散歩のようにだらりだらりと
しゃらんしゃらんと静かな音をたて、粉雪が降り積もっている。
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余りにも静かすぎると、耳の中が痛みにも似た感覚を感じるのだと気がついたのは、つい先程で。
真っ更な新雪を汚す、泥水が染みた自分の足跡を顧みて、心に溢れる満足感の卑しさに胸焼けがする。
自分の行いに、美しくないなと思いつつも、あぁ、自分自身が美しくないからだと気が付き、柊羽は妙に納得した。
ここが、何処なのか柊羽は知らない。
気がついたら歩いていた。
何が目的なのか、何処が目的地なのかわからぬまま、ただ目的の無い散歩の様に、だらりだらりと歩いていた。
雪の日に有りがちな、鈍い鉛色の空は、今が昼なのか夜なのかさえ教えてくれる気はないようだ。
柊羽は随分と歩き続けたはずだと思うのに、まだ誰とも出会っていない。
自分以外の足跡をさえ見つけられない。
自分の時間感覚が狂っているのか、それとも、これは夢なのか。
けれど、迷い悩むこの場所は、何故か、同時にとてもよく知っている場所にも思える。
そう、ここは、柊羽の記憶の中で埋没してしまうほど、よく見知っていた場所なのかもしれない。
歩みを進める足が、あまり実感を伴わない寒さからか、何だか重く感じられる。
ふと振り返り、もう一度、自分の残した足跡を見つめると、答えは、歩いてきた方にあるような気がした。
この焦燥感は何だろう。
何かとても大切な忘れ物をしたような気がして、柊羽は先程自分が残した足跡を辿る事にした。
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ふらりふらりと歩き続ける中。ふと、柊羽は、先程までわかっていると思っていたはずの自分が、誰なのか、今はわからないことに気がついた。
年齢も家族構成もわからない。
随分長い間ここに居るようで、でも、つい先程この空間にやって来たような気がする。
なぜ自分自身を美しくないと評すことができたのかさえわからない。
『雪は汚れたものを真っ白に覆い隠すんだよ』
くすりと笑い声が聞こえたような気がして、柊羽は空を見上げた。
この世界の根幹、ルール、全てを掌握しているように感じるその存在の声は、とても心地よい響きで、けれど、なぜかとても恐ろしかった。
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しゃらんしゃらんと静かな音をたて降り積もる雪の中、白い世界に少しだけ馴染みかけた自分の足跡を、柊羽が辿った先。その終わり。
そこは、このエリアで唯一の原色の色を放っていた。
「あ」
思わず口に溢れた声は音にならず、白くあやふやな存在となって空間に消えていく。
踏み荒らされた新雪の中、ソレは、降り積もる粉雪を、一輪の椿の花の様に赤く染め上げる。
雪上に、既に冷たくなってしまった命の温もりを撒き散らし、静かに眠る自分を、柊羽は見つけた。
先程まで卑しさからくる胸焼けを感じていたはずなのに、それは外部から心臓を押し潰されそうな感覚に変わり、知らぬ間に喉から白い嗚咽を吐き出させた。
抑えるなんてことを知らない目尻から、ぽろんぽろんと流れ落ちる自分の涙は、暑い夏、露天で買った瓶から取り出したビー玉の様に、丸いその体に周りの景色を逆さに写し出し、積もった雪の中に、一粒一粒落ちていく。
ああ、そうだ。
柊羽は思い出した。
思い出すと同時に、頭の中を沢山のデータが駆け巡り、そして消えていく。
ここではないエリアでの、この現実の起因となる悲しい出来事を。
『柊羽』は元々いない。
いや違う。柊羽という『人間』などいないのだ。
柊羽は作られたプレイヤーキャラクターだ。
ゲームの中でのみ生きる、人でないもの。沢山の0と1の集まり。
プレイヤーの為の、ポリゴンで出来た操り人形。それが柊羽だ。
どこか別の世界で、安穏と住まうプレイヤーが、柊羽を見棄ててしまったのだろう。
この世界の法則に従えば、あと数分後に今の柊羽は消えて、新たな柊羽が生まれる。
今までの経験値もアイテムも残るのに、この粉雪のようなオペレーションに包まれて、今の柊羽は居なくなる。全く別のモノになる。
要らなくなったデータは抹消される。泥水が染みた足跡さえ残さずに、その繰り返した回数だけを記録して。
たとえ自分達の意思が全く反映されることや干渉することが出来なくとも。それがこの世界のルールだ。
いつの間にか別れてしまった、魂と体に柊羽は涙が止まらなかった。
まだ戻れるのだろうか。戻れるものならば戻りたい。
戻って共に消え、新たに全く別のモノとしてでもいいから再生したい。
カウントは残り僅か。
柊羽は、雪の中眠る、自らの体の上に重なるように体を横たえた。
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消えたくない一心で、記憶も虚ろなまま、だらりだらりとふらついていたソレは、音一つたてず静かにポリゴンに吸い込まれ、共に消えていく。
灰色の空の下、何も無かったかのように、しゃらんしゃらんと静かな音をたて、粉雪がどこまでも降り積もっていく。