54回目の線香花火
花火作りは、繊細を極める。線香花火はその最たるものだと、私は思っている。
使う火薬は0.08グラム。たった100分の1の誤差が、火花が華麗になるか貧相になるかを決めるのだから、和紙に火薬を乗せる間はいつも息が止まる。高さに波が出ないよう均一に整えるには、熟練の技と感覚が必要だ。
次に和紙の端を右手の親指と人差し指で挟み、紙縒りを縒る。初めはこするように優しく、最後はすり潰すように。こうして着火点が出来上がる。
私は息を吸い、細長く吐いた。視線は自ずと左指に注がれる。
至高の線香花火とは、火の球が途中で落ちず、最後まで美麗な輝きを放つもの。それを作るには、良い“首”が不可欠となる。“首”とは火薬が燃え尽きた後の紙縒りの部分で、火の玉の終着点となる場所だ。
私は左の親指と人差し指に全神経を注ぎ、“首”の紙縒りを縒った。丈夫な手すきの和紙でも隙間は作らず、今日1日の天気と指が感じる湿気、火薬の混ざり具合、長年の経験と勘を元に、強弱をつけ慎重に縒る。持ち手として十分な長さになって完成だ。
手のひらに花火を乗せる。唇は穏やかな弧を描いた。
私は仕事部屋の戸を閉めた。歩く度に軋む木の廊下を進む。縁側には、淡い月明かりが作る人影があった。
妻が夜空を照らす月を見上げていた。しわだらけの横顔に、微笑みを浮かべて。
「できたぞ」
差し出した線香花火を、妻は壊れ物のように両手で受け取った。私は隣に腰かけ、火を点けた。
産声をあげた火の玉は、酸素を糧に育っていく。赤々と丸々と輝く様は、さながら花開く前の蕾。
静まったのは一瞬。
玉が弾け、大輪の花が鮮やかに咲いた。妻と見守る中、牡丹のように華々しく、我こそ今宵の主役と誇るように、火そのものの苛烈さを伴って咲き乱れる。
苛烈さは勢いを増し、火の玉から火の弧が飛び出し始めた。松葉に似た弧に沿って、野花のように可憐な花も咲き始める。散っては咲き散っては咲きを繰り返し、庭に一段と高い音色を響かせた。
薄青い月光の中、放たれる橙の火。妻の瞳の中にも、鮮烈な輝きが映っている。
しかし花が枯れるように、花火にも終わりがある。
火の弧は徐々に弱々しくなり、花弁が散り舞うように小さくなった。火の玉は心臓の鼓動のごとく明滅を繰り返し、やがて光を失い黒い塊と成り果てた。
60秒にも満たない花火の一生。何度見ても儚い。だからこそ、心を震わせる。
「今年は、ことさら綺麗ですねぇ……」
うっとりとため息をこぼすように、妻は呟いた。
妻と連れ添って以来、七夕の夜に、2人で線香花火をするのが恒例行事となっていた。花火職人の夏は忙しい。家族との時間が奪われるほどだ。普段は顔も合わせられなくとも、妻に花火を贈るため、七夕だけは時間を作った。橙の光を見つめながら、子供達のこと、毎日のありふれたこと、今年の出来、これからのことを話した、忙殺の最中に唯一心ほぐれる時間。引退した後も欠かさず大切にしてきたもの。
それも今夜で最後となる。
妻は今、病魔に犯されている。安静を求める医者に2人で頭を下げ、一時帰宅の許可を得たのは、言葉にされずとも妻が覚悟していることが分かったからだ。
明日、妻を病院に送った足で、私も新しい住まいに移る。1人で暮らすには程よいアパート。バス1本で病院に通える距離にある。2人の子供は独立し、それぞれ家庭を持っている。主のないこの家は解体され、夏が終わる前に更地へ姿を変えるだろう。
1つ1つ終わっていく。
54回目の線香花火も、終わってしまった。やりきれない切なさが胸をかきむしる。
私は妻の手に、自分の手を重ねた。手の甲には深いしわが刻まれ、血管が浮き出ていた。指は枯れ木のようで、骨の形が見て取れる。家や子供達のことを任せっぱなしだった。たくさんの苦労をかけたのだと痛烈に実感する。それでも私を支え続けてくれた感謝と共に、限りなく愛しさがこみあげてくる。
「毎日、会いに行くから、な」
声が微かに震えてしまった。
お前は覚悟を決めているというのに、なんと情けないことか。
共に過ごしてきた日々は濃く長く、溢れるほどの思い出があるのに、振り返ってみるとあっという間で、花火のようにごく短く終焉を迎えようとしている。
迎えなければならないのが、引き裂かれそうなほど、悲しい。
「あなた」
妻は私の手を、労わるようにそっと撫でた。
優しい温もり。穏やかな眼差し。変わらない、妻の微笑み。
胸の奥で波打つあらゆる感情が、せっかくの笑顔をぼかしていった。
私が天に召されたら、必ずお前を見つけて線香花火を贈ろう。
そして今度は天の川のほとりで、2人で火を灯そうな。
蒲公英様主催「ささのは企画」参加作品です。
「登場人物が紙縒を縒る描写を入れてください。短冊を下げるためじゃなくても大丈夫です。」のお言葉に甘え、線香花火の紙縒りとさせて頂きました。