女神様の愛し子!?〜どちらかというと、下僕です。
初執筆、初投稿です。少し修正を加えました。
緩い設定なので、緩〜い気持ちで読んで楽しんで頂けると有り難いです。
■ロイド視点を追記し、連載版を始めました!
「よし…と。もうこっちに来ちゃ駄目だからね〜」
フワフワと朧げな姿で光りながら漂う女性を送り返した私は、ふうっとため息をついた。
ここは地上と天国との境目。
天に召される魂の通過点だ。
私の役目は、まだ召される予定のないうっかり迷い込んだ魂を地上へと戻すことだ。
先程の女性のように、恋人に浮気されて相手に復讐した挙げ句に自殺未遂したとかね。
恋愛ってほんと怖い……。
『しっかり働いておるな。グレイス』
突如、頭上から声がかけられた。
この偉そうなお方は女神様。
この世界の守護神なので実際偉いのだが、何せ人使いが粗い。
この空間に時間の概念は存在しないのだが、この役目を与えられてから恐らく数十年は働かされっぱなしだ。
女神とは名ばかりの鬼畜様である……。
「もう十分に反省していますし、十分に働きましたよー。そろそろ解放してくれてもいいんじゃないかな……と」
何十回目かの訴えを繰り返すが、『ふん』と返事を返され終わってしまった。
『お。仕事だ仕事。また愚かな魂が迷い込んで来たぞ。さっさと追い返してこい』
こうして私はまた、彷徨える魂の話を聞くべく側へと向かうのであった。
わ。すっごく美形。
魂だから、凄くぼんやりとはしているけれど。
恐ろしく美しい青年だということが分かった。
あれ。
人間じゃなくて迷える神様だったのかな。
私を見つけた青年は「あなたは……? 私は天に召されたのでしょうか」と問いかけてくる。
うわ。声まで格好いいとか、本当に神様ですか。
女神様から神様に転職希望です。
というのはさて置き、早速仕事に取り掛かる。
「私はグレイス。女神様の遣いよ。ここは天国へ繋がっているのだけど、貴方まだ死んでいないの」
「貴方みたいな魂を地上に戻すのが私の役目よ」
「また地上に……」
青年の表情が曇り、ぼんやりとした姿がさらに曖昧になっていく。
このまま放置すると、永遠にこの空間で彷徨い続けることになってしまう。
私は仕事用スマイルで優しく声をかけ、魂の声を聞いてやる。
「私は…私には皆を守る責務があるのです。ですが身体も弱い上に力が至らず…守るどころか、信頼していた者に毒を盛られ倒れました」
「このまま私が居なくなれば、誰よりも優秀な弟の負担も減るはずです…」
そう言って青年は悲しそうな表情をした。
この空間に迷い込むのは皆、生きることを諦めた魂だ。
でも核となる光が消えた訳じゃない。
この青年もまた、今にも消えそうではあるけれど光を放ち続ける核を持っていた。
そして……
こんなに息を呑むほど美しい光を見たのは初めてだった。
高貴な身分なんだろうなー。
「ふざけるな!!」
私は気にせずに怒鳴る。
この空間においては身分なんて何の意味も持たないのだ。
「貴方は死に逃げて、楽になるかもしれない。だけど残された弟は?」
「貴方が死んで喜ぶような人間なの?もし違うのなら、彼は一生貴方の責任と悲しみを背負い続けることになるのよ」
「大体、私なんて名ばかり貴族で借金まであって苦労したんだから。平民で飢えている人が、死にかけている子供が、どれだけいると思ってんのよ!!」
「高貴な生まれで衣食住が保証されているだけでも、泣いて感謝しなさい!!!」
熱くなりすぎて後半は私情が入っちゃったね。
荒くなった息を落ち着けていると……
青年の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
「そうか…私は……」
「なんと愚かだったのでしょう。私の力及ぶ限り、愛する弟も含めてこの手で必ず皆を幸せにしてみせます」
「もう大丈夫そうね。自分の身体に引き寄せられるイメージをすれば、そのまま戻れるから安心して」
「そういえば、身体が弱い上に毒に侵されたと言っていたわよね!」
「効果の保証は出来ないけれど、貴方の病気が治るように、貴方のすべきことが成し遂げられるように、祈りを捧げるわ。これでも女神様に祈りを捧げる一族の端くれだったの」
そういって微笑むと、青年は美しい所作で丁寧に一礼をして下降を始めた。
高貴な人も難儀なものね~。
やれやれ。
と思って見送っていると、青年がふとこちらを振り向いた。
「私はレオと言います。また会える日まで、どうか女神の様に美しい貴方の記憶の片隅に留めて置いて下さい」
キラキラ全開の笑顔で見つめられ、年甲斐もなくドキドキしてしまう。
自分の歳は知らないけど、16の時からここに居るから少女の年齢では無いはずだ。
レオという青年は今度こそ身体に戻るべく、小さくなって消えていった。
不覚にもときめいてしまったけれど、次に会うのはきっとレオがおじいちゃんで天命を全うした時だろうなー。
それまで私は、こき使われ続けるんだろうか…。
『今の魂でちょうど300人か』
『どうだグレイス。そろそろ私の偉大さが分かったか』
「も、もちろんです!! 女神様の偉大さは私のような者が推し計ることも出来ません」
『ふん。口だけは達者だな』
『まぁよい。私もお前にだけ構ってられぬしな。そろそろ任を解いてやろう』
「や…やった~!! 女神様、ありがとうございます!!」
ようやく! ようやく!! 私も天国に行けるのね!!!
今まで働いた分、思いっきり怠惰な生活を送るんだから〜。
天国での幸せな堕落生活を思い描いていた私に、鬼畜女神様は信じられない言葉をかけてきた。
『残りの人生は私を崇め奉って、毎日祈るのを忘れるでないぞ』
『また女神像を蹴飛ばしたり不尊があれば……どうなるか分かっているな?』
う…うそ。
私、死んだんじゃなかったの!?
ちょっと待って。
戻るって……私の身体はどうなってるんだろう!?
目が覚めたらおばあちゃんとか、最悪すぎるよ〜!!
パニックでその場から動かない私を、女神様の力が無理やり下へ下へと押しやってくる。
「い…いやーーー!!」
絶叫した次の瞬間目にしたのは、見慣れた天井だった。
「グレイス……!?」
「目が覚めたのね!! 良かった…本当に良かった!!」
そう言って姉が私の手をとり、涙ぐんでいる。
あれ……?
変わってないような……??
医師の診察を受けた後、事の詳細を聞いて驚いた。
私、コートネイ伯爵家の次女グレイスは不敬にも聖堂の女神像を蹴り飛ばしうっかり壊した訳だが…その直後に原因不明で倒れて眠り続けていたらしい。
軽く数十年は経っていると思っていたのに、実際は3ヶ月だったようだ。
「そういえば、何故お姉様が家にいるの?」
姉は1年前に裕福な男爵家に嫁いだ筈だ。
我が家は清貧、歴史だけはあるという伯爵家で代々一族の女性が女神様への祈りを捧げてきた。
伯爵領は幸いにも大きな災害に見舞われたことは無いけれど、街の整備などでどうしても大きなお金が必要になる。
そこに援助を申し出たのが、新興貴族になったドーツ男爵家だった。
見返りは歴史ある伯爵家と縁を結び、貴族としての仲間入りを果たすことである。
ドーツ家跡取りのハリーは美男子で女性の扱いも上手く、私も密かに彼に熱を上げていた一人だった。
この話を聞いて次女である私が浮かれて舞い上がったのは言うまでもない。
ところが父はコートネイ家跡取りと思っていた長女のテレーゼとの婚約を纏めてしまったのだ。
理由は…私の瞳の色にある。
バイオレットサファイア。
女神様の色の瞳は、祈りの力も強いとされている。姉の瞳も紫色ではあるが、私ほどの色は非常に珍しいのだそうだ。
私の想いを知っていた姉は何度も父に掛け合ってくれたが、覆ることはなかった。
それでも大好きな姉が幸せになってくれるならと笑顔で送り出したのに……
ハリーは連日女遊びに繰り出し愛人を囲い、姉には暴力を振るって蔑ろにしていた。私に気を遣った姉は実家に相談することもできず、心身ともに病んでしまったのだ。
その話を知った私は、激昂して女神像に八つ当たりをし……
今に至る。
女神様実在したのよね…
私が眠っている間に父はすぐさま姉を離縁をさせて実家に戻したところ、なんと隣領の幼なじみから数日前に求婚されたのだという。
「グレイスがこんな状態なのに…ごめんなさい」
そう言いながらも、姉からは幸せオーラが滲み出ている。
ハリーからの仕打ちで受けた心の傷も大丈夫そうだ。
この2人、実はお互い想いを寄せ合ってたみたいね。
全然気付かなかったわー。
「お姉さまが想い人と結ばれて安心しました!」
「私は全然問題ありませんので、誰よりも幸せになって下さいね!!」
父も反省し姉が婿とる形で家にいてくれる為、私は養生と称して思いっきり堕落生活を満喫するのであった。
その頃、王城ではー
「兄上!」
「少しは休まれて下さい!!奇跡的にお身体が健康になったと言っても、先日まで死の淵を彷徨っていたんですよ!?」
第一王子の執務室に声が響き渡った。
「ロイドか」
「私の弟は心配性だな。幼少期からの数々の不調が嘘のように体が軽いんだ。今まで不甲斐なかった分、これからは国のために全力で力を尽くさねば」
第一王子レオナルドが目を覚ましたとき、体内の毒は消え去り、健康体そのものになっていた。
国内最高峰の医師でも治せなかった数々の持病も見当たらず、身体が生まれ変わったと思えるような奇跡だった。
「これも彼女のお陰なのか……。夢かと思っていたが、本当に女神様の遣いに会えたのかもしれないな」
そう考えてグレイスの姿を思い返せば、少しだけ感じていた疲労も吹き飛んだ。
レオナルドを害した一派も処罰され、遺憾なく能力を発揮し始めた頃……
「陛下……緊急事態です!」
「国境北西部から巨大な嵐が迫っております!!規模は恐らく…我が国の記録に残る中では最強クラスかと」
「辺境伯領、コートネイ領などを経由し、第ニ都市にも甚大な被害が予想されます」
国境警備隊から緊急の報告を聞き、国王陛下と両隣に控える二人の王子は揃って苦悶の表情をした。
第二都市は貿易が盛んで、他国の商人も多数出入りしている。
そこに巨大な嵐が直撃するとなれば、人的被害だけでなく国の経済も長期的に大打撃を受けることは不可避である。
そこにいる誰もが待ち受けている暗い未来を覚悟した。
♢ ♢ ♢ ♢
「お姉さまは屋敷で指示を! 私は聖堂で女神様に祈りを捧げてきます!!」
連絡を受けたコートネイ伯爵領では嵐への備えや民の避難などで、皆が慌ただしくしていた。
そんな中、グレイスはバイオレットサファイアの首飾りを握りしめて一人聖堂で跪いた。
女神様の遣いをしている間、数多の魂が日々天国へと召されるのを目にしてきた。自分の知らないところでこんなに多くの人が命を落としていることを知り、愕然としたのだ。
報告通りの規模の嵐が直撃すれば、甚大な数の犠牲者がでるに違いない。
一人でも助かるよう、何とかするしかない!!
「一度に沢山の魂を引き受けるのは嫌でしょ!? ねぇ女神様!!」
サファイアを握った手に力を込めて、女神様に語りかける。
長い眠りから覚めたとき、掌にコロンと転がっていた物だ。
自分の絶叫でよく聞き取れなかったが、最後に女神様が褒美がどうとか言っていたのでこれの事かもしれない。
実は女神様の遣いをしていた時にいつも身に付けていたものなので、今も肌身離さず持ち歩いているのだ。
そして、その美しい結晶がポワっと光った気がした。
同時に女神様の『やれやれ』といったため息が聞こえて来たような。
何となくもう大丈夫な気がしたので、丁寧に丁寧に礼をしてその場を離れ、民の避難の手伝いに向かう。
そして出来うる限りの対策をして待ち受けた嵐は……
コートネイ伯爵領に入る手前で急激に縮小し、散霧した。
「嵐が……突然消え去っただと!?」
喜ばしいことであるが、あれだけの嵐が突然消えるなど過去の記録も含めて一度も聞いたことがない。
「一体何が起こったというのだ……?」
「被害があった地域に支援を行うと共に、原因を調査せよ」
国王の命令で専門家を始めとする調査団が向かったが、辺りは変哲のない平原が続くのみで何の手掛かりもなく帰還した。
「特にこれといった要因は無かったみたいですね」
レオナルドの執務室で、幼馴染にあたる側近から報告書を受け取りながら耳を傾ける。
「それから…調査団の一人が言っていたのですが」
「嵐の被害を直前で免れたコートネイ領は、随分と女神様への信仰が厚いようですね」
「なんでも、コートネイ家の次女が大層美しいバイオレットサファイアの瞳の持ち主だそうで、最近は特に熱心に祈りを捧げているそうです。領民も女神様の加護のお陰だと感謝していました」
「バイオレットサファイア……か」
レオナルドとて女神への信仰心は幼い頃より刷り込まれて持ってはいるが、漠然とした加護だ思っていた。
自身の身で体感するまでは。
だが今では、その存在や力は確かな物だと確信している。
そして報告書をめくった時、一人の少女の名前が目に飛び込んできた。
「グレイス……?」
それはレオナルドの頭の片隅から常に離れない、初めて自分を怒鳴りつけたあの美しい瞳を持った気高い少女の名前だった。
いや、まさかそんなはずは…
ただの偶然だろうと自分に言い聞かせる。
しかし、「あぁ。そのグレイス嬢ですが、数ヶ月前に原因不明の病で3ヶ月も眠り続けた後に、奇跡的に何事もなく目を覚ましたそうですよ。不思議なこともあるんですねぇ」と話の続きを聞けば、いよいよ動揺が隠せなくなった。
「殿下……?」
「何か気に掛かることでもありましたか?」
「いや……」
「……そうだ!私も今後の為に今回の原因が気になっていたんだ。かなり被害を受けた地域もあるし、私自身が赴こう。コートネイ領も含めて近日中に視察に行きたい。すぐ手配を頼む。最優先だ」
「えぇ!?」
「殿下正気ですか!!」
「半年後の立太子まで予定はびっしりですし、暫く王都を離れる訳にはいきませんよ」
常に冷静沈着で臣下に無理難題を吹っ掛けない第一王子の乱心ともいえる指示に驚きつつも、側近の一人は首を横に振った。
そこへ、第二王子のロイドが入室してきた。
幼い頃より誰よりも兄を慕っている弟は、休憩を促すためだけに日に一度はレオナルドの執務室までやってくる。
「ロイド殿下、いい時に来て下さいました!」
そうして事のあらましをロイドは、信じられないものを見る目で兄を見つめた。
「兄上が突然そんな事を言い出すなんて……何事ですか!?」
こうなっては仕方がないと観念して、レオナルドは自身の身に起きた不思議な体験を口にした。
「…分かりました。では、俺が行きます。グレイス嬢を王城に連れてくると目立ちますので、理由を付けて叔母上のところに一時的に匿ってもらいましょう」
「次期王太子妃選びで皆殺気立っていますので、ご理解を。兄上がお会いになる際はくれぐれも人目に付かぬようお願いします」
今まで擦り寄ってくる令嬢達に一切無関心だった兄が、一人の令嬢をたった一目見るために辺境辺りまで行くというのだ。
兄の身に奇跡をもたらしてくれた人間かもしれないと思えば、自ら赴くのに何ら躊躇は無かった。
そして…もしグレイス嬢に何かしらの難があれば兄に良からぬ噂が立つ前に遠ざけるのも、自身の役目だと自負していた。
父上には勉強の為に必要な視察だと押し切り、今現在コートネイ家の応接室にいるのだが…
「……思っていたより平凡な印象の令嬢だな」
というのがグレイスの第一印象だった。
女神の瞳を持つと聞いて、さぞかし美しい令嬢なのだろうと勝手に想像していたのだ。
勿論、そんな心の内は微塵も出さず王子スマイルを貼り付けている。
対するグレイスは、見目麗しい王子様と対面しても頬を染める様子も一切なく、非礼にならない最低限の表情筋しか動かしていなかった。
「全く……今日は養護院の子ども達に勉強を教えてあげる約束だったのに、とんだ邪魔が入ったわ。あの笑みの下に隠された企みは何なのかしらね」
そんな不敬なことを考えている間にロイドが本題を切り出した。
「実は、希少なバイオレットサファイアの瞳を持つグレイス嬢を暫くケンブリッジ侯爵家に貸して貰えないだろうか。侯爵夫人である叔母上が最近体調を崩しがちでね。側に居て少し祈ってくれるだけでいいんだ」
…突然何を言い出したんだ。この王子。
「不敬を承知で申し上げますが…私の祈りでケンブリッジ侯爵夫人のお体を回復することは難しいかと存じます。ご存知かとは思いますが、女神様の祈りの力で個人の病が完治することはございません」
侯爵夫人の病が治らなかったとかで責任を負わされるとか、絶対に御免です。
「勿論、君に責任を問うことは一切ないと約束しよう。単なる夫人の話し相手だと思ってくれればいい」
「報酬も十分払う。それから、君の父上が推進している貧民対策への支援金をコートネイ伯爵領に優先的にあてたいとも考えている。領内を視察してきたが、孤児に衣食住だけでなく勉強も教えているそうだな。素晴らしい取り組みだ」
「お褒めに預り光栄でございます。至らぬ身ではありますが、ケンブリッジ侯爵夫人のお側で精一杯務めさせて頂きます」
元々断れる訳もないし、喉から手が出るほど欲しかった支援金までくれると言うのだから速攻で引き受ける一択だ。
女神様にあれだけ扱き使われたのを思えば、大抵のことは耐えられる気がするしね。
一方、第二王子からの突然の申し出に関わらず落ち着き払って事務対応してくるグレイスを見て、ロイドは内心酷く驚いていた。
年頃の令嬢と接する機会は数多あるが、王子妃という婚約者の座を狙い色目を使いながら擦り寄ってくる者ばかりだ。
今回ロイドが提案したのは王妃の妹である侯爵夫人の話相手という、令嬢達が聞いたら誰もが羨む役目であり普通は喜色を示す筈なのだが……
まるで色気のない雰囲気と言い、令嬢というよりは城の文官と話をしている気分だな。
などと失礼なことを考えながら話を纏めて帰城し、最短の日数で侯爵家滞在の手筈を整えた。
♢ ♢ ♢ ♢
「まぁまぁ。可愛らしいお嬢さんだこと。長旅で疲れたでしょう。我が家だと思って寛いで頂戴ね」
「グレイスちゃんでいいかしら? 私のことはアルマと呼んでね。色々と聞きたいこともあるし、休憩したら早速お茶にしましょうね。ふふふ」
王家によって全て手配され快適な馬車の旅で辿り着いた侯爵家は、見たこともないほど豪華でとにかく広かった。
そして体調が悪いと聞いていた侯爵夫人本人が笑顔で出迎えてくれている。
あれ?
すっごくお元気そうに見えるんですけど?
あの見目麗しい王子殿下の伯母様だけあるわという人外の美しさなのだが、血色の良いお肌はツルツルでとても健康そうかつ、とってもフランクで若干引く位歓迎されているのは何故。
色々疑問はありつつ、用意されたお茶の席に着くと侯爵夫人から耳を疑うような言葉が飛び出した。
「それで、グレイスちゃんはレオナルドとロイド、どちらと恋仲なのかしら?」
「ごほっ」
危うくお茶を噴き出すところだったわ。
いやいやいや…何だって?
「アルマ様。畏れ多くも、何か勘違いなさっておいでかと存じます。私はレオナルド殿下ともロイド殿下ともそういった関係は一切御座いません」
レオナルド殿下なんてデビュタントの時に遠くから見たことしかないわ。
どうやったら田舎の伯爵令嬢が、王子殿下と恋仲だなんて話になるのかしら。
「あら? そうなの?」
「甥っ子にようやく春が来たのかと思っていたのだけれど。あの子達もまだまだねぇ」
本気で残念がっているアルマ様に向かって、恐る恐る尋ねてみる。
「ロイド殿下よりアルマ様の体調が思わしくないと伺い、祈りを捧げる為に参ったのですが……?」
「あぁ。そうなのよ」
「先月、末の娘が隣国に嫁いでしまったの。息子たちも皆自立しているし、途端に寂しくなってしまって気分が落ち込んでいたのよ」
「でもグレイスちゃんが来てくれたからすっかり元気になったわ! グレイスちゃんに似合いそうな可愛いドレスが沢山あるのよ?美味しいお菓子も色々あるから、一緒に頂きましょうね」
……あの嘘くさい笑顔の王子殿下が何を企んで私を侯爵家に寄越したのか、サッパリ分からないんですが。
それから数日間、私は祈りもそこそこに、楽しそうなアルマ様と優秀な侍女達によって全身磨かれ、着せ替え人形と化していた。
一度ロイド殿下が様子を見に来てくれたのだけれど、王子様の仮面は綺麗さっぱり取り払われていた。
私なんぞに猫被りは不要と判断したのでしょうけど、こちらとしても有り難い。
何を企んでるんだコノヤロウ。という念を込めながら事務的に近況報告を行うと、偉そうに座っていたロイド殿下が突然「ぶふっ」と吹き出した。
「こんなにも俺に興味を持たない令嬢は初めてだな」
「何でそんなに事務連絡なんだよ…くくくっ」
え。
女性が皆自分に好意を持つって思ってるとか引くんですけど…。
いや。倒れる前の自分なら間違いなく眼の前の王子様にときめいていたと思う。
でも女神様に扱き使われ続けた中で、男女間の醜いいざこざを嫌っていうほど聞いたんだよね。もはや外見だけが16歳の私は、恋愛のトキメキも結婚に対する幸せな幻想も持ち合わせていないのだよ。
なんて正直には言えないので返答に困っていると…
「あらあら。ロイドは随分とグレイスちゃんを気に入っているのねぇ」
「叔母上! 俺は別に気に入ってなんて……!?」
「ふふふ。じゃあ、そういう事にしておこうかしら」
「何で俺がこんな愛想も色気もない…… 」
「コホン。……騙すように連れてきたのはすまなかった。だが決して悪いようにはしないと誓おう。詳しくは話せないが、暫く侯爵家で大人しくしていてくれ」
「ロイド殿下…何やら物凄く失礼な言葉が聞こえた気がしますけれど、きっと空耳ですわね」
「アルマ様の体調は大きな問題が無さそうで安心致しました。ですが、先に提示して頂いた報酬はきっちりとお支払いをお願い致します。それから、私が行けない間養護院に代わりの教師も派遣して頂けると有り難いです」
「分かった分かった。報酬については契約通り支払うから心配するな。教師も至急手配しよう」
こうして謎の滞在を続けることになった私だが、何も仕事をしないのも心苦しいのでアルマ様の健康(美容もお願いされた)維持やケンブリッジ領の幸福を毎日祈った。もちろんコートネイ領は欠かさず祈っている。
以前は祈りを捧げても何かを感じることは無かったのに、女神様のバイオレットサファイアのお陰でポワっと温かい確かな力を感じることができる。
良くしてくれている侯爵家で働く人達のことも思えば、早速効果が現れたようでアルマ様の長年の頭痛が改善されたり、老年の執事の腰痛が軽くなったりだとか次々感謝された。
もしかして私、凄いのでは!?
…なんて勘違いは絶っ対にしてはいけない。絶対に。
凄いのは女神様であって、私はその膨大な力のほんの一部を使わせてもらっているに過ぎないのだから。
一に感謝。
二に感謝。
三、四も全て女神様に感謝。
そうして自他共に女神様信仰を深めていたある日、私は侯爵邸の図書室で不意に見慣れぬ青年に声を掛けられた。
「失礼。読書の邪魔をしてすまない」
本から目を上げた私はピシっと固まった。
たった一度、舞踏会の端から見たことがあるだけだが…
シンプルな装いながら高貴なオーラが全力で滲み出ているこの御方は…
レオ……ナルド殿下!?
何故こちらに?
「……ご挨拶が遅れて申し訳ありません。コートネイ伯爵家が次女グレイスと申します。ケンブリッジ侯爵家に暫く滞在させて頂いております」
そして、私は重大な事に気が付いた。
私が女神様の遣いとして地上に戻した最後の魂は…どう見ても眼の前のレオナルド殿下だ。
働きずくめで長い年月が経ったと思っていたし、まさかあの青年が自国の現王子殿下だとは思わなかった。
やばい。やばい。やばいー!!
殿下を怒鳴って説教してしまった。間違いなく不敬罪で処罰しにきたのだと、背中に冷たい汗が流れる。
断罪の言葉を覚悟したものの、待っていたのはまるで愛しいものを見るような柔らかな笑みだった。
「今はプライベートで来ているんだ。気軽に接して欲しい」
いや。一国の王子に対して気軽には無理です。
身構えていたけれど、私のことは覚えてない……?
あの空間の記憶は無くなるのかしら。はぁ、良かった。
その後、王都一と謳われる侯爵家の図書室でレオナルド殿下と私はなぜか女神様ついて語り合っていた。
図書室には、我が国だけでなく、各国の女神信仰についての蔵書が揃っている。
其々に女神様の逸話が残されており、女神様の姿絵も全く異なっているようだ。
…実際は女神様ってこの世界に唯一人だけだし、人間のような実体はないのだけど、信仰対象としてイメージって大切だものね。
興味深いことに、レオナルド殿下は各国の女神様の違いについて疑問を持っているようだった。流石だわ。
女神様は多忙な上に気分屋なのである。
人間を愛おしんでいる訳でもなく、世界が一定以上の秩序を保つように存在しているだけだと愚痴っていた。
猛々しい女神像の国は…ちょっと機嫌が悪かったのかもしれないわね。
そんな感じで、レオナルド殿下はそれからというもの、時折侯爵家にフラッと現れては図書室で女神様や他愛もない話をして帰っていくという不思議な関係になっていた。
雲の上のお方で恐れ多くはあるものの、気さくで多方面に博識な彼と過ごす時間はとても有意義で、何故かいつも心の奥が温かく満たされる気がした。
この気持ちを何と呼んだらいいのだろう。
かつてハリーの噂一つで友人達とキャッキャ騒ぎ、熱を上げていた感情とは全く違う。
きっと次にいつ会えるのかを何処かで期待してしまうのは、我が国の王子殿下が素晴らしい人柄であることに対する尊敬の念からよね。
それ以外に有り得ない筈だもの。
◇ ◇ ◇ ◇
「流行り病ですか?」
いつものようにアルマ様とお茶を楽しんでいた私は、隣国と接する西端の地である病が猛威を振るっているという話を耳にした。
毎年多様な流行り病が発生するものの、今回は驚異的場スピードで広がり既に多数の死者が出ているという。
高熱、遅れて出る全身の発疹、酷い咳…
症状を聞いた私は、ある青年の姿が頭をよぎった。
「我が国で流行っている病に非常に良く効く薬草をとうとう発見したんだ! 入手は難しいが、これで病に苦しむ多くの人が救われるんだと……そう願ってあの男にすべてを託した。全てはあの男を信じた俺の責任だ」
そう。
あの病と同じだわ。
女神様の遣いをしていた時に、薬師一族の長だという青年と交わした会話を思い出す。
実はその月桂草は、コートネイ領の湖畔を好んで群生している我が領ではありふれた花だ。
薬には満月の翌朝の朝露が大事だとか何とか…
群生していることを伝えたら、それまでの悲壮感は何処へやら「天国は地上にあったのか。直ぐに移住しなくては……!」とさっさと地上に戻っていった。
彼は今、コートネイ領にいるのかしら。
女神様は忙しくうえに気まぐれで、いつも力を貸してくれるなんて保証は何処にもない。
彼を見つけて、何としても薬を作ってもらい一人でも多くの命を助けるのが自分の役目よ。
そう決めた私は、ロイド殿下に自領に帰る許可を得るため手紙をしたためた。
詳細は明かせないが薬を手に入れられる可能性があることを伝えたところ、直ぐにロイド殿下が訪ねてきた。
「薬が手に入るとは本当なのか!?」
「詳しくはお伝え出来ませんが、薬師が我が領にいる可能性があります。他国の方ですので、協力して頂けるかは分かりません。ですが、少しでも可能性があるのなら探しに行きたいと思います」
「分かった」
「兄上は君を一人で行かせるのは不安な様だから、俺も一緒に行こう。気乗りはしないが、権力が必要な時は任せておけ」
次の満月は明後日だ。ロイド殿下と私はその日のうちにコートネイ領へと出発した。
久し振りに帰ってきた我が家での大好きな家族との再開もそこそこに、私は薬師一族の長カイルを探し歩いた。
恐らく、湖畔からそう遠くない場所に家を構えている筈と思って周囲を探していると、美しい銀髪をゆるく結んで月桂草を摘んでいる男性がこちらを振り向いた。
うん。
最近私が関わる男性はどうやらイケメンが多いらしい。
切れ長の目で、ぱっと見は人を寄せ付けず冷酷な印象を受ける。
…が、ぐんぐん近づいてきたかと思うと。
「女神様!!」
「またお目にかかれる機会を得られるとは、光栄です。女神様のお導きの通り、この地に参り日々研究に邁進しております」
ひぃ!?
記憶がなくなるんじゃなかったの??しかも月桂草のある場所を教えただけだから!
私が女神様だなんて何て盛大な間違いをしてくれるんだ!!
「顔を上げてくださいませ」
「お会いするのは初めてですので、どなたかと間違えていらっしゃいますわ。私はグレイス・コートネイと申しますの。おほほほ」
女神様の遣いをしていた時と対極にいるような、お淑やかな貴族令嬢を演じて見せた。
ね?ほら、貴方の勘違いだった気がするでしょ??
「いいえ! 私が、貴方様を間違えるなどあり得ません」
「その何処までも透き通った美しい瞳、そして身に付けておられる不思議な輝き放つバイオレットサファイアは、この世界に二つと同じものはありません」
「ですが、地上の世界ではグレイス様として存在していらっしゃるのですね。不肖の身ゆえ迂闊な発言をしまして、申し訳ございません。承知致しました」
間違いを訂正できないばかりか、勝手に納得されてしまった。
全てを話す訳にもいかないし。
あぁ…どうしたら。
「こちらは我が国の第2王子、ロイド殿下でいらっしゃいます」
とりあえず、権力を頼って偉い人に話を逸らしてみた。
ロイド殿下は珍しく王族オーラ全開モードなのだが…
「お初にお目にかかります。薬師をしておりますカイルと申します。私がお側にいない間グレイス様をお守り頂き、感謝申し上げます」
王族が一介の令嬢の護衛をするなんて有り得ないから!!
不敬罪で今度こそ女神様の下へ旅立つ気なの!?
「…あぁ。第一王子である兄上の大切な女性を、誰からも守るよう厳命されているからな」
ロイド殿下も悪ふざけを始めたらしい。カオス。
もういいや。さっさと本題に入りましょう。
「早速なのですが、お願いがあって貴方を探しておりました。我が国でもたちの悪い流行り病が急拡大していて、深刻な状況なのです。どうか貴方の力を貸して頂けないでしょうか」
そう言って私は深々と頭を下げ…るより早く、カイルが私の手を取り跪いた。
「慈悲深きグレイス様は、私に贖罪の機会を与えて下さろうとしているのですね。微力ながら、今度こそ皆を助けるために全身全霊を捧げます!」
「実は薬を作る準備は整って入ります。今夜が満月ですので、明朝の朝露とともに月桂草を加えれば完成致します。どうぞ全てお持ちください」
カオスを収拾する術もなく、私は翌朝完成した特効薬を受け取った。一滴で効果があるらしく、これなら十分な量だ。
早速、早馬で感染拡大地へと運んでもらった。
「恐れながら申し上げます。今後はグレイス様のお側で、貴方様をお守りしたいのですが、ご一緒に連れて行っては頂けませんか」
謝礼を固辞するカイルが、代わりにと望んだのがこれだ。
貴方の本業は薬師でしょう!?
「グレイス嬢には既に専属の優秀な騎士が配置されているから不要だ。だが、貴殿の此度の功績に対して陛下から報酬が与えられるだろう。望むなら我が国の研究塔で専用の研究室を用意したいと思うが、どうだろうか?」
「彼女とは城で顔を合わせる機会もあるはずだ」
うん?
私、登城する予定なんてこれっぽっちもありませんよ?
むしろこのまま、ロイド殿下とはサヨナラして屋敷に戻りたいのだけど。
「お前…これだけの功績を上げておいて、このまま逃げれると思ってるのか。まずは城に戻り陛下に報告をするぞ」
私の考えを見透かした様な呆れ顔のロイド殿下に連れられて、渋々王都へと帰還したのだった。
非公式な場ということだったが、初めてお目にかかった陛下は想像とはかけ離れた気さくな方だった。
我が国の王族は基本的にフランクらしい。
カイルはなんと、秘匿された高度な技術を持つ幻の一族の長だったそうだ。
何だか凄い人そうなオーラは感じていたけど。
暗殺されそうになった時に弟さんに家督を譲っており、今までは一人でコートネイ領に居たらしい。
私がなぜ彼の事を知っているかなど質問されたのだが答えられるはずもなく、困った私は全て女神様のお導きで押し通した。
「では、グレイス嬢」
「最後の質問だ。先の巨大嵐が突如消え去ったのは、そなたが関わっておるのか?」
「全ては女神様お陰でございますわ。女神様に感謝申し上げます」
にっこり微笑みながら安定、安心のフレーズを返す。
「…ふむ。あい分かった」
「では、我が国の代表として、私からも感謝の祈りを捧げよう」
どう考えても無理のある私の返答を深く追求することも怒ることもなく、終始穏やかなまま謁見は終わった。
…その筈なのだが。
その後何故か王城に部屋が用意され、翌日から女神様の愛し子なんて呼ばれるようになってしまった。
どうしてそうなった!?
それにどちらかというと、愛し子ではなく下僕だよね…
あ。涙出そう。
でも、実は下僕だったんです!って訂正して回ることも出来ず。
私は日々祈りを捧げ、バイオレットサファイアの力を使ってカイルの月佳草の研究の協力をし、オウムの様に「全て女神様のお陰です」と答えるロボットと化している。
そんなある日ー
王城で舞踏会が開催されることになった。
レオナルド殿下の婚約者選定も兼ねているそうで、適齢期の伯爵位以上の令嬢は全て招待されるという。
一応、伯爵令嬢である私手元にも招待状はあるのだが…
歴史があるとは言え、田舎の貧乏伯爵令嬢が婚約者に選ばれることなど万に一つもないわね。
それに先日、第一王子妃は筆頭公爵家の令嬢にほぼ決定だとの噂を耳にしてしまった。
王城で過ごすようになってからは当然、レオナルド殿下お会いする機会もなく…あの図書室での思い出は胸にそっとしまってある。
心の奥がズキリと痛むのは気の所為だ。
そう自分に言い聞かせて、舞踏会用にとアルマ様が送ってくれた美しいドレスに身を包んだ。
レオナルド殿下のあの優しい眼差しが…自分ではない誰かに向けられると思うだけで会場に向かう足が重くなりそうなのをぐっと堪える。
王家から指名されたという今日のエスコート役であるカイルと共に会場へと足を踏み入れると、女性たちから一斉に羨望の眼差しを浴びた。
忘れがちだけど、カイルもまた恐ろしく整った顔立ちをしているのよね。
言い寄るご令嬢達には氷点下対応するらしいのだけど、それがまた良いんだとか。
恋愛とは難解である。
「今日は貴方様の盾ですので、出来るだけ私から離れないで下さいね」
カイルが私の耳元で囁いてにっこりと微笑むと、周りからきゃーっと黄色い声が上がった。
カイル…舞踏会なのだから、盾は不要じゃない?
王族の方々が入場すると、レオナルド殿下はあっという間にご令嬢達に取り囲まれていた。
殿下がダンスの相手に望んだ令嬢数名が婚約者候補となり、後日最終的に一人に決定するという習わしだ。
私には全く関係がないので、気落ちする心を隠して会場の端の方でカイルと共に研究室の仲間達と歓談を始めたのだが…
不意に辺りがざわついていると振り返ったら、眼の前にいたのはレオナルド殿下だった。
「今日私がダンス相手に望む女性は、唯一人だ」
「グレイス嬢。どうか私の手を取って欲しい」
図書室と同じ優しい眼差しをした殿下が、私に向かって手を差し出している。
え。
ちょっと待って。
頭が真っ白になると言うけれど、人間驚き過ぎると本当にフリーズして何も考えられなくなるらしい。
カイルに後ろからこっそり促されて、慌ててその手を取った。
お相手、私で合ってます??
人間違えなのでは!?
頭の片隅で盛大に突っ込みつつも、彼が間違いなく自分を選んでくれたかもしれない事がじわじわ喜びとして溢れてくる。
ダンスが始まると、レオナルド殿下が甘い声で囁いた。
「驚かせてしまい、すまなかった。事情があり、暫く会うことが許されなかったんだ」
「私にとって、貴方はかけがえのない存在だ。あの時、私を厳しく叱ってくれたからこそ、今の私がある。まだまだ未熟者だが、一番側で貴方を愛し守り続ける権利を貰えないだろうか」
殿下は私の正体に気付いているのかもしれない。
でも、そんな事がどうでも良くなるほど、私の心は…喜びと愛しさで一杯だった。
私はいつの間にか大きく育っていたこの感情が、あの恐れていた恋だとか愛だとかいう物だとハッキリと自覚してしまった。
夢のようなダンスが終わり、私は雲の上を歩いている気分でふわふわ浮かれていると、あっという間に興味津々な面々が群がってきた。
ひっ……。
女神様の愛し子だなんて言われてはいるが、一見平凡な伯爵令嬢が唯一人とダンスを申し込まれたのだから、人々の興味を引くのも当然だ。
困惑しつつ対応していると、眼の前に赤い液体が飛び散った…と同時に私の視界は広い背中に覆われた。
見上げると、カイルの美しい銀髪から赤ワインと思われる液体が滴っている。
「カイル!?」
カイルは何事もなかったかのようにいつもの笑顔でチラッと視線を寄越すと、険しい表情で前に向き直った。
「歓迎されているかと思っていたのですが…どうやら私の勘違いだったようです。この国を気に入っていたので残念ですが、仕方がありませんね」
カイルの恐ろしく冷やかな声と同時に、周りの温度も急激に下がった気がした。
背中の隙間から除くと、空のワイングラスを手に持った美しい令嬢が顔を真っ青にして立っていた。
彼女は…レオナルド殿下の婚約者の最有力候補と言われていた筆頭公爵令嬢だ。
いつも優雅で毅然とした態度を崩さない彼女が、今は見る影もなくガタガタ震えている。
「違っ…… わた……私は、そこのグレイス嬢に身の程を教えて差しあげようと思って…」
「ほう……? 私が唯一忠誠を捧げるグレイス嬢を、貴様のような小娘が侮辱するとはな……」
ブリザードが吹き荒れているかのように、更に温度が下がっていく。
ひえぇ。カイルさん。言葉遣いも乱れてますよ!?
周りの貴族達は自身が巻き込まれないようにと慌てて距離を取ったせいで誰も周りにはおらず、令嬢の顔色はもはや真っ白だ。
そこへ彼女の父である、公爵家当主が慌てて駆けつけた。
「カイル殿!」
「我が不肖の娘が大変なご迷惑をお掛けし、心から謝罪申し上げる」
王家に次ぐ地位を持つ公爵家当主が、皆の前で頭を下げるなど前代未聞だ。
それ程、幻の一族が秘匿してきた知識と技術全てを有するカイルが我が国に助力する価値は、計り知れないのだ。
「カイル殿が我が国にどれ程貢献されているかは、疑問の余地もない。我が公爵家を始め、皆が貴方に感謝している」
「娘は下がらせ領地で謹慎させる故、どうか許してもらえないだろうか」
「お父様!?」
父の登場で我に返った公爵令嬢が取り乱しながら叫んだ。
「領地で謹慎なんて嫌よ! レオナルド殿下に選ばれるはこの私よ!!」
「黙れ!」
「娘を下がらせろ。」
公爵が苦虫を噛み潰したような表情で指示を出すと、従僕が暴れる令嬢を抑えながら連れて行った。
カイルもそれ以上事を荒げる事もなく、舞踏会の続きを促すかの様に軽やかな音楽が奏でられ始めると皆が散り散りになっていく。
着替えのためにカイルが一旦退室すると同時に、アルマ様ご夫妻が会いに来てくれた。
「グレイスちゃんには、立派な騎士までいるのねぇ」
さっきの身も凍えるブリザードと修羅場を見ていただろうに、アルマ様はいつものペースでおっとり微笑んでいる。
「色々と心配はあると思うけれど、貴方には私達ケンブリッジ侯爵家も付いているのを忘れないでいてね」
こう見えても夫は敵に対しては容赦ないやり手なのよーなんてちょっと恐ろしい事を、ふんわり笑顔のままサラッと口にして周囲を牽制するアルマ様……
絶対に敵にしちゃいけない人だと、その日私は心に誓った。
こうして波乱の舞踏会を終え、ようやく着替えた私はふーっと息を吐いた。
今日のことが色々思い出されて、とてもじゃないが眠れる気がしない。
王城にあるお気に入りの庭園を訪れベンチに腰掛けていると、そこへレオナルド殿下が現れた。
「今日は君まで巻き込んでしまって済まなかった」
透き通った金色の瞳が心配そうに私を覗き込む。
「公爵家には事前に婚約者選定について内々に伝えてあったんだが、令嬢が暴走したようだ。カイルには悪いが、君に被害がなくて本当に良かった」
そう言って、レオナルド殿下はそっと私の頬に手を沿わせた。
!?
恥ずかしい……のだけれど、彼の手が触れているのが嬉しくて、夢ではないのだと改めて実感する。
でも彼の気持ちに応えるということは…
将来王妃になることを意味する。
私は公爵家のような地位も力も財産もない、ただの貧乏伯爵令嬢だ。
そんな私が王妃だなんて、彼は大丈夫なのだろうか。
国の為にも、あの美しい公爵令嬢のような方が相応しいはず…
急に、ムクムクと不安が湧き上がってきた。
そんな私の表情が僅かに曇ったのを見て、レオナルド殿下は言葉を続けた。
「女神様の愛し子と名付けて流布したのは私だ。勝手なことをして申し訳無かったが、君の功績を公に説明出来ない以上、皆を納得させるために君の地位を確かなものにしたかった。女神様がお怒りになったら、私が一人で罰を受ける覚悟だ」
「君が気に病むのなら、美しいその瞳で私とともに国を見て回り民の平和と安寧を祈って欲しい。貧しい民の気持ちにも寄り添える君にしか出来ない事だと私は信じている」
「そして何よりも……」
「私を幸せにできるのは君だけなんだ」
「グレイス…愛している。私と人生を共に歩んで欲しい」
至近距離で見つめられながら大好きな人に愛を囁かれて、私の涙腺はもう決壊寸前だ。
「……私を幸せにできるのも、貴方しかいませんっ……」
その後、舞踏会で一人にしかダンスを申し込まなかったレオナルド殿下の婚約者選定は異議もなく直ぐに認められ、私は正式な婚約者となった。
1年後ー
美しい純白のドレスに身を包んだ私の手を取り、レオナルド殿下がそっと口づけを落とした。
正式に夫婦となった私達が大聖堂から姿を現したと同時に、空一面がキラキラと光り輝き…ふわりふわりと何かが舞い落ちてきた。
それは、バイオレットサファイアのように淡く光る花びらで、地面に触れた瞬間に次々と消えて無くなっていく。
そして次の瞬間、花は美しく咲き乱れ、木々
は茂り、国中の田畑がまるで魔法にでもかかったかのように沢山の実りをつけた。
「女神様の祝福だ! グレイス様ありがとうございます!!」
「レオナルド殿下、グレイス妃殿下ご成婚おめでとうございます!!」
大聖堂の前に集まっていた大勢の民が、奇跡を目の当たりにして口々に祝意や感謝を述べ、女神様の愛し子との結婚を喜び盛大に祝った。
『女神様、感謝申し上げます』
今日も、私は女神様に感謝の祈りを捧げる。
女神様の下僕もとい愛し子として、国中の民の幸せを願い続けたグレイスは、多くの民に慕われ愛された王妃として今もなお語り継がれている。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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ロイド版は数話の予定ですが、初連載ビクビクしています…
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