六年の時をこえて
指定のファミレスに到着したのは、約束の時間三十分前だった。
「早く来すぎたな」
苦笑して、貴也はバイクを停車させる。
「ねえ」
咲子は店内をさした。
「あの席なら、バイクから十メートル以内なんじゃない?」
バイクの正面の先は空席だった。貴也も咲子もたばこは吸わない。そして、その席は禁煙席だった。
「あの席だったら、来る人も見えるだろうし」
「……そうだな」
相手に到着した旨をメールして店内に入る。案内に来たウェイトレスに、入りたい席を指定して二人は席に着いた。
「緊張するねぇ」
と言いながらもしっかりデザートとコーヒーのセットを選んでいる咲子。貴也の方も小腹がすいたとか言いながら、サンドイッチとコーヒーに決めていた。
今からならちょうど食べ終えた頃に、太田美奈が到着するだろう。
貴也はシャツの胸ポケットをおさえた。そこには、周一が彼女に送るために用意した指輪が封も切られないまま入っている。
「周一さん、いないね」
チョコレートサンデーに勢いよくスプーンをつっこみながら咲子は言った。バイクの周辺にも、二人の席にも周一は姿を見せていない。十分出現できる範囲内なのに。
何をそんなに慌てているのだろうと、疑いたくなるほどのスピードで器を空にし、通りがかった定員を呼び止めて片づけてもらう。
貴也の皿も空になり、コーヒーのおかわりをもらってきたところで、バイクが駐車場に入ってきた。
運転しているのは小柄な女性で、周一のバイクの隣に自分のバイクをとめる。
フルフェイスのヘルメットをとった彼女は、周一のバイクを見つめた。それから、意を決したように顔をあげる。店内からその様子を見つめていた咲子と目があった。
彼女は咲子に微笑みかけて、そして店の入り口の方へと回った。
染めていない短めのボブカットが印象的だった。たぶん貴也や咲子よりは数歳年上。二十代後半。
かなり小柄で、ライダーズジャケットに埋もれているように見える。歩きながらグローブを外す動作は、慣れたものだった。
「伊達……貴也さん、ですね?」
貴也はうなずくと、咲子と向かい合うようにして座っていた席を離れ、咲子の隣へと移動してくる。かわって、彼女がその席に着いた。
注文を取りに来た店員に、コーヒーを注文しておいて彼女は二人に向かって頭を下げた。
「わざわざこんなところまでありがとうございます」
貴也も丁寧な礼でそれに返した。あわてて咲子も頭をさげる。
「こちらこそ、何年もたってから急にご連絡して申し訳ありません。兄におつきあいしている方がいらっしゃったとは知らなかったので」
「……自然消滅させられたのだと思ってました。よく考えたら、それも失礼な話ですよね。周一はそんな卑怯なことするはずないのに。別れたければちゃんと話してくれたでしょう。彼なら」
周一、と呼び捨てにしたことに咲子の胸がきゅっと痛む。これが、周一の愛した人。
「家を取り壊すことになったんです」
聞いていなかった話に、咲子はぎょっとして貴也を見た。
「それで、家の中を改めて調べているうちにこれが出てきて――当時の遺品をもう一度確認したら太田さん、あなたのことがわかりました。これは、あなたの物です」
貴也は、不自然に膨らんでいるシャツのポケットからきれいにラッピングされた包みを取り出す。
一目でブランド物のアクセサリーとわかるそれに、美奈の口角がゆっくりとあがった。
「あけても、かまいませんか?」
「どうぞ」
丁寧に美奈はリボンをはずし、包装紙を剥いで、ケースを取り出した。
一瞬、ためらうように蓋の上に手をのせ――それからぱちりと蓋をあける。
「……指輪」
つぶやきとともに、彼女はケースからそれを取り出した。それほど大きくはない。むしろ小さなものなのだけれど、きらりと輝くそれは一粒のダイヤモンド。
「残念。入らない。きっと左手の薬指にはめるものなのだろうけれど――あれから少し太ったから」
代わりに彼女はそれを小指に滑り込ませた。小指には少し大きくて、それは彼女の左手の小指でくるくると回っている。
「最後に周一と会った日に、くだらないことで喧嘩になったんです」
「くだらない?」
「当時、わたしは車でデートしたかったんです。だけど周一とのデートはいつもバイクで。髪型はくずれるし、化粧もくずれるし。冬だと寒いし、ね。会えるのは嬉しかったけど、バイクは嫌だった。くだらないですよね、そんなの。好きな人と一緒にいられるのなら、相手がバイクに乗ってようが車に乗ってようが関係ないのに」
いつもなら、家の前まで送ってくれた周一を角を曲がるまで見送るのに、その日に限って最後まで見送らなかった。
数日たって謝ろうと思ったときには、携帯電話には誰も出なかった。
「当時、母は携帯電話の使い方じたいよくわかってなかったみたいなので。知っていれば折り返し電話をしたでしょう。残念です」
祐子が携帯電話を持つようになったのは、ここ数年の話だ。
「どうして連絡をくれなかったのかと恨みもしました。家の前まで行きました。前で待っていたこともあります。週末押し掛けて、勇気を出してチャイムを鳴らしても誰も出てこなかった……それが答えなんだと思いました」
ぎゅっとうつむいた美奈の瞳から涙が落ちた。
「母親は看護士なので、おそらく出勤していたんだと思います。本当にタイミングが悪かったんですね」
フォローする貴也の声も聞こえないように美奈は話続ける。
「そのうち携帯電話も通じなくなって、ようやくあきらめる気になりました。それから、教習所に通いました。わたしもバイクに乗っていれば、いつかどこかで再会できるかな、なんて変な期待して」
周一のバイクと並んでいるのは小型のバイクだった。250cc。比較的とり回ししやすいことから、女性ライダーに好まれるバイクだ。
「でも、それがよかったのでしょうね。新しい出会いもありましたから」
美奈は小指にはめた指輪をそっと外し、ケースに収めて貴也の前へと滑らせた。
「これはいただけません。今、おつきあいしている人がいるんです。先日結婚を申し込まれました。自然消滅させられたことが――わたしから自信を奪って応えることができないでいたけれど。真実がわかったから、今おつきあいしてる人に正面から向き合いたいと思います」
曇りのない笑顔で彼女はそう言うと、席を立ち上がりかける。
「ごめんなさい!」
それまで黙って話を聞いていた咲子は初めて話に割り込んだ。立ち上がりかけていた美奈は、もう一度シートに腰をおろす。
「あの、ごめんなさい。あたし、知ってた」
「え……」
小さな声をあげて、美奈は咲子へと視線をむける。
「一回だけ、周一さんのバイクの後ろに乗っている女の人を見たことがあるんです。あれ、きっとあなたですよね」
「……ええ」
「ごめんなさい……そう言えば、彼女いたんじゃないかって、でもその人お葬式に来ていなかったって、思い出したのが四十九日も終わってからで」
今までずっと気にかけていた。誰とつきあっても長続きしなかったのは、周一のことだけじゃない。罪悪感。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
咲子の肩がゆれる。
「……どうぞ、気にしないで。誰にもどうしようのないことだったのだから」
そっと咲子の肩に手をおいて、美奈は貴也に頭をさげた。
「いろいろとありがとうございました」
伝票を取り上げて彼女は店を後にする。二人は黙ったままその後ろ姿を見送った。
「さきちゃん」
貴也がそっとペーパーナプキンを差し出した。
「たぶん俺、ものすごい修羅場の張本人に思われてる。涙は拭いてもらえると助かるんだけど」
興味津々で見守る店員たちの視線に気がついて、咲子は慌てて差し出されたペーパーナプキンで顔を拭う。
「あ……」
突然、貴也は窓の外をさした。指の先を咲子が追うと、周一が姿をあらわしている。
「美奈さん、見えているんじゃない……?」
呆然と立ち尽くしている美奈の目は確かに周一をとらえていた。
「本当だ」
咲子と貴也が見つめる中、ゆっくりと美奈と周一は近づいていく。
周一の差し出した手は、美奈の手をすり抜けてしまった。
それでも。
周一は美奈の前で立ち止まると身をかがめた。二人の唇が触れ合う瞬間を確かに咲子は見たと思う。
そして、周一の姿は消えていった。