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「裁判は、明日でよろしいですか?」
「別に、今チョコレートにしてくれたら、すぐ食べちゃうけど?」
「それでは、他のメイドたちに示しがつきませんよ。今後の見せしめにも、全員を集めて裁判にしなくては」
「ゲーテがそういうなら、私はいつでもいいわ」
「では、明日、裁判と公開処刑を。鈴葉様、この被告人を地下の牢獄へ連れて行ってください」
無表情のまま、もうひとりの「私」は、地面に顔をつけたまま震えている春日さんの腕を掴んだ。
涙でくしゃくしゃの顔を上げ、春日さんは首を左右に振る。
「わたくし、わたくし、そんなことしていません。女王陛下の紅茶に虫を入れるなんて、そんなこと、出来るわけありませんっ。お願いです、鈴葉様、信じてください」
「許しを請うのは、私ではなく女王陛下では?」
「そうよ。少し鈴葉様に気を掛けてもらったからって、勘違いしてんじゃないわよ。アンタはただのメイドなの。立場、わかってる? なんて、今更何言ったって、アンタは明日死んじゃうから意味ナイわね」
彼女を林田さんだと理解していても、彼女が私と同じ世界の林田さんだと思えなかった。
眼鏡を脱ぎ、黒く縁取りされた華やかな目元や、ピンクのグロスがのった唇とか、すっかり派手になった見た目の雰囲気だけじゃなく、聞いたことのない傲慢な口調に随分な態度だとか。
地味で、良くいえば清楚で、いつもどこか俯き気味に大人しかった林田さんは、軽々しく友達を「死刑」だなんて笑って言えるようなひとじゃないはずだ。
たとえ、この世界が女王陛下である林田さんによって創られた世界であっても、いや、だからこそこんなこと……。
「信じられない」
次に言葉を繋げようとしても、開いたままの口から音が漏れることはなく、私は酸素の足りない金魚みたいにぱくぱく唇を動かして仕方なしに閉じる。
「やっぱ、死刑かよ。ったく、女王のヤツ、やりすぎなんだよ」
横にいる結人が小さくぼやくのも、どこか軽々しくて、とてもひとりの人間が死んでしまうことを憂いているようには感じられない。
この世界で、私の感覚がズレているんだとしても、それでも。
「許せない」
「おいっ!」
感情のおもむくままに動き始めた身体を、結人が手錠ごと引っ張って止められる。
そして私はずるずると近くの扉の中へ、真っ暗で狭い部屋の中へ強引に引きずり込まれた。
「バカ、何する気だよっ」
用具庫と思われるここは、とりあえず身を隠すにも空間が足りなすぎて、私と結人は否応なしに密着する。
「何って、止めるのよ」
「は!?」
「死刑なんて、有り得ないでしょ!」
つい声が大きくなり、その口を結人に塞がれた。
「声でけーよ、バカ。今オマエが出て行ったら、オマエの立場がまずくなるだろ。ついでに手錠で繋がってる俺も」
「結局自分が可愛いんだ」
結人の手を剥がして、さすがに声のボリュームを下げて言ってやる。
まだ暗闇に慣れない瞳じゃ、結人がどんな表情をしてるかわからないけれど、ふと言葉が途切れたのは確かだった。
「そうだよ。俺は死にたくないからな」
「女王のヤツ、やりすぎだって言っておきながら、情けないのね」
「うるせぇな。これがこっちの」
「常識? 日常? そんなの、慣れて麻痺してるだけじゃないの」
やりすぎだと思うなら、本当にそう思うなら、止めればいい。
あんなことでひとつの命が絶たれてしまうのを、ただ見ているだけだなんて。
結人の深呼吸が耳元で聞こえた。
「こっちのこと何にも知らねぇヤツに、んなこと言われたくないね」
言葉に余裕が感じられないと思ったのと、結人がわずかに震えていると気がついたのはほとんど同時だった。
「なんかオマエ、すげームカツク」
感情を抑えつつ、それでも胸の奥から吐き出したような口調に、今度は私が押し黙った。
女王の高笑いとゲーテの声が遠ざかると、薄い扉の向こうですすり泣く声が通り過ぎる。
その瞬間、私の動きを妨げるように、結人が強く身体を抱きしめた。
「……っ」
強すぎて苦しいほどの力に、結人の胸の中で小さな声が漏れる。
いつもより少し早い私の鼓動と、それよりももっと早鐘を打つ結人の胸の音が重なった。
そして、こくりと結人の喉が鳴る。
張りつめた緊張が伝わるようで、私も春日さんの声と彼らの足音が聞こえなくなるまで、黙っていることにした。
まるで、結人まで、怯えているみたいだ。
辺りが静まり返ると、結人が扉を開け誰もいないか確認し、私たちは廊下へ出た。
密着していたおかげで体温が上がり、額に滲んだ汗を拭って結人を見ると、いつもの表情を取り戻してケータイ探すぞと手錠を引っ張った。
こそこそと中庭をくまなく探してみたけれど、使い慣れ始めたパールホワイトの小さな物体はどこにも見当たらない。
「ホントに携帯もこっちに持ってきたのかよ」
「間違いなく、ケータイはずっと握りしめてたの。そうだ、結人が私を見つけたとき、近くにそれらしい物、なかった?」
「さあな。その手に握ってたり、近くに落ちてれば気付いたと思うけど」
わかんねぇなと溜息混じりに呟いて、そのあともう一度結人の部屋を探してみようということになった。
部屋に戻る途中、向こうの世界では見覚えのない黒い重たそうな鉄の扉を見つけて、私は立ち止まる。
「もしかして、これ……」
「あぁ」
私が言いたいことをわかったように、結人が頷き足を止めた。
「この扉の奥に地下の牢獄に向かう階段がある。俺も行ったことないから、どんなふうになってるのか知らないけど。ここの鍵はゲーテが持ってて、下には幽霊みたいな看守がいるって話だ。そんなとこ、俺は絶対に入りたくないからな」
だから余計なことはするなと言いたいのが伝わってきて、私は結人から目を逸らしてその扉を見つめた。
この下に春日さんが閉じ込められている。
「裁判が明日って言ってたけど、春日さん、一体どうなるの」
「裁判って言ったって、死刑が確定してるからほとんど意味がないんだよ。一応、被告人には弁明の時間が与えられる。でも、それは単なる形式上っていうか。で、死刑を言い渡されたら、その場でチョコレートになって女王に食われるのさ」
「食わ、れる……?」
思わず聞き返した私に、結人は黙って頷いた。
「ゲーテが死刑囚を小さな一粒大のチョコレートに変身させて、女王陛下が美味そうに食う。まったく悪趣味だから俺は引くんだけど、他の召使たちは歓声の声をあげるわけ。そうしなきゃ、次に食われるのは自分かもしれないからな」
「本当に、それでいいの?」
「だから、オマエは何にもわかってねぇんだよ。オマエだって、今見つかったら食われるんだぜ? どんだけ正義を語ったって、俺たちにできることは、ただ女王に刃向かわず従順でいることだ」
「じゃあ、結人はこれから先も、ずーっとそれでいいの?」
「なんだよ、オマエに何ができるんだよ」
「それは……」
「そんなことより、鈴葉は自分自身の心配しろ」
半ば呆れたようにそう言って、結人は私に背を向け歩き出した。
手首の鎖がじゃりと音を立てて、手を引かれる前に彼の後に続くよう足を踏み出したものの、扉の向こうにいるはずの春日さんに、後ろ髪を引かれるような気分だった。
私が結人みたいに割り切ってしまえないのは、違う世界からやってきたからだけじゃない。
今までも、これから先も、おそらく変わらずそこにいるだろうと思っていた存在が、不意に消えてしまうこと。
その後に訪れる、様々な思いが入り混じり、一方ではぽっかりと穴が空いたような重く圧し掛かる感情を私は知っているから。
たとえそれが身近な存在じゃなくても、きっと、変わらない。
だから、私は。
……怖い。
「鈴葉」
四階まで上がって部屋が目前になったところで、黙っていた結人が口を開いた。
「そっちの世界って、どうなってんの。あのメイドの名前も知ってるみたいだけど、知り合い?」
「知り合いっていうか、春日さんはクラスメイトだよ」
「くらすめいと?」
結人は露骨に馬鹿にしたように首を傾げてこっちを向いた。
春日さんに言った時もそうだったけど、「クラスメイト」なんて言葉はこっちには存在しないみたいだ。
「向こうの世界では、ここは学校で、あの女王陛下も含めて、私たちは皆同じ平等の地位で、生徒なの。わかる、かな……?」
思ったとおり、目を細めて結人は首を横に振った。
私がこっちの世界のことを理解できないように、結人に現実世界の話をしても、上手く伝わらない。
困ったけれど、結人は少しずつ興味が湧いてきたようで、言葉を覚え始めの幼い子どもみたいに疑問を投げかけてくる。
私たちは部屋に戻ってから、キングサイズのベッドとさほど変わらない大きさのソファに結人は寝そべって、私はクッションを背もたれにしながら紙とペン片手に私の世界の話を始めた。
説明に行き詰ると結人がおもむろに立ち上がり、テレビの下にある引き出しから、ゲームソフトを取り出した。
「このゲームやってるとき、意味わかんなくて途中でやめたんだけどさ。話聞いてたら、鈴葉の世界に似てるかもしれない」
恋愛シュミレーションと書かれた表紙には、何人かの可愛らしい女の子のイラストが並んでる。いわゆる、ギャルゲーってやつだ。
説明書を捲ってみると、プレイヤーである主人公は高校生男子で、同じ学校の女の子やら先生やらを落としていくゲームらしい。
「つーかさ、その女たち、みんな女王と似たような制服着てんじゃん? だから嫌になったっていうか」
「なるほどね」
それにしても、どうして向こうの世界に合わせた内容のゲームがここにあるのかわからない。
どうせなら、ひたすらに可愛いメイドを落としていくとか……けど、そんなの現実にやってるな。
思わず馬鹿馬鹿しいことを考えてしまったと、こっそり笑ったつもりだったのに、顔を上げると結人が真っ直ぐにこっちを見ていた。
「同じ人間が存在してるけど、世界はまったく違うってわけか」
「うん、まぁ、そうなのかな」
私もこっちの世界のことがまだ理解できてないから、なんともいえないけど。
と、結人の制服のポケットから機械音が聞こえ、そこから携帯電話を取り出すとフリップを開いて操作する。
メールをチェックしているのか、親指が器用に動いて再びフリップを閉じた。
「俺、昼飯食い終わったら、ちょっと出るから」
ってことは。この手錠とも、さよなら?
ほくそ笑んで顔を上げると、そんな私の気持ちを悟っているかのように、にやりと結人が笑っていた。