ノイ一族とミュラー伯爵家・終
今がいい夢であるのなら彼がその夢から覚めたらどんなセカイにいるというのだろうか。
フレムデ・ノイに関してはそんなに頻繁ではなかったし、風切姫がいる時は彼女がいつも宥めていたしそれで十分だったのだが、彼女が亡くなってからは子どもたちの顔を見に来るようになった。夜中であろうが、早朝であろうがお構いなしで、生きているのを確認して漸く安心するのだ。
どんな理由で気分が沈むのかフォイアーは聞いたことがない。けれどきっとあの脳天気な父親が不安になるのだからよほどのものだろうと彼は思っていた。
もしかしたら風切姫はそんな所が愛する夫に似ていると気がついてヴァイスを気にかけていたのかと今更ながら思う。
ふと意識を飛ばす癖も、急に不安そうな顔をする癖も、今はだいぶ減ってはいるが子供の頃からのヴァイスの癖であった。
――フレムデと同じで違うセカイが見えているのかもな。
冗談交じりに母親が零した言葉はあながち間違っていなかったのかもしれない。時折彼の見せる不安定さ。
そんな事を考えているとフォイアーは声をかけられて顔を上げる。そこにいたのはこの屋敷の主であるミュラー伯爵。
「どうしたんだい?」
「……ヴァイスが幸せすぎて今が夢なんじゃないかって怖くなるという話をしてたのが少し心配で」
いつも朗らかなフォイアーが沈んだ声色で言葉を落としたので、ミュラー伯爵は僅かに眉を上げた後直ぐに言葉を放った。
「……まぁ、私も妻と結婚した時は夢なんじゃないかと何度も思ったよ」
「私も素敵な婚約者を見つけられて夢なんじゃないかと思いました。数日すればヴァイスも現実味を帯びてくるでしょうし、いらぬ心配ですかね」
幸せであるがゆえに抱く不安の延長だろう。そんな風にフォイアーが話を纏めたのでミュラー伯爵はそれ以上深くは話を掘り下げなかった。
「お兄様……あ、おじ様!」
「お義父様でいいよ。ヴァイスと休憩かいイリス嬢。問題はないかな?」
「はい!みんなよくしてくれます!夜会は久しぶりですから準備は大変ですけど」
「何か不備があったら遠慮なく言うんだよ。それじゃぁ」
「え?ヴァイスに話があったのでは?」
そのまま去ろうとするミュラー伯爵にイリスが目を丸くすると彼は笑った。
「いや、フォイアー君が廊下に立ってたから何事かと思っただけだよ」
「あぁ……私が……えっと……」
視線をウロウロと彷徨わせたイリスに気が付きミュラー伯爵は苦笑する。そして小さく手をふってその場を後にした。それを眺め恥ずかしそうにイリスは俯く。
「やってしまった……」
「いいんじゃないの。会長としても若夫婦が仲良しなのはいいことだろうし」
「まだ夫婦ではありません!!」
「ちゅーしてぎゅーした?」
「恥ずかしいのであんまり言わないでお兄様」
「……そうなの?ロートスはヴァイスが吃驚するぐらいイリスにべったりだって言ってたけど。いや、元々べったりではあったんだけど……こう……物理的に?」
「速攻で報告されてる!!」
「いい加減中入れ」
「君が追い出したんじゃないかぁ」
ぶーぶーと文句を言いながらフォイアーがまた部屋に入りソファーに腰掛ける。するとヴァイスはフォイアーの向かいに座り、イリスを己の隣に座らせた。
「……追い出して悪かった」
「いいよいいよ。落ち着いた?おまじないしとく?」
そう言ってフォイアーはポケットから真っ白なハンカチを取り出すとそれを何度か折りたたみ花の形を作る。
そしてそれをヴァイスに差し出した。
「ここは七つ目の世界で悪夢の終わり。私たちは君たちの幸せを願ってる」
何度も風切姫が、フレムデが、ヴァイスにしてくれたおまじない。それを眺めてヴァイスは白い花を受け取る。
「私がさっきしました!!」
「まぁうちではお約束だよねぇ。これからはイリスに何度でもしてもらえばいいよ」
昔話にかこつけた幸せを祈るおまじない。それは風切姫の故郷の風習であったが大事な人の幸せを望まずにはいられないノイ一族にピッタリのおまじないだった。
「そうだな」
「うんうん。そうして。そんじゃそろそろ帰るね。爺さんの説教も終わっただろうし」
「お祖父様が?誰に?」
「父さん。婚約式に呼ばなかったの怒ってる」
「あー。急だったし……」
「色々貴族的な都合とかもあるよね。知らないけど。まぁ、お気に入りのヴァイスと可愛い孫娘の婚約式楽しみにしてたから拗ねちゃった感じ」
お気に入りと言われてヴァイスが不思議そうな顔をしたのも仕方がないだろう。例えば風切姫や天才のような可愛がり方ではなかったのだ。
「お気に入りって程じゃねぇだろ」
「爺さんが毎回出迎えるって家族以外だと破格の対応だよ?王子様だって君がいなけりゃ知らん顔すると思うし」
「不敬すぎんだろ」
幸い第二王子や末姫のような王族がノイ伯爵領を訪れる時はヴァイスが必ず同行していたので問題はなかった。その点に関しては運が良かったとしか言えない。
引きこもりの先代ノイ伯爵と言われれば有名なのだ。魔術師として有能であるのに人嫌いであると言われている。家族に言わせれば、人嫌いと言うよりは相手に合わせて対応するのが面倒くさいので引きこもる方を選んだというだけであるのだが。
先代を最後に見たのは風切姫の結婚式の時だと言う人も多いだろう。ただ、書類仕事は比較的ノイ一族にしてはまともにできる方なので、当主としての業務はきちんと回していたので周りも文句を言いにくかった。全くと言っていいほど業務をやらない現伯爵より遥かに扱いやすい。
「ヴァイスは追跡魔法以外使えないよね」
「使えねぇな」
「けどイリスにくっついて狩りでは前線に行くよね」
「行かねぇと印つけらんねぇだろ」
何故突然そんな事をいいだしたのかと言うような顔をヴァイスがしたのでフォイアーは浅く笑った。
子供の頃からヴァイスはイリスと共に狩り場に行くし前線にもついていく。剣術はほぼ才能はないし、辛うじて護身術程度の体術ができる。唯一褒められるのは弓の命中率が馬鹿みたいに良いぐらいだろう。これは追跡魔法の命中率が高いことに関係があるのかは不明だが、己の筋力を使うタイプの弓では無理だが、自動巻き上げのボウガンなどならそこそこ役に立つ。けれど魔物相手に己の身を守るには心許ないだろう。
「……怖いと思ったことは?」
「あんまねぇな。イリスがいんだし」
「そういう所ね。イリスに対する絶大な信頼!!そして己が何ができて何ができないか把握している聡明さ!!」
「はぁ?」
「そんでもってイリスのためだったら尽くせる手は全部尽くす献身!!爺さんはイリスが唯一の女孫だからさぁ、可愛いんだよ。その可愛い孫に自分の全部ぶっ込んじゃう馬鹿な男も可愛いと思ってるんだよねぇ」
「知ってたけど基本的にノイ一族は頭おかしいな」
「驚いた事に!!外で社交を学んだイリスと、それにくっついてたロートス以外は大体こんな感じなんだようちの人間!!」
「知ってるって言ってんだろ」
そして軍属であった風切姫も基本は規律を重んじる。その三人位しかまともに社交をやっていないので、ノイ一族の異常さは薄れて見えるのだが、イリスが第二王子と婚約するまでは、魔具を作る、魔物を狩る以外何をやってるのか全く不明な一族であったのだ。ただ、魔具の売上のお陰で税収は他より飛び抜けていたし、脱税をするのも面倒くさいので基本規則通りに書類を作って納税をする。領地はほぼ代々続く子飼いの工房ばかりなので代わり映えもない。
主要地を守っている高位貴族は魔物狩りの恩恵を受けているので、ノイ一族が不利にならないように動いたりもするが、そもそも中央政治に興味がないのでおねだりもない。大型魔物を狩った際の中央への申請書類を書くのが面倒くさいのでそちらでやってくれないかと頼まれるぐらいである。
それもあって、イリスが第二王子の婚約者となった時は、寧ろあのノイ一族の娘が中央に輿入れして大丈夫なのかという心配があった程である。
ただそれも勤勉であったイリスのお陰でまともに見えたのだろう、直ぐに心配の声はかき消された。きっと軍属であった風切姫に似たに違いない。そのよく似た容姿も相まって皆そう思ったのだ。
けれどイリスとてやはり本質はノイ一族である。それはヴァイスも知っていたので、できるだけ彼女の精神的負担を減らすように気を使っていた。
「……君がいなければイリスはきっと中央でもっと苦労してたよ。その点は私も爺さんも感謝してる」
「俺がしたいことしてただけだ」
「君も奉仕種族なのかな?遡ったらうちの一族の血混じってそうだよね」
「知らねぇよんなこと」
やや呆れたようなヴァイスの表情を眺めてフォイアーは安心して笑った。どうやら不安定さはなんとか落ち着いたようだと感じたのだ。
「私も爺さんも君とイリスの事は嬉しく思ってるよ。幸せであって欲しいって願ってる。反対なんて誰もしない。母さんに二人の姿を見せたかったって言う気持ちはあるけどね」
きっと喜んだだろう。二人をぎゅうぎゅうと抱きしめて、頑張ったな!と褒めただろう。そんな姿を想像したのはフォイアーだけではなく、イリスもヴァイスもだったようで、彼らも懐かしそうに瞳を細めた。
「落ち着いたらお母様にも報告に行くわ」
「直ぐ父さん報告に行くんじゃないの?月命日近いし」
「それでも私とヴァイスで行きたいのよ」
風切姫の墓はノイ一族の眠る墓地にある。月命日には休みをとってフレムデ・ノイは花を捧げに行っているのだ。イリスやロートスはヴァイスと一緒に年に一回、命日にはその墓地を訪れていた。
「どうせなら皆で行く?ミュラー会長と夫人も誘って。忙しいかな?そんでうちの領民にヴァイス軽くお披露目的な。中央でのお披露目は夜会だけだよね?」
「そうだな。叔父貴も風切姫への報告って言えば都合合わせるんじゃねぇの。つーか、領地へのお披露目は婚姻の時だろ普通」
中央へのお披露目以外に、己の領地でのお披露目もする事は多い。ただそれは婚約ではなくヴァイスの言う通り婚姻の時なのだが。
「いいじゃん。私は領地での婚約式の時お披露目もするよ?奥さん皆に見せびらかしたい。自慢したい」
「まだ奥さんじゃねぇだろ」
「っていうか、わざわざお披露目しなくてもヴァイスって昔からうちの領地にも出入りしてるから皆顔知ってるわよね?言っちゃえばミュラー伯爵領も住んでるの商会関係の人間ばっかりだからこっちも私の顔知ってるし」
ノイ伯爵領はほぼ森である上に少ない平地は魔具工房しかない。そして隣接するミュラー伯爵領も半分位が森であり、こちらは商会関係の倉庫や流通拠点、そしてそれに関係する人間の住居位しかない。人口密度が他の領地に比べて圧倒的に低いのだ。
そしてミュラー伯爵領の森に関しては、ノイ伯爵領の森と続いていると言う理由で、ほぼノイ伯爵領の魔物討伐部隊が我が物顔で狩りをしている状態である。他領地に兵を送ろうと思えば手続きが面倒なのだが、森って境界線分かりづらいよね!というのが彼らの言い分である。そしてそれは誰も困らないので黙認されていた。
「そっかー。まぁ、その辺は会長と決めてよ。うちはともかく、商会は重要な関係者だけには内々にお披露目しときたいってあるかもしれないし。その時は嫌がらず頑張るんだよイリス」
「流石にそこは面倒くさがらないわよぅ。ヴァイスや会長の顔を立てておくべきだろうし」
そこを注意されるとは思わなかったイリスは僅かに口を尖らせる。こんな表情を見れば己の妹は自由になったのだとフォイアーは思わず微笑みが溢れた。
「……そろそろ帰らないと自分を見捨てたって父さんに怒られそうだから帰るね。明日また」
「お祖父様にもよろしくね。明日会うだろうけど」
「うん。きれいに着飾って最高に可愛い孫娘演出してよ。きっと喜ぶ。ヴァイスもイリスのエスコート頑張ってね」
「頑張るもんじゃねぇだろ。まぁ、初めてだからな、トチらねぇようにする」
そちらも忙しいだろうから見送りはいいとにこやかに出ていったフォイアーを見送って、ヴァイスは瞳を細めた。
「イリス」
「なぁに?」
「色々俺の都合に合わせる形になって悪かった」
驚いたようにイリスが顔を上げてヴァイスを眺める。それに彼は小さく笑った。
「これからも暫くはバタバタすっけど、付き合ってくれ。それ終わったら……約束通りお前の願いなんでも叶えてやっから」
それは子どもの時、初めて会った時にした約束。役目を終えたらどんな願いでも叶えると。
「もうとっくに叶ってる」
「は?」
「ヴァイスともっと一緒にいたいってお願いするつもりだったの。こう……ミュラー商会のお手伝いとかはできるかなぁって。まさかこんな形で叶えてもらえるとは思わなかったけど」
伴侶とするだけが愛の形ではない一族。奉仕種族。相手が幸せであることを願わずにはいられない。
「そうか……なら良かった。もっとねだってもいいんだぞ」
「えー。一番最良の形で叶えてもらったからなぁ。他はまだ思いつかないわ」
「まぁゆっくり考えてくれ。時間は山程あるしよ」
そう言うとヴァイスはイリスの手を軽く握る。それに気がついた彼女は嬉しそうに瞳を細めると小さく握り返した。
年明け新作でもUPできたらなとボツボツ執筆しています。
なので今不定期更新している番外編は暫くおやすみになるんじゃないかと思います。まだ書きたいものも残ってますので、新作無事に完成しましたらまた番外編の更新を再開するかと思いますので、よければブクマそのままにお待ち頂ければと思います!




