傷痕
バーベリア領からレスリア兵が魔族側の土地に侵入し大規模な戦闘になったことがマルベーリの耳に届いたのは、その戦闘の凄まじさが改めて陽の元に晒されることになった朝のことだった。
民の嘆きの涙は花に落ち、その花びらが風にのって王であるマルベーリまで届けたのだ。
その時、朝の静寂の中マルベーリは自室でその日の最初と決めていた書類に手を付けていた。
ふと窓から飛び込んだ花びらが届けた嘆きを聞いたマルベーリは書類を簡単に整えると着の身着のまま、花びらが辿った道を進んだ。こんな時己が己で良かったとマルベーリは心底思うのだ。
こうして己には風を辿れる力や花びらの声を聞くことができる。ゆえに、様々なことをありとあらゆる方法で、他のものにはできないし感じない情報を受け取ることができる。その力がある。
これはこの世界ではもうマルベーリしか持っていない、強大な力だった。
風に導かれた先で待っていたのは、顔を覆いたくなるような悲惨で残酷な光景だった。
崩壊した家々。踏み潰された田畑。燃え滓。そして、たくさんの死体。動かなくなったそれは敵味方関係なく、ここであった出来事の負の象徴だった。
未だに血が流れ出る死体を抱きしめ静かに泣くもの。
突然の日常の崩壊にただ成すすべなく膝をつくもの。
食べ物がほしいと泣く子どもに、崩落の危険のある家に入り食べ物を探すもの。
そこに昨日までの平和と活気はなく、当たり前だと思っていた日常を奪われたものたちの深い悲しみが広がっていた。
マルベーリは以前ここに来たとき、皆が出迎えてくれ子どもたちと笑顔で歩いた道を辿る。
今この道を歩くマルベーリはただ一人、共をするのは泣き声や嗚咽だった。
「マルベーリ様?!マルベーリ様!来てくださったのですか?!」
そう声をかけてきたのは生後間もない赤子を抱えた母親だった。
「マルベーリ様、昨日急に人間たちが攻めてきて……よくわからないまま炎があがり、私はただただ夫にこの子と逃げるように言われて……。私も何が何だかわからなくて、そのまま逃げてしまって……。夫の行方を知りませんか?!私の夫、みんなに情けない情けないっていつも言われて……。本当にそうなの、あの人は情けなくて、私がいなくちゃ駄目なの……!私はあの人のところへ早く行ってあげなくちゃいけないのです!早く抱きしめてあげなくちゃ……!」
最後は叫びだった。
「すまぬ……我はまだ来たばかりで全てを把握しているわけではないのじゃ。良ければ夫君の名前や特徴を教えてはくれぬか?」
マルベーリのその優しい声に母親は少々落ち着きを取り戻し話し出す。
「私の夫はザジといって、情けないと思われがちですが、とても優しいのです……。この辺りでは見ない紅目が特徴で、腕には私と子供の名前が彫ってあるんです。」
「そうか、お主と子供の名は?」
「私の名前はメリル、子供の名前はジグです。」
「わかった、我も状況を整理しながらお主の夫君を探そう。」
マルベーリがそう言うと、メリルは目に涙を浮かべながら何度もお礼を繰り返した。
メリルと別れを告げ、マルベーリは再び歩みを進める。しっかりこの地の出来事を長たちに伝えることや、今後の復興支援などの準備を進めることも勿論忘れてはいない。
町の中心部へ進むと、年若い魔族の青年と人間の青年が倒れていた。見た限り、相打ちというかたちだった。二人とも傷だらけで、この二人の戦いの凄まじさを物語っていた。
そこに青い花を持った魔族の青年が現れた。青年はマルベーリのことに気が付いていたが、マルベーリに挨拶をするより先に、相打ちで倒れた魔族の青年の胸元に持っていた花を捧げた。
そしてマルベーリの方を見ることなく、話しかける。
「マルベーリ様、この男は何人も同胞を殺した人間を倒した私の兄なんです。とても雄々しく、気高く戦ったと戦場で生き残ったものに聞きました。」
そこで青年は一呼吸をついてから、話しを続ける。
「私は生まれつき身体が弱く、兄に迷惑をかけてきました。兄は図体に似合わずこの花のことがとても好きで……。私は兄のためにこの花を自分で育てはじめたんです。この花の見ごろの季節になると、私が手入れした花畑でこの花が咲き乱れて……もう少しで見頃だったんです。兄と今年も見に行こうと約束していました。」
青年は胸を抑えて続ける。
「でも、もう約束は果たされない。兄は死んでしまったし、私の花畑も踏みつぶされました。……私は今、兄を弔うこと以外に何ができると思いますか?」
マルベーリはその問いに静かにこう応えた。
「生きよ。」
その言葉に青年は困惑の表情をみせた。
「お主は生きよ。お前はこれだけ大勢のものが無残にも亡くなった中、今生きている。愛しいものを亡くし辛いじゃろう。思い出の場所が傷付けられ苦しいじゃろう。しかしお前は生きている。ならば、お前は辛くとも苦しくとも生きるのじゃ。それがこの悲劇で生き残ったもの全ての、最初にできることじゃ。」
「王よ……。正直に言います。私は、辛いです……!」
青年は顔を覆って泣き出した。
「辛くても、悲しくても、命ある限り生きるのじゃ。それが生きているものの責任なのじゃ。」
マルベーリはそう言うと、青年が泣き止むまでその背中を撫で続けた。




