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中三の冬、私は岩城から告白された。
もし、同じ高校に合格したら、付き合おうと。
同じバスケ部で、三年間同じクラスだった岩城とは、いつかそうなるんじゃないかと思っていたし、その時がきたのだと私は頷いた。
自分から告白するのは負けのような気がして、本当は我慢して待っていたし、だけどそのころから岩城はモテていて不安だったから、告白されたことがすごく嬉しかったのに。
結局同じ高校に入学が決まったけれど、私はあの返事は冗談だったと笑い飛ばしたのだ。
きっと岩城は怒るだろうと思っていたのに、あの時、私のまわりで起きた出来事に気を使ってか、ただ黙っているだけで。
その妙な優しさがムカついて、私はしばらく岩城と距離を置いた。
やがて、岩城にはひとつ年上の彼女ができて、もう、すべて終わってしまったのだと思っていたのに。
いや、終わっている。
少なくとも、私はもう友達以上の感情を持つ資格がない。
私と岩城はそれぞれソファの隅に座って黙ったままだった。
背後で物音がして振り返ると、床で眠ったままの結人が寝返りを打っていた。
「その……ごめん」
空気を変えたくて、先に口を開いたのは私だった。
「つい、岩城の名前を呼んじゃって……そのせい、だね」
「いや。いいよ。そんなのは、別にいい」
「少し、落ち着いた?」
「うん。けど、やっぱ意味わかんねぇ」
「……だよね」
再び訪れる、息が詰るような沈黙。
困った。でも、こんなに話しかけにくいのは、私に後ろめたい気持ちがあるからで。
岩城の声も低く落ち着いているけど、どこか冷たい口調だし、どんなことがあっても、ふたりで一緒にいる時に、こんなにまで彼が黙っていることは今までなかった。
深く息を吐けば、簡単に岩城の耳に届いてしまうだろうし、妙な緊張感で縛り付けられているようで苦しい。
これも全部、ゲーテのあの露骨な物言いのせいだ。もっとこう、オブラートに包むような言い方をしてくれたっていいのに。
でも、私がされようとしていたコトに、間違いはないし。
考えているうちにこめかみの辺りが痛くなりはじめて、そっと息を吐き出した時、無言のまま岩城が立ち上がり、もうひとりの自分である結人の元へゆっくり近づいた。
ジャージのポケットに両手を突っ込み、睨むように結人を見下ろしたあと、今度はしゃがんでまじまじとその顔をのぞきこむ。
口を開けて眠っている結人は、イケメンの面影は微かにしかなく、なんともマヌケな寝顔をしてる。
「岩城」
相手が眠っているうちに攻撃するような、そんな卑怯者じゃないのはわかっているけど、手を出して結人が起きてしまえばまた面倒になるから、私はそっと声をかけた。
「俺……なんだよな」
「そう。だけど、それは見た目だけで、中身は岩城と全然違うよ」
岩城はそっと結人の肩に触れ、すぐさま指を離す。
そして触れた手のひらを見つめて、溜息を吐きながら立ち上がった。
「信じらんねぇけど、マジなんだな」
焦点の定まらない視線で天井をぼんやり見上げたあと、その瞳はこっちを向いた。
「鈴葉は、ホンモノの鈴葉なのか?」
「そ、そうだよ! 何言ってんの」
黙ったまま岩城は私の隣に座ると、目の鼻の先まで顔を近づけた。
「な、何っ」
「じゃあ、俺にキスして」
「はぁ!?」
「ホンモノの鈴葉なら、できるだろ?」
私は何度も瞬きをして、まじまじと岩城を見た。
いつの間にか、結人とすり替わったとか、それともまた別の次元から岩城結人がやってきたとか、そんなんじゃなきゃ、岩城がこんなこと言うはずない。
瞼を伏せる岩城に、私はごくりと喉を鳴らした。
「ごめん。無理」
私がはっきりそう言うと、ゆっくりと瞼を開いて岩城は俯いた。
どうしよう。
でも、これが本当の岩城なら、いや、絶対に間違いないはずなのだけど、私が返す答えはこれしかない。
ふと小刻みに岩城の肩が揺れたかと思うと、次の瞬間爆笑しながら顔を上げた。
「い、岩城っ! しっ! 結人が起きちゃうよ」
「あぁ、そうだよな。ごめん。けど、マジでちょっと焦ったろ?」
声を潜めながらも、腹を抱えて笑うから、私は頬を引きつらせて岩城の胸座を掴んだ。
「アンタねぇ、こっちはこの世界に来てから生きるか死ぬかの三日間だったんだからっ」
「いつも俺のこといじめるから、たまには仕返ししないとな」
「ばかっ」
「ってか、してくれなかったのは、ちょっと残念だけど」
「するわけないでしょ!」
「うん。マジで、ホンモノの鈴葉だな。間違いない」
私は掴みかかっていた手を離して、胸の前で腕を組み岩城を睨んだ。
だけど、やっといつものふたりの距離に戻ったようで、ほっとする。
「にしても、あらためて見るとそのカッコ、似合うな」
「あ……男子の制服ね」
「この世界がその、鈴葉のクラスのヤツの妄想世界なら、鈴葉が男装してんのも納得かもな」
「どうして」
「だってほら、俺ら、ホモだし」
「あぁ……そっか。そうだ、ね」
今更ながら気がついた私は、なんとなく脱力した。
岩城に言ったとおり、私にとってこの三日間は自分の身を守ることで精一杯だったから、そんなふうに楽観的にこの世界を見ることができなかった。
岩城までこっちに来てしまったことでどうなるかと思ったけれど、なんとか岩城もこの状況を受け入れようとしているみたいだし、とりあえず結人は眠ってるし。
なんだか、気が抜けた。
と、短い機械音が聞こえ、私に向かってケータイを向けていた結人が笑う。
「イケメン写真撮っといた。いい記念じゃん?」
「あのねー……」
テンパってるのか、ただ舞い上がってるのか、それとも異世界に来たことで少し壊れたのか、あまりにも能天気な岩城に私は頭を抱えた。
確かに私は、わけのわからないまま結人に出会い、かくまってもらうことを条件に絶対服従を約束させられ、クラスメイトが女王だと判明し、同じくクラスメイトが死刑にされそうになり、そんな中で、少しずつこの世界の知ってきたわけで。
こっちに来てすぐに私に会って、ゲーテから説明を受けた岩城とは違うけれど。
「鈴葉は、アイツに何お願いするの」
「え、あ……よく、わかんない。私はただ、本当にすぐ帰りたいだけで、そんな妄想とかしないから」
「けど、何か叶えてもらわなきゃ、戻れないんだろ?」
「そんなこと、言ってたよね」
ゲーテがしばらく帰れないといっていた意味が、なんとなくわかった。
どこで終わるかわからないけれど、この林田さんの妄想世界が終了して林田さんはここから元の世界に戻り、そして次に私か岩城の世界を創るってことだろう。
ゲーテは前に、随分意味深なことを言っていたけれど、私は林田さんみたいにこんな世界を作れるほど想像力豊かじゃない。
しいて言えば、広いコンサートホールで思う存分、たったひとりで自分のピアノに酔いしれるのは悪くないかもしれないと思うけど。
「じゃあ、岩城はどんな妄想してんの」
「うん……バスケでS高に勝つとか。けど、そんなの嘘の世界で叶えられても、つまんないよな」
そう言って岩城は笑った。
私も、頷いて笑ったけれど、岩城の言葉に、はっと胸を突かれた。
『嘘の世界』
そう、ここは林田さんの創り出した妄想世界。
ゲーテはこの世界が「終わる」と言っていた。
だとしたら、その時、結人はどうなるのだろう。
結人だけじゃない、もうひとりの私も、私がなんとか命を助けた春日さんも。
私は結人を振り返り立ち上がると、ベッドからシーツを一枚引っ張り、ぐっすり眠っている結人に掛けた。
「鈴葉」
振り返ると、ほんの一瞬、岩城が不安そうな表情だった気がした。
「今更だけど、鈴葉が無事で良かった。そいつが言ってたとおり、すぐそう言うべきだったのに、ごめん。俺、全然余裕無かった」
「いいよ、私だって、こっちに来たとき、かなりパニック状態だったし」
「いや……うん。そっか」
「そ、気にしないで。っていうか、私より岩城のほうがずっと冷静だよ」
それから私はソファに戻り、この世界に来た経緯やそれから今日までの出来事をざっと話した。
もちろん、結人とのコトや関係は黙っておいたけれど。
そうやってまるで修学旅行みたいに喋っているうちに、私たちはそのままソファで眠ってしまった。
久しぶりに心が穏やかなまま、ヘンな夢も見ることなくゆっくり眠れたような気がする。
「鈴葉っ、起きろよ!」
まだ重い瞼を持ち上げると、目の前に岩城の顔があった。
いや、結人? 寝ぼけている私には、ふたりのどちらなのか、さすがにわからなかった。
「アイツが、いない」
青ざめて、頬を引きつらせているのは、白いシャツにジャケットの制服姿だから、結人、だろう。
「いないんだよ、もうひとりの、俺が!」
「……え!?」
慌てて身体を起こした私の足に、岩城が着ていたはずのジャージが静かに落ちる。
それを手に取り、私は呆然と部屋を見渡した。