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file1-7

 女は度胸、行動あるのみ。

 とにかく早くココを抜け出すためには、やれることはやってやれ、だ。

 大人しく結人の言いつけを守ってじっとしてるなんてこと、私にはできない。


「にしても、ついに私も男装女子か」


 結人から渡された着替えは、結人と同じ、男子生徒の制服だった。

 昼間、ピアノを弾いていたもうひとりの私を思い出して、ネクタイは緩めで一番上のボタンを外す。

 髪の毛は結人みたいに、毛先があっちこっちを向いていたから、なんとなくそれっぽく結人のドレッサーにあったワックスで形を作った。

 我ながら男子制服がよく似合うし、思っていたとおりのイケメンの出来上がり。

 時計は午前零時を過ぎ、夜食と称して結人が用意してくれた食事も二時間前に胃の中に収めてある。

 いよいよ、出陣。


「よし」


 小さく気合を入れて、ドアを開く。

 真っ暗な廊下はしんと静まり返り、頼りないロウソクの灯りだけが、広い間隔で続いていた。

 部屋を出る前の勢いはどこへやら、その不気味さに、思わず私は息を飲む。


「けど、今しか、ない」


 自分に言い聞かせて頷くと、静かに部屋のドアを閉じた。

 夕食が終わって戻ってきた結人は、


「今夜の女王陛下のお相手は、俺の番だからな。あ、今、またエロいこと想像しただろ?」


 と、またしても理解不能なことをさらりと言ってのけ、三十分としないうちに、再び部屋を出て行った。

 内容の詳細は聞きたくなかったから触れなかったけれど、明日の朝まで、結人は女王陛下の部屋に行きっぱなしで戻ってこないという。

 それなら、ひとりで確かめたいことがあった。

 こくり、無い唾を飲み込むと、私は闇に紛れて姿を隠しながら廊下を進み、階段を上る。

 昼間も実際の学校とは違って、人間がいるわりに静かなところだと思っていたけど、それが闇に包まれ、使用人たちが眠りにつくと静けさを増す。

 自分の心臓の音と、なるべく立てないようにしている足音だけが、誰もいない廊下に響いた。

 まるで肝試し。

 誰かがぬっと現れたら、思わず悲鳴なんか上げちゃいそうで。


「子猫ちゃん?」

「ひぃっ……」


 突然背後から声を掛けられて、悲鳴にならない小さな叫びが口から漏れる。

 振り返ると、ぼんやりとした光に浮かび上がるよう照らされた西洋人の顔が、まさに「ぬっ」と現れた。


「って、アンタ、驚かさないでよっ」

「また迷子になっちゃったのかにゃ?」


 ……「にゃ?」って。

 顔の下にあったランプをわざとらしく横に持ってくるあたり、確信犯だと思う。

 昼間のネコ男、ゲーテは悪びれもせず、にっこり微笑んだ。


「明かりも持たずに、こんな真夜中、どうしてひとりでこんなところに?」

「それは……」

「子猫ちゃんは、ひとり肝試しが好きなのかにゃ?」

「違うっ!」


 思わず声が大きくなると、しっと人差し指を唇に押し当てられた。


「女王陛下の護衛の者に気付かれてしまったら、真夜中の大冒険どころか、あなたの人生もお終いですよ」


 ふざけたネコ語から一転、声を低くして嫌味な物言いをするゲーテは、どこか私の立場を嗤っているように見える。

 彼の指を払って、私は胸の前で腕を組んだ。


「岩城結人に、部屋から出るなと忠告されたのでは?」


 どうして、それを知ってるの?

 ゲーテを睨みつけても、彼は表情ひとつ変えず、わずかに首をかしげた。


「この世界で唯一の味方になってくれた彼の、せっかくの好意を早速裏切るなんて、子猫ちゃんも隅に置けないね」

「私はただ、もしかしたら帰る道があるんじゃないかって、確かめたかっただけで」


 結人の好意を、裏切ってるつもりなんかないけれど、ゲーテの言葉は私の胸をチクリと刺した。


「あの音楽室に、ですか?」

「えっ」

「向こうからの入り口が、あそこにあったから、なんて、安易な考えで、帰る道が音楽室にあるとでも?」


 いちいち癇に障るまわりくどい話し方をする。

 まるで、私の期待を知っていながら、否定するような。


「じゃあ、一緒に確かめに行きましょうか」


 微笑んで、ゲーテは私の横を過ぎ、先に音楽室へと向かう。そしてドアを開けると、私を促すように室内へ手を伸ばした。

 落ち着かない鼓動が不安と折り重なって、指先が震える。

 ゲーテからランプを受け取り、少し躊躇ってから室内を照らすと、私は中へ足を踏み入れた。

 音楽室は、まるで学校のものと変わりなかった。

 目の前にはふたつのピアノ室、左に観音開きのドア。

 そして。

 象牙色の重たい鉄の扉。たくさんの手に触れられ鈍く光る銀色のノブ。

 その下に、ここへ繋がる小さな扉があった、はずだ。


「どうしてもピアノが弾きたかったキミは、明らかに存在するはずの無い扉を開き、中に手を入れてしまった」


 あの時の私を観察していたかのように、ゲーテは淡々と状況を説明する。

 明らかに、存在するはずの無い扉。

 だけど、そこには本当に扉が存在し、私はそれを開き、実際に手を入れたのだ。

 息を飲み、私はおもむろに扉があったはずのドアノブの下をランプで照らした。


「……ない」


 予想はしていたけど、もしかしたらと期待してたのも嘘じゃない。

 背後から、残念でしたねと嘲笑を含んだ台詞が聞こえ、振り返ってランプをそいつにつき返した。


「っていうか、私を早く元の世界に戻してよっ! そもそも、アンタがあの扉の鍵を掛け忘れたから私がこんなところに来ちゃったんじゃないの!? ねぇ、どうなのよっ」


 扉に突っ込んだ腕が抜けなくなったとき、ドアの向こうから声がした。

 よく言えば品の良い、ともすれば呑気で腹が立つほどのゆったりとした話し方は、ゲーテのものに間違いない。


「キミの言うとおり、ぼくは鍵を掛け忘れた。でも」


 突きつけたランプを手に取り、ゲーテは嫌味なまでに満面の笑みを私に向けた。


「不注意に手を入れてしまったのはキミのほうだ。ぼくは何も悪くない」

「は!?」

「キミは、ただ自分の欲求を満たしたい為がだけに、存在しないはずクロネコや扉を認めて、そこに手を入れた。つまり、キミの方からこの世界へやって来た」

「私は……」


 してはいけないかもしれないことを、しようとしてしまったことは認める。

 ばつが悪くなって、つい口篭ってしまったけれど、負けじとゲーテを睨んだ。


「私はピアノが弾きたかったの。べつに、こんなところに来たかったわけじゃ」

「いずれ、キミの想いも叶えてあげましょう。それまでは、少し我慢していて、子猫ちゃん」

「想いを、叶える?」


 突然そんなことを言い出すから、訳もわからず私は眉根を寄せる。


「この世界は、愚かな、いや、失礼。もとい、想像力豊かな人間の頭の中で展開される、空想ゲームを現実にする場所」

「ち、ちょっと待って、意味わかんない」

「人間は時として、決して現実で叶えられないことを切望し、少なからず自身の中で妄想を展開させることで、仕方なく満足を得る。それは残酷で卑猥で、そして、美しい。そんな世界を現実にし、守る場所、それがこのSIG、空想遊戯保護区なのです」


 自分が話していることがどれだけ素晴らしいかと誇示するように両手を広げ、尚且つそんな自身に酔いしれながら、最後にゲーテは私にウインクをする。

 変態だ、コイツ。絶対にイカレてる。


「なんでもいいけど、私は残酷で卑猥な妄想なんてしてないから、早く帰らせて!」


 天井のあらぬほうを見つめていたゲーテの瞳が、私の反応をつまらなさそうに見下ろした。

 そしてそれは、気持ち悪いくらい慈悲深い視線に変わる。


「知ってるよ、ぼくは。キミがどんな世界を望んでいるのか」

「……私は、何も」


 望んでなんかない。

 あの時は、ただグランドピアノが弾きたかっただけだ。

 でもそんなこと、残酷でも卑猥でも、もちろん美しいなんて形容詞がつくような想像じゃない。

 この男が一体何のことを言っているのかわからなくて、気味が悪い。


「女王陛下の創り出したこの世界が終わったら、キミの妄想の世界を創ってあげましょう」

「そんな世界なんて創らなくていいから、とにかく」


 帰らせて!

 そう言おうとしたのに、白い手袋をつけた右手の人差し指を立て、ゲーテは舌を鳴らして指を左右に振った。


「そう焦らないで。どうせしばらく帰ることなんて、できないんですから」

「今、何て」

「大変だ。こんな時間まで夜更かししてしまったら、明日の朝の業務に支障がでてしまいます。それでは、このへんで」


 帽子のつばに手をかけ、微笑みながら軽く会釈すると、呆然とする私に背を向けた。


「ま、待って! 今、しばらく帰ることなんてできないって言った!?」

「えぇ、言いましたよ」


 それがどうしたとでもいうように、ゲーテは何気なく振り返る。


「帰れ、ない、の?」

「はい、しばらくの間は」

「どーしてっ!?」

「この世界のルールですから。それについては、またの機会にお話しましょう」


 とにかく眠らせてくださいと目を細め、私の気持ちなんか知ろうともしてないだろうゲーテは小さく欠伸した。


「せっかくですから、この世界を存分に楽しんでくださいね」


 もうひとりの私がいるなんて、ありえない状況で、さらに生きるか死ぬかというこの世界を、楽しめと?

 音楽室を出たゲーテの背中を追い、いますぐそのルールとやらを説明してもらおうと思ったのに。


「……消えた」


 昼間の時と同じように、ランプを持ったはずのゲーテの姿は、闇の中に忽然と消えてしまった。


「は……はは、は」


 壊れかけた私の口からは、溜息と共に妙に乾いた笑いが吐き出された。



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