チャプター7 ウォークイン冷蔵庫
「どうやらいないみたいね」
桜がそう結論を出す。
彼女は敷島を引き連れて、飲料用冷蔵庫の裏側に来ていた。二人して拳銃を構えて突入し、各々が隅々にまで銃口を突きつけて警戒する。しかし、そこまで広くない場所なのですぐに誰もいないことが知れた。
そもそもさすがに冷蔵庫の裏側とあってひんやりしているその場所は、長居には不向きに思われる。二人は安堵の息を吐いた。
「いやー、残念だなー」すっかり調子づいた敷島が言う。「俺の射撃の腕前を披露する時だと思ったんだけどなー」
桜は、そんな彼の言葉を軽く流す。「何にせよ、杞憂でよかった」
「しかし、そうなると誰が店長を殺した犯人なのかってことになるよね」
「もうどこかに逃げ去ったか」桜は指を一本ずつ立てながら言った。「あるいは私たちの誰か、か」
「また振り出しに戻ったね。言っておくけど俺じゃないからね」
「初めから疑ってないから安心して」
そう即断する彼女に、敷島は目を丸くしながらこう尋ねた。
「まるでもう目星がついてるみたいだ」
「まぁ」と、桜は曖昧に肯定する。
「誰?」
無遠慮に問いかけてくる敷島に、桜は咎めるような視線を投げかける。しかし一向に怯む気配のない彼に音を上げて、答えることにした。
「ゴールデンバット」
「兄貴? なんでさ」
「彼しかいないから」
「え? どゆこと?」
「血が細かく飛び散っていたでしょ。あれは銃殺された時の飛び散り方なの」
「ほえー、よくそんなこと知ってるね。なんか刑事さんみたい」
彼の言葉の後、桜は僅かながら息を呑む。それでもなんとか吐き出すようにして、こう告げた。
「とにかくあいつ以外に拳銃を扱えるものはいない」
「なんでさ?」敷島は、桜の持つ拳銃を指差す。「桜さんだって持ってるでしょ?」
「持ってても、撃てるとは限らないから」
「どゆこと?」
「実際に持っていたとしても、それで本当に人を撃てるかどうかはまた別の話ってこと」
「ほえー、そんなもんか。……ん? ってことは、兄貴は人を撃ったことがあるってこと? そもそも桜さんは兄貴のこと知ってたの?」
矢継ぎ早に続く彼の質問を、桜はただこの一言で締めた。
「とりあえず、あいつ以外はいない。私はそう思ってる」
「でもさでもさ」敷島は尚も食い下がる。「兄貴は入店してから、だいたいすぐくらいに強盗を始めてるはずだよ?」
「……待って。あなたいつからいたわけ?」
「兄貴が来る前だよ。暁さんだけがいたかな。他に客はいなかったよ。トイレに入っていた間はわからないけど」
「ゴールデンバットが現れたのはいつ?」
「トイレに入ってる間かな。俺が出てきた時には、既に強盗の真っ最中だったよ」
「なら、その時じゃない。あなたがトイレに入ってる間に店長を殺したの」
「そんなに長い時間入ってないよ。それに、もしそうなら音が聞こえない? 大きいんでしょ、銃声って」
「消音装置がある」
「それでも完全に消すのは難しいんでしょ? それに暁さんは?」
「なら、これはどう?」桜は焦った様子でこう告げる。「あいつは私たちが来るよりもはるか前に来ていて、店長を殺したの。それから逃走した」
「それならどうして戻ってくるのさ」
「よく言うでしょ。犯人は現場に戻るって」
「戻ってまた事件を起こすって? さすがにそこまでは聞いたことないなぁ」
ここまで完璧に反論されると、さすがの桜もぐうの音も出なくなった。元々、視野の狭い不完全な推理だ。論破されるのも当然と言えた。
こうしてすっかり気落ちした彼女は、却って冷静になったその頭で先ほどの会話を反芻し、そして気になる点を見つけた。
「待って。もしかしてあなたも人を撃ったことあるの?」
「え? どうしてさ」
「だってあなた、さっき射撃の腕前がどうとか言ってたじゃない」
「あー、それね」と、敷島は自分の持つ拳銃を指差した。「これさ、実はモデルガンなのよ」
「いつも持ち歩いているわけ? あまり感心しないけど」
「いやいや、今日は偶々。仲間内でサバゲー大会があってさ、それに参加しようと思って」
「その帰りってわけ?」
その言葉に、敷島は首を振る。「結局参加はできなかったけどね。なんか中止っぽい?」
「ぽい?」
「聞いてた開催場所に行ったんだけど、誰も来なかったんだよね。時間も場所もあってるはずなんだけどなぁ」
「誰も連絡してくれなかったの?」
「連絡先知らないからね」
「はぁ? だってさっき仲間内って言ってたじゃない」
「うん、同じ大学のね。風の噂でサバゲー大会するって聞いてたから、こっそり参加してやろうって思ったのさ」
「こっそりって何?」
「スペシャルゲストってやつだよ」敷島は自信満々に告げた。「盛り上がるじゃん。真打ち登場って感じで」
ここまで堂々と言い切るのだから、よほどうまいのだろう。桜は感心したように「あなた、そんなにサバゲーうまいんだ」と言った。それならば射撃の腕前が自慢なのも頷ける。
しかし、そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、敷島は平然とこう告げた。
「いや、初めてだよ」
桜は数度瞬きをしてから尋ねる。
「……何がスペシャルゲストなの?」
「俺の存在がだよ」
桜の瞬きは止まらなくなった。その速さは思考回路に比例し、すぐに彼の大学での立ち位置を算出できた。つまり彼はなんにでもすぐ首つっこみたがる、はた迷惑な人なのだ。
「あなた……言いづらいけど多分、避けられてるわよ」
しかし敷島はまるで合点のいかない様子で、こう告げる。
「俺が? 何でさ」
「……いや、何でもない」
きっと知らない方が幸せだろう。そう考え、この話をこれ以上広げるのを止めた。
と、そんな時に店内から耳を劈く音が聞こえた。破裂するかのような乾いた音。銃声だと、桜は直感的に思った。
「何の音?」と惚けたことを言っている敷島を他所に、桜は走り出した。バックヤードを抜け出ようとする。
「あ、ちょっと待ってよ!」敷島も慌てて彼女を追いかけた。
二人揃って扉を潜って店内へと戻ろうとするも、すぐさま足を止めることとなった。続いて絶句する。ちょうど彼らのすぐ目の前辺りに、血を流して倒れる警官の姿があったからだ。
そのすぐ傍らにはすっかり腰の抜けた若い警官がおり、彼の目線の先にはゴールデンバットが立っていた。腕がくたびれたように垂れており、その手に持つ拳銃からは発砲したばかりであることを示す硝煙が上がっている。
間違いない。彼が撃ったのだ。桜はすぐさまそう結論付け、ゴールデンバットを睨みつけるようにしながらこう言い放った。我ながら、冷徹な声音で告げているのがわかる。
「これは、つまりどういうこと?」
すると、彼は虚ろな声でこう答えた。
「仕方がなかったんだよ。こうするより道はなかった」




