記憶を無くしていない少女
ベッドからむくりと起き上がるなり、大きな溜め息を吐いた。
「はぁ……」
とても気持ちの良い目覚めの朝とは言えない。
ベッド脇に立っているリンネも何処か神妙な顔をしていた。
自分はどれだけ死んでもいいが、周囲の人を巻き込むつもりは無かった。それは自分の中で決めていたルールでもあり、俺が何度でも何度でも巻き戻るための境界線でもあった。
それが前回、ラインを越えた。
落ち込みようは今まで味わったことのない落胆。今まで軽々しく突き飛ばされていたという事実も、もしも巻き込んでしまったら……と考えると軽々しく行えなくなってしまう。
「うむ……どうしようかの」
同じことを考えているのだろうか。リンネの眉間のシワがどんどん深くなる。
彼女もまた他人を巻き込む可能性を想定していなかったのかもしれない。しかし、よくよく考えれば大いに有り得ることではある。
巻き戻るから構わない……じゃない。例えその事実が無かったことになるとしても、他人を巻き込むのは紛れもないNG行為だ。
「……どうすればいいと思う?」
「次から、助けられる時のみ飛び込む……っていう方法が、一番迷惑がかからない方法かもな」
効率は悪い。それに何年先の出来事になるか。
しかし、無駄に巻き込んでしまうよりマシかも――
「何の話をしとるんじゃ?」
きょとんと。
目を丸くしながら、首を傾げつつ尋ねてくる。
「何って……一ノ瀬を巻き込んじまったことを反省してるんだけど……?」
「そんな事はどうでも良い!」
……そんな事?
「前回、最後に何を食べたか。それが思い出せぬのじゃ、う~む…………ここは一つ趣向を変えて、どら焼きにしようかのう」
「いや、それよりも最後に巻き込んでしまったことをだな」
「悔やんでもしょうがあるまい? それに記憶は残らないんじゃし、深く悩んだところで心労を重ねるだけぞ?」
確かにそうだけども。人の心を解さない神視点からの意見では無いのだろうか。
「それよりも次に巻き込まないように手練手管を弄す策を練った方がよほど防止策になると思うがのう」
「…………………………それもそうか」
不服だが、一理はある。
それに時間を確認すれば、そろそろ出ないといけない時間だ。
「じゃあ今日はどら焼きな!」
「お前ホント食うことばっかなのな」
「うるさいわ!」
まだ気分は沈んでいる。しかしリンネの言う通り、次にどうやって巻き込まないかを考えていた方が、余程建設的ではある。
とりあえず……いつもの始業式を右から左へ流しに行くとしよう。
校長の口上など空で言えるほど脳内にこびりついている、そういった代わり映えのしないイベントの時間こそ、思考に耽る良い時間じゃないか。
玄関のドアを開き、空を仰ぎ見る。代わり映えのない天気、絶好の入学式日和であった。
ちなみに、何度目からかは忘れたけれども。母親の入学式同行は拒否しており、一人での通学なのだった。
面倒だしね、しょうがないね。向こうも行かずにすんで喜んでいるくらいだ。ウィンウィンなのだ。
――――――――――
皆がピカピカの制服に袖を通し、これからの新生活に胸を躍らせて歩いていく通学路。
同じ中学でも無い限り顔見知りはおらず、親と同行しているか、一人で黙々と歩いている新入生が多い。
その中で。
「おはよー!」
「…………っ!?」
「ねえ聞いてよー。なんかね、車に轢かれる夢見てさあ、寝起き最悪なんだけど」
「………………誰、ですか?」
なんだ、ナンパか?
新しい手法だな、自分の寝覚めの悪さを語るナンパとは。
珍しい、女が女をナンパしてるじゃないか。いや、もう珍しいとは言っていられない時代なのかもな。
物珍しい光景を眺めていると、ナンパされた方の女子は足早に去って行った。
「えっ、ちょっと……っ! もうっ、何なの……今日皆そうじゃんっ…………」
っていうか一ノ瀬だった。
逃げられたのが不満なのか、足元の小石を蹴りながら文句を垂れる。
そして見知った人物を見かけたのか、片手を挙げて小走りに近付いていく。
「おはよ! ねえねえ、夢の話なんだけどさ――」
「………………」
無視である。クールにもほどがあるな。
っていうか、変わった行動をしてるな…………あれ、一ノ瀬っていつも何も言わずに一人で歩いてたよな?
それで、周りの新入生たちから可愛いとか綺麗とか、まるでモブのガヤの如く騒がれながら歩いていたような記憶しかない。
まるで漫画の美少女キャラが盛り上げられてるような、コマで言えば大ゴマで等身大で描かれて初登場……みたいな。ヒロイン待ったなしの登場がセオリーだったはず。
しかし今回の一ノ瀬の行動はいつもと違う。
一ノ瀬は足を止め、キョロキョロと見回す。友達でも探しているのだろう。
しかし、まだ始業式すら済んでいない状況、友達なんているわけもなく。あ、また友人(初対面)に話しかけて逃げられた。膨れっ面で歩く顔すらも美人だが、その行動が俺には理解できない。
いつもと違う行動、一体何故……?
またも辺りを見回して――――俺と視線が合う。
「………………?」
俺を見た。
「………………」
俺も見た。
「………………!」
俺を指差した。
「………………」
俺は逃げた。
「あっ……! この人殺し……っ!!」
追いかけてきた。なに? なんで!?
一ノ瀬と俺は初対面のはず、なのに何故俺を追いかけてくる!?
「いやおっそ……」
「ぜぃ……ぜぃ……!」
既に追いつかれていた。
悲しむべくは肥満体、三桁を切ったとはいえ長身痩躯にはまだまだほど遠い。
「あんた夢で見たやつよね…………っていうか、私に殺してくれとか言ってた変人じゃない!?」
覚えてたのか。
って、いや…………覚えてた?
「なんで……?」
「それはこっちのセリフよ、夢で出てきたあんたが一体何で……!!」
まくしたてようとする一ノ瀬を手で制して、言葉を遮る。
「今何月何日だ?」
「は? 入学式なんだし、四月の――入学式? 夏休みじゃなかったっけ……?」
なんということでしょう。
匠の……いや、俺の手によって、何故か記憶を持っているではありませんか……!
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