ありがとう
4ヶ月経過……
タツコがタケトシの家へきてからの日数。
相変わらず黙々と契約はこなされていく。
少し前に、タケトシに思いの丈を吐き出した。
(何があってもあなたへ着いていく)と。
だがタケトシの反応は冷めたものだった。
「目の前から大切なものが去り行く現場を見たことがあるか?目に見えるものもあれば見えないもの。その全てが消えていく。すると人間はその大切なものにすがり性格、感覚、人との距離感、全てにづれがおきる。そのづれは自分にとっても他の人にとっても不愉快で不快で憎悪に溢れたらものだ。」
タケトシに何があったのか……
「生きるために人は働かなければならない。だがふいに働けなくなると、そのものを責めるのが人間だ。しっかりしろとな。」
過去に何が……
「メンタルクリニックにでも通ってみろ。廃人扱いだ。医学も学んでないくせに素人が人の話を鵜呑みにし、薬なんか飲むなと俺を責め立てる。」
きっと……体験談なのだ……
「人はそこまで至った話をしろと言う。バカなやつは(お前は真面目すぎる。俺もそのくらい経験したし、社会はそんなもんだ。俺も辛い。おまえも頑張れ。)それくらいしか言わない。なぜそいつのモノサシで計られなければならないのか。真面目で何が悪い!誰もがお前みたいにできると思ってやがる!」
その口調はいつものタケトシのものではなかった。
怒りと憎しみ、わかってもらえない疎外感があった。
タケトシの目からは涙が溢れていた。
タケトシなりに、自分が嫌われれば怖くないと思っての行動なのか。
「私なら……気がおかしくなった人間ではなく……気をおかしくさせた人間を攻めます。」
タケトシは涙をぬぐった。
そして席に座り原稿を書き始めた。
「……いづれ君に話す。俺は親にも友達にも話さない。奴等は何もわからない。わかってたまるか。」
……タケトシはいつも通り原稿を書き込んでいた。
家の掃除をする私。そこには当たり前の光景と当たり前の生活が生まれる。
もし今の生活が実は演劇で二人の俳優が契約夫婦を演じているならばどれほど楽だろう。
自分には何もないのか。手元にあるのは通帳に入った360万円にものぼる大金が。
(いづれ君に話す。親や友達には話さない……)
あの旅館でのタケトシの台詞がふいに甦る。
家族や友達にも話さないことを私にはいずれ話すと言ってくれた。
それだけがこの現実が演劇ではないことを教えてくれる証拠品のようなもの。
4ヶ月と2週目。
タツコとタケトシは町内の餅つき会に参加した。
タケトシの指示でやる気のない夫とやる気満々の妻を演じた。ていうか……いつも通りじゃん。
タツコは出来上がったお餅を近所の女性達と小分けにしていた。
タケトシはやる気無さそうに餅をついている。
「タツコさんも大変ね。旦那さんあんまし話さないでしょ。」
隣で作業する女性が話しかける。
「無口ではありますけど、仕事熱心で真面目ですよ。」
タツコの返答に女性は笑った。
「真面目なのが金になれば苦労しないわよね。」
タツコはその腐った言葉に手持ちの餅を叩きつけた。
「真面目でなにが悪いんですか!!そんなにお金が大事ですか!!子供の学費だとか、部活のお金だとか、そんなのは旦那さんではなくて悪いのは高いお金をふんだくることしかできない学校が悪いんでしょうが!!旦那さんが一生懸命稼いだものをもっと大事にしたければ、それを運営するこの国に文句言えばいいじゃないですか!!」
……やってしまった……つい熱くなって……
周囲の女性陣や、男性陣の手はすべて止まり視線はタツコへと向かれていた。
それでもタツコの気持ちは冷めることはなかった。
その場を離れ、どこかへ消えてしまった。
餅をついていたタケトシは熱く叫ぶタツコの声を聞いていた。
女性陣の沈黙は続いたが、少し間をあげて男性陣は拍手をした。大きく大きく拍手をした。
「タケトシさんの奥さんは俺たちの苦労をわかってくれている。あんな人日本中そうはいないよ。大事にしろよ。」
タケトシは一緒に餅をつくその人に「ええ。大事にします」と声をかけた。
タツコは近くの公園のブランコに座っていた。
頭の炊飯器はとうにご飯がたきあがった。
ごはんを覚まし、タツコは冷静に戻った。
「やってしまった……普通の主婦を演じろと言われたのに……」
タツコは怒り狂ったタケトシの顔を思い浮かべた。
返金してもいいから怒らないでほしい。
「何をぶつぶつ言ってる?」
現れたのはタケトシだった。
黙って隣のブランコに座ると少し固くなり始めた餅を渡した。
「もう柔らかくないけど、全然食べれるよ」
タツコはキョロキョロとタケトシの顔をうかがいながら餅を口にする。とてもおいしい。
「……ごめんなさい。つい大きな声を出して……」
「……食べたら戻ろう。鈴木さん、タツコに謝りたいんだとさ。」
……はい。
タツコは立ち上がりタケトシの後を歩く。
「タツコ」
「なんですか」
「ありがとう」
4ヶ月と3週目。
タツコとタケトシはいつものお出掛けをしていた。
場所は喫茶店ビリーでもなく公園でもない場所。
そこは図書館だった。
ただ町の大きなところではなく、町外れの小さなところだった。
適当に本を取り、向かい合い席についた。
「……人の作品も読むんですね。」
「物語の筋書きの参考にね。深く読みすぎると自分の作品に影響がですぎるから、あまり好きではないけど」
出会ったときと比べてタケトシはずいぶん素直な性格になった。
これはこれで悪くない。私は幸せと感じてる。
「……君に話しておこう。昔のこと。」
そのタケトシの声にタツコは驚いた。
いつかこっちから聞いてやろうと思っていたが、まさかの向こうから魚が泳いできた。
「……19歳の頃、自動車販売の仕事についた……」
タケトシは話してくれた。
全然売り上げが伸びず夜中まで接客の勉強をした。
だが努力しても結果はついてこなかった。
22歳で体を壊し、仕事を辞めた。
すぐに介護を始めた。
そこで女性の上司と意見の対立をした。
上司から嫌われ、別のホームに飛ばされた。
そこでは頑張った。26歳で管理職となり、また新たな場所へ飛ばされた。
そこの人はまるでタケトシの言うことを聞いてくれなかった。
毎日のように文句や小言、人とは思えない言葉を投げ掛けられた。
社長からもそのことを責められた。
給料も減らされたが仕事量は増える一方だった。
いずれ他の女とできてると、根も葉もない噂が舞い降り、タケトシは精神をやみ仕事を辞めた。
息抜きに家族のもとへ帰った。
クリニックに行こうとすると、薬なんか飲むなと否定された。本当にイカれちまうぞなんてことも。
その後、27歳になり、元気になった振りをして警備会社に勤めた。
人を人とも思わない仕事だった。
一日の睡眠時間が1時間なんてザラだった。
頭が回らない状況でそこそこ高い給料だったので頑張った。
だが29歳のころ、同僚が万引きで捕まった。
大問題となり、監査が入る。そこで真っ黒な会社の中身がばれた。
会社がとった行動は実働時間はそのままで給料を大幅に減らすという策だった。
そこでまた体を悪くして倒れた。
精神疾病患者は警備の仕事はできない。
会社を辞めさせられた時、死ぬことを考えた。
何度も何度も首をくくった。
でも死にきれない。
なんで僕が死ななきゃならないんだ。死ぬのは僕を苦しめたやつらだろうが。
そんなときに乙女さんと出会った。
この図書館で。
小説家を目指してて、死にたくなったり、寂しくなったらひたすら書いたという。
同じように真似をして書いた。
お互いに作品を見せあった。
乙女さんは厳しかったが、書き直すなと教わった。
(見た映画が面白くなかった。その映画はタケトシの意見を聞いて作り直すか?君も誰に否定されても作り直すな。言われたことは次の作品にいかせ。)
コンビニでバイトをしながら人間模様を見ながら37歳で成功した。
とても嬉しかった。生きててよかったと初めて思った。
タケトシの話は終わった。
「……聞いて損しただろ。戦争で捕虜にされたわけでも、目の前で家族を失ったわけでもテロにあったわけでもない。ただ、誰もが経験するような辛さで僕は死のうとしていた。誰もが同じことしか言わないのはそういうことさ。」
同じこと……お前だけじゃない……俺も経験した……おまえも頑張れ……
「だが僕には大きなことだった。無駄な励ましを聞くたびに(悩んでるのはお前じゃなく僕だ)と心で反発していた。」
だから……
「タツコ、君は僕が変わっても着いてくと言ったな。僕は小説家として認められなければおそらく、精神が崩壊するだろう。そこに強さも逞しさもない。」
タケトシの台詞は後にしか向いてなかった。
だが何も心配はしてない。無理にも前を向かせてやる。
タツコに二言はなかった。
「そのための夫婦です。私はあなたから絶対に逃げません!!」
4ヶ月と4週目。
タツコが買い物から家へ帰ると、部屋がサウナのように熱く、息苦しかった。
「タケトシさん、暖房つけてるんですか?」
エアコンは作動してない。
なにが起きてるのか。
タツコは無言で机に向かうタケトシへ近付いた。
近付けば近づくほど熱い。
タケトシは汗だくだった。
「タケトシさん!熱があるわ!」
タツコはあまりの熱さに119へ電話をしようとするが、その手は止められた。
「……大丈夫だ……救急車は……呼ぶな」
ふいにタケトシは重たい頭を先に倒れた。
タツコはタケトシをどうにか布団へ運び、服を脱がせ汗を拭いた。
額に冷たい濡れタオルをのせ、状況を見守った。
しばらく休むと意識を取り戻したタケトシ。
「よかった……死んだかと思った……」
「よくない……原稿は……明日までなんだ……」
タツコはタケトシの気持ちを組み、パソコンに座った。
「タケトシさん指示をください。私はその通りに打ち込みます。」
タケトシはそんなことさせるかと起き上がろうとするが体が動かない。
もう頼むしかない……
「……ヒサナは……一条橋へ傘を……持って走った……」
タツコは一字一句間違わずタイプした。
……翌朝。
タケトシが目が覚めると、熱は下がっていた。
その場にタツコはおらず、どこかへ言ったようだった。
タケトシはふいに机を見た。
「原稿がない……」
すると玄関があき、タツコが帰ってきた。
「原稿出してきました。」
タツコの笑顔はタケトシにとって嬉しいことだった。そんな感情の理由はわからない。
「寝てなきゃだめでしょ。まだ休んでてください」
そんな心配してくれている声も。全て。
タケトシはふいにタツコに抱きつく。
それが自分のどの感情による行為かなどわからない。ただ抱き締めた。
タツコもタケトシの熱い抱擁が冷めやらぬ熱のせいだとは思ってない。
ただ、タツコの中で初めて夫婦としての気持ちが一方通行ではなくなったとわかり始める。
「タツコ……君が妻でよかった……ありがとう」