file2-1「女王陛下とメイドと裁判」
「そう、体育館倉庫だ。そこにいけば、伝説の剣がある。ただ、そこまで無事、たどり着けるかどうか……でも、鈴葉が元の世界に戻るためだ。俺も、協力するよ」
昨日までのエロくてバカで、女子を口説くために生まれてきたみたいな結人だったはずなのに、今はどうだ。
真剣な顔して私のために情報を集めてきてくれた。
まるで元の世界の岩城みたいに、ちょっとだけはにかんで笑う。
結人の話では、私が元の世界に帰るためには、その剣で女王陛下を絶命させなければならない。
この城の者たちはみな、女王陛下と執事であるゲーテの横暴なやり方により虐げられていた。しかし、もちろんのこと、誰もが反逆することを許されず、また、これまで刃向かった者達は捕らえられ、殺されたという。
そして、異世界から勇者を召喚することに成功し、その勇者こそ、私だったのだ。
私と結人はこの世界で唯一、女王陛下とゲーテの息の根を止められるという剣を手に入れるため、旅立った。
様々な敵と戦い、ふたりとも血を流しながらも、私はついに剣を手に入れた。
「やったな! 鈴葉」
うん! これで、女王陛下とネコ男を始末して、この世界も平和になる。
「そして、鈴葉も……向こうの世界に帰るのか」
ひどく淋しそうにそう言うと、そっと私の頬に手を伸ばす。
「好きだよ、鈴葉。離れたくない」
打って変わったような真摯な態度や、これまで共に戦ってきたことを振り返ると、私の気持ちがぐらりと揺れる。
どこかで、私もここにいたいと思う。
だけど、向こうにも待っている人がいる。
「キスしていい?」
ちょっと待って。
まだ戦いは始まったばかりだ。
よくあるハリウッド映画なら、こんな展開もアリだけど……今はそれどころじゃない、先を急ぎたい。
気持ちは焦っているのに、身体はあっという間に結人に捕らえられ、用意してあったかのようなマットの上に押し倒された。
「鈴葉」
切なげに私を見つめ、目を閉じた結人の顔が、徐々に迫り来る。
なんとか抵抗しようとするのに、身体がまるで金縛りにあったみたいに動かない。
髪を撫でた指先が耳の輪郭をなぞり、そして首筋を伝う。
「い…や……」
声を上げることすらままならなくて、私は目を閉じた。
「どんなエロい夢見てんだよ」
え? 今、結人、なんて言ったの?
そう気付いたのと、意識が徐々に覚めていくのは、ほぼ同時だった。
「あ、目、覚ましちゃった?」
ふかふかのベッドがわずかに音を立てて沈み、そこで私は完全に夢の中から放り出された。
目の前にある腕の持ち主をゆっくりと見上げて、彼が結人であると認識するまで、微妙なタイムラグがあった。
「おはよう、鈴葉。よく眠れた?」
そう言って迫り来る唇を、寸でのところで手のひらで受け止めると、そのまま力任せに押し返す。
「おかげさまで、よく眠れました」
もちろん、嫌味を込めて言ってやると、押し返した手を掴まれ、寝起きで力の入らないままベッドに押さえつけられる。
「嘘つけ。今、眉間にしわ寄せて、『いやん』なんて喘いでたくせに」
「んなこと、してないっ」
「俺と女王陛下のコト想像して、ひとりで悶々としちゃってエロい夢見たんだろ」
「バッカじゃないの」
「鈴葉が?」
「違うっ、アンタがよっ!」
目が覚めて良かったのか、悪かったのか、わかんない。
やっぱりこの結人は、エロくてバカで、女子を口説くために生まれてきたみたいなヤツに変わりなかった。
身体を捻って何とか逃れようとしたのに、結人の身体が覆いかぶさってきて、抱きしめられているような格好になってしまう。
「ち、ちょっと、やめてよ」
「何にもしねぇーって」
その言葉通り、私を抱きしめる腕は背中に回ったまま。
見上げれば、すぐそこに目を閉じた結人の顔があった。
瞼がうっすらと開き、不意に私の鼻先に結人の唇が触れる。
「眠るまで、ここにいて」
再び瞳を閉じたかと思うと、ほどなく結人の腕の力が抜けていくのがわかった。
そして、眠りに落ちたことを知らせるような、規則的な呼吸が聞こえてくる。
「寝た、の……?」
もちろん、返事は無い。
なるべく起こさないようにと腕の中から抜け出すと、結人もごろりと体勢を変えた。
女王陛下と一夜を過すことが、どんな意味を持つのか私は知らないし、想像もしたくないけど、こんなふうにあっという間に眠りに落ちてしまうほどなのかと思う。
「朝から、疲れた」
小さく呟くと、私はベッドから起き上がり、結人にシーツを掛けてやる。
フカフカの広々ベッドはよく眠れるけど、慣れてないから肩が凝った。
私は欠伸をし、手を上げて身体を伸ばすと、隙間から柔らかな陽がさしこむカーテンをそっと開けた。
窓の外は、昨日見た景色と同じ。霧に包まれた緑の森が永遠に続いている。
真夜中の大冒険は、ゲーテの姿が忽然と消えることで幕を閉じ、部屋を出る前のわずかな希望をすべて失い、私は部屋に戻ってきた。
それから落胆と疲労とがいっぺんにやってきて、ベッドに倒れ込んでからはあまり覚えていない。
それにしても、妙な夢を見た。
中学の時、友達が貸してくれた恋愛シュミレーションゲームがあんな設定だったのを思い出す。
主人公であるプレイヤーは、現代から異世界へと召喚され、恋愛をしながら彼女自身の役目をこなし、最終的にはどれかのキャラクターと結ばれ、元の世界に帰るか、それともその異世界に残るか選択しなければならない。
どちらにしても幸せな結末が待っていて、リセットボタンを押せば、もう一方の結末を疑似体験することができる。
いっそ夢の中みたいに、何か目的があって、それを達成すりゃ帰れるっていうのがわかっていればいいのに。
「どうせしばらく帰れない、なんて……」
白く曇った空を見上げると、憂鬱な気分が増していく。
無断外泊なんて今までしたことがないし、学校だって、それなりに理由をつけてサボったことはあるけど、何も言わずに休んだことはない。
こういうのを、きっと神隠しとかいうんだよね。
なんとか、連絡が取れたなら。
異世界か異空間か異次元か、なんだか知らないし、なんだっていいけど、こんなところから連絡の取りようもないか。
「あ……ケータイ」
この空間に落ちてくるとき、確か手に握りしめていたはずだ。
私は自分の制服を干してあるバスルームへ向かい、ポケットの中を確かめてみるけど、そこには何もない。
「機種変、したばっかだったのに……って、いうか」
ヤバイ。
もし、誰かに拾われてしまったら。
ここに、不法侵入者がいるってバレちゃうんじゃないの!?
「とにかく、探さなきゃ」
この世界にケータイが存在してるかどうか、わからないけど、どちらにせよ、誰かに見つかるわけにはいかない。
私は寝ている結人を尻目に、部屋を抜け出した。
「だーかーらー、何度言えばわかるのよ」
扉を開けたとたんに、相手を馬鹿にしているような声が廊下に響きわたり、私は慌てて部屋の中に姿を隠した。
わずかにドアを開け、様子を伺ってみるけど、どうやら近くに人の姿はない。
廊下を曲がって向こう、丁度女王陛下の部屋の方から、はっきりした言葉は聞きとれないけれど、誰かの罵声が続く。
もとより静かなこの場所で、廊下で少し声を荒げれば、ここまで聞こえてもおかしくない。
責めたてるような口調が途切れると、嘲笑と共に重たい扉の閉まる音がした。
あの声は、女王陛下か? 誰かが気に入らないことでもしたんだろうか。
ふと、昨日、もうひとりの私が手の甲にキスをした、女王陛下と思われる後姿が脳裏をよぎる。
「誰、なんだろう」
ゲーテは、この世界は女王陛下が作り出したと言っていた。
ってことは、彼女は私と同じ世界の人間なのか……?
だとしたら、こんな世界、一体誰が想像したというのだろう。
と、ドアの隙間を何か影が通り過ぎ、私は咄嗟にドアを閉めようとした。
「……っく……うぅ」
誰かが、しゃくり上げて泣いている。
扉を開くと、廊下に座り込んでいた彼女が驚いたように振り返った。
「春日、さん? どうしたの」
「鈴葉様……な、なんでも、ない…ん、です」
そんなわけない。
春日さんは止まらない涙を拭いながら、懸命に笑顔を作ろうと顔を歪ませた。