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file3-1「もうひとりのジブン」

 部屋に戻ってくるなり結人はまっすぐ私に向かってきて、目の前まで来ると満面の笑みで私を強く抱きしめた。

 そして、大きな声を上げて笑う。


「見たかよ? あのうろたえた女王の姿。ありえねぇ、マジで、あんなにへこんでんの初めてみた。ざまぁ見ろっての」

「で……大丈夫だったの?」

「あ、鈴葉のことか? 部屋に行ったらゲーテがいて、辻褄合わせはアイツがやるから安心しろってさ。ゲーテも敵か味方かさっぱりわかんねぇな。けど、鈴葉に自分がもうひとりいるなんて面倒な説明することもないし、こっちの余計なリスクも減ったわけだから、無事作戦終了、だな」


 昨日、ふたりで考えた『春日さん奪還作戦』はこうだ。

 こっちの鈴葉と私が入れ替わり、なんとかして私が死刑を止めるよう女王陛下を説得する。

 そのためにはもうひとりの私に、どこかに隠れていてもらう必要があり、強制的に拘束して眠ってもらうことにした。

 ただ、入れ替わった私がしたことを誤魔化しきれるはずがなくて、だから私の存在を彼女にも明かし、どうしてメイドを助ける必要が合ったのか、結人に説明してもらうことになっていた。

 結人の説明で彼女が納得するかどうかはわからなかったし、まず私が女王陛下を説得できるかどうか不安だったのだけど。


 今朝、簡単にもうひとりの私は結人の睡眠薬で眠りに落ち、縛られてクローゼットに閉じ込められ、私はゲーテと結人以外誰にもバレることなく彼女になりすまし、結人が考えた台詞を口にすれば女王陛下は春日さんの死刑を延期した。

 そして、問題のもうひとりの私へのカミングアウトは必要がなくなり、全ては思い通り、トントン拍子で事が運んでいる。


「マジでまさかこんなに上手くいくとは思わなかったよ。女王陛下でも、鈴葉を見抜けなかったなんて笑えるぜ。メイドは生き残ったし、俺らがアイツの仕事を肩代わりする必要もなくなった。おまけに女王に一泡吹かせることもできたし、感謝してるよ、鈴葉」

「こっちこそ、協力してくれて、ありがと」


 ここまでのことは、結人が協力してくれたからできたことで。それについては一応お礼を言っておく。

 でも、肝心なのは、ここからだ。


「お礼の言葉なんか、いらないよ」


 結人の腕から離れようとしたけれど、やっぱりそれは許されない。

 そして結人は軽々と私を抱き上げ、ベッドへ直行する。


「ちょっと、待って!」


 ふかふかと柔らかいベッドに下ろされて、私は頬を引きつらせながらも首を振って笑った。


「まだ、明るいし、ね」

「そうやって、はぐらかすつもりだろ」


 獲物を狙う艶っぽい目つきで、結人は私の横たわった身体に跨った。

 私は私で、そこからなんとか逃げ出そうと身体をねじり、枕を押しのけて壁に張り付いた。


「確かに俺は、やるべきことの半分しかしてないけど、結果として成功報酬はもらってもいいと思うんだけど?」

「あは、は……」


 結人への成功報酬 = 私のカラダ。

 昨日結人から突きつけられた条件は、思ったとおりのことで。

 人ひとりの命が懸かっているのに、なんて不謹慎で馬鹿馬鹿しい条件だろうと思ったのだけど、私はそれにとりあえず頷いた。

 あくまでも、とりあえず。

 もうひとりの私と交代で女王陛下の夜の相手をしている結人は、順番からいけば、再び今夜一晩女王陛下の部屋に行ったまま、帰ってこないはずなのだ。

 だからこの夜までの時間をなんとかやり過ごせば、私の身体を死守することができるはず。


「怖い?」


 囁くように聞く声は、うらはらに私の胸の奥を強く揺さぶった。

 結人の指先が私の頬に触れ、延びた髪をやさしく撫でて耳にかける。

 そっと覗くように結人を見ると、目を細めて優しく微笑む顔がそこにあった。


「オマエも、慣れないことして疲れたよな」


 思いがけない言葉に、どんな反応をすべきかわからずに、私はただ結人を見つめた。

 すると今度は歯を見せて笑い、私の髪をくしゃくしゃと撫でる。


「よく頑張ったな、エライエライ」


 まるで小さな子どもを褒めるみたいなやり方に、私の中で何かが弾けた。

 じわじわと胸の中に広がる感情を止めることができずに、瞬きをすれば音を立てて制服の上に涙が零れる。


「あっ」


 自分でも予期しなかった出来事に、思わず声が漏れた。

 結人も私の突然の涙に驚いているけど、何より自分自身がどうして泣いてしまっているのかわからない。


「泣くほど、嫌?」


 呆れたような結人は、それでも責めるような口調じゃなく、むしろ感情を抑えた静かな声だった。


「ごめん……違うの」

「違うって、何が」

「……わからない」


 声がつまって私は俯き、涙腺が壊れたみたいに溢れ続ける涙を手のひらで拭った。


「じゃあ、どうしちゃったわけ? ホームシックとか、そういうヤツ?」


 結人の腕が伸びてそっと私を抱きしめると、耳元に唇が触れて、よしよしと頭を撫でる。

 怖い気持ちや不安がないわけじゃないし、気が緩んだせいかもしれない。

 たぶん、認めたくないけれど、私のいた世界の出来事がシンクロしたせいだ。

 決してホームシックではないそれを上手く伝えられなくて、私は結人の腕の中でしばらく泣いていた。

 私の感情が終息し始めた頃、結人がにっこり笑って私の額にキスをした。


「今夜の女王陛下の相手、鈴葉と交代することになったんだ。けど、良かったよ。こんな鈴葉姫ひとり、ほっとけないからな」


 そう言って目を細める結人に、私の涙は完全に引っ込んだ。

 時間稼ぎのために泣いたわけじゃないけれど、それとこれとは別の話だ。


「なんで鈴葉、こんなに可愛いの」


 甘い言葉を合図に、結人は私の顔を両手で優しく包み込み、額から泣き腫らした瞼や鼻先、涙の乾いた頬に口角と、順番に唇をそっと押し当てるだけのキスをする。

 見つめる瞳や触れる指先、唇から、結人の熱が伝わって、私の身体は硬直してわずかに震えた。

 一瞬にして渇いた喉から、結人の行動を拒否する言葉の代わりに、自分でも信じられないほど甘い吐息が漏れる。必死で抵抗しようと伸ばした腕は力が抜けて、むしろ結人のシャツにしがみついてるみたい。

 このままじゃ、ダメだ。

 ダメ、なのに。

 待ってと言おうと開いた唇に、結人の唇が重なった。

 昨日みたいに強引に歯列を割って入ってくるようなキスじゃなく、ついばむように口付けてから、ゆっくりと口内を侵蝕する。

 ネクタイを緩め、慣れた手つきでボタンを外し、シャツの中に入り込んだ手のひらが肌の上をすべり胸元から肩を撫で、露になったそこに結人はキスの雨を降らす。

 頭の中が痺れて熱い。熱は頭の先から体中を駆け巡り、芯から私を溶かしてしまいそうな気がして怖い。

 さっきとは全く違う切なさで、目頭が熱くなった。


「だめ……」


 口を吐いた言葉に、結人が顔を上げる。


「俺もダメ。もう、無理。我慢できない」


 蕩けるような視線で私を見つめて、もう一度キスをした。


「鈴葉の初めては、もうひとりの俺じゃなくて、この俺が全部貰う」


 目の覚めるような台詞に、私は息を飲む。

 見上げると真剣な眼差しの結人の表情が、わずかに翳った気がした。


「鈴葉、『俺』のこと、好きだろ? でも今は、俺を見て」

「え……」


 胸の奥がちくりと痛み、そこを狙ったように結人は胸元に強く唇を押し当てた。

 結人は勘違いしてる。

 私は岩城のことを好きなんかじゃない。岩城だって、今は私のことなんて、ただの友達だと思ってるに決まってるのに。

 だけど、それを伝えられるほど、私に余裕はなかった。

 追い立てるようなキスの嵐に、せいぜい切れ切れの声で、結人の名前を呼ぶくらいしかできない。

 目を閉じると、結人が余計なことを言ったせいか、脳裏に岩城の顔がよぎる。


「鈴葉!」


 そう、私を呼ぶ声まで。


「何してんだよっ!!」


 怒声と共に身体がふわりと軽くなり、ベッド上の重さが減ったことに気付くと、私は異変に目を開けた。

 硬い何かがぶつかり合う鈍い音のあと、大きな重い物が床に倒れたような振動がする。

 私は慌ててシャツの前を手で閉じ身体を起こすと、目の前で起こっている事態が理解できなくて何度も瞬きをした。


「鈴葉、大丈夫か!?」


 そう言って私の肩を両手で揺さぶり、この姿に目を逸らしてシーツを掛けてくれたのは。……結人だけど、結人じゃない。


「岩城……?」


 名前を呼ばれて優しい瞳をこっちに向けるのは、結人ではなく、間違いなく『岩城』だ。

 呆然と岩城を見つめていると、ベッドの足元から結人が立ち上がり、口元を拭ってから声を上げて笑った。


「まさか、『俺』に殴られるとはねぇ」


 岩城自身も、今になって殴った相手が『自分自身』だと気がついたのか、目を大きく見開いて結人を見た。



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