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世界が変わり、4日目の夜。
一日の仕事も大方終了し、女子部屋に戻った私がほっと息を吐きながらジャケットを脱いだ時だった。
「第二回、入れ替わり大作戦ー! ってことで、あとはコイツの服脱がせて着替えて、行って来いよ」
「ち、ち、ちょっとっ!」
いきなり結人が部屋に入ってきたかと思えば、彼の腕にはもうひとりの私が抱かれていて、その身体をまるでモノを投げるかのようにこっちに寄こすから、慌てて彼女を抱きとめる。
とはいえ、完全に力が抜けきってだらりとした自分と同じ容積の身体を、しっかり支えることはできずに私はそのまま床にしりもちをついた。
「んじゃ、これから先は鈴葉次第だからな」
「は!? え、結人っ!」
あとはよろしくと、同じ部屋にいた林田さんと春日さんに合図して、結人は扉の向こうに姿を消す。
「結人さんから事情は伺っております。鈴葉さん、あとはおまかせください!」
「有川さん、早く着替えて」
いつからか双子のように同じメイド服にツインテールという出で立ちが定番になったふたりが、並んでそんなことを言うなり、もうひとりの私の制服を脱がし始めた。
女同士、自分の姿をした他人とはいえ、脱がされるのを見ているのは妙な気分。
一体ふたりが結人から「どこまで」聞いているのかわからないけれど、制服を渡されるまま、私も着替え始めた。
結人が昨日言っていた「いい考え」が何なのか聞かされたのは、今日の昼食の後片付けをしていたとき。
その考えは、いつかの裁判と同じように、私がもうひとりの自分に成りすまして岩城に会いに行くというもので。
あたかも私の気持ちを聞いてきたように、もうひとりの私として抱えている気持ちの全てを話し、その後は岩城を呼び出すなりして向こうの気持ちも確認すればいいと、結人は簡単そうに言ったけれど。
そんなこと、上手くできるだろうか。
岩城を目の前に、私は彼の作った『私』になりきって、芝居じみたことなんかできるだろうか。
「有川さんて……ホントは女の子だったんだ」
「林田さん、その考え、間違ってるから」
ロングヘアのかつらをかぶった私をまじまじと見つめる林田さんの言葉に、緊張していた肩の力がいい具合に抜けた。
「鈴葉さん、頑張って、行ってらっしゃいませ」
春日さんが部屋のドアを開け、林田さんに背中を押され、私は廊下に放り出される。
「頑張って……って、言われても、ね」
結人は自分の部屋に戻ったのだろうか。
静まり返った薄暗い廊下には、誰の気配もなく、薄ら寒い。
久しぶりに履いたスカートにハイソックス、それにローファー。
紺色のセーラーの襟にはえんじ色のラインが入って、制服と同じ色のネクタイに懐かしい校章が刺繍されている。
体型はあまり変わっていないつもりだったけど、少し緩い。
廊下を進み、階段を上がる足取りが重い。
まず、何からどう話せばいい?
昼からそればかり考えて、何度かシュミレーションもしてみたけれど、どうすることが良くて、どこまでどう話していいのか、頭の中ではリセットの繰り返しで。
結局、こうして背中を押されて飛び出してきても、終始アドリブだけの演技を上手くやれる自信なんてまるで無い。
そもそも、本当に岩城は騙されてくれるだろうか。
「鈴葉? どこ行ってたの」
二階へ上がり、部屋に向かう途中で、正面から岩城が現れた。
「あ……うん、ちょっと」
ぎこちない。完全に、ぎこちなさすぎる私の態度。
こんなとき、あの私は、笑う? それとも、真っ直ぐに彼を見つめる?
立ちすくんだ私の心中をよそに、岩城は優しく笑って目の前まで来ると、ごく自然に手を繋いだ。
「部屋に、戻ろう」
「……うん」
私の前髪を分け、額にキスをする。
繋いだ手が思わずぴくりと反応して、顔を覗かれた。
「どうした?」
返事をすれば声が上ずりそうで、私は黙ったまま首を横に振った。
冷静でいなきゃいけないと思えば思うほど、繋いだ手のひらに、変な汗をかいてしまいそうで。
その手を離さずに、岩城は私を部屋の前まで連れて行くと、ドアをそっと開く。
これまで何度か朝食や昼食を運びに来たから、中の様子はわかっているつもりだった。
でも、夜のことは知らない。
部屋の中は薄暗く、広い部屋の要所にランプが置かれている。
「鈴葉も、シャワー浴びちゃえば?」
「え!?」
いきなり、そういう展開!?
「いや……うん、まだいい、かな」
繋いだ手を離して、私は両手を振って遠慮した。
コイツ、結人じゃ、ないよね?
思わずそう勘ぐりたくなる行動に、私は困惑する。
さっき、おでこにキスしてくれたのも、自然な手の繋ぎ方も、今の言葉も。
まるで、岩城じゃないみたい。
あの日の朝、もうひとりの私とキスしていたのも、私の知らない岩城だった。
でも。
ただ私が知らなかっただけで。
……これも、本当の岩城の一部分。
「やっぱり、何かあったんじゃないのか?」
ソファに座った岩城が、私に隣に座るよう促した。
少し間を開けて座ろうとした私の腰に手を回し、岩城は私を自分の膝の上に抱き寄せる。
「最初に、嘘も隠し事も一切しないって、約束したろ?」
そう、なんだ。
なんだか、胸が痛い。
「また、彼女と何か話したの?」
私の頬に指を滑らせながら、目を細めて聞く。
彼女、とは、私のことだろうか。
昨日の出来事を、岩城は知っているんだろうか。
「鈴葉は、余計な心配しなくていいんだよ。ただ、俺のそばにいてくれるだけで、それだけでいいんだ」
私の胸元に顔を埋めるように、体を抱き寄せる。
その仕草に緊張が走ったのは一瞬で、いやらしさなんかを感じるよりも、すがる様な岩城を抱きしめてあげたくなる自分自身に戸惑った。
どうしようか迷って、そっと髪を撫でる。
こんなふうに岩城に触れるのは初めてで、私は息を飲んだ。
「聞いて、きたの……」
いつまでも、黙ってるわけにはいかなくて、私は口を開いた。
「……何?」
「あのひとが……岩城を、振った理由」
顔を上げずに、岩城の動きが……呼吸までも、ぴたりと停止したように見えた。
反応が何もなくて、私も髪を撫でていた手を止める。
昨日の出来事を彼女から聞いていたとしても、もう一度話してきたと言えばいい。
「知りたがってた、よね?」
「彼女が、本当に鈴葉に話したの?」
俯いたまま、低い声が響く。
「私が、無理矢理……聞きだしたから……」
私を見上げる岩城の瞳と目が合って、わずかに唇が震えた。
迷いがあれば、私の全身を覆っている嘘を見抜かれる。
だけど今更、こんなふうに私の思いを伝えていいのだろうかと躊躇っていた。
これがバレたら、きっともっと、岩城を傷つける。
いつも、その場しのぎで誤魔化して、時間が経てばどうにかなるなんて。
逃げてばかりじゃ、ダメだ。
「岩城」
こんな格好して、ズルイことしようとして、ごめん。
正々堂々と自分であることを伝えて、謝って、ちゃんと話して。
わかってもらえなくて、もし、今の曖昧な関係も終わってしまうのなら、それも、仕方ないのかもしれない。
ちゃんと終止符を打たなきゃ、いけない。
「私、ね……」
次の言葉を口にする前に、目の前の景色がぐらりと揺れる。
ソファに押し倒された私を、岩城が見下ろした。
「あ、の」
待ってと言おうと開いた唇に、岩城の唇が重なった。
肩を押し返そうとした手を掴まれて、指に岩城の指が絡まる。
「どうしたの、鈴葉」
離れた唇が鼻先に触れ、耳元で岩城が囁く。
「いつもは自分から誘うくせに、抵抗するなんて、めずらしいね」
わずかに笑って耳の輪郭を舌でなぞり、首筋にキスをする。
いつも、という言葉に胸の中がざわめいて、だけどそれ以上に、岩城の唇が私の身体に触れるたび、体温が上昇していく。
「だか、ら……岩城、私」
喉の奥が渇いて、言葉が上手く出てこない。
息を飲み上下するその喉に、岩城の唇と舌が這い、制服の隙間から入り込んだ指が、ウエストから胸元に伸びた。
「いや」
思わず小さな声を上げると、その声に反応するように、岩城の手が止まる。
制服の中から手が抜け出してほっとしたのも束の間、スカートを捲り太股を撫でられて、私は反射的に身体を捩って岩城の身体を押しのけようとした。
「鈴葉」
その名前は、彼女じゃなく、間違いなく私を呼んでいると思った。
痛いほどに腕を押さえつけられ、互いに息を弾ませ、視線がぶつかる。
「どうせなら、最後までなりきれよ」
「……えっ」
「そのつもりで、来たんだろ?」
そのはず、だった。
でも。
いつから、岩城は気付いてた?
「だったら『鈴葉』、俺を最後まで受け入れてよ」
否定も肯定も、疑問も後悔も言い訳も、何も許されずに岩城の唇が私の口を塞いだ。