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file6-5

 結人の指先が、長い髪の隙間を滑る。

 何も感じないはずの髪の毛を、愛おしくて仕方のないものみたいに撫でて、キスをされるだけで切なくなった。


「鈴葉、もっと、自分のこと、好きになれよ」

「自分の、こと……?」

「俺のこと、アイツの代わりじゃなく、ちゃんと『俺』として向き合ってくれたように、鈴葉は誰の代わりでもない鈴葉で、それでいいんだよ」

「結人……」


 誰の代わりでもない鈴葉わたし

 私自身が、それを受け入れられずにいた。

 でも、誰かの代わりになんて、結局、誰にもなれるものじゃない。

 だけど今更、自分を好きになんて、なれるのかな。

 泣きそうになって結人を見上げると、あからさまににっこり、爽やかに笑う。

 ……嫌な、予感がする。


「じゃ、いただきます」

「……えっ!? ち、ちょっと、結人!」


 私に向かって両手を合わせ、一礼すると、私の首筋にかぶりつくように唇を這わせる。

 指先はシャツの中にもぐりこみ、肌の上を滑りながら、器用にシャツを脱がしていく。


「だ、だめっ!」

「大丈夫。俺が、どれだけ鈴葉が可愛いのか、教えてやるよ」


 それ、どういう意味……!?

 流される前に、なんとかしなくちゃ。

 なのに、思いとは裏腹に、指先に上手く力が入らない。


「何してんだよっ!」


 結人と同じ声が、いつかと同じ台詞と動作で私を助けてくれる。

 だけど、今回は怒りに任せて殴るなんてことはせず……だけど、襟元を掴んでいる両手のどちらかが、結人の頬をいつ殴っても不思議じゃないくらい、ギリギリのところで止まっていた。


「オマエ、マジでタイミング悪すぎ」

「うるせぇ。これ以上、鈴葉に近づくな」


 同じ顔、姿、声。

 最初はありえない景色だと思っていたけど、今ではそれなりに見慣れたもので。

 にらみ合う彼らは鏡のようだけど、やっぱり違う。

 同じ器を持っていても、『違う』んだ。


「いつから鈴葉はオマエのものになったんだよ。まだ、返事ももらってねぇくせに」

「……関係ないだろ」

「関係あるね。少なくとも、まだ俺が負けてないってことだろ。鈴葉は今、俺とオマエの間で迷ってる、な?」


 いきなり話を振られた私は、急いでシャツの前を両手で合わせると、首を左右に振った。

 疑うような眼差しになってる岩城に向かって、特に強く首を振る。


「つーか、ホントは自信ないんだろ? ゲーテが言ってたぜ、やっぱり心配だから残らせて欲しいって頼み込んだんだって? 鈴葉が俺を消さなかったから、ちょっと疑ってんだろ」

「それは……そもそも、鈴葉、お前が甘すぎるんだよっ」

「あ、私!?」


 そういえば、岩城は先に帰って待っていると言っていたはずだ。

 結人が言ってることが本当だとしたら……。

 信用されてないのだと落ち込むと同時に、なにより岩城のご指摘どおり、安心させてあげられない自分の甘さ加減に嫌気がさした。

 結人の襟元から手を離した岩城が、私のほうを向いて溜息を吐く。


「だいたい、一度じゃなく、二度もこんなことってあるかよ」


 怒りを押さえ込んでるのが伝わってきて、気まずくなって俯いた。


「オマエさぁ、そんなふうに鈴葉のこと責められんの? てめーだってもうひとりの鈴葉と好き放題やっちゃったんだろ? あれだけ長い時間一緒にいて、食わないわけないもんなぁ?」

「お前と一緒にするなよっ」

「濃厚なキス見せ付けてたくらいなんだから、鈴葉だってコレくらいのことしたっていいじゃん」


 肩を抱き寄せられて、私は慌てて結人を突き放した。

 良くない、良くない、やったからやりかえすとか、そういうの、ダメ。

 だいたい岩城があんなことしたのだって、私と結人のこういう現場を見てしまったせいもあるんだから。

 岩城の様子を伺うように顔をのぞき込むと、今度は岩城のほうがばつが悪そうに瞳を伏せた。

 瞬間、ちょっとだけあのふたりのキスシーンが脳裏に浮かび、自分のことを棚に上げて、怒りが込み上げてくる。

 それも次に岩城の冷たい視線を向けられるまでのことで。


「鈴葉は……どうなんだよ」

「えっ」

「コイツのこと、本当はどう思ってるんだよ」


 くいと顎で結人のほうを指すと、結人も結人でその答えを待っている。


「や、そ、あの……結人がいなかったら、私は今ここにいなかったかもしれないし、だから、その……」


 まったく見当違いなことを言ってるのは、自分でもよくわかってる。


「そうじゃなくて、好きか、嫌いか、どっちだよ」


 詰め寄る岩城に、私は肩をすくめた。


「嫌いじゃ……ない。あ、でも、好きでもない! っていうか」

「もう、いーよ。そういうの、お前ら帰ってからやってくれよ」


 結人への気持ちを、岩城に上手く説明できないまま、結人に言葉を遮られて、私は開いたままの口を仕方なく閉じる。

 結人はベッドから降りると、岩城の肩に手を置いた。


「じゃあ、勝負しようぜ」

「……何の」

「鈴葉の世界が終わるまで、どっちが先に鈴葉の処女を奪うか、勝負だ」


 私も岩城も一瞬目を丸くして、同じく言葉を失っていた。


「なんだよ、自信ねぇの?」


 挑発的に目を細める結人に、岩城は一度私を見つめてから結人を睨み返した。


「わかった」

「そうこなくっちゃ、な」


 今、今、今、岩城、何て答えたの……!?


「え、え、ちょっと待って、待ってよ。どういうこと……?」


 何だかわからないけど、笑いが込み上げて、頬が引きつる。


「夜這い的不可抗力の襲い方は、ナシで。けど、まぁ本人の同意がなくてもOKってことで、どうだ?」

「そんなルールありかよ」

「鈴葉って、キスまでは簡単にさせてくれるけど、案外貞操観念は強いみたいだし、オマエにとっても悪くない条件だと思うけど」


 って。

 ふたりで私を見つめる目が怖い。


「じ、冗談でしょ、ひとのそういうコト、勝負の対象にしないでよっ! 絶対イヤだからねっ!!」

「最悪、3Pもありってことで」

「それはねぇよ」

「だーかーらーっ、ふたりとも、聞いてる!?」


 声を荒げると同時に、私はシャツのボタンが外れていることを忘れて、ベッドに両手をついた。


「ずいぶん騒がしいな」


 突如響いたその声に、ここにいた三人全員が彼を見つける。


「すず、は……?」

「……お兄ちゃん!?」


 目が合って、彼の視線が私の胸元に降りて表情が一変する。


「な、何してんだ!? お前たちっ!!」


 岩城に結人との現場を見られたときより、いっぺんに血の気が引いて冷や汗が噴出した。

 急いで彼らに背を向け、私は必死でボタンを留める。


「お兄ちゃん、何もしてないからっ! だからっ」

「何もしてなくて当たり前だろっ! とにかく、お前たちは出て行けっ!!」


 真正面から言い訳しようと口を開いた岩城を、愛想笑いの結人が引っ張り、もみ合いながらも戸口から出て行ったのが見える。

 そんな彼らを見送った兄は、私を睨んで頭を抱えた。

 しばらく辺りをうろうろ歩き回って、大きく息を吐き出した。


「本当に……何もされてないのか?」

「うん、されてない。大丈夫だよ」

「じゃあ、何で、そんな格好してたんだ?」

「それは、その……ちょっと気分が悪くて、苦しかったから」


 苦しいのは、私のこんな言い訳のほうだ。

 まさか彼が、こんなところに現れるとは思ってなかった。


「まったく……あれくらいの男は、歯止めが効かなくなることがあるんだから、自分の身体は自分で守らなきゃ、だめだぞ。あれじゃあ、いつでも襲ってくれって言ってるようなもんだろ」

「……うん。ごめんなさい」


 実際、襲われそうになって……というか、最初は結人に襲われたのだけど、そんなこと言えない。


「誰とも付き合うなとは言わないけど、心配させるな」


 眉根を寄せたまま、私の頭をぐりぐりと揺らして戒めるような視線を送ってくる。

 私は俯いて、頷いた。


「鈴葉、バスケ、何時に終わるんだ?」

「あ……えっと、大会前だから7時半くらい、かな」

「じゃあ、それまで待ってるから、一緒に帰ろう」


 顔を上げると、微笑む兄がいて。

 もし、生きていたなら、現実にこんなこともあったんだろうか、なんてことを考えた。

 優しかったけれど、現実ならヒーローみたいに、こんなにタイミングよく現れるはずがないのに。

 泣き出しそうになるのを堪えて、私も笑った。




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