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「結人様、すぐそこを出て鍵を掛けて。今ならまだ、見逃してあげる」


 鉄格子を握りしめる指先のデコレーションされた爪が、薄暗いこの場所できらきらと光る。

 唇を噛んでこっちを睨む彼女から顔を逸らして、結人は私を抱きしめる力を強くした。


「イヤだ。俺は、もう鈴葉から離れない」


 耳元で響く結人の声が、微かに震えている。

 こくりと息を飲み、結人は女王陛下を振り返った。


「もう、アンタの言いなりになんかならない。俺は、鈴葉と逃げる」


 そう言って結人は私の身体から離れると、今度は私の手錠を外そうと鍵を探しはじめた。


「無駄よ。逃げる場所なんて、どこにも無いんだから!」


 一瞬、彼女の叫びに結人は指を止め、わずかな沈黙のあと、私の両手は開放された。

 そして次は足枷へ手を伸ばす。


「やめなさい! これは命令よ!! 侵入者の逃亡を手助けするなんて、たとえ結人様であろうと」

「得意な『死刑』かよ」


 呟くように結人が言い捨てると同時に、右の足枷が外れる。


「俺の代わりなら、ひとりいるだろ。見た目がまったく同じ人間が。そいつを置いてくから、俺は鈴葉と一緒に鈴葉の世界に行く」


 両手両足が自由になって、結人が私の手をとった。


「立てるか?」


 私は頷いて床に手をつき立ち上がろうとする。

 ずっと後ろに縛られていたせいか、肩に鈍い痛みが走り、勢いで腰を起こすとぐらりと視界が揺れた。

 名前を呼ばれ、結人に手を引かれてバランスを取り戻すと、女王陛下……林田さんと目が合った。


「本当に無理なのよ!」


 大きくかぶりを振って、彼女自身の身体で出口を塞ぐ。


「……そんなことできるなら、とっくに私がしてるわ」


 その声は焦りから落胆へと変化し、呟くように小さかった。

 結人が私の手を握る力を強くする。


「この世界すべては、私が創り上げた空想の世界。現実に存在することのない、架空の場所。だから結人様は、現実世界に行くことなんてできないのよ」

「は? 何言ってんだよ……意味わかんねぇ。鈴葉、行くぞ」


 結人が立ちはだかる林田さんを押しのけると、彼女は小さな悲鳴を上げて、体勢を崩し床に座り込む。

 まだ足が痛くて、私は結人に引きずられるように牢屋を出た。

 素足の裏には、冷たく湿り気を帯びざらついた床の感触がはっきりとわかる。


「待って! このまま有川さんがここに存在するなら、結人様は消えるのよ!」


 彼女の叫びなんてかまわず先へ進もうとする結人を、私は引きとめた。


「なんだよ。どうせデタラメだろ。かまうなよ」

「……私には、そう思えない」


 きっと、林田さんは私がゲーテに聞きそびれた疑問の答えを知っている。

 私が彼女を振り返ると、床に両手をつき、涙を溜めながらも強く睨む瞳があった。


「この世界に存在する全ての人物も、私が創り出した、ただの『存在』。人形と変わりないの。結人様、あなたもそう」


 一瞬間を置いて、結人が声を上げて笑い出した。


「俺が、人形? アンタが創った? じゃあ、自分が神だとかいうわけ? 笑わせんな」

「そうよ! 神よ!」

「バカか? 気でも狂ったんじゃねぇの?」


 なぁ? と私に同意を求めて結人は笑い続けるけれど、私はただ何も言えずに林田さんを見つめることしかできなかった。


「じゃあ、結人様、あなたはいつからここにいるのか、思い出せる?」

「え?」

「いつ生まれて、どんな経緯でここにいるのか。いるはずの両親や家族の顔を思い浮かべることができる?」

「……な、なんだよ」


 笑うのをやめた結人は、それきり言葉を失った。

 沈黙の次に訪れたのは、ピンと張りつめた静寂。

 結人が大きく息を吸い、吐き出す言葉が見つからないまま口を閉じ、そんなことを何度か繰り返す音だけが響く。

 徐々に青ざめていく横顔、せわしなく彷徨い動く眼球。

 辿れるはずの記憶が無い、恐怖。


「結人……」


 名前を呼んで指先に触れると、結人の身体がびくりと揺れた。


「んなもん、忘れたよ……親の顔なんて、いちいち覚えてねぇし」

「そうよ。思い出せるはずなんかない。結人様の家族や幼い頃の記憶なんて、私の設定に必要ないから『存在してない』んだもの」

「何を……」

「あなたは私に創られて、初めからこの場所に、この空間に、私を喜ばせるためだけに存在する。軟派な性格も、鈴葉様との関係も、全部私が考えて『岩城結人』を創り出したのよ」


 結人は愕然として、両手で頭を抱える。


「有川さんがここに留まるなら、そのうち私が創ったこの世界は終わる。世界が終われば、結人様、あなたは消える」


 予想していなかったわけじゃない。

 だけど、だからその宣告に取り乱したりしないように、私は瞼を伏せて静かに息を吐き出した。

 林田さんが自分の世界を守るための嘘をついていないとも限らないけれど、あんなに高飛車に振舞っていた彼女が、牢獄の床に手をついたまま、必死にこんなことを訴えるとは思えない。

 世界が変わる時、私が望む世界をゲーテが創り出した時。

 結人は、消える。


「そんなこと、信じられるわけ、ねぇだろ」

「結人様が存在し続けたいなら、そこにいる有川さんを、殺すしかないの」


 決心を秘めた林田さんの低い声に、肌が粟立った。

 私を見つめる結人は、女王陛下の口から語られたことを受け入れられるはずがなく、動揺しているのが見て取れた。


「鈴葉……何か言えよ。どうしてさっきから黙ってんだよ」


 私がここにいれば、結人が消える。

 そして、結人はこの世界から抜け出すことができない。

 じゃあ、私は。


「どうしたら、いいの」


 視線を床に落とすと、蝋燭の灯りに照らされた林田さんの影がぐらりと揺れる。

 そして、背後に現れた気配に、ここにいた三人全員が目を向けた。


「玲果さん、ネタバレはルール違反だと、はじめにご説明したはずですが」


 飄々と靴の踵を鳴らしながら姿を現したのは、この保護区管理人、ゲーテ。

 私と結人の間を裂くように立ち止まり、横目で私を見ると怪しく目を細め、にやりと笑った。


「水も滴る、というのは、鈴葉さんのようなひとのことですね。個人的には、火照った肌のほうが好みですが、確かにコレもそそられます」


 コイツが空気を読まないのは、絶対にわざとだ。

 だけどまともに取り合ってる場合じゃない。


「さて、女王陛下、先ほども申し上げましたが、この世界のコトをご自身が創り上げたキャラクターに知られてしまうことが、規約違反となってしまうことを、お忘れですか?」

「忘れて、ないわ……でも! 私だって、現実の人間が私の妄想を邪魔するなんて、聞いてない!」


 林田さんは立ち上がり、私を指差して声を上げた。


「そうです。本来ならば、こんなオプションはありえない」


 ゲーテにも指を指されて、私は肩をすくめた。

 私だって、望んでここに来たわけじゃないのに。

 ゲーテはふうと溜息をわざとらしく声に出し、胸の前で腕を組んだ。


「正直なところ、林田玲果、あなたの妄想世界には飽きたんですよ。妄想のマンネリ化、行き詰まりに、あなた自身も気付いているはずです」

「でも、約束が」

「その約束も、あなた自身果たすのを拒否している。今回のメイドの処刑を取りやめたのも、結末を先延ばしにしているに過ぎない行為だ」

「違う!」

「ゲームには、必ず終わりがある」

「嫌よ……絶対に、終わらせない」

「ならば、強制的にプレイヤーを変えさせて頂きます」

「やめて!」


 淡々と語り続けるゲーテに、林田さんが飛びついた。

 唇の端を持ち上げて彼女を見下ろすゲーテの瞳は、訴えを甘受する隙などないかのように鋭く光る。


「お願い、まだ続けさせて。最後まで……」


 ゲーテの腕を掴み、揺さぶる彼女は、春日さんを処刑しようとしていた女王陛下なんかじゃなかった。

 哀願する彼女を見つめたまま、でも、決して頷くことなくゲーテは微笑んでいる。


「新しいプレイヤーを前に、規約違反を許すわけにはいきません」


 その言葉を受けて林田さんは私を見やると、がっくりと肩を落とし、その場に崩れるように座り込んだ。


「帰らなきゃ、いけないの?」

「もちろん、必然的にそうなります」

「そんなの……もう、無理よ。私に帰る場所なんか無いもの。ここで死んだ方がマシだわ」


 声を詰らせながら、林田さんは床に爪を立て強く手を握りしめた。

 林田さんとゲーテ、ふたりの間でどんな約束があるのか、最後の結末までがいつまでなのか、私にはなんの予想も想像もできなくて、ただやり取りを傍観することしかできない。

 ゲーテの向こうに立ち尽くすはずの結人の表情も、今は見えなかった。


「では、幕引きは女王陛下、あなた自身の処刑といきましょうか」


 明るく楽しげなゲーテに、呆然と林田さんが顔を上げた。



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