チャプター6 死に筋
「なぁ、誰なんだよお前」
ゴールデンバットは、暁へと問いかける。彼はできの悪い生徒に言い聞かせるかのように、こう言った。
「ですから、あれはおそらく店長だろうと」
彼らに加えて桜と敷島の四名は、現在コンビニの事務所に来ていた。雑然とした場所で、四人も入ればいっぱいとなる。いくつか置かれたラックには物が詰め込まれており、背の高い従業員用のロッカーが圧迫感を醸し出していた。とても心休まりそうな場所ではない。
ゴールデンバットは言った。
「違う。あれを店長と断定できないお前は誰なんだと聞いてんだよ。ここの従業員ならわかって然るべきだろ」
「そう言われましてもね」暁は言う。「何しろ背中しか見えないもんですから」
部屋の最奥には、如何にも店長が事務仕事をするような机があった。現在四人は中央に置かれた休憩スペースと思しきテーブルを挟んで、遠巻きにするようにその机に突っ伏す男の背中を見ている。
「なら確認して来い」
そう提案するゴールデンバットに、桜は異を呈した。
「正気? 死体を見に行けっていうの?」
さらには暁がこう言った。
「そもそも、あれは死んでるんですかね?」
その言葉に対して、敷島がこう言う。「何でそう思うのさ」
「確認してきたんですか?」
「いや、してないけどさ。あれだけ血塗れなんだから生きてる方が不自然じゃない?」
「あれはケチャップか、もしくはミートソースを零しただけかも。店長のおすすめパスタがミートソースなんですよ」
「だから何?」と桜が問いかける。
「あまり売れ行きよくないから自分で食べてます」
桜は無感情に「そう」とだけ言った。続いて敷島が、こう言う。
「ならさ、なんで店長は起きて来ないわけ?」
「よくあるんですよ。店長、一度眠ると中々起きなくて」
ゴールデンバットが尋ねた。
「常習犯だとでも言いてぇのか」
「その通りです」
「てめぇ、本当に何者なんだ?」
「何をそんなに疑っているんです?」
「……まぁ、いいさ。とにかく、わからないというなら確認して来い」
「だから死んでんだよ。信じてって」敷島が言う。
「それも含めて確認してくるんだ、暁」
「え? 俺? 何で?」
「理由は二つだ。一つはおめぇしか店長の顔がわからないから。もう一つは、お前はここの従業員で客を守る義務があるからだ」
「ないよ。第一、どの口が客だなんて言ってんですか」
「うるせぇ、つべこべ言わず行ってこい」
「そもそもあれが店長かどうかなんて関係あるんですか?」
「どういうこと?」と、桜が問いかけた。
「ここで何より重要なのは死体があるってことであって、誰が死んでるかなんて関係ないじゃないですか」
「でも死んでる人物を特定することで、犯人がわかるかもしれないじゃない」
「え、犯人?」
「そう。重要度で言うなら、そっちの方が大事でしょ」
「つまりさ」敷島が言う。「犯人探しをしようってことだね?」
「というよりも」
桜の言葉を、ゴールデンバットが引き継いだ。
「この中に犯人がいるかもしれねぇ。そう言いてぇんだろ」
たちまち一同は沈黙した。しばらくお互いにお互いの目を見交わせるくらいの間が空くと、やがて敷島が茶化すように言った。
「はは。ジョーダンでしょ」
誰もその言葉に答えない。敷島は、一層不安を滲ませた声でこう言った。
「冗談、だよね?」
「だといいがな」
ようやくゴールデンバットがそう返す。
「俺、じゃないよ?」
「さてな。こういう時は第一発見者が怪しいと言うが」
「だいたい」桜が言う。「あなた、どうやって発見したわけ?」
「いや、トイレ行くついでにふらっと寄ったの」
事務所への入り口は、レジを滑るように真横に行くと窪みがあり、入ってすぐのレジ側にあった。その反対側には、飲料用冷蔵庫の裏側へと続き、その二つのドアの間を真っ直ぐ進むとトイレに突き当たる。
「そんな気軽に寄らないでください」暁がすかさず言った。「関係者以外立ち入り禁止って書いてあるでしょ」
「でも、これはある意味証明でもあるかもね」
桜がそう告げると、敷島は「何が?」と尋ねてくる。彼女はさらに続けた。
「ここは誰でも入れる場所ってこと」
「確かに」暁が頷く。「何も密室ってわけじゃないですからね」
「じゃあさ」すっかり調子を取り戻した敷島が言う。「俺たちの他が犯人って可能性もあるわけだよね?」
「おそらくは」
桜がそう締め括る。すると、敷島は「よかったー」と一息ついた。
「いや、良くはないでしょ。人が死んでるんだから」と、桜が返す。
「じゃあどうする? 警察にでも通報しとく」
「そんなわけにはいかねぇ」と、ゴールデンバットが口を挟んだ。
「じゃあ、死体はどうするのさ」
「放っておけ。どの道、俺たちはどうすることもできん」
その言葉を受けて、暁がこう言う。
「警察を呼ばれて困るのは、皆さんですからね」
と、ここで敷島が「そう言えばさ」と切り出した。「どうして君は警察を呼ばないの?」
彼の言葉に桜が続く。
「確かに。いくらでも通報するチャンスはあったんじゃない?」
「いやー、別に?」暁はうろたえた様子で答える。「俺自体は困らないし?」
「今は困った状況じゃないの?」
そう言う桜の言葉を無視して、暁は「あ、そうそう」と言った。
「店長が言ってたんですけど、うちは保険に入っているんで強盗に入られても保険が降りるんですよ。なので、当店は強盗歓迎なんです」
「そんなバカな話ある?」
「あー、話を戻しますけど、店長を殺した犯人、まだ店舗のどこかに潜んでいるって可能性なくないすか?」
「どこかって?」
「例えば、トイレとか?」
「俺、さっき行ったけど誰もいなかったよ」
敷島が答える。桜がさらに言った。
「この事務所には隠れられるようなスペースはないし、店内でも隠れ通すには限界があるんじゃない?」
「まだありますよ。バックヤードです」
「バックヤード?」
「そうです。飲料用冷蔵庫の裏に人の入れるスペースがあるんです」
しかもですね、と暁はワントーン声を落として言った。
「覗けるんですよ」
まるで脅すかのようなその口ぶりにまんまと乗せられた敷島が、恐る恐る「何が?」と尋ねる。すると、暁は待ってましたと言わんばかりに口角をあげて答えた。
「店内の様子が。飲み物と飲み物との間から覗けるんですよ」
殺人者が逃げもせず、そっと店内の様子を窺い続けていた。彼らの不毛な言い争いも、時折見せるおちゃらけさえも、じっと息を殺して。
瞬時にそんな想像が浮かび、何故だとかそういった理由など全てを超越して戦慄が走った。一同は、再びお互いに目を見交わし、それから誰からともなく笑い出す。
初めに声を発したのは敷島だった。
「またまたぁ。そんなわけないじゃない」
その言葉に、桜も続く。
「そ、そうね。さすがに想像が飛躍し過ぎているとしか」
なぜ人を殺しておきながらそんなことするのか。誰もあえて理由を問い質そうとするものはいなかった。当然だ。逃げ遅れたのでなければ、その殺人者は機会を待っていたことになる。なんのか。それは最悪の想像をするならば、皆殺しの機会だ。
そんなことを改まって聞くような真似は、誰だってしたくはない。このまま何もなかったかのような流れになる。しかし、たった一人だけそれをよしとはしなかった。
「確認して来い」
ゴールデンバットだった。
「そうすればすっきりするだろ」
「正気?」桜が返す。
「このままうじうじ考えてたってしょうがねぇ。かといって、今更何も聞かなかったことにもできねぇだろ。違うか?」
確かに彼の言う通りだった。殺人者がいるにせよいないにせよ、一度最悪な想像をしてしまったが最後、払拭するにはこの目で確かめてみるしかない。
ゴールデンバットの言うことは、どこまでも正論だ。だが。
「誰が行くって言うの?」
「てめぇだ」
「なんだって私が」
「怖いなら」と、ゴールデンバットは敷島を指差した。「そいつを連れて行け」
いきなり指を差されてぎょっとしている彼の傍ら、桜が言う。
「待って。勝手に決めないで」
「一人じゃあぶねぇ。だが、何人もぞろぞろと行けばむしろ相手の思う壺かもしれねぇ。なら二人で行くのが最適解だ」
「それはそうかもしれないけど、そうじゃない。なんというか、その……平等じゃないでしょ」
「え、そういう問題?」敷島が言う。
「違うかもしれない」
すかさず反論されたせいで、桜はたちまち自信を無くした。焦るあまり、変なことを口走った気がしていたのだ。
しかし、もう取り消せない。暁がこう提案した。
「じゃあ、ジャンケンで決めればいいんじゃないすか? それなら公平でしょ」
こうなっては、もう引っ込みはつかない。桜は「まぁ、それなら」と渋々承諾した。
一人が諾を示したため、他の二人もそれに続く形となった。こうして決が取れたため、間もなくしてジャンケンが始まることとなる。
三人が手を挙げ始める。すかさずゴールデンバットが咎めた。
「おい、てめぇもだ」
「え、俺もすか」暁が答えた。
「たりめぇだろ。早くしろ」
その異を差し挟む余地のなさに、暁は諦めて成り行きに身を任せることとした。
ジャンケンが始まる。掛け声の後、一斉に思い思いに形作られた手が出された。その結果は。
「結局こうなるの」桜がぼやく。
ゴールデンバットがにやりと笑った。「俺が言った通りになったな」
そう告げる彼を睨みつけるようにしている桜に、敷島がこう言った。
「いざとなったら俺が守るから安心してね!」
「とっても心配」
「えー、そんなつれないこと言わないでよー」