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そこにいる、もうひとりの自分の姿を愕然と見つめる岩城に結人が近づくと、今度は結人がジャージ姿の岩城の胸座を掴んだ。
「邪魔すんじゃねぇよ」
「なっ……」
「ナニしようとしてたか、想像くらいつくだろ?」
挑発的な態度の結人に、岩城が掴まれた腕を払いのける。
「お前、誰だ」
「誰だって? 笑わせんな、自分の顔忘れたのかよ?」
顔を突き合わせている結人と岩城は、同じ骨格に髪型、目元に唇、指先、声、全てがシンメトリーであるはずなのに。
ほんのわずかに違う動き、流れ、そして音。
微妙なズレが生じてふたりは別の空気を纏い、同一人物であるにもかかわらず、きっと双子なんて存在より簡単に見分けられる。
「……どうなってんだ」
青ざめた岩城が唇を噛んでこっちを向いた。
私は慌ててシーツの下でシャツのボタンをなおすと、ベッドを降り岩城のそばへ向かう。
「岩城、どうしてここに」
「どうしてって……学習室に行っても鈴葉がいないから、ケータイ掛けたんだよ。そしたら、知らない男の声で、鈴葉が今、音楽室で大変な目に遭ってるって」
髪の毛をくしゃりと握りながら、俯いていた岩城が顔を上げる。
眉をひそめ、今まで見たことのない鋭い眼差しが私を貫いた。
「だから、来てみたら……なんでそんなカッコしてんだよ。意味わかんねぇ」
「これは……」
まず何から説明したらいいんだろう。
私自身も突然現れた岩城に動揺してる。
こんな男子の制服を着ていることも、そんなことよりたぶん見られてしまったあの場面も、何もかも覆い隠してしまいたい。
見られたことが恥ずかしいなんて可愛い気持ちじゃなく、罪悪感ばかり込み上げてきて、この状況をどう伝えたらいいのかわからなかった。
「オマエさぁ、好きな女を前に、そんな態度しかとれないワケ? んなんだから、いつまでたってもオトモダチなんだよ」
結人が横から私の身体を抱きしめると、いつもの手馴れた感じで私の頬にキスをする。
「ち、ちょっと、結人っ」
「心配して駆けつけたんだろ? だったら、鈴葉が無事ならそれでいいんだって、こうして抱きしめてやればいいじゃん。一方的にテメーの気持ちだけ押し付けてんじゃねぇよ」
「るせーな、鈴葉から離れろよっ。嫌がってるだろ」
岩城は私の腕を引っ張り、でも結人が離すまいと私を抱きしめる力を強くした。
目の前にはいがみ合う岩城と結人。
もう、ワケわかんないっ。
「ふたりともっ、痛いから離して!」
手を離してくれたのは岩城だけで、結人はそんな岩城を嘲った。
「鈴葉、コイツ、ホントに俺なのか? ありえねぇんだけど」
「結人も、いい加減ふざけないで」
「ふざけてなんかないよ。俺はただ鈴葉と続きがしたいだけ」
「だからっ!」
力任せに結人の顔を押しやると、やっと身体が自由になって、私は肩で大きく息をした。
「とりあえず、みんな、落ち着こう」
私は両手を広げてふたりを抑えるようなポーズをしたけれど、そんな自分が一番混乱しているような気がする。
それぞれ違う表情で憮然としているふたりは、互いに顔を背け、そして同時に私を見た。
責めるような彼らの視線に、思わず頬が引きつる。
その時、まるで助け舟のようにドアをノックする音がした。
「失礼いたします」
春日さんの声だ。
ドアのほうを見遣れば、両開きの扉は片方だけが大きく開かれたままで、気を使ってか春日さんはその影から声をかけているようだった。
「ゲーテ様より、騒がしいので見てくるようにと仰せ使いましたので、お伺いしたのですが……入ってもよろしいでしょうか」
まずい。ヤバイ。
私はともかく、結人がふたりいるのを見られてしまえば岩城の運命は、私と同じ。
……侵入者は、死刑。
冷や汗の浮かぶ額を押さえる私に、事情のわからない岩城は首をかしげ、それを見かねたように結人が小さく息を吐き出すと、ひとり、ドアのほうへ向かった。
「ごめん、ペットが一匹増えちゃってさ。さらに言うこと聞かないヤツだから、今、部屋に入ってくるのは危険だよ」
ちらりとこっちを見遣りながらそんなことを言うから、もちろん反論しそうになる岩城の口を強引に押さえ、私たちはチェストの陰に隠れて身を屈めた。
「鈴葉、一体何なんだよっ」
声を潜め、それでも露骨に嫌な顔をしたまま聞いてくる岩城に、いつかゲーテに言われた台詞を思い出した。
「この世に全く同じ人間がふたりいるのは、おかしいと思わない?」
「は?」
「岩城がふたりいるなんて、絶対にありえないでしょ」
「言ってる意味わかんねぇよ」
「だーかーらっ、ここは私たちがいた世界とは、全っ然違う世界なの。だけど、ここには、私たちの世界とは別の岩城も私も存在してて……」
「……夢、なのか」
必死に説明する目の前で、自分の頬をつまみながらそんなことを言うから、私は岩城の耳を思いきり引っ張った。
「いてーっ!!」
「夢なんかじゃないわよっ! バカっ」
思わず大きな声が出て、私はすぐさま自分で自分の口を覆った。
しかし、時すでに遅し。
「鈴葉様、いらっしゃるのですか?」
「え? いや……そう、この前、動画撮ったんだよ。それ観てたんだ」
結人の辛うじてのフォローに、春日さんの微妙な返事が聞こえる。
「もう一度、鈴葉様にお礼を言いたくて……もしいらっしゃるのでしたらと思いまして」
「あぁ。……それなら、もうあまり関らない方がアンタのためになる」
「え……あ、そ、そう……ですか。そう、ですよね」
その声から、笑顔を作りながらも躊躇っている春日さんの表情が浮かぶ。
「わたくしのような者が、大変失礼いたしました」
そんなことないと思うのは、私が違う世界の人間だから。
ゲーテがどんなふうに、もうひとりの私の記憶を操作したかはわからない。
でも今後、これ以上自分から彼女に関るのはやめようと思う。結人が言うように、そうするほうがきっと春日さんのためだ。
「鈴葉」
結人と春日さんの会話に耳を傾けていた私を、岩城が呼ぶ。
顔を上げると、岩城は今までの表情とは一変して呆然と口を開けたまま、ぐるりと部屋を見渡していた。
「ここ、音楽室じゃないのか?」
幾分冷静さを取り戻したのか、確かめるようにそう聞くと、こくりと岩城の喉の突起が大きく上下する。
同じように私も気持ちを切り替えて、深呼吸してから口を開いた。
「残念ながら、音楽室はこの部屋の真上だよ。でも、私たちの学校の音楽室じゃないけどね」
「ごめん、鈴葉、もう一回最初から説明してくれ」
髪をぐしゃぐしゃと掻いてから、情けない目をして岩城は気の抜けた息を吐いた。
それから私は、この世界について自分が今知りえることを、なんとか岩城に伝えた。
ここがある人物が作り上げた空想世界であり、全てはその人物の思うがままで、現実とはかけ離れた空間だということ。
私たちはどういうわけだかそこに迷い込み、見つかれば侵入者として死刑になるかもしれないこと。
死刑とは、首を切り落とされるとか、そんなことじゃなく、チョコレートにされて食べられてしまうこと。
馬鹿らしいけれど、本当のことで、そしてそのある人物というのが、私のクラスメイトの林田玲果であるということ。
「で、こっち世界では私と岩城は女王陛下と呼ばれる林田さんの愛人で、なんだかよくわかんないけど、こっちの私は男装してるの。だから、私も誰かに会った時のカモフラージュとして、彼女と同じようにこんな格好してるわけ」
岩城は眉間に深い皺を寄せ、黙ったままゆっくりと首を捻った。
「上手く説明できないけど、とにかく私たちはこの世界の人間じゃないことを、誰にも悟られちゃダメなの。それだけは、絶対、ダメ」
「けど……アイツは、鈴葉が、その……こっちの世界の人間じゃないってわかってるんだろ?」
「それは……ちょっと事情があって、黙っていてくれてるんだけど」
何か言いたそうにしながらも、岩城は小さく頷いた。
岩城のいうアイツとは、結人のことだ。
絶対服従するという条件付きで、結人に黙っていてもらっているなんて、とても今、岩城に告白できない。
「鈴葉のケータイ持ってんのも、アイツなのか?」
「え? あ……」
つい大きな声を出してしまいそうになるのを、必死でこらえて岩城を見る。
「私のケータイに、誰か出たんだよね?」
「あぁ、うん」
「よくいえば紳士的だけど、ちょっとムカつくような嫌味な感じじゃなかった?」
「確かに話の内容のわりには、淡々としてたかもな」
私が大変な目に遭っていることを知っていて、そんな話し方をするのは、ひとりしかいない。
あの人物が私のケータイを持っているのなら、いくら探しても見つからないわけだ。
でも、だとしたら、元の世界とこっちの世界で通話できたってこと?
それに、ここに来てからもう三日目になるのに、岩城はまるで、私たちが一緒に帰る約束をしたあの日からやって来たみたいで。
まだこの世界を理解できず混乱している岩城と目を合わせたとき、ふと視界に足元が見えて顔を上げた。
「メイドはなんとか誤魔化したけど、俺、ソイツをかくまうつもりはないからな」
腕を組んで見下ろす結人は、冷たく突き放すようにそう言ったあと、私に視線をよこしてニヤリと笑った。