深大寺と蕎麦
周一の通った小学校、周一の通った中学校と調布市内をぐるぐると走り回って、たどりついたのは深大寺。縁結びの寺として知られている場所だ。江戸時代においしい水を使って打った蕎麦を客人にふるまったとのがはじまりと言われ、今でも近辺には蕎麦屋がずらりとならんでいる。
「人、増えたような気がする」
さすがにバイクでは人ごみの中には入れない。少し離れた歩道にとめて三人は行き交う人々を眺めていた。周一の記憶より、行き交う人の数は増えているようだ。昔より外国人も増えている。
道の両側に並ぶ蕎麦屋は、土産物屋や甘味処も兼ねている店が多く、軒先で蕎麦団子を焼いていたり、ソフトクリームが売られていたりする。
「二人で行ってくれば? どうせ俺、食べられないし」
屈託のない笑顔で周一は言う。店外にテーブルと椅子を出している店も多い。
「中にする? 外にする?」
何軒か外からのぞいてみて、すぐに座れそうな店を選んで中に入った。山菜の天ぷらと、ざる蕎麦を注文する。
「神大寺ビールだって」
メニューの端に書かれたそれに咲子は目ざとく気づく。
「俺は飲めない。バイクだし。さきちゃん飲みたいなら、飲んだらいいよ」
「言ってみただけ。たかちゃん飲んでないのに、自分だけ飲むわけにはいかないよ」
「今度は、調布からバスで来るか? そうすれば気にしなくていいだろ」
「……うん、そうだね」
どうして貴也は今度のことなんて言えるのだろう。
バスで来る、ということは二人だけで来るということ。それだと周一を仲間はずれにしてしまうのに。
言葉につまって、周囲を見回した咲子の目に『神代植物公園バラフェスタ』のポスターが目に止まった。
神代植物公園内のバラ園はかなり広い。さまざまな品種のバラが植えられていて、毎年バラの最盛期には屋台が出たり、バラを愛でながらのコンサートがあったりと一年を通して一番込む時期の一つでもある。
何年か前に一度来たときは、『バラソフトクリーム』なるものにチャレンジして、やけに後に残るバラの香りに辟易したことを思い出した。
「食った食った!」
満足気な顔で、貴也は咲子の手を引く。あの日から、当然のように手をひかれるようになっていた。それは、周一がいない時限定であるのだけど。
寺の脇の急な坂を上っていけば左手にペット用の霊園があり、さらにその上には植物公園がある。
「お参りしてくか?」
寺への門の前で貴也は問う。
「何でも聞いてくれるのかな」
「それはやってみなけりゃわからないだろ」
財布の中を探って小銭を出す。賽銭箱にそれを放り込んで咲子は神妙な顔で手を合わせた。
どうか、周一さんの探している人が見つかりますように。
それから、周一さんがまだ側にいてくれますように。
こんな勝手な願いを、仏様は聞いてくれるのだろうか。さっさと成仏して仏の世界に行った方が幸せだと言われてしまいそうだけれど。
隣で神妙な顔をして手を合わせている貴也に気づかれないように、咲子はもう一度瞑目した。
その日は、調布市内を走り回っただけで終わった。多摩川にももう一度行ってみたが、桜の木はすっかり緑一色になっていた。
あたたかくなってきたためか、遊びに来た家族連れが土手にシートをひいてお弁当を広げていた。相変わらずBBQをしている人たちもいて、ここも一種の憩いの場所だ。
「いいなー、俺も飲みたい」
ガレージに戻ってくると周一はむくれた表情になった。咲子はその顔に見とれる。あの頃は、彼もこんな顔をするなんて思っても見なかった。同じ年になってみれば、彼も年相応の青年なのだとよくわかる。
「ビール置いてやっても飲めないだろ」
「つまらないな」
「……明日、またどこか行こう? たかちゃんが飲みすぎなければ、遠出もできるだろうし」
ふくれっ面になった周一を、咲子はなだめる。
「飲みすぎるのはさきちゃんだろ? それほど強くないのに、酒は好きだ」
ヘルメットをガレージ隅の棚に置きながら、貴也は言った。咲子のヘルメットも、彼のヘルメットと並んで伊達家のガレージに置かれている。
咲子一人でバイクに乗ることはないからこれで足りているのだ。グローブも同様。貴也にわたすと、ヘルメットと同じ棚に並べられる。
ジャケットだけは家まで着て帰るから、このままだ。
「何時集合だっけ?」
「五時半、調布駅。店の場所がわかりにくいんだって。わかる人は直行してもいいって言ってたけど、よくわからないからあたしたちは駅集合にしといた」
「了解。あとで声かけるよ」
つまらない、とふくれている周一を残して咲子はガレージを出る。あまり周一の前では、二人で出かける話はしない方がいいような気がし始めていた。
最初の頃は、「二人で出かけてきなよ」と周一も言ってくれていたのだけれど。最近では、二人で出かけるとつまらなそうな顔をすることが増えてきた。
なるべく週末は三人で出かけるようにはしているのだけれど――危ういバランスだ。できることなら、周一にはつまらない顔を見せてほしくはないのだけれど。
後で一度貴也に話をしよう。できるだけ早く。
調布駅までは、歩いてそれほど距離はない。なにしろ、調布駅側から布田駅を見れば、ホームに停まっている電車が確認できるほどなのだ。
座敷の席を選んだというので、咲子はパンツにカットソー、ジャケットを合わせていた。一応春らしさを意識して選んだつもりだ。
一方貴也の方は、グレイのパンツに白いシャツに茶のジャケットで、一つ一つの素材はシンプルなのに長身のせいかやたらに決まって見える。顔立ちが整っているのも要因の一つだろうと咲子はこっそり分析する。
「咲子、こっちこっち!」
調布駅前の派出所のところで利恵は待っていた。咲子の目から見ればやたらゆるい感じのトップスにじゃらじゃらと何連ものパールをかけて、夜の冷え込みを完全に無視したミニスカートだ。今日も巻いた髪はばっちりだ。
「……で、お隣さん?」
上から下まで貴也を眺めてから、利恵は咲子をつついた。
「いい男じゃない。で、どうなの、どうなの?」
「……別になんとも」
咲子は肩をすくめる。どうってことはないのだ。ただの幼馴染――微妙な関係ではあるけれど。
結局、全員が直接店に行くのはさけたようで、時間を少し過ぎた頃には待ち合わせ場所に全員が集合していた。
今日の幹事役の利恵が先頭に立って歩き始める。亜矢は利恵に並んだ。
その後ろから佐藤、小野田、井上の三人の男性陣が続いて、最後が咲子と貴也になる。
「覚えてる?」
「いや、全然。小学校にあがる前だもんなぁ。記憶なんて残ってないよ」
先頭にいる亜矢は、利恵の腕を掴んでは何事か話しかけている。
その後ろの三人は、貴也にそれとなく興味はしめしているものの、あからさまな好奇心は表に出さないようにしていた。
予備校の講師をやっている佐藤俊平。実家の経営する自転車屋の手伝いをしながら、大学院に通っている小野田真二、製薬会社で働いている井上亮輔。三人とも進路はばらばらだが、今でも意気投合しているようだ。特に小野田真二は、咲子と――ということは、貴也とも――家が近いということもあって、道端ですれ違うことも多かった。
大学卒業後仙川の輸入食材店で働いている亜矢は、土曜日に休みを取れることは珍しく、今回は久しぶりの参加だった。
幾度となく友人たちの輪に仲間の彼氏彼女を引き込んできた彼らは、貴也のことも素直に受け入れつつあった。