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 あの場所で、少しの間春日さんを待っていたけど、彼女はやはり「部屋」に向かったようで、戻っては来なかった。

 仕方なく建物内をうろついてみると、いつもなら制服を着ているはずのクラスメイトや、他の生徒達が皆、女子は春日さんと同じメイド姿、男子は黒のスーツ姿で歩いていた。

 しかも、そこそこレベルの高い面子ばかり。

 そして揃いも揃って、皆、私とのすれ違い様に、わざわざ立ち止まって深々と頭を下げる。


「何なんだ、ココ」


 歩いてみてわかったのは、内装は西洋の城だけど、建物の間取りは学校とほぼ一緒だということ。

 医務室はそのままだし、トイレの場所は同じ。

 売店は随分と店内が広くなっていて、売られているモノはお菓子とマンガ、雑誌に化粧品と勉強に関係ないものばかり、まるでコンビニだ。

 化学室と生物室はぶち抜かれて厨房となり、そのとなりの多目的教室が食堂になっていた。

 二階から上の教室は居住区なのか、ホテルみたいに同じようなドアが続き、三階の教室の前にはごつい男子がふたり、門番みたいに仁王立ちして睨みをきかせている。

 四階にも部屋はあり、図書室や美術室、そして。


「音楽室……」


 何かが思い出せそうで、私は足を止めた。

 脳裏に浮かび、一瞬にして消える画像は途切れ途切れなスライドショーみたいで。

 記憶の引き出しの中身がバラバラで、どこを開けば答えが出るのか、それすらわからない。

 もどかしくて頭を抱えると、どこからともなくピアノの音色が耳に届く。

 目の前の音楽室からじゃないと、耳で音源を探るように追いかけながら背後を振り返った時だった。


「そうだ、ピアノ」


 放課後、いつものようにピアノを弾こうと音楽室までやってきたはずだ。

 そして、グランドピアノの脚が。


「脚、が……?」


 頭の中のスクリーンには、小さな窓のような箱の中に、ピアノの脚だけが映っていた。

 どうしてそんな普段観ることのない景色が浮かぶのかは、依然わからない。

 ふと中庭を覗くと、ちょうどエントランスの上部にあたるバルコニーの窓が開け放たれた。

 白いカーテンが大きく揺れて、グランドピアノの姿がちらりと見える。

 ショパンのノクターン。ゆったりと流れるようなメロディーが、中庭に、そして校内に響きわたる。

 上手じゃないけど、決して下手じゃない。

 どことなく、弾き方のクセが自分と似ているような気がして、ちょっと笑える。

 誰が弾いているのか気になって目を凝らしてみるけれど、ここからじゃよくわからなくて、まるで音色に引き寄せられるように、私は二階へ足を進めた。

 こんなふうに音色を校内中に響かせることができたら、どれだけ気持ちいいだろう。


 そう、私は、ピアノが弾きたくて。

 弾きたくて、それでいつものように音楽室に向かったけれど、開いていればラッキーなグランドピアノのある教室のドアは、やっぱり鍵が掛けられていたのだ。

 だから諦めて、ピアノ室に入ろうとして。


「ネコ」


 思い出した。

 クロネコが、そのしっぽが、グランドピアノのある教室の中に消えたのだ。

 そして、小さな扉があって。

 ひとつの記憶が結びつけば、映像を早送りしてるみたいに、次々と記憶がリンクしていく。

 同時に、冷たい汗が額に浮かぶ。


 私は、あの小さなドアに飲み込まれて、真っ暗な闇の中に落ちたはずだ。

 そして、目覚めたら、あの中庭に。


 二階にたどり着き、私はあらためて辺りを見渡した。

 記憶を取り戻したところで、やっぱりこの状況は飲み込めない。

 眩暈がしそうで壁に手をつくと、次の瞬間、ピアノを弾いている人物を見つけて、私は愕然とした。


「まさか……」


 これは、夢だ。

 じゃなきゃ、こんなこと、有り得ない。

 うっすらと口元に笑みを浮かべ、陶酔してピアノを引き続ける彼……いや、彼女は、私の存在に気付くはずもなく。

 中庭から吹き込む風に、彼女の前髪が揺れる。

 曲が終わる頃、現れたもうひとつの影に、私は慌てて姿を隠した。


「やっぱり、あなたのピアノは最高だわ」

「もったいないお言葉、ありがとうございます」


 その声に、思わず耳を塞ぎたくなる衝動を抑えて、私は壁の影から向こうの様子を伺った。

 傍らに立つ誰かに、今までピアノを弾いていた彼女が跪き、その手を取って口付ける。

 そして顔を上げると、熱っぽい視線を向け、にっこり微笑んだ。

 我ながら完璧な表情だと思うけど、同時に鳥肌が立って、私はトイレに駆け込んだ。


「あれって……私、だよね」


 じゃあ、この鏡に映ってる私は……?

 私は自分の頬と、鏡に映った情けない不安いっぱいな自分を指先で触れる。

 たった今あの場所で、男子の制服を着て、グランドピアノを弾いていたのは。


 アタシ、私。


 おそらく、いや、間違いなく。


『有川鈴葉』


 だったのだ。


「男装姿も素敵だけど、やっぱりキミは女の子だったんだね」


 男子禁制、女子トイレにいるはずなのに、後ろから男の声がして、私はぎょっとして振り返る。


「こんなところで失礼。でも、キミが混乱してしまいそうだったから、一度お会いしておこうと思って来たんだ」


 目の前の人が紳士的な微笑みで挨拶をしてくれても、大理石の手洗い場を背に、私はそのままへなへなと座り込んだ。

 金髪にブルーの瞳を細め、シルクハットにタキシードを身に付けた彼は、白い手袋をした手を私に差し伸べる。


「我がSIGへようこそ。迷える子猫ちゃん」


 日本人女子が好きそうな甘い童顔の彼は、いかにも怪しい雰囲気たっぷりで、その手を取るべきか迷っていると、彼の背後で黒く長いものがゆらりと揺れた。

 まるで、意思を持って動かされているかのように。


「そんなに怖がらないで。大丈夫だよ」


 優しい穏やかな微笑が、逆に怖い。


「あ、あなた、誰、ですか……」

「あぁ、素敵なレディを前に、すっかり自己紹介が遅れてしまったね」


 歯の浮くような台詞をスマートに言ってのけ、彼は姿勢を正すとシルクハットを脱ぎ、瞳を伏せて一礼した。


「ぼくはこの保護区管理人、ゲーテと申します。以後、お見知りおきを」


 顔を上げた彼の、その頭についているものを見て、私は言葉を失った。

 そこには、黒い耳、いわゆるネコ耳があり、おそらく背後でゆれているのはしっぽ、だ。

 私は背後の石壁にぴったりと身体をくっつけて、ごくりと息を飲む。


「ひっ」


 誰か、助けてーっ!! 変態コスプレネコ野郎に襲われるーっ!

 そう叫ぼうとして開いた口を、にっこり笑った彼の手が塞ぐ。


「今、キミは見たでしょう?」


 何、を。


「この世界のキミ、『有川鈴葉』を」


 確かに、見た。

 あれは、やっぱり、本当に私?


「いいかい? 本来、世界に全く同じ人間など存在しない。つまり、キミはここに居てはいけない存在なんだ。だからたとえ助けを呼んだとしても、キミがこの世界の『有川鈴葉』じゃないとわかれば、侵入者として捕らえられてしまうだろう。そして、女王陛下の機嫌次第で、キミは死刑になる可能性がある」

「え!?」


 タイミングよく彼の手が解かれて、思わず出してしまった声に、今度は自分の手で口を覆った。


「一体、どういうこと?」


 あれがこの世界の私。ならば、ここは私がいた世界と別の次元とでもいうのだろうか。

 極力小さな声で訪ねると、彼、ゲーテは口元に笑みを浮かべる。

 優しい天使か、それとも悪魔か。

 シルクハットを被りなおし、彼はおもむろにポケットから銀色の懐中時計を取り出した。


「しまった、時間だ」

「は?」

「とりあえず、今日のところはここで失礼」

「ち、ちょっと待ってよ! じゃあ、私はどうすれば」


 立ち上がり、背を向けようとするゲーテの腕を掴むと、今までとは一転、有無を言わせない冷やかな瞳がこっちを睨んで思わず手を離す。


「また、お会いしましょう。もうひとりの鈴葉さん」


 再びにっこり笑って、彼は私に手を振った。

 追ってトイレを出たものの、そこにはもう、誰の姿もなくて。

 私はただ呆然と立ち尽くした。



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