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 光を閉ざされた階段は湿り気を帯び、不快な臭いが鼻を突いて、思わず私は口元を手で覆った。

 ゲーテは手錠を外した時のような手品みたいなことはせず、私をこの牢獄の前まで案内し、鍵を開けてくれた。

 背後で重い鉄の扉が閉じる音がすると一瞬視界は闇に包まれ、目が慣れるのを待って私は一段一段ゆっくり階段を下りる。

 目指す先には、ぼんやりとオレンジ色の光が揺れていた。

 女王陛下の創り上げた物語を覆すのは、他ならぬ女王陛下本人以外には不可能なこと。

 たとえ今、春日さんを逃がしたとしても、いずれまた死刑になる。

 ゲーテは淡々と私に説明し、それでも会いに行くのかと聞いた。

 どれだけ言葉でここが空想の世界だと聞かされても、決して助けられないとしても、ただ黙っていることなんてできない。

 だから、私は頷いたのだ。

 揺れるろうそくの灯に近づき右に折れると、突然黒いフードをかぶった人影が現れた。


「!!」


 幽霊のような看守がいるのは聞いていたし、こっちの私は頻繁にここに出入りしているようだから、あくまで冷静を装わなきゃいけない。

 見開いた瞳を一度瞬きして細め、気付かれないようそっと息を吐き、固まってしまった身体の力を抜く。


「おや、鈴葉様、今日二人目の死刑囚でも連れてきましたか……イヒヒヒ」


 陰険で不気味な笑いの後、男はゆっくりとこっちに顔を見せた。

 生物の丹波先生だ。もともと地味で細い身体に血色の悪い顔、陰湿なオーラを出している彼は、生徒からの評判もあまり良くなかったけれど、あまりにもピッタリなキャラクターで今度は逆に笑いそうになった。


「女王陛下の指示で、先ほど連れてきたメイドに面会したい。通してもらえますね」

「はい。女王陛下の命令でしたら、なんなりと。逆らえば看守であるわたくしでさえ、死刑になりかねませんからね……イヒヒヒ」


 丹波先生は音を立てずに私に背を向け、ろうそくの光が続く薄暗く狭い廊下をゆっくり進んだ。

 そして、鉄格子の付いた更に下へ向かう階段の前まで来ると、腰の辺りから鍵を取り出し慣れた手つきで開錠した。


「ここから先は、おひとりで。あのメイドは、一番奥の牢屋でございます」


 促されて鉄格子の中に入ると、すぐさま背後で扉が閉じられた。

 思わず振り返ると、丹波先生がずり落ちた黒縁のメガネを治しながら黄ばんだ歯を見せてにやりと笑う。


「イヒッ、驚きましたか。戻りましたらお声を掛けて下さいまし。ご心配なく、どうぞごゆっくり……イヒ、イヒヒヒ」


 肩を震わせやや俯き、歪んだ表情をフードに隠すと、丹波先生は姿を消した。

 私はほっと息を吐き出すと、早速階段へ向き直り春日さんの元へ急いだ。

 せいぜい1、2時間で結人ともうひとりの私の密会は終了するとかで、ゲーテから、そのころまでには部屋に戻るよう言われている。

 階段を下りると、突き当たりに短くなったろうそくが一本灯っているだけで、丹波先生が居た階より薄暗く、一層空気が冷たく感じられて肩をすくめた。

 誰もいない空っぽの牢屋をふたつ過ぎ、言われたとおり一番奥の鉄柵の向こうに、膝を抱えてうずくまる春日さんの姿を見つけ、駆け寄った。

 ニーソックスを脱がされた白く細い足首には、似つかわしくない足枷が嵌められ、そこから繋がる鎖の先には、バレーボールくらいの丸い鉄の塊が床に転がっている。


「春日さん」


 声を掛けたとたんに、びくりと顔を上げ、こわばった表情がこっちを向いた。

 薄暗い中でも泣きはらしたとわかる目元は、もう三日月のように笑うことは無く、視線はあちらこちらと彷徨って、何度も瞬きを繰り返す。

 昨日、初めて会ったときのように笑ってくれるかと思ったのに、体勢をこちらに向け膝を折り正座すると、床に手をつき深々と頭を垂れた。


「申し訳……ございま、せんっ……」


 途切れ途切れの絞り出すような声も、その身体も、大きく震えていた。

 彼女のこんな姿を目の当たりにして、私はやっと気がついた。


 私は、私じゃない。

 春日さんの目の前に立っている私は、「もうひとりの鈴葉」でしかないのだということを。


 ちょっとやそっとじゃとてもびくともしないだろう太い鉄柵を握りしめ、春日さんに何か声をかけようとしたのに、自分のしている行動に呆然として頭の中が真っ白になった。

 もうひとりの鈴葉なら、こんな時、従うべき女王陛下に無礼を働いた死刑を待つメイドに何を言う?

 そもそも、会いにくるはずがなくて。

 助けることも、こっちの鈴葉にもなりきれない私は、春日さんをますます混乱させるだけなのに。

 私は、この世界でも本当の自分を曝け出すことは許されないのかと唇を噛んだ。


「鈴葉様……なぜ、泣いているのですか」


 心配そうな口振りにふと我に返ると、視界がぼんやりと揺れ、涙が暗闇に吸い込まれるように落ちていく。


「春日さん、ごめん。私、何もしてあげられないのに……」


 ただ謝りたい、そう思っていた。

 でも、謝るだけなんて、私の自己満足に過ぎないんだ。


「お顔を上げてくださいませ、鈴葉様」


 暖かい何かが鉄格子を掴む私の手に触れて、私はゆっくり顔を上げる。

 そこには健気に微笑む春日さんがいた。

 手に触れているものが彼女の指先なのだと認識すると同時に、まるで跳ねるように指先が離れた。


「失礼いたしました……」


 頬を赤らめて俯く仕草や、今まで触れていた指先を思うと、たとえ林田さんに作り出された妄想の中の人物だとしても、春日さんはここに存在するひとりの人間だと確信する。

 じっと春日さんを見つめていると、彼女は一度私と目を合わせて再び視線を床に落とした。


「最後に、こうして鈴葉様とお会いすることできて、嬉しいです」

「春日さんは、本当にあんなこと、してないんだよね?」


 驚いたように顔を上げ、眉をひそめて春日さんは静かに頷いた。

 そして、でも、と口を開いた。


「この前、同じメイドの若林が処刑されて、次は私だってわかってましたから」

「若林……」

「はい。鈴葉様のお付のメイドでしたが、覚えていらっしゃいますか?」


 あぁと返事をしてから、私は深く息を吐き出した。

 若林さんも、春日さんと同じく向こうの世界では林田さんといつも一緒にいる女の子だ。

 彼女は既に、死んでしまったのか。


「自分もいつか彼女のようになるのだと、覚悟していたはずなのに……どうしても、悲しくて、怖くて……」


 胸の前で両手を強く握りしめ、春日さんは小さく首を横に振る。

 私は、そんな彼女に鉄格子ごしに手を伸ばした。


「春日さん」


 華奢な腕は服の上からでも体温を感じられる。


「約束はできないけど、やれるだけのことは、やってみるから」


 涙を浮かべた瞳を丸くする春日さんにそう言い残して、私は冷たく暗い牢獄から脱出した。

 丹波先生も私を鈴葉以外の誰とも疑わなかったし、春日さんだってそう。

 ゲーテと結人以外、私がこの世界の鈴葉じゃないと気付くのは、たぶん、もうひとりの私自身しかいない。

 部屋に戻るとゲーテの姿はなくて、まだ結人も戻っていないようだった。

 私は「監禁状態」をもう一度作り出すために、トイレに入って床に落ちたままの手錠を拾い、元通り自分の手首に手錠をかける。

 それとほぼ同時に部屋のドアが開閉する音がした。


「大人しくしてた? 鈴葉姫」


 私は結人の言うとおり、まるで何事もなかった顔をして彼を迎えた。

 そんな私の姿に満足そうな結人は、にっこり微笑んで壁に繋がれた手錠を外すと、再び自分の手首に掛ける。

 そして突然、私を抱きしめた。


「ちょっ……とぉ」


 結人が私の背中に手を回せば、必然的に私の手首も行動を共にするので不自然な体勢に身体が軋む。

 痛いと訴えても結人は知らんぷりのマイペースで、私の無防備な耳に唇を寄せた。


「なんか俺、こっちのほうが好きだな」


 そう囁いて身体を離すと、今度は繋がれていない方の手で私の顎を持ち上げると、ゆっくり目を伏せた。


「ちょっとっ! 私はアンタの恋人の鈴葉じゃないの。勘違いしないでっ」


 いつも簡単に唇を奪われてちゃかなわないから、私は結人の顔をかまわず鷲掴みにして押し返す。

 閉じた瞳がこっちを睨んで手首を掴まれても、結人の距離は保つべく、露骨に嫌な顔をして彼を避けた。


「オマエって、ホント、強情だよな」

「結人が強引すぎるのよ」

「だから、立場忘れんなって言ってんの」

「忘れてなんかないけどっ」


 こんな服従関係、納得できない。

 できないけれど結人の力に勝てず、結局壁に押さえつけられてキスを強要される。

 初めてしたときは何が何だかわからなかったのに、今日は確かに異物が口腔内を浸食し、うごめいているのが感じられて肌が粟立った。

 不快感に眉根を寄せた瞬間、思わず歯を立てて口を閉じてしまい、結人が呻いて唇を離した。


「そんなに俺とキスしたくないわけ?」


 反射的にそうなっただけで、噛むつもりじゃなかった。

 でも、キスしたくないのはホントだし、謝る気にもなれなくて黙っていた。


「あ、そ。じゃあ、行くぞ」


 腕を掴む力も、表情の見えなくなった背中も、不意に怖くなって私は身を固めた。

 それでも結人は私を引きずりながら部屋のドアノブに手をかける。

 まさか。


「ま、待って。行くって、どこに」

「女王陛下のトコに決まってんだろ。俺に絶対服従な立場を無視して、逆らってんだから、オマエに反論の余地はなし。それに、こんな珍しい侵入者が見つかったってことになれば、オマエが気にしてたメイドの死刑だって、延びるんじゃねぇの? 好都合じゃん」

「ちょーっと待ってっ!!」

「待てねぇな」


 結人の言うとおりなのだけど、だけど、まずは自分が助からなきゃ意味がない。

 今、女王陛下に突き出されるのは困るっ。

 私は結人の前、ドアに立ちはだかって結人の胸座を掴んだ。


「本当にもう、逆らったりしないから、だから、お願いがあるの」

「謝りもしないでお願いだなんて、随分だな」

「……ごめん」


 半ば口篭ってそう言うと、目の前にある結人の口角がくいと上に持ち上がった。


「そっちのお願いを聞くには、こっちにも条件があるけど?」


 明らかに何か企んでる結人に、私は息を飲んで頷いた。



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