うるさいわよリース
リースには幼馴染がいた。
∞ ∞ ∞
コトコトコト、ぐつぐつぐつ。
音だけ聞けば料理中。しかし一目見ればそこは、これでもかと言わんばかりに実験中の部屋だった。
確かに大きな鍋は火にかかっていて湯気を立てている。けれど鍋の中身はベタなほどに緑色。鍋の周りにはビン詰めの、何かだ。何かは分からない。タコの足に似た何か、カタツムリに似た何か、そういった何かが詰まったビンが、鍋に放り込まれるのを待つ食材よろしく並んでいる。
近くの机の上にはまな板と包丁。と、何か。山菜に見えるその草が本当に山菜なら、一緒に置かれた試験管に詰められていたりはしないだろう。そして試験管の中の液体がカラフルにはなっていないだろう。黄色はまだいい、コンソメスープにも見える。緑も大丈夫だ、草自体の色が出ているのだと思える。しかし赤、青ときて、極めつけのマーブル。そして液体の中で動く、山菜に見えるその草。見間違いじゃない。草は動いていた。
何かの手順や図式や思いつきが書かれた紙はいたる所にあり、大鍋の近くにも、試験管の下にも、そして当然のように床にも散らばっていた。何枚かは木でできた壁にピンで留められている。
上を見ると、天井の梁に服が引っ掛けられていたり、空っぽの鳥籠が吊り下げられていたりする。不思議なのはその吊り下げられている中に、コップや本がある事だ。食器棚も本棚もちゃんとあって、そこそこ中身が詰まっている。それなのにいくつかは上からぶら下がっている状態だ。何かのこだわりだろうか。
これで部屋が薄暗かったらある意味完璧な部屋だ。怪しさと胡散臭さが完璧だ。
だが、ログハウスのような造りの部屋は暖かみがあり、窓からは穏やかな日差しが入ってきているせいだろうか。実験場というよりは秘密基地めいている。それでも頭に「奇人変人の」とつくのに変わりはないのだが。
その奇人変人の秘密基地、もとい、村はずれにある家の中で、青年が一人うろうろと動き回っていた。
大鍋に寄っては中をのぞき込み、試験管を手に取ればぐるぐる回したりしている。手持ち無沙汰なようだ。
そのうち書き物用の机に近づき、アンティーク調の椅子をガタガタとぞんざいにひいて、腰を下ろした。しばらくは所在なさげに手をうろうろとさせていたが、やがて適当に余白がある紙を手元に引き寄せる。
ガラスの壺からペンを取り出し、インクが紙に染み込むところで、
「リースぅ!」
玄関の扉がガラッと開いた。
そこに立っていたのは、目を吊り上げ不機嫌そうな顔をした少女だった。
小動物のように黒目がちな目だ。けれど強気な光が入っていて、可愛らしいというより凛々しいといった印象を受ける。肌はすべすべしていそうで、唇は桜貝の色。文句なしに美少女だ。
しかし眉間にはシワ。口は不満をありありと表すヘの字。そして扉をがしっと掴む手と仁王立ちに近い格好。
台無しである。
それを部屋の主――眼鏡をかけた眠そうな目の青年、リースは怪訝な顔をして見やる。
「? 何だノアレ」
何か怒ってる?と首を傾げる。それにくわっと目を見開く美少女。いや、少女。
「何なのよあのモンスター達はぁッ!! セキュリティーシステムっていうか、人喰いまくる超害生物じゃない!!」
そう。実はこの家の外には、リースが造りだした門番的役割のモンスター達がいる。
ワニに角が生えたような生き物やギザギザの歯が円形状に並ぶ植物、あとはなんだか毛まみれの目つきが悪い鋭い歯を持つ何かなど。皆もれなく歯が鋭い。明らかに門番の役割だけでは済まない。
そのため自由に出入りできるのはリースだけなのだ。彼の許可が無ければ近づく事も容易じゃない。
のだが。
「さすがのアタシも髪一本失うトコだったわよッ!! キューティクル・ヘアーが台無し!」
「に、なるトコだったんだろ。つまり無傷か。お前がモンスターだ」
呆れながら青年が言う。しかし何かに気付いたのか顔つきを改め、すぐに立ち上がり眼鏡を外しながら、
「……あいつらをバージョンアップしたのは、ノアレなら大丈夫だと思ったからだ」
そう言い添える。
先ほどまでの眠そうな目を真剣なものに変え、少女を真っ直ぐに見る。冷たさと甘さのあるその目は、少し垂れているせいか色っぽい。
その意外といい顔立ちを余すところなく発揮しながら、ことさら感情を込めて告げる。
「誰よりも強く、気高い――……ノアレ、なら」
それを見ていた少女は。
「『お前がモンスターだ』は取り消せないわよ。ちゃんと聞いたんだから♪」
にっこりと笑った。
間。
持てる限りの瞬発力でもってどこかへ逃げようとした青年はしかし、すぐにノアレに捕まった。首をわし掴まれた。所詮室内であり逃げられる方向は限られていて、なおかつ部屋は散らかっていた。リース青年が少女に首をわし掴まれ、ガクガク揺さぶられ、その上顎に手を掛けられてエビ反りをさせられるのはもはや逃れられぬ宿命であったのだ。
うつ伏せ状態で床にこぼれたインクを使い、「ノアレ」とダイイングメッセージを書き込むリースの後ろでは、いい運動をした後のように爽やかな顔で汗をぬぐう姿。いや、汗など全く流れていないけれど。
そのうち吊り下がっていたコップを取り、机の引き出しを勝手に開け始めるノアレ。紅茶の茶葉を探しているのだろうか。彼女が動くたび、ゆるく括られた亜麻色の髪が揺れている。
それを視界に入れながら溜め息をつく。こっそり。
(…… 本当なんだがな)
どこかに吹っ飛んだ眼鏡を探しながら、リースは心の中で。
(ノアレなら門番のモンスター達をかいくぐって、俺のところに来れると思ったのは……)
ガタンッ。
そんな事を呟いた瞬間、外から物音がした。
「? 今の音……」
「リース」
窓から外を見ても何も異常はなさそうだったが、流れでノアレを見た青年は少し目を丸くした。
さっきまで騒がしかった少女は、表情を改めていた。
「結界を、張る」
凛として大人びたその雰囲気は、幼馴染であっても見る度ドキリとしてしまう。慣れない。何か心臓に悪い。
実年齢を知っていはいても、いつもは見た目よろしく騒いでいるのであまり意識しないのだ。だからこそこういう、ふとした時に驚いてしまう。そしてうっかりその事を話して殴られるのだ。気をつけねば。
外に向かって手をかざし始めた少女を見つつ、リースは見つけた眼鏡を掛け直す。
リースには幼馴染がいた。
攻撃性が高いモンスターを相手にかすり傷ひとつ負わず、自分を天才的美少女と自称し、見た目と年齢が合っていないが言動と見た目は合っている、手のひらひとつで何でもできる天才的な魔法使いの幼馴染が。