心へし折るダイジェスト
西日差し込む廊下。眩しさから目を細めたのは、果たして夕日なのかそれとも一ノ瀬の美しさか。
答えは出ないまま、年季の入った黒いファイルを手に持って、俺は友人と談笑する彼女へと近付いていく。
声をかけようかどうしようか。俺は少し逡巡し、意を決して口を開く。
「あの、日直の仕事――」
「うるさいキモい黙れ」
………………。
西日差し込む廊下。涙が勝手に出るのは夕日が眩しいからに違いない。
――――――――――
「っていうことがあったんだが」
「わははははっ!!」
学校に帰るなりリンネにあったことを告げる。すると何故か彼女は大爆笑しているじゃありませんか。
解せぬ。
そこでふと思い出した。常々聞こうと思っていた質問である。
「俺ってそんなにキモいか?」
「ああ、キモい!!」
今日一番の良い笑顔だった。
心臓に返しのついたガラスがグサグサと刺さった気分。
「でも、リンネは普通に答えてくれるよな」
俺が知っている人間といえば、俺が口を開けば罵倒するか殴るか無視するか。
喋らない方が殴られないし、誰も不快な思いをしない。
だというのに、リンネだけは何を喋っても不快な気持ちを微塵も見せずに返答してくれる。それは何故だろうか。
疑問をそのままぶつけてみると、リンネは少し考え込んだ後に俺の傍まで歩いてきた。
「お主のその卑屈さや、慇懃無礼にも近い態度は、人との交流に絶望したからであろう」
言い方よ。
「生まれついてからブサイク、育ってもブサイクで高校生になっても尚ブサイク。生涯ブサイクという名の茨ロードを歩いてきたお主は、他人を信用しきれない悲しきモンスターとなってしまった」
「そこまで言うか?」
「要するに、ブサイクでなくなれば悲しきモンスターから心優しきモンスターになれるに違いないと思うのじゃ」
モンスターであることに代わりはないのか。
だが見た目一つ変わっただけで、人間そこまで変わりきれるものか? 今まで染み付いた人間不信や人への恐怖は、容易に拭い去れるものとは思えないんだが。
「ワシは信じておるよ。お主は人に優しく出来る、人のことを考えることが出来る好青年になれるとは。でなければ、わざわざワシが来た意味もないじゃろ」
「リンネ……」
「――それに、お主はワシに大福をくれる。良いやつじゃ」
ただの餌付けのつもりだったんだけど……。
満面の笑顔でそう言われてしまうと『打算的なんだ』とはとても言えない空気だった。
正直言って、俺はリンネほど自分のことを信用しきれていない。自分のことも信用できてないんだ、他人なんてもっと信用できない。
……でも、まあ。リンネが信用してくれているのなら、少しは前向きになってもいいかもしれない。
彼女からの純粋とも思える善意に、俺の胸は確かな暖かみを感じていた。……のだが。
「……ところで」
話が一区切りついたかと思えば、俺の顔をまじまじと眺めてくる。
怪訝な視線をリンネに投げかけると、やつは何故か顔を背けて肩を震わせた。
「くくくっ…………ブサイクな癖に鼻筋だけ50%と中途半端に整ってて、逆にアンバランスじゃの……っ」
「本当にランダムなんだよな?」
「もち。たまたま鼻筋を引き当て続けたに過ぎない、うむうむ」
「大福に誓えるか?」
目が泳いだ。本当にランダムか?
視線を合わせようと顔を動かすが、リンネの瞳は俺の顔を背くように右へ左へ泳ぎ続ける。
吹けない口笛を吹こうとして、唇からぷすぷす息が漏れていた。
「正直に言わなければ大福を二度とやらないぞ」
「面白いかと思って」
「…………お前……」
「だ、だって……一部だけ整ったらどんなに違和感があるか見てみたいじゃろ!?」
吐きやがった。やっぱランダムじゃねえな!!
嘘を吐き続けていた割りに、リンネの表情は申し訳無さそうにしているどころか『ワシなんか間違っとるか!?』みたいに正当性を主張していた。
間違ってないわけがないだろう。
「人の顔で遊ぶな!!」
「こういう機会でもないと遊べないんじゃぞ!?」
遊びだって認めやがった。
「付けっ鼻みたいな鼻筋のくせに!!」
「お前がやったんだろうが!!」
喧々囂々。とても幼稚なケンカだった。
「アホ! 陰険! 根暗男!」
「ちび! 食いしん坊! 年齢詐称幼女!」
ギャーギャーと、幼稚なケンカが更に幼稚化していく。
途中で母親がうるさいと乱入してくるくらいには騒ぎすぎていたのだろう。
リンネの姿は俺以外には見えない。つまり母親からしてみれば俺は一人で壁に向かって罵詈雑言を吐き捨てる異常者に見えたに違いない。
最後に母親が可哀想な人を見る目で俺を見つめていたのが忘れられない。
「……はあ、はあ」
「ぜぇ、ぜぇ……」
どちらも息が上がり、肩で息をしながら俺はベッドに座り込む。ギシリと軋んだ音がしたと思ったら、少し遅れてもう一度軋んだ音が鳴る。
隣にリンネが座って、息を整えていた。
「……次から、満遍なく頼むわ」
「ああ……そうじゃな。思ったより面白くなかったしの」
……この野郎。
だが口約束でも約束は約束。今度からはきっと鼻筋以外が上がるはず……だろう。
「そうとなったら善は急げ、ってやつだな」
「む? どうかしたか?」
「いや、こっからはダイジェストで行こうと思って」
「…………ダイジェスト?」
ここからは早送りでお送り致します。
………………早送り中………………
………………
…………
……
――――――早送り中――――――
「ってちょっと待たぬかっ!!」
通算何度目になるだろうか、数えるのが面倒になるほど始業式に戻ってきたわけだが。
俺の行動を邪魔するかのようにリンネは大声を出して俺を止める。
「この早送りいつまで続ける気なんじゃ!?」
「そりゃ全部の項目が100%になるまでだろ」
「ワシの存在意義!!!!」
地団駄を踏まれた。
不躾にいったいなんだというのか。
「そうだリンネ。今数値どれくらいになった? 帰りに大福買ってくるから見せてくれよ」
「ワシはスコアラーか? 早送りの裏側でせっせせっせと数字を更新し続け幾星霜。ワシの存在価値は数字にしか無いというのか? ワシは営業マンか? 朝から夕まで歩き続け、足が棒になっても歩き続け、雨の日も風の日もひたすら数字を更新し続けるだけの、そんな存在なのか? ワシが数字なのか数字がワシなのか。なるほど、フェルマーの定理が児戯と思えるほどの難題じゃな」
「………………」
目に光を宿していない。
俯きがちにブツブツと呪詛を垂れ流しながら、クローゼットからホワイトボードをゴロゴロと取り出す。
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目元 37 / 100%
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鼻筋 50 / 100%
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口元 33 / 100%
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身長 164 / 177cm
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体重 81 / 70kg
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ふむ。確かにバランス良く上がっていってる。
「もういいか? ワシはこのホワイトボードと同じ。数字を提示すれば用済みな邪魔者よの……」
「……あ~…………」
心が何処かに行ってしまっている。
ここ最近は会話らしい会話もなく、まるでタイムアタックのように死に続けたからなぁ……。
数字的にはまだまだ満足していないが、この辺りで一旦満足しておくか。流石に気の毒になってきた。
「じゃあ今日からは……少し、ゆっくりめに……」
「無理せんでもよいぞ……。どうせワシなんて……」
重症だった。
帰りに大福を沢山買ってきて、機嫌を取るしかないだろう。
ベッドに座って項垂れるリンネを置いて、俺は始業式の準備をする。
数え切れないほどの準備を繰り返してきた、最早目を瞑ってでも容易い作業だった。
「……はあ…………」
「…………」
罪悪感が半端ない。
溜め息をつきながらベッドに潜り込むリンネの頭を少し撫でて、俺は学校に行く。
ちょっとペースを落とさないと、あの人壊れちゃう。いやもう壊れてるかもしれないけど。
――――だというのに。
まるでパブロフの犬の如く。通学路で一ノ瀬を見つけるなり俺は全力疾走。さっきペース落とすって言ったばっかりなのにな、俺のバカ。
「俺を殺してくれー!!」
で、いつもであれば叫び声と共に『キモい』の一言で突き飛ばされて終わるんだけど……。
俺を見つめる一ノ瀬の目は驚きでまんまる。身を守る用に縮こまり、少し上目遣い。
「え……なに…………誰……!?」
誰、というのは正しい。俺は何回も繰り返し見続けてきた顔だが、彼女にとっては今日が初対面。
しかしその反応は間違ってる。叫び声は? キモいは? 掌底は!?
「ごほん……申し訳ない、人違いだったようです」
「は? 人違い……で、殺してって? ヤバ……っ!!」
逃げるように立ち去って行った。
残されたのは、ヤベェ物を見たという視線を注ぎ続ける新入生たち。そして注がれ続ける新入生の俺だけだった。
…………どういうこと? なんで殺されなくなったの……?
読んでいただきありがとうございます。
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