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桜、桜

 なんだか奇妙な関係だった。咲子はできうる限り仕事を定時できりあげるようにし――選考会や登録会がある時はしかたないとしても――なるべく早く帰ってくるようになった。

 営業職の貴也は直帰できる時以外は、基本的に帰りは遅い。

 それでも、二人そろって早く帰ってこられた時はどちらからともなく声をかけあって、伊達家のガレージに集まるようになっていた。


 週末は、バイクに二人乗りで出かけ――周一が見て回りたいといった景色をあちこち見学に行っている。

 まだ雪が溶けていないから、山の方は行けないが、何度も海を眺めに行った。


 一月ほど過ぎて、桜の花が咲き始めているその夜も、三人はガレージに集まっていた。

「でもさ、それって社会人としては通る道なんじゃないの? いちいちへこんでたら始まらないよ」

 バイクによりかかって、周一は言う。

「わかってるけどー」

 缶ビールをぐびりとあおって、咲子は返す。

「たかちゃんは、どう思う?」

「にーちゃんの言うとおり」

 貴也はチーズを手にのばす。

「たかちゃんは、いっつもそれだー」

 むくれた咲子は少し酔いが回り始めている。ほどほどにしておかないと明日二日酔いで出勤することになりそうだ。


「貴也、さきちゃんに水」

 タイミングよく周一の指示で水が出てくる。ミネラルウォーターのペットボトルに直接口をつけて、咲子は中身を喉に流し込んだ。

 不思議な時間だった。亡くなったはずの周一と、時をこえて再会し、あの頃はできなかったような会話をかわしている。


「そういや野川でライトアップしてるんだって?」

 バイクによりかかっている周一が言う。

「ああ、あの桜のとこね。今年はやるかどうかずいぶん迷っていたみたいだけど……確か明日、だったかな」

 国領駅から歩いて十数分。閑静な住宅街を流れている野川の左右には、桜の花が植えられている一角があった。

 地元企業が、年に一日だけその桜の木をライトアップしてくれるのだ。

 その夜は、川の両側を多数の人が行き交い、自治会の人や警察官が交通整理をしなければならないほどだ。


「桜、か。いいな」

 ぼそりと周一が言った。

「行ってみる?」

 咲子の言葉に、貴也は考え込む。

「あそこ毎年混むんだろ――? バイクとめるところはないだろうなあ」

「十メートル、だもんね」

 周一と咲子と貴也の三人がバイクの十メートルにいない限り、周一は姿を現すことはできない。


「じゃあ、多摩川の方は? 住宅側ならバイクとめるところもあるだろうし――撮影所前も桜咲いてなかったっけ?」

 調布市内にはいくつかの団地があるが、その中でも多摩川の近くにある多摩川住宅近辺は、春になると満開の桜でその土手が彩られる。

 映画の撮影所の前も、多摩川の土手沿いに桜が咲いているのだ。


「んー、じゃあバイクとめるなら多摩川沿いだな。野川の方は諦めるか」

 貴也は、顎に手をあてて考え込む。

「週末まで桜持つといいんだけどなぁ」

「大丈夫じゃないかな?」

 咲子は、携帯電話で週間天気を確認する。週末までいい天気が続きそうだ。盛りは過ぎてしまうかもしれないが、花見はできるだろう。


 翌日、咲子は定時を少し過ぎたところであがった。新宿駅まで急ぎ足に歩いていると、携帯電話にメールが届く。

『今日、早く帰れるか?』

 貴也からだった。

『今から帰る』

『国領で待ってる』

 その文面に困惑しながら、咲子は京王線のホームに入った。ずらりと並んで乗車を待つ乗客の列に加わる。


 国領で待ってるってまさか――。

 咲子が改札を出るのと同時に、貴也の長身が近づいてくる。

「何? 何があったの?」

「いや、何でもない」

 当たり前のように貴也の手は、咲子の指を捕らえていた。


 同じ方向に向かって、ぞろぞろと人が歩いている。踏切を越え、甲州街道を越えて住宅街の中に入る。その向こうにひときわ混んでいる場所があった。

「ねえ――」

 咲子の声にもかまわず、貴也はその人混みの中に踏み入れていく。


「ほら、上」

 人混みに入ったとたん、二人の歩みは遅くなった。周囲の人たちはカメラや携帯電話を構えては、ぱちぱちと夜空に浮かび上がる桜の姿をカメラにおさめている。

「……周一さん、来られないのに」

「にーちゃんが行ってこいって言ったんだよ。生きている人間は楽しんだ方がいいってさ」

 貴也の言葉に、咲子は言葉を失った。


 よく晴れた夜空に、桜の花が美しく浮かんでいる。妖艶な花の色に咲子は目を奪われる。

「じゃあ、せめて写真だけでも撮ろうかな」

 二人はいい場所を見つけては、携帯電話を構えた。

「立ち止まらないでください」

「足下に注意して進んでください」

 会場の警備にあたっている警官たちが声をあげる。


「……遅くなるって言わなかった」

 今日は定時上がりだと言っておいたから、咲子の分も夕食は用意されているはずだ。今日、典子と祐子の二人も野川の桜を見に来ているはずだけれど。

「大丈夫、食って帰るって連絡しておいた」

「ああ、そうなんだ」

 なんて手回しがいいんだろう。

 咲子より先に母親に連絡しておくなんて。このくらい気が回らないと、営業職はつとまらないのだろうか。


 ぐるりと一周して、国領駅に戻ってきた頃にはさすがに少々疲れを感じていた。

「おなかすいた」

 駅近辺にはファミリーレストランが何軒かある。駅に面した建物にはそのほかの飲食店もあるし、食べる場所には困らない。

「いや、今日はこっち」

 貴也が咲子を連れていったのは、駅前に建つ小さなビルの一つだった。


「こんな店があるなんて知らなかった」

 ぐるりと回る狭い階段をあがっていくと、雰囲気のいい小さなバーに着いた。入り口そのものが目立たないし、けして入りやすい雰囲気ではない。

「いらっしゃい。お久しぶり」

 カウンターに入っていたのは、この店のマスターだろう。恰幅のいい中年男性で、少し強面のせいか任侠映画に出てきそうな雰囲気を漂わせている。


 貴也が選んだのは、駅を見下ろせる窓際、入り口から一番奥のカウンター席だった。カウンターは十人座れるかどうか。あとはテーブル席が二つほどという小さな店だった。

 木製のカウンターに背の高い椅子。間接照明がいい雰囲気で、地元にこんな店があるなんて知らなかった。


「何飲む?」

「えー、こういうとこあまり来ないし」

「お好みでお作りすることもできますよ」

 やはり客商売。強面なマスターの腰は低い。

「んー、じゃあ桃でしゅわしゅわした感じ?」

「かしこまりました」

 ロンググラスにリキュールを注ぐ動作はなめらかだ。貴也の方はなんとか、というブランデーを頼んでいた。


 乾杯、と軽くグラスを合わせ口をつける。桃の香りがさわやかだった。

「何食う?」

 メニューを開いた貴也に問われ、何でも、と返すと貴也はメニューも見ずに何品か注文した。どうやら何度もこの店に着ているようだ。ずっと住んでいる咲子も知らなかった店だというのに。


「なあ、さきちゃん」

 ブランデーグラスをながめて、貴也が口を開く。

「前から疑問だったんだけどさ、なんでにーちゃん成仏してないんだろうな」

「……そうだね」

 だから、貴也は咲子をこの店に連れてきたのだ。それが咲子にはわかる。


 二人といる時の周一は楽しそうにしているが、本来ならばとっくに旅立っていなければならないのだ。わざわざとどまっているのなら、何か理由があるのだろう。

「――いつまでもいてくれてもいいんだけどさ、俺は」

「……あたしも」

 ぼそりとつぶやいた貴也の言葉に、咲子は同意した。成仏なんてしなくていい。いつまでもいてくれればいい――咲子の側に。

 くすぶり始めた初恋が、咲子の胸を焦がし始めていた。

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