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「美しい眺めですね……美少女と美少年、もとい男装美少女が寄り添っているなんて、これぞ『萌え』」
不愉快な高笑いに目を覚ますと、腕の中にいた林田さんのほうが先に身体を起こした。
こんなに硬く冷たい床で女の子を胸に抱くなんて、今まで経験したことのない状況で眠ったせいか、頭が重く身体もダルイ。
一体どれくらい眠ったのか検討もつかなかったけど、まだ頭の中はぼんやりとしている。
起き上がった私の腕にそっと林田さんの指先が触れ、つけ睫毛の取れたふたつの瞳が私を覗き込み、照れたように瞼を伏せる。
「おはよう」
何か、熱い夜を過ごした朝みたいな表情に、正直、困る。
うっとり呑気に朝のあいさつとか、それどころじゃないでしょ、林田さん。
「このままふたりをこの場所に閉じ込めて鑑賞するのも乙ですが、あいにくぼくはノーマルCPが好みなんです」
ゲーテのウザイ作り笑顔はもう見慣れたけれど、妙な言い回しは、相変わらず好きになれない。
背後では黒く長い尻尾が、ゆらゆらと楽しそうに揺れている。
「さて。では、参りましょうか」
何のためらいもなく、あっさりと鉄格子のドアは開けられ、私たちを外へ促すようにゲーテが手を広げる。
ゲーテ以外に、他の誰もいない。
逃げ出す隙は、いくらでもある。
捻った足首はまだ腫れぼったくて、わずかに熱を持ったまま。
私はここに残ったとしても、せめて林田さんだけ逃げ延びられたら……。
私のシャツを掴んだままの林田さんを見やると、彼女もまた、不安そうに私を見上げた。
「どうかしましたか? それとも、よほどこの牢獄が気に入りましたか」
ぐるぐる考えを巡らせているうちに、横にいた林田さんが立ち上がる。
「私、行くね……」
「え」
「いろいろ、聞いてくれて、ありがとう」
「ま、待って!」
眉をひそめ、それでも笑顔を作る林田さんが、ゲーテに向かって足を踏み出した。
続いて立ち上がった私は、やっぱり足首に痛みが走って一度地面に膝をつく。
「帰ろう! 一緒に、現実の世界に、帰ろうよ」
ちょうどゲーテの前で林田さんは立ち止まると、ゆっくり私を振り返った。
そして、静かに首を横に振る。
そんなの、ダメだ。
足を引きずりながら林田さんのそばまで来ると、私はゲーテを睨んだ。
「ゲーテ、何か……方法はないの? 林田さんが失ったものを取り戻す方法。じゃなきゃ、死刑にならずにここに残れないの?」
「ぽかん」
「……何、それ」
ゲーテは無表情で意味不明な返事をする。
頬が引きつり、こみ上げる怒りを鉄柵を強く握ることで拡散した。
「鳩が豆鉄砲食らったような顔の擬音語です。いや、表現が古臭くなってしまうと思ったので、つい」
「馬鹿に、してんの」
ダメだ。冷静なつもりでも、いくら声のトーンを抑えても、そんな台詞が口を吐く。
「いえいえ、そのような表情をしたかったのですが、マヌケな顔をするのはぼくのプライドが許しませんので、あえて音で表現してみたんです。そんなに鈴葉さんが怒るとは思ってもいませんでしたので」
「それどころじゃないでしょっ!?」
「そうですか?」
こうやってとぼけたまま、次へと持ち越すのがこいつの常套手段だ。
食い下がるわけにはいかない。
「とにかく、死刑にはさせないから」
私は林田さんの腕を掴み、自分のほうに引き寄せた。
ゲーテの青い瞳が妙に穏やかで、それが逆に私を不安にさせる。
「大丈夫。死刑になんか、しないよ」
まさかと私はその声を振り返る。
階段をTシャツにジャージ姿で下りてきたのは、岩城だ。
「ふたりが出たら、この牢獄は閉鎖する。だから、早く上に来て」
まるでそれが本意じゃないような、歯切れの悪い話し方。
呆然とする私の横で、ゲーテがくすくすと笑うのが聞こえる。
「つい意地悪をしてしまいましたが、すでにプレイヤーが彼に代わったんですよ」
「え……?」
私より先に、林田さんが驚いた声を上げる。
瞼を伏せていた岩城が私を見て、すぐにその視線を逸らした。
そんな態度に、少しだけムカついた。
いや、態度、だけじゃない。
「代わったのに……どうして、私はここに」
「彼が、玲果さんの死を望まなかった。それだけのことです。ただ、今すぐにでも現実世界に帰りたいというのなら、それでもぼくはかまいませんが」
「じゃあ、まだここに居ても…いいの?」
「玲果さんはこう仰ってますが、岩城くん、どうしますか?」
「別に、俺はどっちでも」
首を傾けて本当にどうでもよさそうな返事をすると、岩城は私たちに背を向け、ポケットに手を突っ込んで階段を上り始める。
「岩城」
これが、岩城が私を助ける方法だったのか。
どちらかひとりが逃げ切れば、どちらかが助けにいける。
それが、このやり方?
何か胸の奥につっかえたものが、私を嫌な気分にさせる。
林田さんの腕から手を離し、岩城の側へ向かおうとした私を、誰かの手が引き止めた。
腕を強く引いているのは、白い手袋に包まれた、ゲーテの手。
「これから彼のことは、ご主人様とお呼びください」
「は? どうして」
「そのままです。彼はご主人様、そして鈴葉さんは彼の身辺をお世話する使用人ですから」
「はぁ!?」
「ついでに玲果さんも、メイドとして設定させていただきました。この世界にいる限り、何かの代償は払って頂きますが、今回はその労働力を差し出してもらいましょう」
目を丸くして口を半開きにしたままの林田さんは、まさに「ぽかん」としてる。
そんなこと考えてる場合じゃない。
「岩城っ! 一体何考えてんのよっ」
ゲーテの手を振り払おうとしたのに、今度は両腕をしっかり掴まれて身動きが取れない。
岩城がご主人様で、私が使用人!?
どんな設定なわけ?
で、どうして岩城はそんなに面白く無さそうにしてんの。
聞きたいことがありすぎるのに、岩城の後姿は見えなくなる。
「ゲーテ、離してっ」
「使用人の教育は、ぼくの仕事ですので。ご主人様に危害を及ぼしそうな者を野放しにするわけには参りません」
「危害なんて加えるつもりはないから、とにかく岩城と話をさせて」
「ですから、『岩城』ではなく『ご主人様』です。それからぼくのことは、これから『ゲーテ様』と呼ぶように」
「なっ……」
肩ごしに後ろのゲーテを伺うと、怪しげに微笑んで私の手を離す。
「冗談、でしょ」
「もし冗談だとしたら、つまらない冗談ですね」
そうでもない。冗談なら冗談だと言ってほしいし、今なら笑い飛ばしてやる。
ゲーテに様をつけて、岩城をご主人様と呼ぶなんて、絶対、無理!
ふと横にいる林田さんを見れば、丸く見開いていた目はとろんとして、岩城が上っていった階段を見つめたまま、ぼんやりしている。
「林田さん……?」
「ご主人様、素敵です」
早速、世界に入り込んでしまったひとが、ここにいた。
瞳をキラキラ輝かせながらゲーテに向き直り、両手を握りしめる。
「私、メイド、頑張りますっ!」
「その意気です。あなたもご存知の通り、なかなか体力も必要としますので、頑張ってくださいね」
はい! と意気揚々と答える林田さんに、私は開いた口が塞がらなかった。
いくら死刑にならずに、この場所に残れることになったとはいえ、変わり身の早さには愕然とする。
結果はオーライなのかもしれないけど。
こんなの、ついていけないっ!
頭を抱える私の肩に、ゲーテがぽんと手を置いた。
「さ、鈴葉さん、行きましょう。岩城結人の創った新しい世界へ」
どこか意味深なゲーテが私の先を行く。その後を、林田さんが小走りでついて行った。
そして私も、一歩、前へ踏み出した。
岩城の顔を思い出せば、私は本当にここから出てもいいのかと躊躇する。
岩城の、望む世界。叶えたいこと。
私と林田さんをここから救い出すために、仕方なく自分の思う世界を創り出したのだとしても、適当なことを言ったところで、あのゲーテが納得するはずがない。
痛む足首を引きずりながら階段をひとつずつ上り、やがて出口の扉をゲーテが開く。
岩城が創り上げた世界。
そこにはきっと、結人の姿は、ない。