察するつもりでいました……ですが今日の瘴魔襲撃でそんな予定は大きく狂いました、瘴魔が目の前に出てきたとき思ったんです――あぁまたかって。 正直今となってはあの時瘴魔から逃げたい焦りで転んだのか、死にたくて――生きる事を諦めて転んだのかはわかりません」
フィーアはノインに抱きつくためにノインの背中に廻していた手を首元へと移動する。そのままノインの顔を真っ直ぐその瞳に捉えた。
彼女の瞳には双黒の青年が儚げに映る。
「……でもノインは助けに来てくれました。 あの時……瘴魔が腕を撓らせてから私を貫くまでの時間なんてほぼ無いに等しかったはずです、きっと迷っている暇なんてなかったと思います、こんな怪我までして何度も私を庇って…………」
真っ直ぐに見つめてくるフィーアに恥ずかしさを感じて思わず目を逸らす、頭の痛みは何時の間にか消えていた。
「いや……あれはほら、体が勝手に……」
「……ノインに助けられて思ったんです、もうノインに裏切られようが裏切られまいが関係なく……私がノインを裏切りたくないって――本当の相棒になりたいって……そして気が付いたらノインの為にレンガの壁で銃身を補強して瘴魔に立ち向かっていました……」
「あぁ、あれは本当に助かったけど……同時に凄いヒヤヒヤしたよ……」
「……そこから一緒に戦って、瘴魔を倒して。 倒した瘴魔にノインが刺されたのを見たとき、仲間に置き去りにされた時と同じように全てが真っ黒になりました――でもそのおかげで確信する事ができたんです」
「……確信……何を?」
「――私はノインの事が好きなんだなと言う『恋』の確信です」
「へぇ………………へ?」
思いもよらぬ一言に時が止まる。
「いや、いやいやいや――恋? あの恋なの?」
「他にどれ程の恋があるのかはわかりませんが……多分その恋です」
フィーアの重い過去の話を聞いていたはずが、突然自分に向けられた恋心の話になっている事にノインは動揺する。いつの間にかそれを話すフィーアの声も暗い色を含んだトーンから少し恥じらいを混ぜた淡い色のトーンへと変化している。
「……その……ノインは迷惑でしょうか?」
首に抱きつくフィーアが潤んだ瞳をこちらに向ける。そこには明らかに不安の色が混ざっていた。
「えっと……その――フィーは自分の過去がトラウマだったんじゃないのか!?」
「……トラウマではありましたが、それもこれもきっとノインに巡り合うためのイベントだったと思ったらかなり楽になりました……まぁ引っ掛かるものが無いと言えば嘘になりますが……」
「あぁ……そう、でも何で、何で俺なの?」
「……さぁ解りません、ブルーメに加入してからも私を助けてくれた人は沢山いました……それこそアインスさんやツヴァイさんだってそうです。 ノインと他の人の助けがどう違ったかなんてわかりませんし、ノインが助けてくれた事のどこに私が惚れる要素があったのかさえ明確じゃないんです」
そう告げるフィーアの顔に嘘偽りは無い。
「でもそれでいいんだと思います、この狂った世界で何も信じられなくなるよりかは、私は私の中に生まれたノインへの恋心を信じて生きてみます、それによく言うじゃないですか……恋は予期せずやってくる……と」
「案外そんなものなのか……」
ノインは混乱と困惑が入り混じった混沌と化した頭に必死に冷静を注ぎ込む。落ち着きを取り戻すために何度も深い呼吸を繰り返し、腹を括る。
「フィーが経験してきた過去を俺は理解できるなんて無責任な言葉で語るつもりは無いよ。 きっとフィーがそこで思った事や感じた事はフィーだけのものなんだと思う……さっきもフィーは必死に言葉で伝えてくれたけど俺には言葉しか伝わらなかったから――でも、俺と居る事でフィーが少しでも過去の壁を乗り越えたのなら、俺にその手伝いがこれからもできるなら俺から断る理由は無いよ」
「……ノイン……」
「ただ俺がフィーへの恋心を――フィーを愛している気持ちを持っているかと言われると、そんな事は無いんだと思う、まだあくまで仲間……そういう認識しか持ち合わせてない、悪いけど。 今の俺じゃ、一緒には居れてもフィーの気持ちには応えられないよ」
その言葉を聞いたフィーアは落ち着いた顔つきで首を数回横に振る。
「いいんです……今は一緒に居られれば、拒絶さえされなければ……好いた何だというのは後の話です、それに――」
フィーアは抱きつくためにノインの背中側に廻していた手を肩へと移動させる、ややそこに力を込めた状態で話を続ける。
「私がノインを惚れさせますから問題有りません」
そう言いきると同時にフィーアはノインに体重をかける、ノインは当然バランスを崩して体を起き上がらせていた寝台にフィーアに押し倒されると言う形で寝転ぶ事となる。
「――今日はこのまま一緒に寝ましょうノイン」
「いや、あっちにもう一個寝台が……」
「……そうですね、少なくとも私とノインの部屋では空間の無駄遣いとしか思えませんね……」
「いやいやいや……え?」
「……それではノインお休みなさい――また明日起こしてあげますね」
「え? え?」
フィーアの強引さに付いていけないノインは困惑の言葉を何度も口にする。やがて落ち着いた頭で状況を理解し、自分がもう一つの寝台に移動する案を考え出した。
しかしフィーアが未だにノインから抱き付いて離れないので、結局はフィーアの意思に従うしかないと結論付けた。
ノインは諦め、目を閉じ眠りにつく。
「ま、これでもいいか」
そんなノインの呟きは誰に拾われるわけでもなく静寂の部屋に響く。
今部屋を照らすのは月明かりだけ、いつの間にか雨はあがっていた。




