ンマァイ
「こらぁ一ノ瀬ぇ!!」
「……おん?」
中庭の自販機でジュースを買っていると、そんな怒鳴り声が聞こえてきた。
声の方向へ目を向けると、一ノ瀬が慌てた表情で全力疾走。
そんな中、俺を見つけたようだ。耳元で何か手を動かし、俺の近くへ走り寄る。
「麗人、パス!」
「お、おん……?」
慌てて受け取る。そこにあったのは小さなハートのピアスだった。
よくつけているのを見るが、確か校則違反だったような……?
「おい池杉! 今一ノ瀬から何受け取った!?」
「こばっち」
担任である小林先生。50過ぎの男性教諭であり、独身。たぶん童貞。
校則に口うるさく、主に女子生徒から人気がない。
後退した毛髪が物悲しい規律に厳しい先生である。
「小林先生と呼ばんか。それで、何を受け取ったんだ?」
校則違反の現物です。とは言うわけにもいかず押し黙る。
一ノ瀬は恐らく、ピアスを没収されるのが嫌で逃げ出したのだろう。であるならば、先生に献上することは……。
……いや、別に良いのか。俺のじゃないし。
「早く言え! 見失うだろーが!」
「あー……」
やっぱりやめとこ。唯一の友人を売るなんて真似、俺には出来ない。
「こばやん」
「小林先生と呼べと……」
「じゃっ!」
「いや、お前……ちょ、お前……!!」
背中を向けてダッシュで走り出す。
校内に入ったら人が多くて逃げにくいだろう、このまま中庭へと逃げるとしよう。
後ろから小林先生の怒鳴り声が聞こえてくるが、それは遠くの祭囃子のよう。いずれ通り過ぎていく春の喧騒。
「ぜぃ……! ぜぃ……!」
「情けないなあ」
「う、うるせ……! 体重は落ちても体力がないのは変わりが……ない……ひぃ!」
いつの間にか一ノ瀬が追いついていた。
もう少し運動した方が良いのだろうか、現状を見るに良いんだろうな。
息も絶え絶えな俺に反して、少し息が切れている程度の一ノ瀬。なんなんだろうなこの体力差。
「ん」
「ん? ああ、いいってことよ」
手を出された。握手かと思い手を握り返すが、振り払われる。
もちろん何の手かは理解している。もう一度出された手の上に、ピアスを乗せて返した。
「ちょっとインカメにして持っててくれない?」
「ああ」
スマホを手渡されたので、大人しく向ける。
どうやらピアスをつけ直しているようだ。
「いつもは髪で隠してるんだけどね、今日はたまたまバレちゃった」
「で、またつけ直すのか」
「うん、大事な物だからね」
言いながらも慣れた手つきで手際よくやっていく。
つけ直した後は、髪で上手に隠していく。10秒もすれば耳は髪で見えなくなった。
「よし、と。あ、それちょうだい、喉乾いた」
「いや、それ俺の……」
制服のポケットに突っ込んだペットボトルを抜き取られ、勝手に飲まれる。
顎を上げると、耳を隠した髪がさらりと動き、またもハートのピアスが見えてくる。
白い肌の喉が上下し、一ノ瀬の体内を潤していく。
周囲を見ると誰もいない、走り回っている間に校舎裏にまで来ていたようだ。
涼しい風が吹き、外から車の音がする、外の喧騒に包まれながらも、一ノ瀬はゴクゴクと……。
「いやどんだけ飲んでんだ! 俺まだ一口も飲んでないんだぞ!!」
「ぷは……っ、はい、ありがと」
「半分以上飲みやがった!!」
新商品だから気になって買ってみたものの。
俺の小遣いはリンネの和菓子代でほぼ消えてしまうというのに、その残った額から何とかやりくりしてるのに……!
「うるさいなぁ、ジュースくらいでそんなケチケチしなくてもよくない?」
「貧民から奪ったジュースは美味いか!?」
「あ、結構美味しかったよ、それ新商品?」
「そりゃ良かったねぇ!!」
とはいえ嘆いたところで返ってくるわけでもなし。
半分以下になったとはいえ残ってることは残ってる。ここは涙をのんで残りを飲むとしよう。
校舎の壁にもたれるように腰を下ろし、一口飲む。
「ごく…………ンマァイ」
「でしょ?」
と、その時だった。
「あ、予鈴だ」
「あー……しんど」
疲れた体にムチを打つかのような予鈴が鳴る。
本鈴までに間に合わせるためにはもう行かなくてはならないだろう。
「五限目サボらない?」
「お、不良がいるぞ。品行方正の一ノ瀬さんが堂々とサボりを提案してくるなんてな」
「いいじゃん、どうせ死ぬほど聞いたんだし」
「まぁ、文字通りな」
たまにはいいだろう。上げようとした腰を改めて下ろす。
中庭からの騒がしい話し声や、木の葉擦れの音が、二人の沈黙の間を抜けていく。
無言だが別に気まずいというわけでもなく、ボーッと空を眺めるにはちょうどいい沈黙だ。
「ん~…………っはぁ」
隣では一ノ瀬が同じく腰を下ろしながら、背筋を伸ばしている。
彼女も特に沈黙で気まずい思いをしている様子もない。何気なしに横顔を見ていると、俺の視線に気付いたのか一ノ瀬と目があった。
「……なによ」
「いや、別に」
何処となく不機嫌そうな表情になる。
慌てて顔を背けて正面に視線を戻すが、そこにあるのはただのブロック塀。傍らに木。
つまらん景色になった。
「あーそうだ。先輩とはどうなった?」
「ん~?」
ポケットをゴソゴソ。
さっき仕舞ったスマホを取り出して、何か操作をしていた。
やがて彼女のスマホから小さく音楽が流れ始める。聞いたことがない曲だ。
歌い始めたのは女性の声、愛とか恋とか友情とか、なんか色々言ってる。
「これ、来年にはすっごい流行り出す地下アイドルなんだって」
「へえ」
「最初は興味なかったんだけど、ずっと聞いてるとなんか病みつきになってきた」
良いとか悪いとかはよくわからないが、横で聞いていても耳障りにはならない。
それどころか、メロディーがすんなりと耳に入り込んでくる感じがする。
「巻き戻るって便利といえば便利だけど、後に出る物が待ち遠しくて、そこだけは不便だよね」
「ああ、そうだなぁ。でも買ったことのない漫画に手を出したりも出来るから、色んな物を読めるぞ。…………といっても、最近はリンネの大福代で買う余裕がないけど……」
「あはは、それは大変だね、お兄ちゃん?」
「誰がお兄ちゃんだ」
聞き慣れない音楽をBGMに、まったりとした時間が流れる。
まったく、一ノ瀬とこんなにのんびりとした時間を過ごすなんて、誰が予想できただろうか。
目が合えば罵倒され、悲鳴を上げられ、この世の不純物みたいな扱いを受けてきた俺だというのに。
「信じらんないなー」
「ん?」
「麗人とこんな風にサボる時が来るなんて」
どうやら同じことを思っていたようだ。思わず失笑する。
こんな友人関係が構築できるなんてな。まったく、ブサイクには生きづらい世の中だ。
「それよく言うけど、顔の所為じゃないから」
「……俺、口に出してた?」
「出してた」
マジか。
出してたつもりが無かったので、少し恥ずかしい。
「顔以上に、卑屈になってた麗人の性格だから」
「なら初期ロットの俺でもこうしてたと思うか?」
「…………………………思わない」
「ほらぁ!」
「あれは人類史上稀に見る失敗作だと思う」
「言い過ぎ」
言い過ぎ。
つまり、ある程度の顔面偏差値は必要だということがわかる。
だからこそ何度も巻き戻って初期設計図からの脱却を図った訳だが。
「まあ、今はこうやってまったり出来てるんだからいーよね……ごく」
「また俺の飲んでるぅ!?」
「だって私の無いし」
「買ってこいよ!!」
見つかるからやだ、とか言いながら尚も飲んでいく。
あ、ああああっ、無くなっちゃうっ!!
「はい、あとどーぞ」
「無くなりかけやんけ!!」
飲むけどさぁ。ほんのひとくち分しか残ってないじゃないか。
でも飲むけどさぁ。
ごくり。
「ンマァイ」
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