第一章9 『抱擁は圧倒的な膂力と共に』
一章のフィーア編も次回の過去話と数話で一旦終わりとなります。
一体どれくらい眠っていたのだろうか、目が覚めるとそこには知った天井が広がっていて、まだぼんやりと曖昧な意識の中で耳は外に降る雨の音を拾う。どうやら新東京を覆う透明な天井は光だけ出なく、雨も通すようだ。
状況確認の為にとりあえず上半身を起こそうと体に力を入れるが、それは近くで看病してくれていたであろう人物によって阻止される。
「――ノイン!!」
今まで椅子に座って静かに看病していたフィーアだったが、ノインが目覚めた事で彼女はその体を勢いよくノインにぶつけ抱きつく。そんな事をされれば、当然傷だらけの体にはひびくわけで……
「痛い――めっちゃ痛いってギブギブ!!」
「……良かったです。 あんな傷を負って私心配で……」
フィーア吐き出される言葉はどれも震えている――どうやら彼女には随分と心配をかけたようだ。
「ごめん心配かけて……でももう大丈夫だから……」
謝罪の意味も込めて彼女の頭を優しく撫でるとフィーアは短く「はい」とだけ答えて、抱きつく力をより一層に強めた。
痛みが結構無視できない段階に到達した事で抱きつくフィーアの背中を抗議の意味も込めて少し強めに叩くが……
「……って傷が再生してない……?」
フィーアを一先ず離し自身の体を確認すると、体の至るところに血に染まった包帯が巻かれている。どうやら傷の再生を行ってくれる黒い稲妻も出ていないようだ。
「……その傷が再生していないのはコレを使ったからだと……」
そう言うフィーアの手には注射器のような物が握られている。注射器と言ってもあの特徴的な針の部分は存在していない。後から聞いた話によると先端を肌に当てて押棒を押せばそれで中の薬品を投与できるらしい。
「これは……?」
「……これは薬品を投与する、注射器です……今回ノインに打ったのは『瘴気活性抑制剤』です」
「活性抑制?」
恐らく――というか名前の通り、ノインは体内における瘴気の活性を抑える薬品を打ちこまれたと言う事だ。つまり瘴気の力によって傷が今まで治っていたが、それが抑制されたことで現状は傷が再生していないという事である。
問題は何故そんな物を打ちこまれたのかだが……
「……先の瘴魔との戦闘でノインは結構な大怪我を負いました。 以前も説明しましたが傷の再生は体内の瘴気の力に依存していて、傷を再生すればするほど体は瘴気に侵蝕されます――言い替えれば怪我をしてそれを再生させるほど瘴魔に近づいていくと言うことです」
「あー成る程……何となく分かった」
「……そうですか。 一応説明しておくと、肉体の瘴気侵蝕を最低限に抑えるために大怪我のうち命の危険性がなくなるまでを瘴気の力で再生させ、残りの表面の部分は抑制剤を打って瘴気の力ではなく、自然回復力に任せるんです……全て瘴気の力で治すよりかは侵蝕を抑えられるかと」
つまりは大怪我を負った場合、命に関わる山場までは瘴気の驚異的な再生力に頼るが、その山場を越えた以降の形ばかりの傷は肉体の自然回復に委ねるという事だ。まあ瘴気による再生の代償が瘴魔化ならば仕方ない。
「しかし俺結構あの戦いで怪我負ったけど、もうすぐ瘴魔になったりするのか? もしそうだとしたら俺、夢だと信じてもう一回寝たいんだけど……」
「いえ、当分のところは……侵蝕係数も安定していますし」
「……しんしょくけいすう?」
ノインの疑問の色が多分に含まれた返しに、フィーアは「あぁ」と納得したように平らな手のひらに握り拳を叩き付けた。
「侵蝕係数の話しはまだでしたね……侵蝕係数とは『対象がどれだけ瘴気に侵蝕されているかを数値化したもの』です。 この魔業で測定できます」
そう言うとフィーアは真っ白な拳銃のような物をノインの腕に押し当てる。押し当てた状態で引鉄を彼女が引くと、空中に緑色の文字で『137』という数字が浮かび上がった。
「コレが侵蝕係数?」
「……はい、基本的には『300を超えたら瘴魔になる』と考え、その値を最終ラインとして『300に数値が近いほど人間より瘴魔に偏っている』ということですね――まあ具体的に肉体がなんらかの変化を起こすのは200後半ですが……」
「以前――というか昨日ヌルが俺を『適格者かどうか後で確認する』と言っていたのはこれか」
「……正解です」
適格者は瘴気に対する耐性が高い、大きな怪我を再生しても肉体が瘴気に侵蝕される速度は遅い――つまり言い替えれば侵蝕係数の値が大怪我前と後でそれ程差がないという事だ。これに比べ順応者は全くの逆と言えるので、侵蝕係数の測定でその対象者がどちらに属しているのかを定めるのは可能だろう。
「……因みに昨日ノインが気を失っている間に侵蝕係数を測定しましたが、その時は133でした」
「つまり訓練場の戦闘による怪我で4しか増えなかったというわけか……300まで後160程あるわけだから純粋に後四十回はさっきの戦闘を繰り返せるわけだな……まぁ繰り返したくはないけど――因みにフィーアは?」
「……73です」
順応者の侵蝕係数の伸びがどれくらいかはわからないが、三桁もいっていないのであれば一先ずは安心と考えていいだろう。
とりあえずフィーアと自分自身に瘴魔化の心配がない事を知り、安心したノインは気になっていたそれからの事について尋ねる。
「さてと俺はどれくらい寝ていたんだ? あれからどうなった……?」
「……ノインが気絶してから、とりあえず各自待機という形になりました……寝ていた時間は、そうですね十六時間といったところです」
十六時間……思っていたよりは時間が経っていないようにノインは感じる、そして戦闘訓練や瘴魔の襲撃があったせいですっかり忘れていたが、聞きたい事が少しあった事を思いだした。
一体何から聞こうかとノインが考えていると、先程まで隣で説明してくれていたフィーアがまた抱きついてくる。今回は目覚めた時のような勢いのあるアタックではなく、優しく包み込む感じといった違いはあったが……
「ふぃ、フィーア!?」
必要以上に体を密着させてくるフィーアに対してノインは少し困惑する。
慌ててフィーアを引き離そうとするノインに対して、抱き着いている本人は不服を述べる。
「……ノインは私に抱きつかれて、嬉しくないのですか?」
「そりゃ嬉しいか、嬉しくないかで言えというのであれば、フィーアの抱擁は素直に嬉しい。 だがそこにはやっぱり恥ずかしさや、気まずさがある訳で……というかヤバイなフィーアの良い匂いが――じゃなくて!!」
ノインは突然の事に混乱していた、気付けばフィーアの問いに対する返答もかなり早口になっている。
瘴魔と対峙していたときよりも遥かに強い動揺を覚えたノインは、兎に角フィーアを引き離す事に全力を注ぐ。
「ちょ、ちょっと離れてくれフィーア!!」
いくら彼女が幼く見えるとはいえ、それでも自分とは二歳差ほどだろうとノインは考えていた。つまりそんな歳の近い彼女に抱きつかれていると理性が麻痺しそうになってしまうわけで……そんな暴走寸前な理性を抑えるために、ノインは『フィーアから一旦距離をとる』という思いで頭を満たした。
ノインは慌てながらもフィーアを離そうと素早く彼女の肩に手を置き、力を込める。だがノインの引き離そうとする力よりもフィーアのノインに密着しようとする力の方が勝った。
ノインは単純な力比べでフィーアに負けた事に驚く、いくらこちらが怪我をしているとはいえはっきり言って今のフィーアの力は異常だ。それこそ適格者と順応者という面でも男と女という面でもだ……
「え? ちょっと強くない!? どこにこんな力が……全然俺よりも……兎に角、一旦離れような、なフィーア!!」
力で引き離せないとなると、ノインには説得して彼女から離れてもらうしか方法はない、抱きつくフィーアに必死に説得をしようとするが。
「……………………フィー…………」
「へ?」
「これからはフィーアではなくフィーと呼んでください」
「そ、それは良いけど……」
突然のフィーアの要望にノインは思わず素で返すが、直ぐに話題を元に戻す。
「あれ? 俺は抱き付いているこの状態を何とかしたいという話しだったよな、それが一体何処で何を間違えたらフィーアの愛称の話しになるんだ?」
「……フィー」
早速愛称を間違えたノインを不平そうにフィーアが睨む。
そんな彼女にノインは一旦コホンと咳払いをして、気を取り直す。
「別に構わないよ、でもどうして突然?」
「……ノインには、他の皆とは違う呼び方をして欲しくて……」
フィーアの愛称に対する拘りはノインには計り兼ねるが、彼女を引き離す術が彼女の意思によるものしかないのなら、ノインが彼女の機嫌を損ねる事をわざわざする理由は無い。
勿論、フィーアの機嫌が関係していない場面であったとしてもノインは快諾したろうが……
「? まあよく分からないけど分かったよフィー。 これで離れてくれる?」
「……それは嫌です」
「あるうぇ!?」
これでフィーアが離れてくれると考えていたノインにとって、というよりかは離れる事の対価に愛称の変更を求めていると勘違いしていたノインにとって、離れてくれるかの意思確認を否定するフィーアの即答は衝撃だった。驚きも冷めぬまま返したノインの言葉はもはや意味を成してはいない。
「……今はノイン成分を補給中です」
「ノイン成分って何!?」
それからノインはフィーアを引き離すためにあらゆる手を尽くしたが、頑なに首を縦に振らない彼女に対してノインが折れる形となった。
諦めたノインはフィーアの好きなようにさせていると、ふとフィーアが言の葉を紡ぎ始める。
「……ノイン、私は今日訓練の前に裏切らないかと訊きましたよね?」
「あぁ……俺もそれは気になっていて、後で訊こうと思っていたんだ」
他にも訓練中にフィーがノインにいった『ブレている』の言葉の真意や、今日対峙した瘴魔を『第三形態』と呼んでいることなど、聞きたい事はあるが取り敢えずは一つずつ潰していこうとノインは考えた。
否そのような事を考えていないとノインは理性と恥ずかしさで死んでしまいそうだった。
「……裏切らないと訊いたのは、そうですね……ノイン、少し私の昔話に付き合ってください」
その言葉にノインは無言で頷くと、フィーアは彼に抱きついたまま自分の過去の話を始めた。
実は一章の10%も進行していなかったり……




