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 放課後に基地を訪れると珍しく甘い香りがしなかった。

 彼女がいなくとも香っているはずのその匂いがないことに驚きを感じながら暗幕をくぐると彼女が狭い机の上に物を散らかして何か作業をしているようだった。

 ボクはそれを横目で見ながら自分の席に座る。

 期末テストのために勉強をしたいところなのだけど、机の上に散乱したさまざまな道具や材料? のおかげでスペースはまったくない。

「すまないね狭いスペースを占拠してしまって」

「わかってるなら片付けてほしいんだけど」

「そういうわけにもいかないのさ、悪いけど我慢してくれるかな」

 喋りながら彼女は器用に手元で何か作業を続けている。その手の中にあるのは五百ミリのペットボトルより少し大きいくらいの筒状の何かだった。いったい何をしているのだろうか。

「気になる?」

「まぁ、それなりに」

「そうかそうか気になるか。知りたい? どうしても知りたい?」

「いや別にどうしてもって……」

 言葉が尻すぼみに消えていく。あからさまに冷めた目つきで彼女がこちらを見ている。

 まるで空気読んでよねとでも今にも語りかけて来そうな視線と、いつの間にか片手に握られた携帯が無言の内に重圧をかけてくる。言いたいなら素直に言えばいいじゃないかと思ってもやはり口には出さない。

「知りたい知りたい」

 投げやりにいった言葉に彼女は満面の笑みで、相変わらず携帯を握り締めながら言う。

「そう? どうしてもっていうなら教えてあげるけど、聞いたら君も共犯だよ」

 嫌な予感がびんびんした。正直今すぐにでも回れ右して帰りたい。耳をふさいで全てのことを聞かなかった事にしたい。しかし、彼女が手に握る携帯がそれを許さない。

 ああ、いつもと違うこの空間で普段どおりに何も考えずに入ったボクが悪かったのだ。用心してしかるべきだったのに。

「すっごい知りたい。とっても知りたいなぁ」

「そこまで言われちゃしょうがないね。これはね」

 彼女は先程の筒状の何かを目線の高さまで上げてボクに見えるようにした。

 金属製の筒、その両端が何かでしっかりと塞がれていて、片側の端からひょろりと伸びる紐のようなもの、その形状になんとなく見覚えがある気がした。

「爆弾」

 天を仰ぎ見る。

 暗幕の敷居が垂れ下がる四角く切り取られた天井が見えた。

 視線を下げる。

 ニコニコと笑う彼女が、金属製の筒を持っている。

「え、馬鹿なの?」

「失敬だな、君よりは少なくとも成績はいいよ」

「学力ではそうかもしれないけど、常識的な意味で言えば君のほうがよっぽどだ」

「まぁそんなことはどうでもいいんだ。君はどうしたい?」

「何が」

「さっきは共犯だなんて脅したけど、係わり合いになりたくないなら、強制はしないよ。この場から立ち去ってくれてもいい。そうしたら携帯の写真もきちんと消そう。そうして君とはお別れだマリヤ」

 そう言って彼女は携帯を差し出してくる。そこにはもはや懐かしいとも思える酒瓶をもつ僕の姿があった。

「私は新しい世界を見に行くつもりだ。ここじゃない何処かへ行こうと思う」

「それとこれと何の関係が」

 ボクは彼女が手に持つ、爆弾とやらを指差す。

「きっかけがほしいんだよ、逃げ出すためのきっかけが。何事もなくこの地を離れようとしても、どうあっても戻ってくる気がしてね」

 間違いなく彼女は馬鹿だった。どうしようもないくらいイカれていて、どうしようもないくらい行動的で、ボクに出来ないことを、やれないことを、いつだってやろうとする。

「決めるのは君だ、マリヤ」

 ボクの大嫌いな言葉。

 決断を迫る言葉。

 ボクはここで選ばなければならない。彼女と馬鹿なことをしに行くのか、彼女と別れて、いつもの日常へと戻るのか。いつだってそうだ、唐突に決断を迫られる、心構えも何もないままに。

 うなじの辺りに手が伸びる。目が泳ぐ。

 視界の隅、彼女の影が揺れる。

 ボクはどうするべきなのだろう。

 彼女は答えをくれない。

 ぐるぐるとぐるぐると思考が回る。

 このまま答えを出さなかったらどうなるだろう。答えを先延ばしにしてくれるだろうか。そうしたらまた暫くあの不思議な時間を過ごせるのだろうか。

「この場で決断を下してね」

 ボクの退路を防ぐように彼女の言葉が重く振り下ろされる。

「白馬の王子様なんていやしない、誰も都合よく手を伸ばしてくれない。君は知っているだろう?」

 その通りだ、ボクは物語の主人公になるだけの器なんかない、誰も気にかけてくれなんてしない、ここでまた逃げ出したらきっとボクは何者にもなれないままずっと逃げ続ける人生を送るのだろう。それは嫌だった。ボクは特別じゃない、わかっている。だけど、特別な何かに憧れることだけはどうしてもやめられなかった。子供じみた思いだけど、夢見がちで格好悪いけれど、ずっと、憧れてやまなかったのだ。

 何かが変わるかもしれない、変わらないかもしれない。

 だけど、関わることすらできないのはもう嫌だった。

 端役でもいい。

 舞台に上がりたい。

 ボクは、告げる。

「……やるよ」

 自らの一歩を踏み出す。ボクがずっと避けてきたことを遂に。

 彼女はニッと笑って携帯を閉じる。

「派手にやろう。学校だけなんていわずに街中全部吹っ飛ばせるくらいに」

 夢見たいな言葉だった。馬鹿らしい妄想のはずだった。だけど、それは形を成してボクらの前にあった。百人が妄想して、千人が願い、一万人が呟いても実現しなかったことを、ボクらはたった二人でやる。

 行動に移せばそれはたったの二人でもできること。

「煙突も、漁港も、アパートも、気にいらないもの、全部、だね」

「そだね、全部吹っ飛ばして、二人でいこう」

「遠くに」


 ボクらは冬の短い夕暮れを秘密基地で過ごした。

 彼女が爆弾の組み立てをして、ボクは材料の買出し等の雑務をこなした。テスト勉強もせずに毎日遅くまで秘密基地で作業を続けた。

 火気を避けるために蝋燭は電池式のカンテラに、コンロはポットに変わった。彼女はタバコの変わりにガムを噛むようになった。それでも秘密基地の中には彼女の甘いコロンの香りが漂った。

 一つ目の爆弾が出来たのは期末試験の前日のもう随分と遅い時間だった。

 パイプから導線の延びるそれは子供が作った玩具みたいな不恰好なもので、これが学校を爆破できるほどのものなのかとにわかには信じられなかった。

「これで、本当に学校が吹っ飛ばせるの?」

 思ったままの疑問を口にすると、彼女は完成祝いにと飲んでいたブランデー入りの紅茶がはいったコップを机に戻す。

「まぁ無理だね、それじゃ威力が足りない」

「はぁ?」

 事も無げに言う彼女に対して素っ頓狂な声を上げてしまう。いやいやだって学校を爆破するために爆弾を作っていたはずなのにそれが出来ないってここ何日かのボクらの頑張りとは一体なんだったのだろうか。無駄骨じゃないか。

「これはあくまで試作だよ。心配しなくても本番ではきっちり威力の出るものにするから」

 彼女はグッと残っていた紅茶を飲み干して席を立つ。

「それじゃさっそく試してみようか」

 彼女の言葉にボクは重く頷く。

 ボクらのやってきたことが形になる時がきたのだ。

「どこで試す?」

「山に入ろうか」

 ボクらはコートを羽織って二人で秘密基地を出る。

 部室棟を出ると外はすっかり暗くなっていた。空には星も月もなくてうっすらと雲が広がっているのがかろうじて見えた。

 先を行く彼女は大人っぽい茶色のコートを着こなして背筋を伸ばして堂々と歩いていく。対してボクはぶかぶかのサイズの合わない不恰好なコートに着られる様に猫背でずるずると歩く。ただでさえ猫背なのに、今手に持った紙袋の中のブツがボクを余計縮みこませる。

 道端の電灯の光で僕の影が伸びる。真っ直ぐに伸びる長い影。

 歩くたびにゆっくりと揺れる影に対してボクの体は小刻みに震えていた。それは寒さではなく、手の中の重さのせいだ。

「寒いの、マリヤ?」

 振り返って彼女がそう聞く。

 素直に答えるべきか考えているうちに彼女の手がボクの手を掴んで、ギュッと握った。冷たいボクの手と違って彼女の手は暖かい。手を引かれるままにボクは歩く。

「なんで君はそんなに平気な顔をしてるの」

「こう見えても私だって結構ドキドキしてるんだよ、確かめて見る?」

 笑いながら彼女が胸を突き出す。彼女のそんなふざけた態度に少しだけ気が楽になる。首を振って遠慮して、ボクは彼女の手を強く握り返した。

 言葉を交わすことなくボクらは歩いていく。

 やがて電灯の少ない山道へと入ると彼女は基地からもってきたカンテラを空いている手にズンズンと歩いていく。山道は見通しが悪く、舗装も古くて時折つんのめったりしてひやりとしながらドンドン奥の方へと入っていく。

「この辺でいいかな」

 彼女が立ち止まったの道幅の狭いなだらかな坂道だった。左右には古い色あせたガードレールが走り、木々の立ち並ぶ山林と道路に境界を作っていた。

「こんなところで起爆するの?」

 確かに人通りがすくなそうだったけれど道路に痕跡を残したりするのは不味いのではないだろうか。

「いやこのあたりからなら山の方に入れるかなって」

 言うが早いかガードレールに片足をかけて山林の方へと彼女は降り立つ。その視線が向く先には闇が広がっていた。電灯のない完璧な暗闇が奥の方に蠢いている。正直に言うと少し怖い。

「やっぱり帰る?」

「いくよ。ここまできて帰るなんて」

「そう、じゃあ早くいこう」

 彼女と同じようにガードレールを踏み越えてボクも山林へと降り立つ。アスファルトの道路とは違う、土と枯葉の感触を足元に感じる。

 再び手をつないで歩き出す。

 寒さは更に厳しくなって肩を寄せ合うようにして進む。

 時折フクロウの鳴き声が聞こえる。木々が風に揺れる音に胸がざわつく。湿った空気と土と緑の香りは普段の生活であまり感じない異界の匂いだ。その匂いの中、彼女のチョコレートのような甘い香りに少しだけ安心する。

 カンテラの白い光が木々とボクの影を伸ばす。その様がなぜか酷く不気味に見える。

 どれくらい歩いただろうか。時間の感覚はすっかりなくなっていた。彼女が足を止めたのにあわせてボクも足を止めた。

「ここらでいいかな」

 ぐるりと見回して見ても辺りには木々しかない。彼女がここを選んだ理由はボクにはよくわからなかったけど、とりあえず頷いて返しておく。

 握っていた手を離して、変わりに紙袋を渡す。

「すこし手元を照らしておいてもらえる?」

 言われるままにカンテラを受け取ってその手元を照らす。カンテラの明かりを受けて鈍く光沢を放つ銀のパイプを彼女が点検する。やっぱりボクにその作業の意味はわからい、もしかしたら意味なんてないのかもしれない。ただ、胸が張り裂けそうな程の緊張があった。

 ひとしきり確認を終えたあとパイプはそれなりの太さのある倒木の洞へと差し込まれた。もしかしたら彼女はこういったちょうどいい対象を探していたのだろうか?

「それじゃ着火するけど、覚悟はいい?」

「うん、いいよ」

 彼女が胸元のポケットからジッポを取り出す。慣れた手つきで火をつけると長い導線に火が灯り、ジリジリとタバコがその身を灰に変えていくのと似たような、ゆっくりとした動作で燃えていく。

 ボクらは再び手を繋いで走る。暫く走ったあと大きな木の裏へと身を隠し、衝撃に備えて体を丸めてしゃがみこむ。

 十秒が経ち、二十秒が経ち……そうして三十を数えるより早く、その衝撃はやってきた。

 一瞬、視界が白く光った。木々の陰が四方八方に伸びる。次いで、音が来る。形容しがたい、ゲームなどで聞く爆発音とは違う、乾いた、でも重い音。それから木々のざわめきが大きくなって収まる。暖かい風が頬をなでていくのを感じる。ボクの短い髪と彼女の長い髪が数病の間横に靡いた。全てが元に戻り、フクロウの鳴き声が再び聞こえ始めた頃、彼女の伸ばしてきた手につかまってボクはようやく立ち上がる。格好悪い話だけど、腰が抜けていた。

 先程の場所まで二人で戻って見ると、塑像以上の光景がそこには広がっていた。

 四散した倒木の破片が当たりに飛び散り、中には近くの木の幹に刺さっているものまである。辺りに散っていた枯葉も吹き飛ばされ、土の地面はえぐられてむき出しになっている。

 ボクが周囲の惨状に驚いてるのとは対称的に彼女はあたりを見回すと珍しくため息を吐いて、久しく取り出していなかったタバコを咥えて火をつけて、乱暴にうなじのあたりを掻き毟る。夜の冷たい風に乗って、白い煙と甘い香りが広がる。

「やっぱり威力が低いね」

「これで?」

「うちの校舎がいくら古いっていっても強度でいえばこんな枯れ木とは比べ物にならないし、構造的に弱いところを狙うにしてももう少し威力と数がいる」

 難しい顔をしながら爆発の後を暫く観察した彼女は短くなったタバコを携帯灰皿に放り込んでボクに手を差し出す。

「帰ろうか、改良点もわかったし成果はあったよ」

「そう」

 彼女の手を取ってどちらともなく歩き出す。

 カンテラの明かりを頼りにもときた道をボクらは歩いていく。その中身の主たるものが爆発して消え去った紙袋は行きと比べて随分と軽く。なぜか頼りない気持ちになる。ここ数日間手塩にかけて製作してきたそれが、こうもあっさり消えてなくなるとは。

 爆弾なんだから当たり前なんだけど。

 手を繋いでブラブラと夜の森を歩いた。

 ふとボクは昔もこんな気分で夜の道を歩いた事があったことを思い出した。

 いろんな匂いや、騒がしい音、大きく響く爆発音。

 昔から続く旧市街の大きな祭。その花火大会の終わった後の帰り道。その記憶と今の情景が不思議なくらいに合致していた。祭の後のあの静けさと寂しさ。

 もう数年いっていない祭。家から外の喧騒を聞いているだけの、煩い不快な祭。

 子供の頃はあれほど楽しみだったのに、いや、まだ子供なんだけど、なぜ今はもう楽しめなくなってしまったんだろう。何が変わってしまったんだろう。変わらないよう逃げ続けてきたはずだったのに、ボクは知らぬ間に何かに影響されて変わっていく。昔の自分がどんなことを思い、どんな風に過ごしていたのかも忘れて。

 変化から、時間の流れからは逃げられないのだと思うと、ボクはどうしようもなく胸が締め付けられるような、息苦しくなるような、焦燥と絶望が押し寄せてくる。それはここ最近感じることのなかったなじみの感情。

 ボクは彼女の手を無意識に強く握っていた。

 彼女が強く握り返してきて、それで手に力が篭っていたことに気づく。

 一人じゃないことに感謝する。

 一緒に逃避してくれる彼女がいることが心強かった。

 何事もなかったかのようにボクらは山を降りて、漁港のあたりで別れた。

 一人になると急に寒くなったように感じて体が震えた。こんな時間に外に出る事は滅多になかったから少し怖いと思いながら人通りのないシンとした海沿いの道をゆっくりと歩いて帰った。

 暗くて海と空の境のはっきりしない水平線には漁船が光を点して動いていた。星のない空の変わりに黒の中に浮かぶそれはやけに綺麗に見えた。


 翌日は寝不足のまま期末テストを受けた。

 ここのところ勉強をしていなかったから成績はろくなことにならないだろうことは明白だ。でももう気にする必要もなかった。どうせもうすぐ学校を爆破してボクらはこの街からおさらばするのだから、嘘みたいな夢みたいな計画だったけど、たしかに実現に向けてゆっくりと歩は進んでいた。

 テスト期間と言うことで午前だけで放課になる学校にボクらは残って、新たな爆弾の製作に取り掛かった。

 彼女が新しく用意した図面は相変わらずボクには意味がわからなかったけど、ガワだけみても前よりも随分と大きな代物になることはわかった。一抱え程の箱型だ。

 これをとりあえず一か所につき三個、それに予備に三個で計十五個を量産することになった。なかなか大変な量だ。

 資金は二人で出し合った、幸い余りお金を使うことがなくて貯金していたボクの小遣いはそれなりに量があったので製作に関してだけなら何とか工面することができた。問題はその後の逃走のための路銀だ。

 そことを鼻歌交じりに爆弾製作を進める彼女に言うと、上機嫌のまま、自信をもって、「その辺はぬかりないから私にまかせておけばいい」と言って詳しいことは何も言わずにそのまま作業に戻った。

 なぜか酷い胸騒ぎがしたけれど、代価案も出せない現状で詳しいことを聞き出す気にもなれなかった。聞き出そうとしてもどうせ丸め込まれるのが落ちだろうし。

 秘密基地での秘密作戦は秘密裏に進められ、テスト期間中結局ボクは一度も教科書を開くことはなかった。成績なんてもう意味のないものだだけど、目立たないようにボクらは学校にはきちんと出席してこそこそと悪事を働いた。


 最後の教科を追えたその日は、テスト終了祝いということで少しだけ机の上を片付けてお菓子を食べながら雑談なんかをしていた。爆弾の材料やらでただでさえ狭かった基地の内部はさらに狭くなり、やむなく暗幕の範囲を拡大して領地を増やしていたりした。

「テストお疲れ様、どうだった?」

「どうだろ、よくわかんないけど。ろくに勉強してないし酷いんじゃないかな。君は?」

「私は当然自信ありだよ。元々慌ててテスト前に勉強するタイプでもないしね」

 そんな余裕のある返しを出来る彼女を素直に羨ましく思う。

「ああでも、テストの点なんてもうわりとどうでもいいんだけどね」

「間違いないね」

「ボクからするとさっぱりなんだけど、どうなの作業の方は」

「まあ五割ってところかな、後一週間もすれば完成だよ」

 一週間、長いような、短いような。どちらにしろボクは、ボクが決断を下したその結果を見ることになる。

「怖気づいた?」

 首を横に振った。

 怖くないと言えば嘘だ。だからこれは強がりに過ぎない。

 実際にボクはあの試作品の威力だけでも腰を抜かしてしまった。

 あれよりもっと凄いものを十五個。

 もしかしたら巻き込まれて被害に会う人がいるかもしれない、下手したら殺人まで犯してしまうかもしれない。ボクらの勝手な、好き嫌いという単純な理由で街を破壊すると言うこと。怖くないわけがない。

 テロをおこすような人達みたいに目標があればそんな風に思わないのだろうか。

 ボクらには明確な理由なんてない、掲げるべき正義も信念もない。ただの愉快犯。

 ただ、なにか、変わらないかと願っている。

 ずっと抱えてきた矛盾した思い。

 変わりたくないという思いと、彼女のようになりたいという思いと。

 ぐるぐると回り続ける思考を、焦燥を、打ち破ってくれるような何かを期待していた。

 酷く自己中だ。

 取り返しのつかない間違いかもしれない、許されない間違いかもしれない。

 だけど、間違うことを恐れていても、ボクはきっと変わらないまま変わり続けるだろう。

 どこかで決断を下さないといけなかった。

 それが今回のことだった。

 怖くても引き返すことは出来ない。

「いい顔になったねマリヤ」

「君は怖くないの?」

「失敗しても捕まっても別にいいかなって」

 個包装されたクッキーの封を破り口に放り込んで租借してから彼女は続ける。

「そりゃまぁ気に食わない街の何処かが吹っ飛ぶのを見れるのが一番だけど。面白そうだったらなんでもいいかなって思うよ。捕まってもどうせそんなに長くはないだろうし、未成年って得だね。

 まぁ心配しなくても成功するように万全な準備ですすめるよ。私だけじゃなくてマリヤもいるわけだしね」

 なんというか、やっぱりボクと彼女では見ているものが違うんだな。当たり前のことだけど不思議に感じる。そう思うほどボクらは同じ時間を過ごしていた。

 知らないうちに彼女といることが自然になっている。

「成功、させたいね」

「そうだね。そのためにもがんばらないとだ」

 いろんな感情がぐるぐるとお腹の奥の方で蟠って回り続けているのがわかる。それは彼女といると不思議と落ち着いた。着実に、一歩ずつボクらはまだ見ぬ何かへと近づいているはずだった。名前もしらないよくわからない、それでも求めてやまない、何かへ。

 そのはず、なのに。

 何故だろう、どうしようもなく全てを遠く感じる。そんな風に思ってしまうのは。


 期末テストの最終日から一週間たったその日の夕方。ボクらはいつものように基地へとやってきていた。

 この一週間で基地の中は様変わりしていた。

 雑多にあったいろんな物が綺麗に片付いている。

 資材の類は全てなくなり、彼女がやボクが持ち込んでいた娯楽のための漫画や小説も全て撤去され、残っているのはお茶をいれるための道具や机と椅子、暗幕と、十五個のダンボール箱。

 中にはクッションとして詰めた紙類と一抱え程の爆弾が入ったボクらの成果。

「さて、これでとりあえず必要な物は用意できたわけだ」

「で、どうするのこれから」

 ボクが聞くと彼女は爆弾の入った段ボール箱を撫でるようにして触れ、一つを持ち上げてみせる。

「見ての通り、爆弾一つ一つが嵩張るし重量もある。これらの輸送はなかなか骨だろう。大荷物を持って目立つのも避けたいし、設置場所の確実な割り出しもしておかないとその都度探していたんじゃ手間がかかる。そこでちょうど明日休みだし一度下見にいこうと思う」

「下見?」

 爆弾を戻しながら彼女が口を開く。

「旧市街と新市街、それぞれ漁港、学校、新市街のアパート、煙突、それらを見て回って設置場所をはっきりとさせておこう。それに、予備の三個。使う必要がなさそうならこれらの設置場所に相応しい場所もついでに探そう」

「了解」

「集合は午前十時、学校でいいかな?」

「いいけど、必要なものとかは?」

「とくにないかな、ああ、ただ結構外を歩くつもりだから防寒はしっかり」

 頷きながら携帯のスケジュール帳にメモを書いておく。滅多に使わない機能で少しだけ操作に戸惑う。対して彼女は一瞬で操作を終えて携帯をしまった。今度時間があるときにでも携帯の使い方でも聞いて見ようかなんてそんな無駄なことを考える。

 終わりが近づいている。

 終わり?

 いや、違う、始まるんだ。

 逃避行が、もうすぐ。ここではない何処かへいく、きっと楽しい時間が待っている。

「なんで私達こんなことをしてるんだろうね」

 フッと彼女がそんなことを口にした。

「やっぱり怖い?」

「そういうわけじゃないけど、どうせやるならもっと他のことも出来たんじゃないかってさ」

「今更そういうこと言うかな、しかも当の本人が」

 呆れながら携帯をしまうと彼女がクスクスと笑う。

「ほんとにね、辞めるつもりはさらさらないけどもっと面白いこといろいろできたんじゃないかなって」

「やればいいんじゃ? これから、まだ時間はあるでしょ」

 ボクらはどこまでも逃げる。彼女がいればきっとどこまでも行ける。だから時間はいくらでもあるはずだ。

 彼女は一瞬きょとんと驚いたような表情を見せてから、再び笑顔を見せる。

「そうだね、うん。成功したら今度はなにをしようか考えようか。まずは目の前のことをしっかりとだね」

 ボクは盲目的に彼女のことを信じていた。不思議なくらい、偶像のように。




 翌日は快晴だった。

 とはいえ十二月の半ばの気温はお世辞にも暖かいとは言えない。サイズの大きなコートと白い毛玉のついたマフラーで防寒をして見てもなお寒い。高い空で弱々しく輝く太陽にもっとがんばれよと念を送ってみたって何も変わりはしない。

 白い息を吐きながら学校の校門へとたどり着くと既に彼女が待っていた。

 私服姿の彼女を見るのは初めてで、新鮮な驚きがあった。

 学校に着てくるのとは別のフレンチベージュのダッフルコートに白のチュニック、タイトなスカートと正直寒くないの? と問いたくなるような格好だったけど、そう言った着こなしに防寒の観点で口を挟むのは無粋というものだろう。

「きたね、それじゃさっそくいこうか」

 こちらに気づいた彼女はそう言って早速歩き始める。寒さなど微塵も感じさせないあたりはさすがと言うべきか。想像したくないがボクがなんな格好をしたら唇を青くしてガタガタと震えることだろう。

「まずは学校から?」

「うん」

「どのへんか目星はついてるの?」

「ちょっと悩んでるかな。流石に校舎を全倒壊ってのは無理だし、実習棟の方、科学室あたりが狙い目だとおもってるけど」

「それじゃそっちは後回しで教室棟からかな」

「そうだね」

 物騒な話をしながらボクらは校内の敷地をずんずんと進んで行く。

 休日とはいえ快晴ということもあってか活動している部活は多いようだ。この寒いのにグラウンドで走り込みをしている彼らはボクとは別の生き物なんじゃないだろうか。

 そんな光景を横目に教室棟へと入る。

 騒がしいグラウンドとは違いこちらはとても静かだ。文化部も出てくる所は出てきているのだろうけど、大半の活動場所は部室棟か実習棟なので人の姿はない。

 明かりがついていないせいで昼間でも校舎は少し薄暗く、人気がないせいか普段のそれとは違った印象を受ける。ボクらの足音だけが間抜けに廊下に響いている。

 一階から各教室を見て周り、二階、三階、と上がっていく。我が校はそれぞれの階に学年ごとに振り分けられるので滅多なことでは一年は上の階に踏み込むことはない。ボクなんかは特にその典型でこうして三階に上がった回数など片手で事足りるだろう。

「やっぱり教室棟は無理があるかな」

 彼女がそう呟いたのは三階の一番端の教室内でのことだった。

「生徒が常にいる場所だし、無駄なものはないし、構造的にも流石にしっかりしてる」

「そんなもん?」

「そんなもんだね」

 彼女は鼻歌交じりにホワイトボードの前にたつと、マジックを片手に落書きを始める。

 黒のマジック一本で殴り書きされた文字は「ブラックデビル登頂記念」。

「いきなり何してんの、ていうかブラックデビルって何」

「どうせいなくなるし三年に喧嘩売っといても面白いかなって。ブラックデビルはタバコの銘柄。かっこいいじゃん?」

「そのへんは人それぞれだから口出ししないけど、普段吸ってるのがそれ?」

「私が吸ってるのは別物、何、吸ってみたい?」

「いいよ、遠慮しとく」

 結局落書きをそのままに教室棟を後にして実習棟へと向かう。

 教室棟と同じく人影の少ない、角ばった廊下は何処かゲームのダンジョン連想させる。敵がいて、仲間がいて、クエストをこなして、経験値がたまるという面では案外学校という場所はダンジョンと大差ないかもしれない。宝物やお金は得られない欠陥品だけど。

 実習棟も教室棟とそう造りは大差なさそうだった。

 先程と同じように一階から三階まで見て周り、二階の科学室の前まで戻ると彼女は辺りに人がいないのを確認してから鍵をガチャガチャといじり始めた。

「なにやってんの」

「見ての通りピッキング」

「多才すぎない?」

「才能っていうかこういうのは知識とか道具の部類じゃないかなっと、開いた」

 すぐに中へと入り内鍵をかけて一息つく。

 科学室は実験の時に来るくらいだから使うことは少なくて落書きや傷なんかはあまり見当たらない、わりと綺麗な教室だ。ボクがその様子をゆっくりと眺めているのと彼女は科学室の奥、準備室の扉の前で再びガチャガチャと音を立てている。暫くするとその音が止まる。

「逃亡中も君がいればお金には困らなさそうだね」

「頼もしいでしょ」

 悪びれた様子もなくノブに手をかけて彼女は準備室へと足を踏み入れる。ボクもそれに続いて中へと入る。初めて見るそこはボクらの秘密基地に少し似ていた。狭い部屋の中にたくさんの棚や本棚が並び中には薬品やら紙類やらが詰まっている。

「やっぱ狙うならここかな」

「紙も多いしよく燃えそうだね、薬品類はよくわかんないけどなんかやばそうだし」

「職員室の横の倉庫とかも冬用の灯油とかあるし狙い目だけど、こっちの方が何か起きそうでわくわくするよね」

「いい性格してるね、本当に」

 準備室を一通り調べ、それぞれ、薬品棚の下の空きスペース、本棚の上、手前の柱の影にそれぞれ設置位置を決める。狭い部屋だし場所にそれ程こだわる必要もなさそうだったけど。

 準備室、科学室共に鍵をかけなおして学校を出る。時刻は十一時前、相変わらず運動部の面々はがんばって走り続けている。ご苦労なことだ。

「次は漁港?」

「そうだね、あそこはそんな時間かからないだろうけど」

 晴れているとはいえ寒さのせいか道を行く人は少ない。もともと寂れた旧市街の海側で車を使わずに歩く人なんて学生か老人くらいのものだから人と出会うこと事態稀なんだけど。海側の道は風が冷たく磯の匂いが強い。目の前の彼女はしきりにコートのにおいを嗅いでは甘ったるいチョコレートの匂いのコロンを振りまいている。

「そんなに気になる?」

「卸したてのコートが磯臭くなったら三日は寝込めるね。間違いない」

「タバコ臭くなるのはいいの?」

「あれはいい匂いだし。あーでもヤニで汚れるのはきついなぁ」

「タバコやめる選択肢は?」

「ないない、これがないともう落ち着かないし」

 それはもはやニコチン中毒なんじゃないだろうか。この歳でそれじゃあ将来相当なへビィスモーカーになれそうだ。

「一日三本以上は吸わないようにしてるし大丈夫大丈夫」

「いや、基準がわかんないし」

 三本って聞くと多いような気もするけど、どうなんだろう? 生憎とボクの周りにタバコを吸う人は彼女しかいないのでよくわからない。世の中には日に一箱吸う人もいるというしたいしたことないのだろうか。

 防波堤にぶつかり砕ける波を眺めて歩く内に、ガランとした漁港へとたどり着く。港に停泊する船の数を見るに、朝の早い時間か夜にでも来て見たらそれなりに人がいるのかもしれないけど、ボクはここが賑わっているのを見たことがない。街の寂れた部分の象徴とでも言えばいいのか。若者が近づくこともなく、ただただ静かに朽ちていくのを待つだけの場所。

 漁協の建物に近づくとよりいっそう磯の香りは強くなる。寒さのせいかまだ溶け切っていない氷のかけらがそこらにあった。

「あんまり長居したくないしちゃっちゃと決めようか」

 彼女の言葉に黙って頷いて返して建物内をうろうろと歩き回る。

 古い建物であちこちが老朽化していたし、もしかしたら倒壊させられるんじゃないかとボクらは話し合い、建物の端の柱二か所に二対一の割合で爆弾を設置することにきめた。辺りに山と詰まれた網でもかぶせておけばカモフラージュにもなるだろう。

「で、次は?」

「とりあえず新市街に出てから考えようか。時間の問題もあるし」

 早足で漁港を離れようとする彼女に続いて、駅を目指して歩く。今度は海沿いの道を避け山の方の道を通ることにした、彼女はコロンこそ吹かなくなったものの未だにしきりにコートのにおいをきにしている。

 やはりこちらの道も人通りは殆どなく、ろくに人とすれ違うこともないまま駅へと辿り付く。時刻表を見ればちょうどもう五分もしないうちに汽車が入ってくるようだった。

 我が町の駅には一時間に片手で足りる程度の汽車しか止まらない。それも上り下りを合わせてだから不便なことこの上ない。しかも大体は鈍行と急行が十分程度のずれでやってくるため乗り遅れると一時間ちかく暇を持て余すことになる。今回はなかなか運がよかった。

 それぞれ切符を買って改札を出る。当然自動改札なんてないから駅長さんが切符にスタンプを押すのだけど、時間帯によってはいないし、十七時を過ぎれ無人駅とかす。最初から人のいない無人駅も多く、その上車内でもろくに確認をとらないから無賃乗車やキセル乗車が後をたたないのだとか。

 それでも廃線にならないのはひとえにこの町唯一の交通手段だからだろう。バスもあるとはいえこちらは少し割高だし時間もかかる。

 田舎だから自家用車を持つ家が殆どはいえ、免許の取れない学生の登校や、老人の移動手段、主婦が買い物等、定期を買う人も結構な数がいる。

 ホームに入ってきた列車にボクらは乗り込む。ドアは自動では開かないし閉まらない。冬の寒い時期は素早くのって素早く閉めるのがマナーだ。

 昼前のせいか車両内部はガランと空いていた。ボクらは適当なボックス席の対角線上に腰掛ける。特急だから二十分もあれば新市街につく。

 席に着いてすぐ列車は走り始めた。

 不規則に揺れる車体は古くて窓枠には錆びが浮いている。床は掃除はされているんだろうけど長年の汚れや、剥げた塗装までは流石に隠せない。本当に何から何まで古い町。ボクらの生まれる前に出来た、ボクらより上の世代の人達ががんばって築いた未来の町。

 ボクらにとってはもう過去の町。

 窓の外に広がる田園風景が後ろへと流れていく。更に奥には鬱蒼と茂る木々が見て取れる。逆の左手側には遠く海が見える。ボクらが先程までいた、もうすぐボクらの手によって破壊されるであろう漁協が過ぎ去って行く。

 向かいに席で背もたれに深く体を預ける彼女もボクと同じように窓の外を黙って眺めていた。彼女はもうすぐその手で破壊するこの街並みをみて何を思うんだろう。

 ただ、何も言わず二人で外を眺めていた。

 会話がないことは苦痛ではない、基地でも二人揃って本を読んでいることだってしょっちゅうだったし、今は特に話すこともない。

 騒がしく車体が揺れる音を聞いている内に時間は過ぎていく。

 やがて外の景色が少しずつ変わり始める。徐々に緑の自然が減って変わりに灰色の人工物が増えていく。その不自然なグラデーションが嫌いだった。

「もうすぐだね」

 体を起こした彼女が窓を見ながら呟いた。

「そうだね」

「あんまり静かだから寝てるのかと思ったよ」

「君の方こそ」

 他愛のない会話を続けている内に列車はホームへと入って止まった。

 通り過ぎたどの駅とも違う真新しい駅舎が見える。

 それに対して改修工事のされていないホームと歩道橋は古臭くて、そのアンバランスさがなんとも滑稽だ。

 駅員に切符を受け渡してホームを出ると、旧市街とは別物の街が広がっている。駅付近の建物ほど真新しく、遠ざかるほどに古くなっていく。上辺だけの新市街。

 流石に旧市街の旧道と比べると人通りは段違いに多い。同年代の子達やボクらより上の世代も多く、皆足早に過ぎ去っていく。

 駅前の広場の時計を見れば時刻は十三時前。少しお腹が減ってきていた。

「どうする? お昼いく?」

「そうだね、いい時間だしそうしようか」

「コンビにとかでいい?」

 話しながら歩き出したものの彼女がついてこない、振り返ってみれば彼女は口元を押さえて若干体を引いたショックを受けたポーズを大げさに体現している。

「なにやってんの」

「恐ろしい、なんて恐ろしいんだ君は」

 芝居がかった口調で言いながらポーズを崩しよろよろと彼女が歩み寄ってきてボクの両肩をがっしりと掴む。

「マリヤは私の食事する様を衆人の元に晒す羞恥プレイをお望みなんだね。とんだ変態だ」

「わけわかんない、どこいったって他人の目はあるし」

 とりあえず邪魔臭いので彼女の両手を払いのける。

「安っぽいコンビニ飯なんて嫌。せっかく新市街まで来たんだし」

「ああそう、じゃあハンバーガーか丼かファミレスか好きなとこ選びなよ」

「冷凍食品やら作り置きなんてノーセンキュー」

「どうしろってのさ……」

 昼ごはん一つでなんでここまでわがままになれるのか、謎だ。というかだったら最初から自分で提案して欲しい。

「ここから三つ先の通りに新しくカフェが出来たらしいからそこにいこうか」

 ボクの意思が伝わったのか彼女はご機嫌でそんなことを口走った。三つ先の通りなら別に遠くもないし歩くのは構わないのだけど、カフェって、そんなところで食事したことないんだけど。

「お勧めはカボチャのポタージュのプレートとポテトグラタンのプレートらしいから私はポタージュの方ね」

 ボクが口を挟む間も無くカフェでの食事どころかメニューまで決定された。しかもボクの分まで。きっと最初からそこで食事する気だったんだろう。ボクに意見なんて聞くつもりがなかったならとっとと提案してくれればよかったものを。

 正直ボクとしてはもっと気楽な店がよかったんだけど、これほど上機嫌な彼女に水を差す気になれず腕をひかれるままにずるずると連れて行かれる。

 通りを渡ってたどり着いた店はテレビで見るようなおしゃれなカフェだった。レンガ造りの外観に、手入れの行き届いた草花が店先を彩り、オープンテラスには木製のシックなテーブルと椅子が置いてある。

 そうして入り口にはこの手の店にはなぜかかならずあるメニューの書いてある小さな黒板。なにか理由でもあるのだろうか。

 おしゃれであるのは確かだけど周りの風景から少々浮いているのが気になる。店の周りを取り囲むのは寂れた灰色のビルと、いかにも油っこそうな看板を掲げたラーメン屋だ。

 隠れ家的なお店を目指した外観なのかもしれないけど隠れるどころか目立ちまくりだ。

 そんなおしゃれな外観に気圧されているボクのことなど露知らず彼女は堂々と店へと入っていく、ボクもはぐれないようにその後を追う

 入って見れば外の浮きようなど忘れさせてくれるような落ち着いたゆったりとした雰囲気の店だった。柔らかい光の照明と木材の調度品が目に付く。

 ボクが挙動不審に辺りを見回している間に彼女がウェイターさんと言葉を交わしていて、何を話しているんだろうと首をかしげていると、ウェイターさんの後に続いて彼女が歩き出した。ボクも慌ててその背中に追い縋る。

 そうしてボクらは、この寒いのになぜかテラス席に案内されていた。なぜかなんて考えるまでもなく彼女の仕業だった。馬鹿じゃないだろうか。

「ごゆっくりどうぞ」

 ウェイターさんもどことなくぎこちなく去っていく。こんな状態でゆっくりできる程ボクの神経は図太くない。道行く人達もボクらの奇行に目を向けて驚いた表情を見せては通り過ぎていく。

「なんでこの寒いのに通りに面したテラス席で悪目立ちさせられてるのかな」

「近日中に滅ぶであろう景色をこの目に収めておきたいじゃない?」

 彼女は反論は受け付けないとばかりに優雅にメニューを取るとすぐに目を落とす。

 ボクもため息をついてメニューを開いて目を丸くした。

「高くない、ここ?」

 彼女が先程言っていたプレートが両方とも千四百円、ドリンクは別でこちらもちょっと手のかかる物になるとあっさり八百円とかになる。今日はあまりお金を使う気できていなかったので帰りの電車賃を考えるとなかなか手が出ない。

「こんなもんじゃない? 私はポタージュのプレートとオリジナルブレンドにレモンと蜂蜜のチーズケーキにするけどマリヤはどうする?」

 彼女が事も無げにスラスラと唱えた商品の値段は順に千四百、六百、七百五十、計二千七百五十円なり。とてもじゃないが一食の値段とは思えない。ていうかケーキとコーヒーで百五十円しか差がないってどういうことなんだろう。おかわり自由ってわけでもないみたいだし謎すぎる。

 ボクは散々悩んだ挙句お腹にたまりそうなスコーンと一番安いホットミルクを注文した。これでも九百五十円なんだから恐れ入る。スーパーに比べ割高といわれるコンビニでも同じ量を食べようと思ったら三百円でお釣りがくる。恐ろしいことだ。

「ポテトグラタンのプレート頼まないの? 交換楽しみだったのに」

「奢ってくれるなら喜んで食べるけど」

 ボクの言葉を無視して彼女が小さなベルを鳴らしてウェイターさんを呼んで注文を告げる。さすがにこの値段を他人に奢る程余裕はないらしい。

 運ばれてきた料理はどれも美味しそうで、実際、彼女に少しだけ分けてもらったポタージュも自分で頼んだスコーンも大変美味しかった。ただミルクは普通にミルクはだった。ウェイターさんは相変わらず怪訝な顔をしていた。まぁ、こんな席に陣取ってミルクとスコーンじゃね。お昼時だし、もう一人はしっかり食べてるし。これがまたおやつ時に一人とかなら話も別なんだろうけど。

「いや、美味しかったね」

「そうだね」

「景色もちゃんと見てた?」

「まぁ、それなりに」

 視線を空になってしまったお皿から通りの方方へと移す。

 駅前に比べると車の行き来は少ないけど、それでも結構な交通量だ。せっかくのテラス席なのに煩いしもったいないなと思う。やっぱりどんなにお洒落にしてみたってしょせんは田舎のまがい物なんだなって。

 冷たい風に体が震える。

 遠くで車のクラクションの鳴る音が聞こえる。雑踏の音はもう耳に馴染んでいる。

「出ようか」

「そうだね」

 会計をすましてお店を出る。お金に余裕があるときにでもまた彼女のお勧めのポテトグラタンのプレートでも食べにこれたらいいなと思ったけど、そんな時はもうこないことにふっと気づく。だってこの町を爆破してもう戻ってこないんだから。

 何気ない雑踏の風景ももう見る事はないと思うとなんだか少し寂しい気もした。

「それじゃあ、まずは人のいないアパートでも見に行きますか」

 歩き出す彼女の横に並ぶようにボクも踏み出す。

 周りの景色を目に焼き付けるように歩きながら。


 町中を歩き回ってアパートと廃工場の煙突の爆弾の設置場所を決め終わったのは十六時を少し過ぎた頃だった。ボクらは郊外の方から街の中央辺りにある公園へとやってきて一息ついていた。

 緑の多いその公園は中央に池があったり、整備された歩道があったりで割りと利用者は多い。とくにジョギングに来る人々が多く、先程から歩道をかけていく人が結構な数いる。本当に寒いのによくやると感心する。

 池のそばの柵に寄りかかりながら公園の風景を眺めていると飲み物を買いに行っていた彼女が戻ってくる。

「コーヒーでよかったよね?」

「うん」

 暖かい缶を受け取って冷たい手を温める。外を歩き続けていたおかげで体はすっかりと冷えていた。

「ご苦労様、歩き詰めで流石に疲れたね」

「距離が短くなるとはいえ当日はあれもって歩くこと考えると参るよ」

「楽できるようにキャリーケースでも用意しといたほうがいいかもね」

 ふと、再び池の方に視線を巡らせると手漕ぎのボートが一艘いつのまにやら浮いていた。白いそのボートの上には、多分二十歳前後くらいのどっかの雑誌に乗っていそうな格好をした女性と男性が向かい合って腰掛けている。多分おそらくきっとカップルとか恋人とか、そういう関係の二人なんだろう。

 彼女もその二人に気づいたのか、柵に寄りかかってそちらに視線を向けた。

「この寒いのによくボートでデートなんてやる気になったねあの二人」

「それ以前にボクはあんな一昔前の風習が残ってることに驚きだよ」

「新市街なんて言っても中身は古い街だし、新しいのはガワだけだよ」

 フンと彼女が鼻で笑う。

「なんかさなにもかも見せかけだけに見えちゃうことってない? 友達とか、家族とか、先生とか、恋人は、いないからよくわかんないけど、人に限らず、物とか色々さ。

 たまにさ気になっちゃわない? あの人は何考えてるんだろうとか、あの中身は本当は何なんだろうとか、この食べ物は何で出来てるんだろうかとか。中身って結局わかんないじゃない? 自分の中身っていうか、中身にしなくてもそうだけど、一ヵ月後には私の全身の細胞、別の細胞にとってかわってるんだって、じゃあ私って何なんだろう? とかくっだらない事だけど、なんかそういうの考えるとさ、本当この世界ってなんなんだろうって。中身ってどうなってんだろうって思っちゃうわけ」

 早口に捲くし立てるように喋って一息。ボクの手の中のコーヒーを奪って飲み干すと彼女は続ける。

「そういうくだらない悩みってたくさんあるじゃない? なんていうか漠然とした不安とか、たくさんたくさんさ、そういうのって誰にも話せないし話して共感してもらったところでどうしようもないじゃない?

 人って孤独だなーって絶望しちゃいそうになる。

 そうやっていろいろグルグル悩んでるうちに時間は過ぎるし、何も解決しないまま私達は大人になるのかな、大人ってそんなことで悩まないのかな? くだらない悩みにも答えが出せるようになるのかな?」

 彼女はため息を吐いて、柵にもたれかかってカップルの方を見る。

「あのカップルは分かってるのかな互いの事、愛とかわけわからないものの意味とか、私はなんかもう一生わかんない気がするよ」

 彼女は珍しく弱々しい顔をしていた。

 ボクは何も言わなかった。

 共感してもどうしようもないことだから。

 こうしてうじうじ悩んでいるのはきっとボクらだけじゃなくて、皆一緒なんだろうなって思う。そうやってたくさんの人が悩んでみても、だれもその答えにはたどり着けない。ボクらが思っているよりも案外世界っていうのは不完全で、答えの出ないことの方が多い。

 大人ももしかしたら、ただの老いて、昔を忘れた子供でしかないのかもしれない。

 二人でボートの上のカップルを眺めていたら男の人の方が女性に何かを差し出している。ボクの視力の低い目じゃよく見えない。

「あれ、指輪だ、プロポーズかな」

 彼女の目はどうやらそうとういいらしく、そんなことを丁寧に教えてくれた。女性はおずおずとその指輪を受け取って、男性に嵌めてもらったあと、ぎゅっと抱きついていた。幸せそうだった。理不尽かもしれないけど無性にいらいらした。

「幸せそうで羨ましいね。妬ましさの方が三倍ぐらいだけど。あの船ひっくり返って指輪も池の底に落ちちゃわないかな」

 彼女の呪いのぼやきを聞きながらボクも呟く。

「この公園、爆破しようか」

「そうね、予備の爆弾はここで使おうか」

「記念の場所が爆弾で吹っ飛んだらあの二人どう思うだろうね」

「わかんないけど、私達はスカッと出来そうな気がするわ」

 ボートを眺めながらケラケラ笑っているとカップルがボクらの方を見ていた。突然、

「お幸せに!」

 と彼女が叫んでボクの手を引いて走り出した。

 ジョギングコースを走るおじいさんやおばさんを追い抜いてボクらは走った。

 馬鹿みたいに気持ち悪くなるまで走り続けた。

 息が上がって広い公園の隅っこでボクらは仰向けに寝転がった、地面の上に寝転がって服が汚れる事なんて気にする余裕もなくゆっくりと呼吸を整えた。さっきまであんなに寒かったのが嘘のように体が熱い。

 そうして暫くしてまた、二人でケラケラ馬鹿みたいに笑った。

 急にみんな、みんな、馬鹿らしく思えてくる、そんな色んなもの全部、全部吹っ飛ばしてボクらは逃げるのだと思うと、心がとても軽くなる。それは彼女が言った通りにとても面白くて楽しい事のように感じる。今更になって分かった気がした。

 息が整う頃には汗も引いていて、あれほど熱かった体は走り出す以前よりも冷えていた。先程までの奇妙なほどの万能感はどこかへと消え去り、地面に寝転がっているのが恥ずかしくなってくる。

 立ち上がって服の汚れを払う。未だに寝転がっている彼女に手を差し出すと彼女は少しだけ驚いた様子を見せてから僕の手を借りて体を起こす。

「ありがとう、マリヤ」

 嬉しそうに笑いながら彼女がそう言って服についた汚れを払う。真新しいコートはやはりお気に入りなのか特に入念に。そうして放って置かれている長い髪についている汚れはボクが落とす。あらかたそれが終わった時、彼女は小さくくしゃみをして身震いする。

「帰ろうか」

「そうだね」

 ボクらは駅を目指した。そうして暫く歩いてたどり着いた駅で、ちょうど止まっていた比較的新しい銀色の車体の特急に乗ってボクらは旧市街へと帰った。




 終業式の終わった放課後の校内。

 外が静かだろうが騒がしかろうが秘密基地の中ではあまり関係がない。

 ボクはコートの上から毛布を羽織って、コーヒーを飲みながら彼女が来るのを待っていた。

 生徒会の仕事があるとかでかれこれ三十分は待っている。この部屋で三十分待つというのは中々に辛いものがある。寒いし、物を片付けてしまったせいでやることがない。前はここでよく課題を片付けていたけど、もうする必要のないことをやる気にはなれなかった。

 外では雨が降っていて相変わらずカラーコーンの中に水をためている。

 この寒いのにまだ雪が降る気配はなかった。

 雨よりは雪の方がいい。雨は雪よりも寒い気がする。

 コーヒーを飲みながらボーっとしていると、暫くして彼女がやってきた。

「待たせたかな」

「それなりに、紅茶でいい?」

「うん」

 紙コップにティーバッグを入れてポットからお湯を注ぐ。湯気があがるそれを手袋を外して寒そうにしている彼女にさしだす。

「ありがとう」

 ボクも残っていたコーヒーを飲み干して二杯目を入れてから椅子に腰掛ける。

「さて、明日から冬休みなわけだけど、それは些細なことだね」

「まあね、それで?」

 聞き返すと彼女はノートを取り出して机に広げた。そこには綺麗な文字で時刻や地名などが細かく記されている。ボクのミミズが這ったような汚い字とは比べるのも失礼だ。

「早速明日から行動に出よう、人の多い場所は後回しで見つかりにくい所から仕掛けていく。明日は工場の煙突と廃アパート、明後日は学校と港、最後に公園。目立たないように一人一個ずつ、時間をずらして。私が工場と学校を担当するから、君はアパートと港の方をお願い。それでいいかな?」

「いいよ。というかボクじゃ工場と学校の鍵は開けられない」

 頷いて返すと彼女も頷いてノートを指差す。

「運び入れはそれぞれ十一時、十三時、十五時、十七時、十九時、二十一時の時間の列車で交互に。時間はこのノートの通り。午前中の間にその日使う分を家か、駅前のコインロッカーに移動しておくこと。明日は私から、二日目は君から、それぞれ運びいれを始める」

 彼女が説明するたびに指を動かしノートの上の列車の時間を指していく。わざわざ調べて書きとってきたとはご苦労なことだ。

「三日目は?」

「三日目はあとは爆破するだけだし二人で二十一時に三個、全部運び入れよう」

「了解。てことは爆破の実行日は」

「二十五日の零時ちょうど。クリスマス爆発とかネットで大人気になれると思わない?」

 クスクスと笑う彼女にボクは苦笑を返す。

「クリスマスなんて意識してなかったな」

 元々名前のおかげでそんなに好きなイベントでもなかったし、ここ数年、母が年末にまともに家にいることもなかったし、だれかとクリスマスを過ごすこともなかったから、街のイルミネーションなんかを見てもうそんな時期なのかと思うくらいのものだった。

「今年は忘れられないクリスマスにしてあげるよ、私からの特別プレゼントさ」

「悪い子にプレゼントくれるなんてサンタ失格だ」

「袋の中には爆弾しかないサンタに今更なにをいうのさ」

 それもそうだ。あと、タバコも吸うし、お酒も飲む、世のサンタのイメージとは遠くかけ離れている。真っ黒なサンタ衣装でタバコを咥えて、片手にブランデーの瓶、それに爆弾の詰まった袋を担ぐ彼女の姿を想像すると、妙にはまっていて、思わず笑いが漏れる。

「君は笑っているほうがいいね」

「急になに、気持ち悪い」

 笑いが一瞬で引いて寒さとは違った悪寒が走る。唐突に笑顔がいいねなんていわれても正直この人どうしちゃったのとしか思えない。

「思ったことを口に出したまでだよ。君はいつも仏頂面で、つまらなさそうだからさ」

「実際つまらないときはつまらないし、無意味に笑ってても仕方ないし」

「笑う門には福来る。笑ってるほうが周りの受けもいいさ」

「周りなんてどうでもいいし」

 今までもこれからも、周囲なんてどうでもいいことだ。他人に媚びて、自分の主張を殺して、他人によく見てもらう、そんな打算的な行動はめんどくさいし不自然に感じる。それでも嫌われるのは嫌だから渋々と人の頼みには頷いてしまう。だからこんな風にずっと一人なんだろうけど。

「じゃあ、私の為に笑っていてよマリヤ」

 そんな言葉になぜかドキリとする。無性に顔が熱くなる。その言葉尻のボクの名前を呼ぶ声でふざけているのはわかるけど。

「バカじゃない?」

 クスクスと彼女が笑う声だけが耳に響く。目を合わせたら動揺が伝わってしまう気がしてボクは視線を下げて手の中のコーヒーの入ったコップを見つめていた。

 そうして、ボクらの最後の登校日は終わりを告げた。




 翌日。ボクは予定通り午前九時に爆弾を運び出すために秘密基地へと出向き、バッタリと彼女と遭遇した。

「やぁマリヤ」

「おはよう」

 ボクと同じように彼女も私服姿だったけれど、先日着ていたコートではなく地味な茶色のコートを着ていた。目立たないようにという配慮のためだろうか。普段は背中にたらしている髪の毛も編み上げてニット帽の中へとしまっているようだ。

「昨日はよく眠れた?」

「遠足前日の子供じゃないんだからさ」

「頼もしいね、私は興奮してろくに眠れなかったというのに」

 互いにわかりやすい嘘をついたものだと思う。本当はボクは緊張して眠れなかった。目の下にはくっきりとクマができているし。おかげで体が少しだるい。対して彼女はボクのことをフォローしたのかはたまたからかっているだけなのか、血色もよく、いかにも健康そうだ。

 まぁおかげで、緊張が多少ほぐれたのはたしかだ。

「手順は頭に入ってるね?」

「大丈夫」

 彼女の言葉に自信をもって強く頷き返す。彼女もボクの返事に満足気に頷く。

「気をつけてねマリヤ」

「君もね」

 彼女は手を振るとキャリーケースを引いて部室棟を出て行った。ボクも持参した空のスポーツバッグに三つの爆弾を詰め、人がいないのを確認して部室棟を出る。肩に食い込む爆弾の重さは予想以上で、歩き方が不審になっていないか気にかかる。こんな状態で誰かに話しかけられたらどうしようかと、気が気ではない。

 かといって駆け足になるのも変に目立つし、肩にその重さをしっかりと感じながらボクは家まで爆弾を運んだ。


 気の休まらない時間を過ごしながら予定時刻の十三時を迎えて爆弾一つをスポーツバッグの中に忍ばせてボクは家を出た。もう慣れてしまったのか思ったほど緊張はない。ただ、一つでも爆弾の重量はそれなりにあって、肩にズッシリとその重さを感じる。

 ずっとどこかふわふわとしていたボクの世界の中、その重さは確かにしっかりと感じられた。この感触を忘れることは、多分ないだろう。

 駅につくとちょうど列車が入ってきた。長く駅に留まると目立つと思って時間を調整したかいがあった。そのまま切符を買って新市街行きの上り列車へと乗り込む。一人で出かけるのは本当に久しぶりで、ふと、隣に彼女がいないことを寂しく感じる。そんなに長く一緒にいたわけでもないし、まだボクは彼女の名前だって知らないのに。それなのにボクにとって彼女はいつの間にか近しい存在になっていた。

 それは単に、他に時間を共有した人がいないという、消去法の末だったのかもしれないけど。

 彼女にとってはどうなんだろう。彼女にとってボクはどんな存在なんだろう。

 弱みを握り合う者どうし、共犯者、ただの都合のいい相手、友人、わからない、わからないけれど、ただ、彼女もボクのように、ボクのことを近しい存在だと思っていてくれたら嬉しい。聞くことはないし、彼女から喋ることもないだろうけど、ただそうだったらいいなと漠然と思う。

 ボーっと眺めていたボックス席の対面から窓の方へと視線を移すと、もう新市街まであと一駅だった。ボクはスポーツバックの重さを確認して、列車が止まるのをまった。

 暖かい列車から駅に降り立ち、白く濁る吐息に辟易とする。

 天気予報ではもう当分晴れと雨のマークが交互に続いている。今年はもう雪を見る事はないかもしれない。

 ホームから出れば、すっかりとクリスマスムードに染まる新市街の街並みが目に入ってくる。道行く人の足取りもどこか軽い気がする。

 バッグの重さに普段よりいっそう前のめりになりそうな体を起こして、背筋を伸ばす。少しでも目立たないようにと、前を向いて歩く。

 アパート付近までバスにのってもいいのだけれど、交通経路も別々にしたほうがいいのではないかと考えていた。人通りに紛れやすいこの時間は歩き、次にバスで、夜は服を着替えて人目につかない道を歩いて行くつもりだ。

 人の流れに乗るように歩くこと三十分近く。人気の少ない郊外のアパートにようやくたどり着いた。高い灰色の壁みたいなその建物はもうすっかり寂れていて、下層の窓ガラスは殆ど存在していない。

 漫画とかならこういうところには不良の巣窟になってたりするのかもしれないけど、生憎と、ボクらの街がいくら古ぼけていようともそんな人種は存在していなかった。古臭い、狭い土地だから悪事はすぐに広まるし、盗んだバイクで走るための道もない。

 周りに人がいないことを確認してアパートへ忍び込む。

 こういう場所には埃がこんもりと積もっていて進入すると痕跡があっさりと残るものだと思っていたのだけれど、案外、そんなことはなくてコンクリートの地面がはっきりと見えている。下見にきたときも少し驚いたけど、人がいない所は案外そんなものなんだと彼女が語っていた。

 今時考えられないような急な階段を息を切らして上って三階の端の一室に爆弾をセットする。セットなんていうと聞こえはいいけど単にその場に置いてスイッチを入れるだけだ。時間の設定とかそう言うのは既に彼女が済ませてくれている。

 こんな手伝い程度のことしか出来ていないことがなんとなく情けない。

 きちんとタイマーが動作しているのを確認してアパートを後にして駅まで戻る。これで一回目の分は終了だ。

 中身のなくなったスポーツバッグはやけに軽くて、弛緩しているボクの心を映す鏡のようだった。


 この時ボクが気づいていたら。

 もしかしたら。


 十七時のぶんも無事に終わらせたボクは二十一時の列車に揺られ、三度新市街を訪れていた。

 流石に重い物を持って歩いたりしたおかげでそれなりに疲れた、終わったらとっとと引き上げよう。

 この時間に新市街に来るのは初めてのことで、明るくネオンの輝く街並みを見てほんの少し綺麗だなと思う。大嫌いな灰色の街並みは闇に溶けて、白く綺麗な建物達だけが色とりどりの輝きを受けて浮かび上がっている。初めて目にする夜の街の光景。

 旧市街ではこの時間になるともはや辺りは真っ暗で、時折民家の明かりが漏れているくらいのもので、僅かな距離の間にこれだけの差異があることに改めて驚きを感じた。

 この時間にもうバスがないのはわかっていたし、当初の予定通り郊外を目指して歩き始める。

 こんな時間に出歩いて補導されるでのはないかと多少怯えながらも、歩く。肩に食い込むバッグの重さに顔をしかめ、時たまスポーツバッグの掛ける肩を変え目的地へと向かう。

 まだ深夜には遠いとはいえ思ったより人の通りは多く、ボクとそれほど歳の差がなさそうな子達もちらほらと見て取れた。

 そんな子達はボクと違って、ダサい着古したコートじゃなくて、派手な可愛らしい服を着ていたり、ヒールの高い歩きにくそうなおしゃれな靴だったり、薄かったり、濃かったりのメイクをしている。そしてなにより、複数人で群れていた。彼らのはしゃぐ声は甲高く夜の街の雑踏の中に消えていく。

 吐く息がネオンの光を受けて七色に変わる。夜はいっそう冷え込む。

 徐々に通りから外れ、光の届かない暗い道を選んで歩いていく。土地勘はもう殆ど掴んでいる。

 わざわざ目立たないように黒いコートを着込んできたのは用心のためだったけど、辺りに人の気配はまったくなかった。

 あれほど騒がしかった場所からそれほど離れたわけでもないのに、どこかで別の世界への境界を踏み越えてしまったかのように、あたりはしんと静かで、暗く、自分の不気味な足音がやけに耳についた。

 歩いて歩いて、時折後ろを振り返ったり、何もない足元の暗闇に怯えながらボクはアパートへとたどり着いた。

 夕方訪れたときも少し不気味に思ったけれど、さすがにこの時間になると迫力が違った。いかにも何か出そうな雰囲気がある。

 自慢じゃないけどボクは霊とかそういった類の話が苦手だ。存在するわけがないと頭ではわかっていても、薄気味悪さや、不安、恐怖は消えない。それは霊とかそういったものではなく根源的な闇への恐怖なのかもしれない。

 携帯のライトをつけてアパートの中へと入る。階段に響く足音が恐怖を煽る。

 三階に上がって、一番奥の部屋へ入る。割れた窓から入りこむ風が冷たい。

 早く終わらせて帰ろう。終電を逃したら明日に関わる。

 バッグから取り出した爆弾を部屋の隅に置いてスイッチを入れる。赤い、いかにも爆弾ですといった風情のデジタルの表示がきちんと作動しているのを確認して、早くこの場を立ち去ろうと腰を上げようとした瞬間、ポンと肩に重さを感じた。

 悲鳴が上がらなかったのは幸か不幸か。

 今、ボクの肩に手を置いているのは、いったい。

 もし人だったら、爆弾の設置現場を見られてしまった。当然不味い。

 もし幽霊だったら、完全に憑かれた、不味い。

 どっちみち詰んでいた。

 喉がカラカラに渇いている。全身が寒さとは違う何かに震えていた。自分の唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえる。

 振り返るべきか、否か。

 そうしてボクが固まって迷っていると、後ろから声が聞こえた。

「何をしてる?」

 おどろおどろしい恐怖を喚起するような、湿った女の声ではなかった。軽い、男だとわかる低い声だった。少しだけホッとした。

 ゆっくりと振り返って携帯のライトを当てて見ると彼は眩しそうに目を細めた。長身の男だ。百八十はありそうだけど、年齢は……よくわからない。

 髪の毛がぼさぼさで肩位まで長さがある。髭も剃っていないのか口から顎にかけて立派に伸びている。黒ぶちのメガネのレンズはなぜか片方がひびが入っている。

 服装もみすぼらしく、ボロボロの布切れのようなシャツを重ね着した上からコートを羽織っているようだった。

 下も似たような物で合羽のズボンのようなものをはいている、靴にかんしては指が全部見えていてもう靴というかサンダルに近いんじゃないかという見た目になっている。肩にはなぜかこれだけ間新しいスポーツバッグをかけていた。

 どう見ても不審者だった。

 もう一度男が口を開く。

「何をしてるんだ?」

 どうする、どうすればいい?

 走って逃げる? でもそしたら爆弾はどうなる?

 じゃあこの人を黙らせる? いったいどうやって? 体格が違いすぎて力じゃ適わないのは目に見えている。

 おとなしく事情を話す? それで、どうなる? 突き出されるだけじゃない?

 とにかく、彼女のことだけは知られないようにしないといけない。

 ぎゅっと拳を握って男を見据えた。

 その瞬間、再びボクの肩にポンと手が置かれた。

 驚いて後ろを向くと、

 彼女が、いた。

 どうして、と言葉が漏れるより先に彼女が後ろを指差す、割れた窓の外、白いカーテンのような布でできた即席のロープが伸びていた。そうして彼女は不適に笑って見せてボクの前、男と対峙するように立った。

「何か御用?」

 彼女が聞くと男は少し怪訝な表情を見せて、それから言葉を返す。

「こんな時間に一人で何をしてるのかと思ってな」

「そういうおじさんこそ、こんな場所でそんな格好でなにしてるの?」

 男は聞かれてあごひげをジョリジョリいわせながら答えを返す。

「信じてもらえるかわからんが、ホームレスの研究してるんだ。こういう暮らしをする人間の心境とか、そういうの調べるためにな、これ学生証」

 男が差し出したそれを彼女が受け取る。ボクも後ろからその学生証を照らしながら覗き見る。

 それはたしかにこの近くの大学の学生証で、写真に写っているのは同じメガネをかけた男性だが、髭の長さも髪の長さも随分と短く判別は難しい。一応納得はしておくことにする。

「で、俺は質問に答えたわけだけど。ちゃんと話してくれると思っていいのかな」

「そっちが勝手に喋ったんでしょべらべらと」

「なんなら俺はその怪しいとタイマーのついた落し物をこれから交番にもっていってもいいんだが?」

「それなら私はこの生徒手帳をもってこの男に襲われたって駆け込んでもいいんだけど」

 男の方は面白い物を見るような眼でこちらを見ている、対して彼女は普段は見せない表情をしていた。苛立ちを隠そうともしない、あからさまに不機嫌な顔。

 何かあれば今にも飛び掛りそうだ。たとえ飛び掛ったとして、いくら彼女の運動神経がいいといっても、大の男にはとても適うものではないだろう、それはボクが加勢しても同じはずだ、どころか、足を引っ張りかねない。

 このままつっかかっていってもしかたがない。余裕を見せている彼が歩み寄ってくれはしないかとボクは行動を起すことにした。彼女の手から学生証を奪いとり、それを彼の方へと差し出す。

「素直に、話します。変わりに他言しないと誓ってくれますか? この学生証も返します」

 ボクがそう言うと彼女は不機嫌そうに睨んでくるものの、何も言わずに一歩下がる。

 男の方は、今度は驚いたような表情を見せた後、やはりなにか見世物を見るときのような、好奇と期待を浮かべた瞳でボクのことをみつめた。

「わかった、約束しよう」

 短くそう言って彼はバッグの中を漁り、

「よかったらどうだい?」

 携帯食糧のパッケージを一人ぶん取り出した。

 その笑顔は人懐っこく、嘘偽りのない純粋なものに見えた。


 ホームレスの研究をしているといった彼は原寺都と名乗った。学生証にもその通りの名前が書かれている。変わった名前だった。

 ボクも正直嫌だったけれど自分の名前、安部万理也を名乗ると、案の定思い切り食いつかれた。変わった名前だとか、苦労しなかったとか。

 彼も自らの名前にそれなりに苦労してきたのだろうか。

 珍名という共通項のおかげか、最初から妙に話しがあった。

 一方彼女は不機嫌そうに一人少し離れた位置に座りこちらを伺っていた。

 時折ぼそぼそと、「絶対怪しい」とか「そのメイトには薬がもられている」だとか聞こえてきたが、原寺さんは気にした様子もなくもしゃもしゃと水分を取ることもなく携帯食糧を食べていた。ボクは一本で口の中の水分を持っていかれてギブアップした。

 そうしてボクは原寺さんに全てを話した。大人とこうして真面目に話すことなんて滅多になくて、ボクはどう話していいものかわからず、つっかえたり、噛んだり、黙り込んだりしながら、たどたどしくもなんとか事情を語り終えた。

 その間ずっと彼は笑いもせず真剣に話を聞いていてくれていた、そのことがとても嬉しかった。

「なるほど、爆弾ね」

 話を聞き終えて彼は部屋の隅でちかちかと赤い数字を点滅させる爆弾を眺める。ボクもちらりとそちらを見て、それから再び彼の方を向いて尋ねる。

「黙っていてもらえますか?」

 そう聞くと、彼は右手を顎にやって髭を弄ぶ、どうやらものを考えるときの癖らしい。数秒ほどその動作を続けた後彼は一つ頷いてから答えを返した。

「いいだろう、ただし、条件がある」

「なんですか?」

 お金なんていわれたらボクらにはどうしようもない。そんなに無茶なことは多分言われないとは思うけど。

 なんとなくだけどボクはこの短時間で彼のことを信用していた。間違いなく変な人だけど、悪い人ではない気がした。年齢でいえば大人だけど、彼からはなんとなく、ボクらと同じにおいがする気がしたのだ。子供特有のどこか浮ついた、落ち着かない空気のにおい。それを微かにだけど感じ取っていた。

「俺もその話、一枚噛ませてくれないか」

 告げられた条件は意外なものだった。

 ボクは戸惑いながら聞き返す。

「つまり、どういう?」

「俺も爆弾の設置の現場に居合わせさせてくれないか。それで、この町をフッとばす計画の手伝いをさせてほしい。こんななりだけど車もあるし明日、明後日の足に使ってもらって構わない。悪くない条件だと思うんだが」

「いや、それはそうですけど。でも、何で?」

 疑問に思って聞くと彼は再び顎に手をやって、暫く髭を撫でた後、ゆっくりと語りだす。

「俺もあんまりこの街は好きじゃないからな、高校を出たら他県の大学に行くつもりだったんだけが、親父の許しが出なかった。家は古い酒屋で他に子供いないから親父はどうしても俺に家業をつがせたいらしい。こうして今やってるホームレスの研究だってこの先に役に立ちはしない。お遊びの大学生活だ。自立して何とかしてやろうと思ったこともなかったわけじゃないが、二十歳超えても案外ままならんもんさ、誰の助けも借りずに一人立ちなんてことは俺にはできなかった」

 そこで彼は一度言葉を切って、我武者羅に残っていた携帯食糧を貪った。

「結局俺は古い決まりには勝てない、だけどこのままずっと言いなりでいるつもりだってない。俺にだってなにか壊す力くらいあるんじゃないかって、思いたいのさ」

 それは子供の言葉だった。大人の真面目な言葉ではない、我がままで自分勝手なだけの言葉。ボクが彼から感じていたそのにおいの正体。

 ボクはちらりと彼女の方を見る。

 彼女は嫌そうな顔をしてそれでも、渋々と頷いてくれた。

 思えばこの互いにけん制する構図はボクと彼女の関係に似ている気がした。そうしてこれから共犯者になるということに関しても。

「よろしくお願いします、原寺さん」

「ああこちらこそよろしく頼む」

 差し出された彼の手を、おずおずと握る。

 大きな暖かい手。彼女のものとは違う、ごつごつとした男の手。

 彼女はその様子をつまらなさそうに見て、ふいと首を横に振った。

 彼女のかわりにボクが頭を下げると、彼は少し困ったような顔をしながら、顎鬚を撫でた。


「話しこんだせいでもう終電もないし送っていく」

 そう言って原寺さんは車を取りにいき、残されたボクらはアパートの前で二人で彼の帰りを待っていた。

 相変わらず彼女は不機嫌なむっとした表情のまま足元を睨んでいる。

 彼女と二人でいる間、無言は苦ではないはずだったのに今は凄く気まずい。

 何かかける言葉を探して、それを口に出そうとして、結局何も言えず、また言葉を探す。

 どうやってボクが不味い状況であることを知ったのかとか、どうやって助けにきてくれたのかとか、助けに来てくれて嬉しかったこととか、聞きたいこととか、言いたいこととかたくさんあるのに、ボクは何も言葉にできないでいた。

 深夜の外気は冷たく肌を刺す。

 微かに香る甘い香りが彼女がそばにいることを言外に主張してくる。

 それが居た堪れないボクの気持ちをさらにざわつかせる。

 薄い、今にも割れてしまいそうな氷のような静寂を彼女の声が破る。

「マリヤ」

 ボクは顔を上げて彼女の方を見る。

 相変わらず彼女は地面を眺めていたけど。

「私は何があってもマリヤの味方だから」

 小さく彼女はそう言う。

「何があってもずっと、味方だから。忘れないでね」

 ボクはその言葉に少し、照れるように赤くなりながら、

「うん」

 そう返すので精一杯だった。

 ボクからも何か言ったほうがいいんじゃないかと思ったけど相変わらず言葉は出てこなかった。

 変わりに近づいて彼女の手をとった。

 柔らかで暖かい、女の子の手。原寺さんとは違う、優しい、安らぎをくれる手。

 彼女が握りかえしてきた手をボクも答えを返すようによりいっそう強い力で握り返す。

 言葉もなく、目を合わせる事もなく、ただ、ボクらは静かに時間を共有していた。月光だけが照らす暗闇は、あの秘密基地の薄暗さに似ていた。

 そうしてボクらが待っているとやがて、一台の車のヘッドライトが道を照らして近づいてきた。眩しいその光から現れたのは赤いスポーツカーだった。

 ボクは車に詳しくないのでよくわからないけどとりあえず派手な車だなぁとポカンとしていた。彼女の方も同様に呆れたような顔でその赤い車を眺めている。

 運転席から出てきた原寺さんは相変わらずの不審者っぷりで車とのアンバランスさから盗難車とその窃盗犯にしか見えない。

「待たせたな。狭いけど乗ってくれ」

 そう言って彼は助手席のドアを開ける。いかにも後部座席は狭そうだし、それが当然だけど、ボクはあえてその提案を断る。

「後部座席でもいいですか?」

 そう聞くと彼は少し不思議そうにしながらもすぐに合点がいったように、後ろの席のドアを開けた。

「どうぞ」

 促されてボクらは狭い狭い後部座席に二人で腰掛ける。頭は天井にすれすれ、足元も狭くてひざの上に抱えるようにバッグを置く。それでも手は繋いでいた。

 原寺さんが運転席に腰をかけ、エンジンを入れたところで彼女が疑問を投げかける。

「なに、あんたボンボンのぼっちゃん?」

「まぁな、古い家ってのはこの辺じゃそれだけで力になる」

「それなのに不満があるの?」

「不満だらけだよ。金があっても俺の自由になるわけじゃない。いいことなんてなにもないさ」

「この趣味の悪い車は?」

「俺の趣味じゃない、親父が男なら好きだろうって無理やり押し付けたんだ。そりゃ車があったほうが田舎は何かと便利だが、こんな不便な車あってもしかたないだろ。俺は車より自由が欲しかったね」

「臭い」

「ほっとけ」

 言い終えて原寺さんがアクセルを踏み込む。散々文句をいった割に運転し慣れているのか、静かで振動のない、ゆっくりとした発進だった。

 暗い道を原寺さんは凄いスピードで走っていく。ライトが照らす狭い範囲ではボクはろくに道を確認できないでいるのに迷うことなくスイスイと車は進む。

 他に走っている車は殆どなくて、道はよく空いていた。

 時折見かけるのは大型の貨物トラックとタクシーくらいで普通の乗用車は姿形もない。

 真っ暗な通りの少ない道、時折見える前を走る車のテールランプはぼぅと浮かび上がる人魂のようだ。

「まさか、明日もこの車で来ようなんて考えじゃないでしょうね?」

 家までの道のりを半分ほど過ぎた頃彼女が言う。

「んなわけないだろ、こんな目立つ車平時でも乗りたくないってのに。明日は家の軽でいくさ」

「ならいいけど」

 車は静かに走っていく。夜の街をライトで切り裂くように。

 やがて学校の近くまできた所で、

「ここでいい」

 と、彼女が告げた。原寺さんがその言葉に従って車を止める。

 先に車を降りた彼女がボクに手を差し伸べてくる、その手を借りて、狭い車内から何とか這い出る。

「今日はありがとうございました」

「なにいいってことさ、明日は漁港の前に集合でいいんだな?」

「はい」

「了解、それじゃ気をつけてな」

 軽く手を上げて別れを告げる原寺さんにもう一度頭を下げてからドアを閉める。すぐに車は動き出して、あっと言う間に視界から消えてしまう。振り返ると彼女が歩き始める。少しだけ駆けてその横に並んで歩く。

 夜中の旧市街は真っ暗で明かりは時折建つ街頭しかない。あとは頼りない月明かりと、点滅する赤い信号のランプだけ。

 まるで町が丸ごと一つ死んでしまったかのような、そんな錯覚すら覚えそうなほどに町は静かで、動くものの気配もない。一つきりの足音を耳に聞きながら、街灯の光を受け真っ直ぐに伸びる自分の影を踏みしめるように、一歩ずつ歩いていく。

 漁港の前まで来たところで彼女が立ち止まる。ボクもそこで足を止めた。

 振り返った彼女がボクの方を見て、困ったような表情をしてうなじの辺りを掻いている。暫く言葉もないまま時間が過ぎる。どれくらい波の音を聞いていただろうか。彼女が波音を掻き消すようにボクの名前を呼んだ。

「マリヤ」

「何?」

 聞き返してもすぐには答えは返ってこなかった。彼女はまだ迷うように視線をさ迷わせて、続く言葉を言うべきか、言わざるべきか、考えているようだった。その弱々しい迷いを見せる態度は普段の彼女からは想像も出来ない、普通の同年代の女の子そのものの態度だった。

「あまり、あの人と一緒にいないで」

「なんで?」

「上手く言えないけど、嫌な感じがするの」

 そんな風に彼女が根拠なく他人を否定するのはなんだか、違う気がした。それは、まぁ、初対面でこれほどあっさり信用してしまっているボクもボクなんだけど、それでも原寺さんはボクらをどうにでも出来るチャンスはいくらでもあったのにそれをしなかった。

 信用は出来なくともそこまで頑なに否定する理由がボクにはわからなかった。それにキチンとした理由を挙げられない彼女のこともらしくないと、そう思ってしまう。

 それが、つい、言葉に出てしまう。

「どうしたの、そんなに意固地になって、らしくない」

「……らしくない?」

 呟くように言葉を漏らした彼女の顔は、まるで今まさに天上にある月のように青ざめていた。ボクはそれで、とんでもない失言をしたのだと言うことに遅まきながら気づいた。

「らしくないって、それは君の抱いた像を勝手に私に押し付けただけだろう? 一体、君が私の何を知っているっていうんだ?」

 何も言い返せなかった。

 だってその通りだ。

 ボクは何も知らない。

 彼女の名前すらも。

 ボクは彼女に対して幻想を抱いて、それを押し付けるばかりで。

 何一つ彼女のことを知ろうともしていなかったのだから。

 唇を噛んで、ただ下を向いた。

 ボクはまた、どうしようもない目の前の事態から逃げることを選んだ。

 黙して、ただ時間が過ぎて、問題が解決するのを待っていた。

 そうして、それほど、時間が経つ前に問題は解決した。

「ごめん」

 彼女の謝罪の言葉。

 何故謝られたのかわからない。

 ボクも謝るべきなんだろうか。

 わからない。

 だからやっぱり黙して、答えが出るのを待った。

「でもやっぱり、あまりあの人と関わらないほうがいいと思う」

 彼女はそう言うと踵を返して背を向けた。

「ごめん、上手く言葉に出来ない。また明日」

 彼女はそう言って歩いていく。

 ボクはその小さな背中をただ見つめていた。

 闇の中にその姿が消えても。

 掛けるべき言葉があったのではないかと、今更ながらに、ずっと考えながら。

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