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file1-3

「……は、…ずは」


 誰かが、私の肩に触れて名前を呼んでいる。

 遠くから聞こえる声が、少しずつ鮮明になってくる頃、ぼんやりと視界が開けた。

 灰色の空から降る細やかな滴が、静かに私の頬を濡らす。

 視界が不意に暗く影を落とし、現れたのは見慣れた顔。


「鈴葉」


 岩城。

 微かに唇は動いたかもしれないけれど、声にならなかった。

 すべての感覚を奪われてしまったかのように、意識だけがここにある。

 私、どうしてこんなことに。


「大丈夫か、鈴葉」


 わからないけど、あんまり大丈夫じゃない気がする。

 どうしてこんな雨の中、芝生の上に寝転がってるのか、何ひとつ思い出せない。

 岩城に抱え起こされて周りを見渡しても、ここがどこだかわからない。

 ふと額に柔らかな感触が落とされて、私は顔を上げる。

 今まで見たことのない、切なげな岩城の表情に、私はにわかに衝撃を受けた。

 それも、お互いの息が絡まりそうなほど、こんな近い距離で。


「なん、で」


 やっと、声が出たのは、本能がこの状況を危機だと悟ったからかもしれない。


「近いーっ!」


 まるで電源スイッチをオンにしたかのように、身体の感覚を取り戻した私は、すぐさま岩城の顎を押し返した。

 その腕の中から抜け出すと、慌てて立ち上がる。

 しりもちをついた格好で、岩城は顎を押さえて私を見上げた。


「どうしたんだよ、鈴葉」

「そ、そ、そ、それは、こっちの台詞よ。どさくさにまぎれて、何しようとしてんのよっ」


 訝しそうに首をかしげ、岩城もゆっくり立ち上がった。

 くらりと眩暈がするのは、この状況のせいなのか、それとも倒れてたのに無理やり起きたせいなのか、もうわからない。


「何って……大丈夫だよ。今、女王陛下はバスルームに入ったばかりだから、しばらくは出てこないだろう」

「は……?」

「一体、何があった? こんな場所で倒れてるなんて。心配したぞ」


 ジョオウヘイカ?

 その言葉、聞いたことがある。

 だけど、いつ? 頭の中が混乱して、上手く思い出せない。


「けど、さすがにまずいだろ。お前がその服、着てるなんて」

「え?」

「それも、陛下の気まぐれか?」


 私の理解できないことを次から次へと話しながら、岩城はこっちに近づいてくる。

 目を細めて、優しく微笑んで。

 そんな余裕たっぷりな表情だって、初めて見る。


「岩城、何か、変だよ」


 一定の距離を保つべく、私は数歩下がって、岩城の様子を伺った。


「変なのは、鈴葉のほうだろ。頭でも打ったのか?」


 笑ってそう言われると、そうなのかもしれないと思う。

 だけど、だけど。やっぱり、何かがおかしい。


「それに」


 一気にふたりの間を詰められて、腕をつかまれた。


「ふたりっきりの時は、岩城なんて呼ぶなって言ったろ?」


 は!?

 いつから私たちは、そんな関係になったんですか!?

 いや、なってない、絶対になってない。

 私の知ってる岩城は、そんなこと、こんなカッコイイ顔して言えるようなヤツじゃない。

 こんなふうに、積極的にオンナに迫れるようなオトコじゃないっ!


「アンタ、誰?」

「だから、何なんだよ鈴葉。記憶喪失ゴッコとか、そういう新しいプレイ?」


 腕を振りほどこうとしても、岩城はニヤニヤしながら離してくれない。


「今日はマジで女っぽいし、可愛いよ」


 甘い口調に乗った言葉に、思わず全身が粟立った。

 あの岩城が、こんな調子でそんな台詞を吐くなんて、絶対にありえないっ。

 この、目の前のオトコは、一体、誰!?


「結人様、結人様!」


 聞き覚えのある声に岩城が振り返り、私もその方を見た。

 薔薇の垣根の向こう、西洋風の建物のエントランスから、白いひらひらのエプロンをした女の子が手を振っている。


「結人様、ゲーテ様がお呼びです」

「わかった。今行くよ。鈴葉、またあとで」


 いやらしい流し目だけ残して、岩城は足早に建物内に向かう。

 そして岩城を呼んでいた女の子に何やら耳打ちすると、今度はその彼女がこっちに向かって来た。


「鈴葉様、どうなされたのですか? こんな格好で、びしょ濡れで……すぐに替えのお召し物をお持ちいたします」

「あ……」

「はい?」

「春日さん、だよね?」


 確か、クラスメイトの春日さんだ。

 確信が持てないのは、彼女の格好が黒のローファーに、ニーソックス、ふわふわした短めの黒のワンピースの上には白いフリルの付いたエプロン。で、ツインテールの頭には、何の役目かまったくわからない、エプロンと同じくフリルのついたカチューシャ。

 いわゆる、コスプレ的なメイドファション。

 今日は、学園祭だったっけ?

 彼女のスタイルを下から上まで目で辿ると、頬を赤くしてこっちを見る瞳と視線がぶつかった。


「わたくしなんかの名前を、覚えていてくださったんですね……?」

「いや、だって、クラスメイトだし」

「え?」


 え? って。

 聞き返される意味がわかんないけど、春日さんは、あの休み続けてる林田さんの友達だ。

 巻き髪ツインテールは、いつもなら後ろでひとつにまとめた真っ直ぐストレートで、眼鏡をかけていたから随分と印象が違うけど。


「このままでは、風邪をひいてしまいますわ。とにかく、中へ」


 春日さんに促されて、私は建物の中に入ることにした。

 私が倒れていた場所は、どうやら中庭だったようで、小さな丸い噴水に見事な薔薇の垣根、短く刈られた芝生には、石畳が続いていた。

 大袈裟な階段を上ると、春日さんがガラス張りのドアを開けてくれた。


「ここ、どこ?」


 ぼそり呟いて、私は息を飲む。

 映像や写真でしか観たことのない、中世ヨーロッパのお城みたいな天井画に調度品。

 光ってる床は、大理石?


「では、すぐに着替えと熱い紅茶でもお持ちしますので、鈴葉様はお部屋でお待ち下さいませ」

「えっ、部屋って……」


 呆然とする私に、にっこり笑って深々と頭を下げると、春日さんはツインテールを揺らしながら小走りでどこかへ行ってしまった。

 ひとり、置き去りにされた私は、どこへ行けばいいのか。

 部屋で待てって言ったって、どの部屋に行けばいいんだ!?


「っていうか、ここ、どこっ!」


 声がホールに空しく響いた。

 とたんにぶるっと身体が震える。

 どれくらい、あの芝生の上で気を失っていたんだろう。

 髪の毛からは、冷たい滴が頬を伝って落ちる。

 制服のジャケットから中のシャツまで、しっとりと湿っていた。

 私はジャケットを脱いで、濡れた髪をかきあげる。


「ホントに、記憶喪失かな」


 岩城が言っていたように、どうにも状況が把握できない。

 ここがどこで、どうしてこんなところにいるのか。

 岩城がいつの間にあんな色男になって、春日さんがいつからイメチェンしてメイドの格好をしてるのか。

 何かが起きたことは、覚えてる。

 だけど、それが何だったのか、思い出せない。

 私は雨の降り続ける外を眺めて、小さく息を吐いた。



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