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母の葛藤

 飲み過ぎたつもりはなかったのだけれど。翌朝、起きたのは昼近かった。今日は周一と遠出する予定だったのに。

 枕元の携帯が、着信を告げている。貴也から何回も入っていた。

 アラームの音も着信の音も気づかないほど熟睡していたなんて。親に言ってもらえれば叩き起こしてもらえたのに――と、今日は両親そろって朝早くから出かけていたのだった。


 幸い二日酔いにはなっていない。慌てて支度をして、家を飛び出した。

「ごめんなさい。なんだか熟睡なんてものはるかに通り過ぎてたみたいで」

 咲子がガレージに飛び込むと、待ちくたびれた様子の周一が不機嫌な顔で姿をあらわした。

「今日は江ノ島まで行くつもりだったのに」

 むくれた表情がせつなくて、咲子は視線を奪われる。


「本当に、ごめんなさい。昨日もそんなに飲んだつもりはないのになんでかなぁ」

 周一のがっかりした顔は見たくない。身の置きどころがなくて、そのままガレージの床に穴を掘りたい気分になる。

「疲れてるんじゃねーか?」

 バイク雑誌をめくっていた貴也が言った。

「ほぼ毎週、俺たちにつき合わせてあっちこっち出かけてるわけだし。さきちゃん、ここんとこ自分の時間なんてなかったろ」

「……そうか、そうだよな。でも、俺も楽しみにしてたんだ。二人以外とは口を聞くこともできないし……ごめん」

 周一に頭をさげらると、どうしていいかわからなくなる。


「今日は、やめとこ。さきちゃんも好きにしたらいい。俺とにーちゃんに毎回つき合う必要はないんだから」

 勝手なもので、そう言われてしまうと閉め出されたような気になってしまう。咲子がいなければ、周一と貴也も話をすることさえできないのに。

「遠出はちょっと困るけど――夕方までなら」

 結局、自分からそんな風に言ってしまう。

「夕方までかー、出かけるのもめんどいな。あ、DVD見るか? こないだすごいの借りてきたんだ」

 にこにこしながら、貴也は咲子を手招きする。


 すうっと近づいてきた周一が耳元でささやいた。

「あいつ、ホラー借りてきてるんだ。魂胆、見え見えだろ? さきちゃん、きゃーきゃー言わせて抱きつかせようとしてるんだ」

 そこに嫉妬の色が混じっているような気がして、けれど咲子はすぐにそれを打ち消す。周一が嫉妬しているのは、咲子と貴也の距離間ではなくて、生きていることそのものだとわかってしまっているから。彼は誰とも触れあうことなんてできやしない。


「いーじゃん、いーじゃん。実録ホラーの傑作だぞ?」

「涼む季節にはまだだいぶ早いけどね」

 貴也はガレージから室内へと続くドアから、貴也は手をふる。

「何借りてきたの?」

「廃墟を探検しながらきゃーきゃー言ってるやつらしいぞ」

 靴を脱ごうとかがみこんでいる咲子の前で足をとめると、周一は頭をさげた。


「ごめん、さきちゃん。八つ当たりするつもりはなかったんだ」

「約束の時間に間に合わなかったのはあたしだし、ごめんなさい」

 咲子の詫びの言葉に周一の眉が悲しそうに寄った。

「つきあわせているんだよな、毎週」

「つきあわされているつもりなんてないからだいじょうぶ」

 咲子はそう言ったのだけれど――。申し訳なさそうな周一の顔は変わることはない。


「俺、コンビニ行ってくる。何もなかった。さきちゃん、何希望?」

 一度リビングへと入った貴也がもう一度顔を出す。

「まだご飯食べてないの。サンドイッチお願い」

「後は適当でいいか?」

 サンダルをつっかけて、貴也はコンビニへとむかったらしい。

 すぐに周一の姿も見えなくなった。


 リビングにあがって、咲子はため息をついた。

「いらっしゃい。咲子ちゃん寝坊したんですって?」

 今日は祐子も在宅していた。日曜日と彼女の休みが重なるのは珍しい。

「今日はお休みなんですか?」

「珍しく、ね。DVD見るとか言ってたけど、わたしも一緒にいていいのかな?」

「ホラーらしいですよ」

 怖いのはいやねぇ、と祐子は笑う。それから、

「おばさんが、いなくなったら咲子ちゃんはどう思う?」

「いなくなる、ですか?」

 咲子は目を丸くした。


「前から考えていたんだけど、いつまでも旦那と別々に暮らすっていうのもね」

 ふう、とついたため息は咲子の予想をはるかに越えて重かった。

「ようやく仕事の方も、落ち着いてきたし……でも、やっと貴也とも一緒に暮らせるようになったのにと思うと迷うのよね」

 手放すまでにも相当な葛藤があったことくらい、咲子にもわかる。

 子どもを持ったことはないけど、母親ならきっとそう思うものだろうから。


「おじさんがこっちにくるって言う選択肢は?」

「ないわね」

「不景気ですもんねぇ」

「そうじゃなくて……あの人、漁師だから。島から離れちゃだめなのよ」

 人の家庭のことは難しい。自分のことでさえ、うまくいかないというのに。


「ごめんなさいね、こんな話して。今日典子さんは?」

「出かけてます。戻るのは夕方かな」

「ああ、そうなの。残念ねぇ」

 ホラーにはつきあいきれないと、祐子は買い物に出かけると言う。

 家主をリビングから追い出すのはしのびなかったのだが、祐子はちょうど買い物がしたかったから、新宿の百貨店まで行ってくると言い残して出かけていった。


 一人、リビングの白いソファに寄りかかって咲子は考え込む。そういえば貴也は大学生の頃から島を出ていたはずだ。都内の大学に通っていたと言っていたし。

 どうして、この家から通わなかったのだろう? よほど不便な場所ならともかく、彼の通っていた大学は、ここから一時間もあれば通える場所だ。

 何かあった――? 考えかけて、咲子はその考えを頭から追い払った。人の家のことには首をつっこむまい。


 ぐるりとリビングを見回す。咲子がよくあがりこんでいた頃の面影は全く残っていなかった。

 周一も、自分がいた頃とはまるきり違っていたと言っていた。カーテンも、床にしかれたラグも、今咲子が座っているこのソファも当時の物とはまるで違う。テレビもテレビ台も買い換えられて、置かれている場所も変わっていた。


 祐子が出て行ってすぐ、入れ替わるように貴也が帰ってきた。コンビニ袋を抱えている。

「おし! カーテンひくぞ」

 リビングのカーテンは遮光カーテンだ。引くと室内がほぼ暗くなってしまう。

「せめて食べ終わるまで待ってくれればいいのに」

 サンドイッチの包みを破いたところで部屋を暗くされたものだから、咲子は文句を言う。


「まあまあ。ホラー見ながら食べるサンドイッチもうまいと思うぞ?」

「……それはどうかと思うんだけど」

 咲子の右隣に周一、床の上に貴也という位置もいつの間にか定まっていた。

「ほらほら始まるぞー」

 うきうきとした声で、貴也はDVDをセットする。

 咲子はサンドイッチの残りを慌てて口に押し込んだ。


 カメラはゆっくりと墓地へ入っていく。画面の右隅に白いものがひらりと横切る。

 咲子はソファの上で身を縮めた。こういう実録風の物は苦手だ。

 やがて、カメラは切り替わって墓地の奥の方を映し出す。白い物はひらひらと奥へ奥へと逃げるように去っていく。


 そして、ぱん! という音とともにそれがカメラの方へと飛びかかってくる。

 咲子は悲鳴をあげて、ソファから転がり落ちた。

「いったあ……」

 DVDをとめて、貴也が咲子をのぞき込む。

「大丈夫か?」

「……うん」

「にーちゃん、ちょっとずれて。さきちゃんも」

 貴也は、強引に咲子の隣に割り込んだ。三人で座るには少し狭い。貴也が大柄だからなおさら。咲子の体半分は、周一の体を通り抜けてしまっている。


「おし、再開!」

 左側の体温に咲子が戸惑っているうちに、貴也はDVDを再スタートさせた。

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