あまむろゆかり
契約夫婦生活6カ月と1週目
タツコはタケトシの原稿に関する全ての担当になった。
できあがった原稿をポストに出す。コピー用紙がなくなったら買いにいく。相手会社へのメールのやりとり。
そのなかでも嬉しかったこと……
「タツコ、女は髪を切ったら気づいてほしいものなのか?」
「そりゃもちろん。自分のことをよく見てくれてるんだな~と愛情も深まります。」
「ならば髪を切ったことに気づいて欲しくない女を主人公に書いてみよう。」
……アドヴァイスとは言えないかもしれないけど作品作りに参加できている。
最近の中で2番目に嬉しかった。
1番は……
(タツコ……君が妻で良かった……)
……あれかな。
でも……今だにタケトシはお金を渡してくる。
その金額が増えれば増えるほど今の生活が偽りだと現実に引き戻される。
お金は1円も使ってない。結婚前には想像もできなかった。あのときの私には戻りたくない。
「タケトシさん。」
タケトシはタイプの手を止めタツコの方を向いた。
「……お金はもういりません。」
それを聞きタケトシはタバコを取り火を点けた。
煙をゆっくり吸って、ゆっくり吐きすぐにタバコを消した。
「……だめだ。」
なぜだめなのか。夫婦らしい営みなど無いかもしれないがタケトシとの距離は縮まっていると感じていた。
それが自分のエゴというのか。
「私はタケトシさんとの関係をお金だけの関係にしたくないです。昔はお金さえあればと思ってました。でも……」
「お金の関係でいいんだ。君もその方がいい。いずれわかるよ。」
なぜわかってくれないのか。タツコはいても経ってもいられずアパートを飛び出した。
部屋を出たタツコを何もできず見送ったタケトシは机にある最近買った週刊誌を開いた。
その中の一文を目が切り取る……
(新進気鋭の恋愛作家 依田タクミ 巷で大人気! 海女室ユカリはもう古い!?)
タツコはいく宛もなく歩いていた。
ふいに出てきてしまったが今さら普通には帰れない。
タツコは貯金通帳を見た。5冊の通帳合わせ540万貯まっている。
その金額を見ると泣きそうになる。
お金がそんなにいいかとかつて啖呵を切ったが、自分に言えたことなのか。
お金があるから言えただけなんだ。
おそらく無ければ言えない。
「よし、使ってやる。」
タケトシはタツコを顧みず原稿を仕上げていた。
ふいに時計を見るとタツコが出ていって6時間経っている。
いい大人だから心配入らないだろうと考えていたが、ふと契約のことが頭をよぎる。
(男は二町先へ)
なんとも思わなかったのに……無性に腹が立つ……
仮にも自分の妻……そんなこと……してほしくない。
「何でしてほしくないなんて思うんだ……俺には関係ないだろ……」
タケトシは原稿がそれ以上進まず、部屋を飛び出した。
階段を降りると……
「タツコ!」
タツコはこちらを睨んでいた。
謝ったほうがいいだろうか……
だがその前にタツコの口が開く。
「お金使ってやりました!!要らないって言ったのにあなたがくれるからね!!」
タツコの台詞に自分のした契約が頭をよぎる。
男と……まさか……
タツコは階段を上りタケトシに詰めより通帳を見せた。
「使ってやりました!!880円!美味しいラーメン食べてきました!」
ラーメン……?
タケトシが通帳を見ると、千円しか減っていなかった。
……良かった。
「さすがタツコだな。今から図書館に行くが来るか?」
「……行ってほしいの?」
「……うん」
二人の手はつながれ、図書館まで離れることはなかった。
6ヶ月と3週目
タケトシに悪夢の電話が入る。
「母さん……急に来るって泊められないよ。部屋狭いの知ってるだろ」
それでもタケトシの母は来ることになった。
部屋は確かに狭いがタケトシにとって嫌なことは原稿の手が泊まることだろう。
なんせ海女室ユカリとは知らないのだから。
タケトシはふいにスーツに着替えだした。
「タツコ、出張に行ったことにしてくれ。」
すごい嫌がりようだ。だがそんなことはさせない。
タケトシの親には何度もあったが中々の話好き。
大家さんとタメ張るくらい。
「気まずいでしょ!一緒にいてください!」
……なんとかタケトシを説得したが、タケトシは拗ねていた。かつて精神的に参った時、心無い言葉しか言われなかったことを恨んでいるのだ。
「……タケトシさん。お母さんも悪気があったわけじゃないのよ。そういう経験してる人が周りにいなくて自分のモノサシで測るような結果になってしまったのよ。」
それでもタケトシは拗ねていた。
本当に子供なんだな。
ならば……
「この際、海女室ユカリだとカミングアウトしてみれば。」
「はぁ!?」
タケトシの睨みは凄かった。自分が凄いことをなぜ周りに言いたくないのか。
その理由はすぐに述べられた。
「僕が売れてなかったら、この本どう思う?」
「売れてなくても面白いです。」
「違う。売れてるから面白く感じてるんだ。こういう経験ないか?売れてない頃何の魅力も興味もなかったものが、売れるとめちゃくちゃ興味や魅力が出てくること。」
……あるね。
かっこよくない端役が売れて主役になるとかっこよく感じること。素人が作った歌に愛とか恋とか入ってたら気持ち悪く感じるが、プロが歌うと当たり前でかっこいい。マジでよくある。
「昔、詩を書いたことがある。その当時の恋愛感情なんかを花や情景に置き換えてね。母に見せたら笑われた。人に見られたら恥ずかしいから書くなって」
タツコはむかついた。
それはあまりに酷すぎる。
でも確かにそういう人はいる。人がやっている趣味を否定する人。
タケトシの母親だから言葉には出せないがそういう人はこの世の中から消えてほしい。
ただ……そうじゃない世界もある。
「そういう意味では私は真の海女室ファンじゃない。私も売れてから知りました。でもタケトシさんのことは知りませんでしたけど好きになりました。誰も知らないからこそ好きになることもある。」
タケトシは拗ねながらも黙って聞いていた。
「お母さんもタケトシのことを愛してるんです。でも言葉や態度に現すのが下手なんです。そういう人いるでしょ。」
タケトシはその台詞に自分を指差した。
2日後、タケトシの母親マサコはやってきた。
部屋の中を舐めるように見ている。
すごい皮肉の籠った目付きで。
「タツコさんが掃除してくれてるみたいだけど、アパート自体が汚いわね。早く引っ越すべきよ。」
タケトシの耳がピクッと動いた。
ヤバイ……タケトシさん怒らないで。
「はぁ狭い部屋ね。安月給のサラリーマンだからってもっとイイトコ住めるでしょ。45歳にもなって何考えてるの。そんなんだから頭がバカになるのよ。」
タケトシは怒りが押さえきれなかったのか外へ一服しに出た。
もちろん玄関を閉める音はいつもの5倍くらい強かった。
タツコも思った。心の病をバカなんて言い方あんまりだ。タケトシが嫌うのもわかる。
「タツコさん、タケトシは無口で無愛想だけどいいとこもあるのよ。」
それそれ!そういうのを言わなきゃ!お母さんさすが!
「昔お父さんと私に肩たたきよくしてくれたの。」
……大分古いな。もっと最近なものはないのか。
「子供は明るくて、怒ってもまた悪さする。タケトシもそうだった。でも大人になってタケトシが精神的に参ったとき、子供の頃を思い出してと思ったわ。」
やはり、お母さんなりに苦労してたのか。
親の心子知らずとはいうけど、タケトシは母親の一面しか見えていなかった。
親子というのはわかり会えないことが多い。
うちもそれなりにはあるし、どこでもある。
そればかりは薬や検査ではどうにもならない。
……やはり、言うべきだ。
「お母さん、タケトシさんはここが恩人の家で気に入ってるんです。私もこの家が好きです。」
「そうなの。恩人って誰かしら?」
……ごめん。
「本を書く人です。タケトシさんも書いてます。とても面白い本です。」
タケトシはタバコの吸いすぎで喉が痛かった。10本以上も吸ったからか。最後のタバコを灰皿に捨て、ふて腐れながらも中へ入ってきた。
そこにはタケトシの本を読むマサコがいた。
すぐにその本を取り上げ棚に戻した。
「……こんな本を書いて、人に笑われるとでも言うんだろ。」
マサコはスッと立ち上がり、タケトシの肩を叩いた。
「……なかなか面白いけど、あんな突飛なのばかり書いてたら飽きられるね。少しは共感しあえるところも無ければね」
そのまま駅前で食事した後マサコは帰っていった。
(えええっ!!嘘だ!!)みたいな感じかと思ったら、すぐに海女室ユカリだと受け入れた。
何事もなく、(執筆の邪魔になるから)と帰っていった。
駅前から歩いて帰るなか、一番驚いているのはタケトシだった。
「……バカにされるかと思ったら、普通にアドバイスされてしまった。」
「……もしかして……知ってたとか?」
そんな馬鹿なとタケトシは返した。
でも自分の世界を認められたタケトシは嬉しそうだった。
タツコも別に聞きたいことがある。
「海女室ユカリってどこからきた名前なの?」
「小学生のころ仲の良かった友達の名前をくっつけただけさ。」
「じゃあ、その友達気付いたんじゃない?」
「40年近く前のことだよ。忘れてるよ」
たわいもない話だ。でも始めはこんなのもできなかった。やはり夫婦はこんなのがいい。
「タツコ、お前のお陰だ。」
ふいな言葉。でもタツコは嬉しかった。タケトシの為になれたことがお金を貰うより嬉しい。
「……タツコ、お願いがある……」
マサコは帰りの新幹線で日記を書いていた。
それは気が向いたときに書くもの。
そこに、今日の出来事と自分の思いを書いた。
「……タケトシが小さい頃母さんに書いた詩。まだ大事に持ってるよ。……この名前……やっぱりそうだったね。」
御守りの中へしまった一枚の紙をとりだす。
・きれいなバラはトゲがあるけどトゲがあるならとればいい。僕の大切なバラはトゲが取れました。だから痛くない。たまにトゲが生えるけど、一回刺さったらすぐに取れる。僕はそんなバラが大好き。
あまむろゆかり
家へ帰ってきたタケトシとタツコは胸の高鳴りが共鳴して地震がおきるのではないかというくらいうるさかった。
「タケトシさん……覚悟はいい?」
「ああ……みんなと共感したいんだ。」
「……今は忘れて……今は私を見て」
この日……二人は重なった。
夫婦として当たり前の行いが、半年経って実現した。
少しづつ夫婦として歩き出した二人。
色々なことがあるけれど、二人で歩き出したいとお互いに思えた日だった。