会話もどきばっかりだよ…
会話について、語ろうと思う。
なんだこのシリーズ。
語りたがりの年寄りかな?
まぁいいや。
今回は、会話について。
そのなかでも、私が大切にしている前提について。
えっと、この言葉を知ってるかな?
釈迦に説法。
一応説明しておくね。
簡単に言うと、相手が既に知っていることを、相手が知らないと思い込んで説明をすることを意味する言葉なの。
なんで紹介したかはまぁ、わかると思うんだけどね。
最近ね、これをよく見るんだよ。
どうしてこれが発生するんだと思う?
…教えてあげようという優しさから?
うん、まぁ、あるかもね。場合によってはね。
でもね、これが起こるとき、それがどんなときかを考えてみれば、簡単にわかるんだよ。
そう、本来、知ってるか聞けばいいんだ。
それを怠った時点でそれは、相手への敬意を欠いた、相手を舐めたものなんだ。
どうせ知らないだろう。という思考が働いているんだ。
そもそもだね。
会話というのは、相手も知っているという前提ですべきなんだよ。
いちいち説明してたらきりがないからね。
そのなかで、あれ?この人知らないのかな、と思ったなら、聞けばいいよね。
知らなかったなら、説明すればいいだけの話。
知らなかっただけだし。
これはね、動画によくある、議論もどきでもそう。
いや、そんなことわかっていて、その上で言ってるんだと。
こう言いたい人はどれだけいるのだろうね。
低俗な質問ばかりが飛び交っているよ。
いいかい?文脈を読むことを怠った人間は、議論すらできなくなるんだよ。
上がっていない足を、
あ!あいつ、あのことについて話してない!
とかなんだか考えて、
よし!知らないんだな!教えてやろう!
なんて思っているのかね。
はぁ。
君がそんなに聡明なら、その分野において天才的な才能でも持っていたんじゃないかな…。
言っていないから、わかっていない。
そうじゃないんだよ…。
書いていないから、わかっていない。
そうじゃないんだよ…。
私の考えなど、相手はもうたどり着いているのかもしれない。
一度、そう考えるんだよ。
それが、人として当然の姿なんだよ。
…正直だね、私は、馬鹿が増えている気がしてならない。
…いや、どうだろう。誰でも発信できるようになった弊害かな…。
なんでもいいけど、尊敬を欠いた人にはなりたくないね。
これがあなたにとっての、釈迦に説法であることを願っています。
私が不遜な馬鹿であることを、願っています。




