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「トミタに?」
「そう」
「俺ら、三人で?」
「うん。バス停ふたつ前で降りれば、近いよね」
「鈴葉、バスケは?」
「一日くらい、サボったっていいじゃない」
「つーか、なんで、三人なわけ?」
「ふたりと、一緒に行きたいの」
四日目放課後、私は岩城と結人を呼び止めた。
彼らは同じように訝しげな表情で互いの様子を伺い、しばらくしてから、それぞれ頷いた。
「別に、いーけど。な?」
「……俺は、鈴葉と二人っきりがいいけどね」
岩城に向かって結人が思い切り舌を見せ、顔を背ける。
それから結人は周りを見渡し、私の耳元に口を寄せた。
「あの監視係は大丈夫なのかよ」
「だから、バレないうちに、行こう」
例の一件から、兄はすっかり私の行動監視役となった。このふたりと一緒に帰るなんて知ったら、強引に引き離されるに決まってるということは、私もふたりも承知のこと。
いつもならばありがたいのだけど、今日だけは別、だ。
兄にとって、私たちと灰色の影の生徒たちとの違いが鮮明なのかはわからないけど、とにかく、下校する生徒たちの波に紛れ込む。彼に見つからないうちに、さっさと学校から抜け出さなきゃいけない。
玄関までたどり着き、ほっと胸をなでおろした時だった。
鮮明な影が立ち止まり、こっちを向いたのがわかる。
「鈴葉、どうしたんだ? 今日、バスケは……」
「お、お兄ちゃん!?」
タイミング、悪すぎ!
兄と目線を合わせたまま、引きつった笑顔のままで、下駄箱に上履きを入れた。
もしバレたら強行突破。
できれば岩城と結人の存在に気づきませんように。
「これから、3Pデートでぇすっ」
ハイテンションな声が背後から聞こえたかと思うと、不意に抱きしめられる。
私がその結人を振り返るのと、兄の表情が一変したのは、同時だったかもしれない。
結人のバカッ! 余計なことを……。
「ど、どういうことだっ、鈴葉!?」
「大丈夫です、お兄さん。俺がコイツを監視するし、コイツが俺を監視するはずだから、心配しないでください」
結人の腕を私から引き離して、岩城がにっこり兄に向かって微笑んでいた。
それでも握り締めた拳を震わせ、今にも飛び掛ってきそうな兄に、私は両手を合わせて頭を下げる。
「お兄ちゃん、今日だけ、ごめん!」
「鈴葉っ!!」
こっちに手を伸ばした兄から逃れるように、私たちは学校を飛び出した。
ピアノばかりの兄が、私たちの足についてこられないのはわかっていたし、校門を出るときに振り返っても、彼の姿は見えなかった。
私たちは笑いながらバス停まで走ると、生徒たちで混み合うバスに乗り込む。
乗車口付近でつり革につかまり、大きく息を吐き出した。
「お兄ちゃんのあんな顔、初めて見た」
「マジ、真っ赤で情けない顔してたな」
左側で結人が笑い、一方右にいる岩城は、優しい目で私を見下ろしていた。
視線がぶつかり、胸が大きく、どきん、と鳴る。
そして岩城の手が、そっと私の頭を撫でた。
「良かったな」
お兄ちゃんに、会えたこと。こうして、笑ってられること。少しずつ、抱えていたものが、背負い込んでいたものが軽くなっていくこと。
自分ではまだ、本当に「良かった」のかわからないけれど。
少し考えてから、私はうんと頷いた。
「おいっ、気安く触んなよ」
私の頭に置かれた手のひらは、すぐさま結人に払いのけられ、再び岩城と結人の視線が火花を上げるように激しくぶつかり合う。
「オマエの監視は、俺がするんだろ?」
「俺は、お前みたいに、簡単に手、出したりしねぇよ」
「負け惜しみだな」
「うるせぇ」
「まぁまぁ、今日は、ふたりとも仲良く、ね」
私はつり革から手を離し、ふたりの腕にそれぞれ掴まった。
ゆっくりとバスは目的地へと向かい、車窓を眺めながら、三人で他愛のない話を続ける。
これも、明日まで。
きっと、その後も、こうして岩城と一緒に帰ることは続いていくけれど、そこに、結人はいない。
……いや、居る、のだけれど。きっと。
車窓に目を向け、そこに映る結人の横顔をぼんやり見つめていた私の手を、岩城がそっと引く。
「次で、降りるよ」
バスを降り、大通りから狭い路地へ入ると、私を真ん中に三人並んでトミタへ向かう。
ケーキ屋であるはずの店内に、メインのケーキの姿はなく、ガラスケースの中には、私の好物であるプリンだけがずらりと並べられていた。
そのプリンを三つ買うと、店員がおもむろに壁のポスターを指差し、穴の開いた四角い箱を、私に差し出す。
「お客様感謝祭実施中……一等は、プリン一年分……!?」
それぞれが一枚ずつくじを引き、思いがけず私のくじには「一等」の文字がでかでかと書かれていた。
そういえば、ゲーテにそんなお願いを冗談で言ったっけ。
驚く私たちをよそに、店員は冷蔵庫から紙袋に入れられた大量のプリンを出すと、私たちにそれぞれ持たせ、小首をかしげ、バイバイと手を振る。
半ば追い出されるようにして店の外に放り出された私たちは、プリンの溢れそうな重たい袋を抱えて河川敷の公園へ向かった。
「一年分ってことは」
「365個、とか?」
「ありえねぇ!」
「プラス、3個だよ」
「つーか、何でくじ引きなんかで当たり引くんだよっ」
重い! と叫んで、結人が早々に堤防から河川敷に降りる階段に座り込み、プリンの入った袋を置く。
両足を投げ出してふんぞり返ると、駄々をこねる子供みたいに動けねぇと私たちを睨んだ。
「じゃあ、少し食べて、軽くしよっか」
私が結人の隣に座ると、その横に岩城も座り、三人並んで川面を見つめながらプリンを食べた。
河川敷では校内と変わらず、灰色に透けた人型の影が、犬の散歩をしたり、野球をしたり、自転車に乗っていたり。
彼らに色がついていれば、いつもと、現実と変わらない景色。
なのに、ふと顔を上げ、川の向こう側を見れば、住宅街の代わりに鬱蒼とした森が広がっている。
あのとき、岩城が私にこのプリンを投げた夜、結局コレを食べなかった結人は、素直にトミタのプリンのおいしさを認め、感嘆の声を上げながら、ひとつふたつ、みっつ……と驚くほど次々とプリンを平らげていく。
そんな結人を笑っていると、今度は岩城が結人と競うように、がつがつと食べているのに気がついた。
面白くない顔をして、私を睨みながら。
いや、別に、岩城にそういうことを求めてないのだけど。
「あの……ふたりとも、どーしちゃったのかな」
「こーなったら、どれだけ食えるか、勝負だ」
「……わかった」
「ちょっと!?」
その後は、私が何を言おうと、ノンストップ。
そして、ふたりとも32個目を食べ終わったところで、ノックアウト。
「……食いすぎた」
「……気持ちわりぃ」
「当たり前でしょっ!」
「つーかさ、プリン一年分を一気に渡すなんて行為自体、悪意を感じるよな」
「同感」
「それを一気に食べようとするアンタ達がバカなのよ」
呆れる私の両脇では、ふたりがそれぞれ階段に横たわって呻いていた。
少しずつ西に傾き始めた太陽に照らされ、川面がきらきらと光っている。
タイムリミットは、刻一刻と迫っていて、だけど、こんな瞬間を少しでも長く過ごしていたくて。
私は息を吐き出して、一度軽く唇を噛んだあと、口を開いた。
「そのままでいいから、聞いて」
ふたりを連れてこうしてここにやってきたのは、ちゃんと理由がある。
「私なりに、考えたんだけど。私は、「岩城結人」のことが好き」
この気持ちを、上手く伝えられるかどうか、わからない。
伝えたところで、彼らが理解してくれるかどうか、自信がないけれど。
それでも、知っておいてほしいから。
「岩城のことは、ずっと好きだったけど、気持ちに一区切りつけたつもりでいたの。そこに結人が現れて、性格は違うけど、どうしても岩城と重なって、意識せずにはいられなくなって。結人のおかげで、私は岩城のことがやっぱり好きなんだって気がついた。でも、気づいたときには、結人のことも、好きになってた」
私は一呼吸置いて、この世界に来た日からのことを、思い出していた。
自分の混乱していた気持ちに……今でも混乱してるけど……恥ずかしくなって笑う。
「いつか岩城が言ってたけど、ふたりとも「岩城結人」なんだよ。岩城がいなければ結人のことを好きになることはなかったし、結人がいなければ岩城への気持ちを再確認することもなかった。ずるいことを言ってるんだってわかってるけど、ふたりは、私にとって『ふたり』じゃなくて、『ひとり』の「岩城結人」なの」
だから、どちらかを選ぶとか、どちらかだけ好きだとか、区別することなんて、できない。
両脇のふたりからは、何の反応もない。
むしろ、ぴくりともしないから、本気で気を失ってるとか、そんなオチだったらどうしようかと不安になった。
「まぁ、だから……3Pも、アリ、かな」
ぼそりと呟くと、右にいた岩城がすぐさま体を起こし、顔を上気させ、ひどい剣幕で私の顔を覗き込んだ。
あ、や、今のは冗談なんだけど。
そう取り繕う間もなく、結人がゆっくり体を起こして私の肩に手を置いた。
「けどさぁ、じゃあ、前と後ろ同時とか、オッケーなわけ? それでも俺は前をもらうけど」
「マジかよ、鈴葉っ」
「え、いや、その、だからっ! 待ってよ、ふたりとも、その前の話、ちゃんと聞いてた!?」
立ち上がり、私は階段を数段上ってふたりと距離をとる。
大きく息を吐き出して、まだ頬を赤くしたままの結人が私を睨んだ。
「そんなの、なんとなくわかってたよ。鈴葉のことだから、たぶん、そういうふうにしか考えられないんだろうって、俺らも予想ついてたし」
「そーそー。けど、結局俺らはふたり存在するし、鈴葉の気持ちがどーなってようと、勝負は勝負だし、な?」
飄々とした結人の言葉に対して、憤りを抑えられない表情のまま、岩城が頷く。
私は一瞬、唖然と言葉を失った。
「で? 鈴葉はどっちに前を許そうと思ってた?」
「し、知らないわよっ! じゃんけんでもしたらっ!?」
「じゃんけんって、鈴葉、そんなことで決められていいのかよっ」
「だからっ……もう、いい!」
私はふたりを置き去りに、堤防を家に向かって走り出した。
必死に考えた結論を、受け入れてもらえないかもしれない不安を抱えたまま、やっと告白したのに。
既に予想されていたなんてことが、悔しくて。恥ずかしくて。
でも、ちょっとだけ、嬉しかった。
ぎゃあぎゃあ騒ぎながら、結人がずいぶんと落胆し、一方で岩城が得意げに追いついてくる。
「鈴葉、俺、じゃんけん勝った」
右の拳を高々と上げ、満面の笑みの岩城に、私はくらりと眩暈がする。
「バカっ!」