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「だから私はゲーテに、自分の楽しかった記憶を、少しずつ奪われてる」

「記憶、を……?」


 呆然と聞き返した私に、林田さんはひどく無理をした笑顔を向けた。


「ここに来て何日か経ってから、ゲーテにまだこの世界に居続けたいかって聞かれたの。有川さんはわかってるだろうけど、私、現実じゃ、言いたいことも言えない地味で暗いキャラでしょ? それがここじゃ女王陛下なんて、もう、楽しくてしょうがなくて、絶対に帰りたくないって思った」


 頷くに頷けなくて、私は黙って聞いていた。


「本当なら、5日間で夢の世界は終わり。それでも続けたいなら、それなりの代償を差し出せって言われて。私はお金も才能も何も差し出すものなんかないって答えたら」


『きみの中に残っている、現実世界の楽しく幸せだった出来事の記憶、それを頂きましょう。死のうとしていたのですから、そのような記憶など、きみにとって忌まわしく鬱陶しい現実世界の産物でしかないはずです』


「私も、そう思った。楽しいことなんて、あんまり覚えてなかったし、こっちに来てからのほうが、幸せだったし。そんなものでここに居られる時間が長くなるなら、いくらでもある限り差し出すことにしたの」

「じゃあ。今、現実に、記憶は無くなっているの?」


 林田さんはこくりと力なく頭を垂れる。

 そして、肩で大きく息をした。


「少しずつ、幼い頃の記憶から順番に、あったはずの出来事が思い出せないの。たぶん、楽しかったんだと思うの。だけど、どう思い出そうとしても、わからない。辛かったり、悔しかったり、そんな嫌なことばかりしか、私の中には残ってない」


 想像、できなかった。

 でも私まで記憶が奪われていないか確かめるために、ずっと昔のしまい込んでいたような出来事さえ思い出そうと必死になる。

 まだ、自分の世界さえ始まっていないのに。

 脳裏に浮かび上がる情景に安堵すると同時に、これがもし無くなってしまったら、彼女のように帰りたくなくなって当然だとぞっとした。


「それに、私がいなくなったことで、騒ぎになるのは嫌だった。だから、できるならみんなの記憶からも私のことを消したかったの」


『ひとりずつ、裁判にかけて死刑にしましょう。そうですね、グロテスクにいくのも悪くありませんが、きみの好きなチョコレートにして食べてしまえばいい。そうしてこの世界から消えた人間の現実の記憶から、きみの存在も消えていく』


「最初は、怖かったけど、嫌いなヤツから死刑にしていったら、気持ち良かった。そのうちに感覚も麻痺して、両親と弟も食べた。担任も、友達も……」


 声が詰って、林田さんは胸元をぎゅっと掴んだ。

 私もどう言葉を掛けていいのかわからなかった。

 現実離れした発想は、しっかりと現実とリンクしていたのだ。

 彼女が学校に来ないことに、誰もが無関心でいたのは『当然のこと』だったのだから。

 私は息を飲み、粟立った肌を擦った。


「あとふたり…春日さんと有川さん、ふたりを食べたら終わりだったの。岩城くんが私を覚えてるとは思えないけど……最後には、食べたかもしれない。けど、そうやってほとんどの人に忘れられてしまった私には、帰る場所なんてないの」


 唇を噛んで、しばらく俯いた彼女は、はぁ、と大きく溜息をついて顔を上げる。

 そして、私を見て微笑んだ。


「でも、まさか最後に、有川さんとこんなふうに、この世界で話ができるなんて、思ってもみなかった」

「最後だなんて……何か、方法はないの?」

「現実に戻ることはできなくはないと思うけど。もう、いいの。本当に、戻りたくないから」


 吹っ切れたような笑顔を見せて、林田さんは真っ暗な天井を仰ぐ。


「この世界が続くなら、死にたくない。でも、現実に戻ることも、もう考えられない」


 それは、必然的にゲーテの宣告を受け入れるということ。


「どうして、そこまで」

「たぶん、有川さんには、わかってもらえないと思う」

「え……?」

「教室の隅っこで、地味に妄想ばっかしてた私の気持ちなんて、わかんないよ。っていうか、わかるとかいわれても、信じられないし。わかってほしいとも、思ってないから」


 突き放されるように言われてしまうと、それ以上は聞けなくなる。

 口をつぐんだ私に、林田さんはごめんなさいと謝った。


「私、こういう暗い性格なの。ネガティブで、ワガママで、最低。おまけに可愛くないし、友達もあんまりいないし」

「女王陛下の性格は、私もどうかと思うけど、でも、今の林田さん、可愛いよ。嫌味なんかじゃなく、ホントに」

「………」


 目を丸くした林田さんの頬が、ほんの少し色付いたように見えた。


「正直、今までほとんど話したこともなかったから、大人しい子っていうイメージしかなくて、いろんな意味ですごく驚いた。けど、そんなに自分自身を蔑まなくても、いいのに」


 他人から見える自分と、自分自身のイメージとは違っていることがある。

 コンプレックスだと思っている部分こそ、チャームポイントだったりするし。

 ただそれを、なかなか自分では受け入れられない。


「有川さん、いつからここにいたの?」

「あぁ……三日前、かな」

「じゃあ、私の嫌な性格、見たでしょ。メイドに対する態度とか……」

「うん」

「幻滅、したよね」

「幻滅っていうより、信じられなかった。まったく別人みたいだから」

「それに、有川さんのこと、男装させちゃってるし、岩城くんのことだって、あんな女好きにしちゃったし……最低でしょ?」

「それは、なんていうか……」


 饒舌になった林田さんは、私に身を乗り出して聞いてくる。


「客観的に考えれば、面白いんじゃないかな」


 笑って答えてみたけど、もしかしたら、頬は引きつっているかもしれない。

 最低とは思わないけれど、理解に苦しむ世界だとは、面と向かってとても言えない。


「萌え、なの」

「へ?」


 顔を真っ赤にしてる林田さんに、私は首をかしげた。


「男装とか、BLとか百合とか、メイドに執事、ケモ耳、絶対服従、許されない恋、禁断の愛っ」


 力説する林田さんは、迫力があった。

 気の抜けたような表情は一変、眩しいくらい生き生きして、その姿に半ば圧倒される。


「そういうの、好き?」

「……なんとなく知ってるけど、好きかって聞かれると、ちょっとよくわかんない」

「そう……なんだよね。一般ウケしないの。わかってるのにどうしても好きで、そんな自分のことが、ちょっとずつ嫌いになって。こういうギャルっぽいのにも憧れて、自分の中で、どんどん矛盾ばかり膨らんで」


 早口になって喋りながら、明るかった顔がふと翳る。


「いつの間にか、自分の中でバランスが取れなくなったの。現実が受け入れられなくて、数少ない友達とも、上手くいかなくなって。周りの誰も信じられないし、劣等感の塊を抱えきれなくて、死にたいって考えるようになった。今なら、どうしてそんなことで死のうとしたんだろうって思う。だけど、あのときの私には、それしか選択肢がなかった」


 そしてゲーテと出会った彼女は、命拾いしたはずなのに、取り返しのつかない世界を創り出したのか。


「私、明日、本当に死ぬんだ……」


 彼女の喉が、こくりと音を立てる。

 と、私の身体に影を落としていた鉄格子の闇が微かに揺れて、間もなく灯りが消えた。


「ひっ」


 林田さんの小さな叫びが牢獄に響き、わずかな光もない、真っ暗な闇に包まれる。


「蝋燭、なくなっちゃったんだね」


 誰かが気付いて取替えに来るとは思えなかった。

 こんな暗闇の中に、一体いつまで閉じ込められているのかと思うと、気が重い。

 岩城、今、どこにいるんだろう。

 結人は……もう、消えてしまったのだろうか。

 林田さんが視界から消えたことで、ふと二人の顔が交互に浮かぶ。


「あ、あ、有川、さんっ」


 裏返った声で、動揺しながら林田さんが私を呼んだ。

 ひたひたと床を叩きながら彼女が移動しているのが、その音でわかる。


「どうしたの?」

「どっ、どこにいるの!?」


 悲鳴にも似た尋常じゃない叫びに、驚いて目を凝らす。

 まだ闇になれない視界に、影も形も浮かんではこない。


「大丈夫、近くにいるよ」

「ホント!?」

「うん。動かないで、じっとしてて。今、そっちに行くから」


 私は四つんばいになり、彼女がいたほうへ手探りで向かう。

 林田さんの呼吸が何度も苦しそうに聞こえるから、それを頼りに急いで手を伸ばした。


「ぎゃあ!」

「ちょっ、私だってば。落ち着いて!」


 触れたのが、身体のどの部分なのかわからないけれど、彼女を掴まえて抱きしめる。


「本当に、有川さんなの!?」

「そうだよ。急に、どうしたの?」


 震える彼女は、思っていたよりずっと華奢で、甘い香りが鼻をかすめる。

 私の背中にまわした腕は、すがりつくように私のシャツを掴んでいた。


「今……私、死んだのかと思った」

「大丈夫。生きてるよ」


 私の胸の中で小さく頷くけれど、その震えは止まらない。


「死にたくない……」


 微かな声が、耳に届く。


「……私、死にたくないよ」


 それが、本当の林田さんの気持ちだと思った。

 肩を揺らして泣く彼女を、それからずっと、抱きしめていた。



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