出現の条件
咲子は、ガレージにふらふらと入り込んだ。
「周一さん……」
初恋の人。初恋はかなわないものなんていうけれど、不幸な事故で亡くなったということは、当時の咲子に強い衝撃をあたえた。今でもその衝撃から抜け出せていない気がする。
「悪いね、こんな再会で――でも、もう一度会えるとは思ってなかった」
周一にとっては、隣の家の小さな子くらいの認識だっただろう。離れて暮らしている弟と重ね合わせていた面はあったかもしれないけれど。
にこにことしながら、手をさしのべる彼が死んでいるだなんて信じられなくて、咲子はその場にしゃがみこむ。
「どうして――!」
やっと出てきたのはその言葉だった。
どうして、どうして、どうして。もっと早く出てきてくれなかった。裕子がどれだけ嘆いたか、すぐ近くで見ていたから。叫ばずにはいられなかった。どうして、と。
「……条件があるみたいなんだよ。姿を見せるのに」
申し訳なさそうに、周一は言う。
「何度も声をあげて叫んだよ。俺はここにいるって。母さんがバイク屋にお願いして、バイクの手入れをしてくれているのも見てた。バイク屋のおっちゃんが、俺の代わりにって走らせてくれた時もバイクと一緒にいた。でも、俺の存在は誰にも気づいてもらえなかった。叫んでも、叫んでも、誰一人気づいてくれなかったんだ」
しん、とその場が静まり返った。
「……ごめんなさい……」
呼んでも叫んでも誰にも届かないというのはどれだけせつなく、つらいことだろう。咲子の目が潤んだ。会いたくて、会いたくて、会えなかった人。ずっと傍にいたというのに気づくことさえできなかった。
黙り込んでしまった咲子にそっと周一は近づいた。
「条件の一つはわかっている。さきちゃん、君だ」
「あたし……」
「昨日さきちゃんがいなくなったとたん、俺も姿をあらわせなくなったからね」
のそのそとガレージの入口から貴也はバイクの方へと近づいてくる。
「こんなにでっかくなっちゃって」
背伸びして、周一は貴也の頭に手を乗せようとする。それはするりとすり抜けてしまったのだけれど。
「もう一つは多分、俺だろ。にーちゃん」
「たぶん」
それから周一はバイクにまたがった。
「あとは、二人がそろっていても、俺はこのバイクからそれほど遠くまではいけない。ガレージの外には出られるけど、さきちゃんちの玄関までは行けなかった」
どうして、こんな条件が課せられてしまったのだろう。普通の幽霊は――周一以外の幽霊は見たことがないけれど――ひょいとあらわれてひょいと消えるものらしいのに。
「それはわかんないけど、俺は嬉しいよ。にーちゃんと、こうして話ができるとは思わなかったから」
咲子は携帯を取り出した。母親に帰るとメールを入れてからけっこうな時間が立っている。
「感動の再会しているところ悪いんだけど、あたしもう行かないと……たかちゃんとここで会うなんて思わなかったから、さっき国領駅からメールしちゃった」
「わるぃ」
貴也は頭に手をやった。それから、
「さきちゃん、悪いんだけど――明日も来てくれないか」
大きな図体で、雨に濡れた子犬という言葉がぴったりな目で咲子を見るものだから断ることなんてできなかった。
「……そうするしか、ないんでしょ? 明日はそれほど遅くならないはずだから」
それに――咲子も会いたいのだ。周一に。
「おやすみなさい、二人とも」
帰宅すると叱られたが、駅前で友人と会いつい立ち話になってしまったのだというと母親も納得してくれた。産まれた時からここに住んでいる咲子は、町中で友人と遭遇する可能性も高い。比較的通勤の便がいいこともあって、就職先によっては自宅から通っている同級生も多いのだ。
こうして、三人の奇妙な会合はひっそりと始まった。
最初に周一と再会した次の土曜日。
「さきちゃん、買い物に行かないか?」
祐子の軽自動車で、貴也が咲子を連れて行ったのは多摩川に沿っている多摩堤通りに面しているバイク用品を扱う店だった。
「ヘルメットだけあればいいんじゃないの?」
と言ったら、
「よそのお嬢さん乗せるのに、メットだけってわけにはいかねーんだよ」
とわけのわからない答えが返ってきた。いくつものヘルメットを試着させられ、さらにはジャケット、グローブ。ジャケットの背中には一面パッドが入っている。
「あとオーバーパンツ、だな」
次から次へと買い物籠に入れられた品々は、あっという間に十万円以上の金額になった。
「ちょっと! 確かに乗ってみたいとは言ったけど! そんなにお金持ってないよ!」
実際には実家住まいのOLで、それなりに貯金もあるけれど。いきなり十万円以上の買い物というのは想定外だ。それだけ出せるなら、新しいスプリングコートを買いたいと思う。
「いいって。これは俺とにーちゃんが払うってことで」
現金一括払いでぽんと払って、貴也は荷物を車へと運び込む。
「さきちゃんには悪いと思うよ。好きでもない男とタンデムなんて、でもそうしてもらわないとにーちゃんと話できないだろ」
そう言われてしまえば返す言葉もないのだ。
咲子と貴也、二人そろわなければ周一は姿を現すことも、言葉を伝えることもできない。
「もう一度見たい光景があるんだってさ――頼むよ」
「……わかった」
確かに、乗ってみたかったバイクではあるのだ。前に乗っているのは違う人だけれど。
それに頼むよ、なんて言われたら断れないじゃない。
日曜日、幸いなことによく晴れていた。咲子はぴかぴかのヘルメットにジャケットを着込んで、貴也の後ろに乗り込んでいた。
「いいか? 下手に体重移動とか考えるなよ? 膝をしっかり締めて俺に捕まっていればいい」
「……あのゥ、捕まるってやっぱり抱きつくんでしょうか?」
「……好きにしてくれ」
好きにしてくれなんて言われても。どうしたらいいのか、咲子にはわからない。
ガレージの前に引き出されたバイクの後部シートによじ登る。
「足はここ、もう少し前に座って、そう。で、後は貴也の言うとおりにしていたらいいよ」
周一がアドバイスをしてくれる。
「周一さんってバイクにとりついてるのかなぁ」
「……そうだと思う」
祐子さんが、このバイクを処分しなくて本当によかった、と咲子は思った。
本当は、もっと早く処分するつもりだったらしい。けれど、
「俺が乗るから。定期的にバイク屋に見てもらえば大丈夫だから」
と、貴也が主張し、周一の行きつけだったバイク屋に頼み込んで六年間定期的にメンテナンスしてもらっていたそうだ。その間の料金は貴也が払って。
処分してしまっていたら、こうして周一と再会することはできなかっただろう。それを考えると、処分しないように主張した貴也にはどれだけ感謝してもしたりない。
最初に再会した日――貴也は今までバイクのメンテナンスをしてくれていたバイク屋に挨拶に行ってきたそうだ。そのまま甲州街道沿いに八王子の方まで走っていって、ラーメンを食べて帰ってきたらしい。というのは、つい先日聞いた話だ。
貴也も大学時代からバイクに乗ってはいたのだけれど、兄のバイクに乗る自信がまったくなかったのだそうだ。二台のバイクを乗り継いで三台目。調布に戻ってくるのをきっかけに、兄のバイクを受け継ぐ決心がついたのだという。
咲子にはまったくわからないのだけれど――彼ら兄弟にとってはこのバイクはとても思い入れのあるものなのだろう。
どうか、もう少しだけ周一さんと一緒にいられますように。
そう心の中でつぶやきながら、咲子は貴也の背中にぴったりと身を寄せた。




