後日談
第9話
まさか、人生の後半に入って、こんな思いをすることになるなんて・・・。
ジュリエットの結婚式のあと、カルロスの要請に応じてアランの治療をしたのは、カルロスのこともちょっと心配になったから。
マリアエレナ様に先立たれてからずっと再婚せずにいたカルロスが、思春期に入った双子の姉妹との関係に苦慮し、体調を悪くした長男のアランへの不安な様子に、さすがにちょっと同情してしまったのよ。
まさか、カルロスの屋敷に落ち着いて早々に、彼から結婚の申し込みをされるとは思っていなかったわ。
私にとって、カルロスは幼なじみというか同志という感じの存在で、お互いそういう関係性だと理解していたはずだし、アランの体調が回復し、双子の娘たちと良好なコミュニケーションがとれるようになれば、逆に私とカルロスの関係がこじれる予感があったから、
「今は何よりアランへの治療に集中したいから返事はしばらく待って欲しい」
とプロポーズへの即答は避けたの。
とはいえ私自身も、もしマリアから薬剤師の学校の話を持ちかけられていなければ、このまま残りの人生を、気の置けないカルロスと過ごすのもいいかもしれない、とも考えたりしたわ。
治療が功を奏して、アランが無事回復したことをカルロスが喜んでくれたのは嬉しかった。息子の回復をアピールしたくて、皇帝陛下ご臨席の馬上鑓試合に親子で出場するとカルロスが決めたとき、私は反対しなかった。あのロードスでの戦闘で負った古傷のことを知っていたのに。
カルロスが試合中に大けがをして、館に運び込まれたときは、一目見て、自分の力量では治せないことがわかったわ。意識を失いつつあるカルロスを前に、あのとき初めて、私は自分の人生に後悔した。
「私、もっと怪我を治療する技術を会得するべきだった。あなたを助けたいのに!」
「じゃあ、天国で待っているから、そこでちゃんと治療してくれよ。」
「カルロス!カルロス!愛しているわ!」
「ふふ、マリアンヌの大嘘つきめ」
私ができたことは、ショックを受けているアランを抱きしめ、「お父様の死はあなたの責任ではない」と何度も言い聞かせて納得させることだけだった。
後ろ盾を失ったアランが、双子の妹の将来を考えて、跡継ぎのいなかったカルロスの父方のいとこの家の養子に入ると決めたときは、これでアランの未来が開かれると思い、安心したわ。
でも、どうして、悲劇というものは続いてしまうのだろう。
一足先にカルロスのマルセイユにあるそのいとこの家に迎えられ、後を追って、双子の姉妹がマルセイユに向けて乗船した船が、途中で行方不明になったと聞いたときの焦燥感は・・・。
私がそのニュースを聞いたときは、マリアと始める薬師院の学校の開校準備でヴェネツィアに戻っていたので、元首のマリオ・フォスカリに無理を言って、双子の消息を探ってもらった。でもあのサンマルコ共和国の諜報網を駆使しても、行方が分からなかった。
動揺する私を見かねて、マリオはキプロスの商館長経由で、個人的にジェロームにも捜索依頼をしてくれた。
『残念なことだが、金髪碧眼の上流階級の娘が海賊に誘拐され、極上の献上品としてスルタンのハーレムに上納されることはたまにある。できうる限り捜索するので、もう少し詳しい情報が欲しい。ただ、コンスタンチノープルのトプカプ宮に入る前だったとしたら何とかできるかもしれないが、すでに後宮に入ってしまっていたとしたら、私の力は及ばないという事は理解して欲しい。』
マリオからジェロームのメッセージを聞かされて、私は覚悟を決めた。これ以上アランに心理的負担をかけることはできない。私はジェロームに探索のための情報を伝える一方で、カルロスには双子が船上で不慮の事故に会ってしまったと話した。
今でもあの双子のことを思い出す。時代が変わっても、何の罪もない若い女性が戦争や犯罪、政治に翻弄されて不幸になってしまう。エレノア様の時代、いえ、もっと昔から常にそう。だから私は、社会的に最も弱い立場である孤児の少女たちに、自活する手段と機会を与えてあげたい。少しでも多くの不幸な境遇の子のために。孤児院付属でスタートしたこの薬師院で教えることは、私の天職であったのかもしれない。
薬師院がスタートできて少しほっとしたときに、突然ジェロームはお忍びでやってきたときは本当に驚いたわ。片腕となった傷跡はすっかり綺麗になっていた。マリオから聞いていたけれど、やはりヴェネツィア海軍所属の医師団のレベルは相当なものだと実感したわ。そしてその技術を持たない自分が悔しかった。その技術があれば、カルロスはまだ生きていて、アランも養子になる必要などなく、双子たちも良家に嫁ぐことになっていたかもしれないのに。
そう言って泣く私を、ジェロームは優しく抱いてくれた。
「私やロバートや周り多くの人たちを救ってきたのを忘れたのか。すべての人間を救えないと泣くのは傲慢だぞ」
と。そして
「周りの人を救う人たちを、これから君がたくさん育てることができれば、いつかはすべての人間を救えるかもしれないけどな。」
と言って笑ってくれた。
事後の言葉の愛撫を受けながら、私はまた泣いてしまった。