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初恋の人

 駅前の深夜まで営業しているスーパーでビールの6缶ケースとシュークリームを買って二人は咲子の家へと向かう。

「ビールだけでよかったのに」

「……手ぶらってわけにもいかないだろ」

 重い荷物を全部持った貴也と並んで歩くと、咲子はどうしても見上げることになる。

「たかだか隣の家にご飯食べに行くだけなのに」

「……んなわけにもいかないだろ」

 歩いて二十分ほどで咲子の家と伊達家が並んでいる場所へと到着した。


「一回着替えてからおじゃまする」

「あ、そ」

 咲子は伊達家に入る貴也を見送って、野田と書かれた門をくぐり、自宅の玄関をあけた。

「ただいまー」

 玄関へとぱたぱたと典子が出てきた。

「あら、貴也君は?」

「一回着替えてから来るってさ」

「ああスーツじゃご飯めんどくさいものね。あんたも着替えてらっしゃい」

「はーい」

 食卓の上には、三人分の食器が並んでいた。

「お父さんは、今日遅いんだって」


 白いニットとパンツを合わせて出てくると、もう貴也は食卓についていた。シュークリームとビールは冷蔵庫に入っている。

 咲子が遅くなったのは、一度着替えて出てきた服に却下をくだされたからだ。寝る時にも着ている部屋着はあんまりだと。

 テーブルには電話で言っていたものの他に、慌てて作ったらしい豚の生姜焼きがのせられていた。


「肉はないって言ってたのに」

 缶ビールのプルタブを引きながらの咲子の言葉に、

「若い人はお肉あった方がいいでしょう?」

 と咲子はさらっと返してくる。その間にも貴也はいただきますと行儀よく手を合わせ、躊躇なく生姜焼きに手をつけていた。

 旺盛な食欲で典子の用意した夕食を片づけると、食後には買ってきたシュークリームが出てきた。


「さきちゃん、毎朝本読んでるんだよな」

 甘いものもいける口らしく、貴也はシュークリームにも手をのばす。

「今朝はなんだっけ……? 『男をおとす三十のルール』とかなんとか」

 咲子の口から、シュークリームのケーキがこぼれ落ちた。

「あんたそんなの読んでるの?」

 母親の好奇心丸出しな視線が痛い。

「ち、ちがっ。会社の子に借りたからっ、せっかくだし、好奇心で、あの……てーか、見てたんかいっ!」

 ああ、せっかくのクリームの大半がテーブルの上だ。台布巾でクリームをふき取りながら、咲子は弁明する。


「会社の子があれ読んで、参考にしたら彼氏できたって。あんまり参考にはならなかったけど」

 もう返しました! と頬を膨らませて皮だけが残ったシュークリームを口に放り込む。食後の紅茶はやけに苦く感じられた。

 寂しいわけじゃない。恋人がほしいとかいう欲求は薄い方だと思うし。

 合コンもあまり興味ないし、今までつきあってた相手も向こうから好きだと言われたから、なんとなくつきあってただけ。

 誰かと体を重ねることも知っているけれど――いつも咲子の心の奥までは誰にも足を踏み入れることを許してこなかった。


 典子が咲子のカップに新しい紅茶を注いだ。

「それでつかまる男なら、楽でいいけどねぇ」

 さすが親子、考えることは一緒だ。

「帰り、新しい本買ってこようと思ってたんだけどね、たかちゃんにあそこで会っちゃったから今回は見送り」

 読むものはないわけじゃない。父親の書棚にある時代小説の中から適当に抜き出して借りていけばいい。

 咲子の読書はそれほど偏っているわけではない。小説であればたいていのものは読む。恋愛小説、時代小説、学生時代から続いているライトノベルはいまだに買い続けているし、翻訳物もSFやミステリも好きだ。


 明日も出勤だし――とほどほどのところで、急に開かれた夕食会はお開きになった。

「急におしかけて、すみませんでした」

「いいのよう、なんならこのままうちに婿に来ちゃう?」

「あたしの意志は無視ですかっ」

 貴也が玄関の扉を閉めたところで気がついた。

「たかちゃん!」

 サンダルをつっかけて、慌てて追う。


 貴也はガレージのシャッターをあげようとしているところだった。

「どうした?」

「ん――携帯、番号とメール教えてもらえればって思って。またうちにご飯食べにくればいいじゃない? ……周一さんは、そうしてた」

「兄さんは、そうしてたのか」

 携帯電話を重ねて、番号とメールアドレスを赤外線で交換する。


「何で玄関から入らないの?」

「バイク、見ておきたくてさ」

 ガレージには、車が2台とめられるほどの広さがある。祐子名義の軽自動車が半分をしめ、もう半分はバイクだった。

 咲子はバイクには詳しくはないが、このバイクはよく知っていた。教習所でも使われていて、日本で一番売れているバイクらしい。マフラーだけ、音が大きく出る物に変えてあると周一本人から聞いたことがあった。


 日曜日、何回このバイクの音を聞いただろう。黒いジャケットの周一を窓からこっそり見送って――。

 誰とつき合っても、誰と一緒にいても。咲子の心には黒いジャケットが残っている。

「これからは、たかちゃんが乗るの?」

「乗ってやらないとかわいそうだろ? 昨日ひとっ走りしてきたけど、バイク屋に手入れ頼んでただけあって状態も悪くないし」

 ガレージの電気をつけて、二人静かに止まっているバイクに目をやる。


「そういえば」

 咲子は再会した時からたずねたかったことを口にした。

「どうしてお葬式でなかったの?」

 周一の葬儀にこなかったから――だから、よけいに音信不通だと思いこんでいたのだ。

「ああ――」

 情けなさそうに、貴也の眉がさがる。


「あの時、俺も親父もインフルエンザにかかっててさ――島を出るフェリーに乗れなかったんだ」

 高熱で歩くことすらできなかった。かかったのは父と子だけ。祖父は他界していて、祖母はそんな二人を放置していくことはできなかった。

「四十九日は参加したけど、葬祭場使ったからこっちには来なかったしな」

「……そっか」

 大人たちの話を注意深く聞いていれば、気がついたのかもしれない。どこかで話にでただろうから。


 雨と雪が入りまじって降っている日だった。制服のコートの上からマフラーをぐるぐると巻いて、咲子は祭壇の写真から目を離せずにいた。

 よくある不幸な事故。歩行者側の信号は青だったという。その日は仕事を早めにきりあげたという周一は、誰かと食事をしてきたらしく、乗ったのは終電間近の電車だったという。

 彼が運び込まれたのは、母親の祐子がつとめている病院ではなかった。懸命の治療のかいもなく、彼は亡くなり――葬儀が終わるまであっと言う間だったような気がする。


 数歩進んで、咲子はバイクのタンクに手をふれる。ひんやりとした感触が手に気持ちいい。

「なるほど――インフルエンザ、か。らしいと言えばらしいよね」

 ふいに聞こえてきた声に、咲子はあたりをきょろきょろと見回す。

「ここ、ここ。さきちゃん、美人になったね」

 声に顔をあげてみれば、シートによりかかるようにして立つ、若者の姿。まだ少年の気配を残していて、やや小柄ながら均整のとれた体つき。そして黒いライダージャケット。


「……ひっ」

 喉の奥で悲鳴をあげながら、咲子は一歩後退した。よろめいて、倒れかけるのをがっしりとした手が支えてくれる。気のせいだよね? 咲子は何度も繰り返した。

「にーちゃん……」

 呆然と貴也がつぶやいた。

「残念だけど――俺とさきちゃんが同時に気が狂ったわけでもないかぎり、見えちゃいけないものが見えている気がする」

 咲子の肩に指が食い込む。

「久しぶり」

 そう言った周一は、悪びれない顔で二人に笑いかけたのだった。


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