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「マジでヤバイって。アイツ、なんにもここのことわかってないだろ? アイツが見つかったら鈴葉のこともバレるし、そうなったら俺、かくまえねぇからなっ!」
「ちょっと、落ち着いてよ、結人。一応、誰かに見られるのは絶対にダメだって言ってあるし」
「呑気なこと言ってんじゃねぇよ。アイツがしたことは、俺がやったのも同然だろ。それが俺は嫌なんだよっ。勝手に俺の格好して動くんじゃねぇっての」
露骨に苛立った表情で舌打すると、ソファに勢いよく握りしめた拳を沈めた。
思わず肩をすくめると、つりあがった結人の目がこっちを向いた。
「アイツの存在自体ムカつく」
「……そ、そう」
「鈴葉があんなヤツと俺を比べてんのが、マジムカつくんだよ」
「と、とりあえず、岩城に電話してみるよ」
話をそらして、危険な雰囲気の漂う結人から離れると、私はポケットからケータイを取り出し岩城を呼び出した。
その間も、結人は背後で奇声を発しながら、物に八つ当たりしてる。
そこまで目の敵きにしなくてもいいと思うのだけど。
何度目かのコールで岩城が通話に出た。
『鈴葉? どうした?』
「どうしたじゃないでしょっ。岩城どこにいるの?」
『あ、昨日のゲーテとかいう変な男探してんだけど、見つからなくてさ』
「どうしてゲーテなんか探してるの」
『いや、早く願いを叶えてもらおうと思って。鈴葉、居場所知ってる?』
「それは、知らないけど……とにかく、誰にも見つかってないでしょうね」
『まぁ、なんとか、たぶん大丈夫だと思うけど』
ものすごく曖昧な返事に、私も思わず眉をしかめた。
「とにかく、今、どこ? すぐ戻ってこられそう?」
『今は、体育館に向かう途中だよ。何かあったのか?』
「もし見つかって、岩城がこっちの世界の人間じゃないってバレたら、大変なことになるってわかってるよねっ」
あぁ、そうだったと、またしてものんびりとした答えが返ってきて、呆れて溜息が出る。
『……つーか、なんか俺、アイツが起きるんじゃないかと思ったら、部屋にいられなかったっていうか』
岩城の台詞に、私は結人を振り返ると、眉間にいっそう深く皺を寄せてこっちを睨んでる。
同じ人間でありながら、いや、同じ人物だからこそなのか、まるで磁石の同極同士みたいだ。
まったく、どう収拾していいのか見当がつかなくて、手のひらを額にあてた。
「誰かに見つかりそうになったら、姿を隠してね。どうしようもなくなった時は……とにかく連絡して。っていうか、まずは部屋に戻ってきてっ」
『わかったよ』
ぷつりと通話が切れて、私はケータイを見つめた。
本当に、大丈夫だろうか。
もう一方の手に握りしめていた岩城のジャージは、私の制服と一緒にクローゼットの奥にしまっておこう。
ケータイのフリップを閉じながら振り返ったとき、不意に手首を強く引かれてバランスを崩した私は、足を捻ってそのまま結人に抱きつくような格好になった。
抱きしめる結人の腕の力が、こころなしかいつもより強い気がした。
「昨日の続き、しよっか」
耳元で囁いて、そのまま唇をそこへ落とす。
私は慌てて結人の腕を押した。
「今は、まずいでしょ」
「どうして? アイツが戻ってくるかもしれないから?」
「当たり前でしょ。私、人に見られるのがいいとか、そんな趣味ないし」
「じゃあ、鍵かける」
「そんなことしたら、岩城が」
「鈴葉」
私の言葉を遮るように、結人が私の名前を呼んだ。
声のトーンが怒りを抑えた静かなものだとわかっていたから、結人の目を見るのが怖かった。
そんな私の気持ちを知ってか、結人が下から私を覗きこんだ。
「俺が昨日何て言ったか、覚えてない?」
とぼけて誤魔化せるような空気じゃない。
覚えているからこそ、私は躊躇ってから口を開いた。
「結人、お願い。岩城のことも、かくまってほしいの」
表情を変えなかった結人が、ふと顔を泣きそうに顔を歪めて笑った。
「じゃあ鈴葉、脱いで」
「え……?」
「自分で、服脱いでよ」
意図がわからず呆然とする私から離れて、結人はベッドに腰掛けた。
「俺、そんなに都合のいいように鈴葉の言うこと聞かないよ? お願いお願いって、そうやって頼めば、俺がなんでもしてあげると思ってんの?」
「それは……」
「鈴葉は、俺の言うこと聞かなきゃいけないはずだろ。自分の立場、ちゃんと思い出せよ」
わかっているつもりだ。
のらりくらりと逃げてばかりで、結人が怒るのも当然だ。
岩城がこっちにきたことは想定外だし、もし岩城の存在が女王陛下やもうひとりの私にバレてしまえば、結人だって私たちをかくまっていたとして責められることは必至だろう。
だからこそ、岩城がいなくなったことにあれだけ焦っていたはずなのに。
そんな時に、こんなこと。
「自分で脱いで、俺を脱がしてベッドに誘ってよ。上手にできたら、そのお願い聞いてやるよ」
「そんなの」
「やっぱ、できないか」
私の台詞を代弁すると、結人は立ち上がり、クローゼットへ向かう。
そして、私がここに来た時着ていた制服を片手に戻ってくると、それをハンガーごと私に押し付けた。
「もう、おしまい。出てってくれ。俺にはもう、かくまえないから」
制服を抱きしめた私は、結人に押されるがままにドアへと強制的に連れて行かれる。
さっき捻った足に痛みが走って立ち止まろうとしても、結人はそれを待ってくれない。
「ち、ちょっと! 待って、結人」
開かれたドアを前に、なんとか押し止まった私は結人を振り返る。
でも、私の身体を廊下へ投げ出すように結人の両手が強く押し、痛みのある足首は私の体重を支えきれずにそのまま座り込んだ。
「結人!」
ドアの向こうに結人の姿が消えそうになった時、ほんの一瞬、結人の視線がこっちを向いた。
「逃げる相棒が現れたんだ。俺にはもう、関係ないだろ?」
そう言って、扉は、閉じた。
私はすぐさま扉を開けようとドアノブに手をかけたのに、すでに鍵を掛けられ、ドアがもう一度開くことはなかった。
「結人、ごめん。お願いだから開けて。今は無理だよ。だけど……」
「だけど、何?」
「とにかく……今は待って。それどころじゃ、ないでしょ」
「そんな答え、聞きたくない」
重い扉の向こうから聞こえる声は、完全に私の曖昧な部分を拒絶する。
きっと、昨日の夜、あのまま誰もふたりの邪魔をしなければ、私は結人に全てを許していたと思う。
だけど岩城が現れてしまった今、私は結人に確かな約束ができなくなっていた。
嘘やその場しのぎの答えなんて、私だってもう言いたくない。
黙っていれば、迷っていることを悟られてしまうと思ったけれど、それを拭うほどの台詞が、ひとつも浮かんでこなくて。
ドアノブを握る指先が冷たくなっていくのと同時に、どうしようもなく胸の奥が苦しくなった。
「俺は侵入者がいるとか、そんな報告もするつもりないから、安心してアイツのとこ行けよ。そこにいられたら、迷惑だ」
「そんな……」
ずっと、結人に向かって引き付けられていた何かが、ぷつりと切れた気がした。
「結人……結人っ」
沈黙が、結人の返事だった。
この扉の向こうにいるのか、それとも、もうここからも離れてしまったのか、わからない。
これでもう、結人とはサヨナラなのだろうか。
こんな別れ方なんて……嫌だ。
「大人になりきれない男というものは、とりわけ好きな相手に意地悪をしたくなるもの、らしいですよ」
振り返れば、隣を歩く岩城に同意をもとめるようにゲーテがにっこり微笑んでいた。